ポンガル@国分寺カフェスロー報告

遅ればせながら、前回紹介した1月14日のポンガル@国分寺カフェスローは、とても楽しかった。ポンガルとは「南インド、とくにタミル・ナードゥ州とアーンドラ・プラーデシュ州で盛大に祝われる収穫祭」だそうで、それを模したイベントだったのだが、なんといっても、マサラワーラーさんたちによってつくられた南インド料理(ミールスというのかな)がよかった。

 
南インドには行ったことがないので、南インド料理といえば練馬のケララバワンでしか食べたことがないのだが、蔵前仁一さんが「日本でこんな料理が食べられるとは思わなかった。南インドのと同じだよ」といっていたくらいなので、そうなのだろう。日本でインド料理というと、たいていタンドーリチキンとか、マトンやチキンのカレーとかが思い浮かぶが、南インド料理は基本的には菜食。日本にはあまり紹介されていないが、じつにヘルシーで、食べやすく、しかもおいしい。


バナナの葉っぱの上に、ごはんにくわえて、つぎつぎといろんなカレーや炒め物などのおかずが並べられ、それを手でぐちゃぐちゃに混ぜながら食べる。ピーマンもジャガイモもまぜこぜにして、揚げせんべいを指先でぼろぼろとくだいたものをふりかけ口の中にほうりこむ。見た目はなんだが、いろんな味が口の中で混ざり合い、マンダラのような味覚の世界が広がるのが新鮮だった。食べるのに夢中で写真も撮らなかった。

 
料理がおいしいだけでなく、マサラワーラーさんたちの雰囲気がいい。あのあっけらかんとした笑顔は、こういう時代には心にしみる。かれらのイベントに人気がある理由もわかる。いい料理は人の気持ちを温かくしてくれる。中身はまるでちがうが「バベットの晩餐会」を思い出した。


マサラワーラーは武田尋善さんと鹿島信治さんという二人組のインド料理ユニットなのだが、武田さんはアーティストで、絵から壁画から造形から、ちょっとニキ・ド・サンファルなんかを思わせる、総天然色縄文スタイルとでもいうのかな、たいへんパワフルな表現をされる方で、鹿島さんはシタールを演奏し、打楽器のユニットもやっているという。料理とアートを組み合わせたパフォーマンスなどもされているらしい。


出し物は堀友紀子さんのバラタナティヤムというタミル・ナードゥのインド古典舞踊と、久野隆昭さんのガタム(南インドの壺の楽器)と竹原幸一さんのモールシン(南インドの口琴)の演奏、それにわたしのハピドラム。堀さんの舞踊はいちばん後ろから見ていたので、足下がよく見えなかったのだが、肩から手、指先へとつらなる動きがきれいだった。太極拳などの武術でもそうなのだが、いい動きには「勁」といわれる全身を連携させる力の動きがある。これは舞踊にも通じるのだな。


久野さんと竹原さんの演奏は圧倒的だった。西洋音楽とちがって、南インド音楽には楽譜がない。そのためこれらの楽器を習うときには、基本的には先生の真似をすることになるのだが、そのとき楽器の音を口で真似する練習をするのだという。


たとえば三味線だと、弦をはじいた音を「チン、トン、シャン」といった音で表現するように、インドの打楽器でも壺を叩いたときの音をその叩き方によって「トン」とか「カ」とか「ドン」とか「ティク」とか「ダー」といった言葉に置きかえ、それをつなげてリズムがつくられる。たとえば、師匠がティータカドンタカティータカトンタカ(←適当)と口ずさむと、弟子がそれをガタムやモールシンで追うように演奏するのだそうだ。言葉とリズムは入れ替え可能なのである。


ただ、このティータカタカタカ…をいうのがおそろしく早い。知らなければ早口言葉を唱えているようにしか聞こえない。しかも、そのワンフレーズが文字に直したら、軽く文庫本一ページ分くらいはありそうな長さだ。つまり、おそろしく長い早口言葉を唱え、そのあとそれを楽器でそっくりそのまま再現する、という感じなのである。


そんなにたくさん記憶できるのは、そのティータカタカタカが言葉と同様の秩序をもっているからなのだろうか。端で聞いていると神業のように見えるのだが、見たことのない人にはわからないと思うので、あとの動画を見てください。ちなみに、口で言うことができれば、そのリズムは叩くことができるのだそうで、逆にいうと口で言えるようにならないと、そのリズムは叩けないということなのだろう。


当日の様子はマサラワーラーの武田さんがYouTubeにアップされている。久野さん・竹原さんのパフォーマンスも一部聞ける。ハピドラムはカメラの位置が遠かったせいか、あまりうまく録音されていないのが残念。別に録った動画もあるが、低めの音なのでどうしても音がこもりがちになる。録音の仕方が課題だな。


久野さんや竹原さんの演奏があまりにすごいので、前座としては恐縮してしまったが、彼らにそういうと、そんなことないですよ、よかったですよぉ、とちゃんとフォローしてくれる若者の思いやりに感動した。お二人ともさわやかだし、イケメンだし、もうお手上げ?です。




ミニCDもつくった。買ってくださった方、ありがとうございます。

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※ 三谷眞紀さんのブログにもポンガルの記事が。写真もたくさんあります。

http://apakaba.exblog.jp/17335201/


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あけましてハピドラム

年が明けました。遅ればせながら、今年はよい年になるといいですね。
 

正月は鎌倉の友人を訪ねる。彼は詩人の尾崎喜八の孫で、明月院にあるお祖父様の墓参りをしたあと、孫文の料理人から彼のお母様に伝えられたという白菜の冷菜をごちそうになる。

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白菜とごま油と鷹の爪と、あとなんだったっけな、白菜だけなのに、食卓に牡丹の花が咲いたみたいに見栄えがするうえ、おいしい。孫文はこういう料理を食べていたのかぁと感慨深く味わう。この料理は作曲家の武満徹にも喜ばれたらしく、武満家では「貧しい菜」と呼ばれて重宝されたという。


 
あと、こういうものもごちそうになった。
 

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詩人の草野心平は「火の車」というバーをやっていたそうだが、そこで出していたという卵の黄身の味噌一夜漬け。バーを訪ねた尾崎喜八が、草野心平に「この料理に名前をつけてくれ」といわれて、つけた名前が「琥珀玉」。「火の車」といい、「貧しい菜」といい、さすがネーミングが文学である。チャーリーさま、ありがとうございました。



ところで、ここで1/14に行われるあるイベントの告知をしようと思っていたのだけれど、例によってだらだらしているうちに予約がいっぱいになってしまって、告知しても、これからだと入ることのできなくなってしまったイベントの紹介をします。年の初めから、まぬけで申し訳ありません。


イベントというのは、国分寺のカフェスローというところで行われる「南インドのお祭り ポンガル」というもの。マサラワーラーという、いま人気沸騰中のインド料理ユニットが南インドの料理をふるまい、それを食べながら南インドの踊りや音楽を楽しむという企画。これにハピドラム奏者として出ることになった。


前にも書いたが、ハピドラムは2008年にアメリカで考案された創作楽器。鉄製で、お椀を二つ合わせたような形をしていて、表面に入った切れ込みを叩くと音が出る。豊かな倍音を含んだ、とても澄んだ音が出る(最後の方に動画を挙げた)。

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ただし、ハピドラムはインドとは関係ない。見た目や雰囲気が民族楽器風なので、なんとなく混ぜていただいた。ほかに出演するのはガタム(南インドの素焼きの壺をものずこいリズムで叩く)奏者の久野隆昭さんや、モールシン(南インドの口琴)奏者の竹原幸一さんといった南インド音楽の第一人者の方々なので、まったくもって場違いなのだが、そういう方たちをさしおいてトップバッターとして演奏する(前座、あるいは余興ともいう)。


せっかく出演するのだからと、ハピドラムの開発者に連絡をとって、最近できたという新製品を取り寄せることにした。ハピベルという名前で、通常のハピドラムとして使えるほか、バチで胴を叩くとドラのような深い音がする。縁をこするとチベットのシンギングボールのような澄んだ共鳴音がでる。1台3役のスグレモノというふれこみだった。


 
で、届いたのがこれである。

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スタンダードなハピドラムは二つのお椀を上下で合わせたような形をしているのだが、これはお椀が一個だけで底がない。このため音が反響しないので、音量がとても小さい。また、縁をこするとシンギングボールのように共鳴するとのことだったが、実際にこすってみると縁がギザギザで、がびがびとした不器用な音しか出ない。

 
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この本体を支える台も付属していた。

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でも、これに本体をのせて、ちょっと強く叩くと台から転げ落ちてしまう。胴を叩いたときの音色も西洋人にとってはエキゾチックな響きかもしれないが、日本人にとっては合掌して、お経を唱えたくなる音であり、ちょっとイメージとちがった。そういう、いろんな意味で完成度がいまいちの新製品であった。


 
 

家人からは、「ねえ、これいくらで買ったの?」とつめよられるが、そういう無粋な質問はシカトして、自分で台をつくることにする。ホームセンターでテーブルの脚やドアの当たり止めのゴムなどを買い、なんとか組み合わせて、こんなものをつくった。ちょっと形が下品な気もしなくはないが、これで転げ落ちることはなくなった。


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これにさっきのハピベルをのせると、こうなる。毒キノコみたいでもある。

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ハピドラムの音というのは、そのままだととても澄んでいる。それは、ちょうどカリンバやオルゴールのような蒸溜されたピュアな音である。しかし、カリンバの原型であるアフリカのムビラ(親指ピアノ)などでは、本体に王冠をくっつけたり、鍵盤?にブリキ片を巻いたり、音の出る孔に蜘蛛の卵の膜を貼ったりして、ジージーとか、ブーンというノイズが出るように工夫されている。
 

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このようなノイズは「サワリ」といわれ、日本の琵琶や三味線など東洋の楽器ではふつうに取り入れられている。西洋のクラシック音楽では、こうしたノイズをなるべく取り除いて、音を純化させる方向で楽器が進化してきた。それはキリスト教の影響とは無縁ではないだろう。


 

教会という空間は、世俗的なものを濾しとった聖なる場として存在している。そのため、そこに流れる音楽もまた世俗性(ノイズ)を除去したものでなくてはならなかった。西洋の音楽研究者がアフリカのムビラを、西洋人向けに商品化したとき、「サワリ」を取り除いてピュアな響きのカリンバとして売り出したのも、彼らにしてみれば自然なことだったのだ。


 

ハピドラムの音もそのままだと、ノイズのない癒し系の音なのだが、そのうちに物足りなくなってきて、「サワリ」を加えられないかと考えた。そこで、あれこれ工夫してみた。

 


けっこう効果的だったのは、これだ。家人の疲れ目対策のために、わかさ生活のブルーベリーアイというサプリメントを定期注文したとき、オマケについてきたマグネット式の「限定ブルブルくんシール」である。
 
 
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これをハピドラムに貼ると、なかなか味わいのある「サワリ」が発生することを発見した。ほかのシールも試して見たのだが、なんといってもブルブルくんシールが一番である。


 

しかし、ブルブルくんシールは5枚しかない。もっとほしいのだが、すでに定期注文しているのでこれ以上注文するわけにもいかない。そこで、ふとヤフーオークションをのぞいてみたら、あった! 何枚かまとめて購入。こういうものを出品する人がいることにも驚いたが、こういうことに使われるとは出品者も想像していないだろうな。

 

 
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最近、新たに考案した「さわり」を出す工夫は、これ。ホームセンターで見つけた「たいこ鋲」というのをスリットの間に留めてやる。こうするとブルブルくんシールよりも繊細なサワリが生ずる。画鋲とかいろいろ試してみたのだが、これがいちばんいい感じだった。
 

 
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そんな感じでイベントの紹介をして、よろしければ来てくださいとまとめようと思っていたのだけれど、そういうわけですみません。この前録ったものをあげておきます。カメラの位置が下すぎてしまいましたが。
 
 



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辻 佐保子さんのために、あるいは届かなかったキャンドル

ひとが亡くなるということは、この足下にある地面をどこまで歩いていっても、けっしてそのひとにたどりつくことはできない、ということだ。いくつ電車を乗り継いでも、何十日もかけて船に乗って海を渡っても、いくら砂漠や森を越えたとしても、それでもたどりつけない。そういうところへ、行ってしまったということだ。


今朝(12月27日)の朝刊で、作家の故・辻邦生さんの奥さまで美術史家の佐保子さんが自宅マンションで亡くなっていたことを知り、個人的に深い悔恨の念にさらされている。佐保子さんとは、辻邦生さんが亡くなった後も、ときどき手紙のやりとりをしたり、電話でお話しさせていただいていた。


12月の上旬にクリスマスカードを送ったら、すぐに佐保子さんからもカードと手紙が送られてきた。フラ・アンジェリコのらっぱを吹く天使の絵をあしらったカードで、添えられていた手紙には「たった一人のクリスマスですが、あれこれと飾り、頂いたカードをピアノの上に置きました」とあり、持病を抱えていてふうふう言っています、ともあった。


最後の方に「クリスマスにはイスラエルのまるいローソクつけます」と書かれていた。「イスラエルのまるいローソク」というのは、10年以上前、辻邦生さんと最後にお会いしたとき、イスラエルのおみやげとしてさしあげたものだった。リンゴのような丸いキャンドルで、まわりにモザイク状の色鮮やかな柄があしらわれていて、火をつけるとその模様が幻想的に浮かび上がる。


辻邦生さんは、これはきれいだね、つけてみようよといったのだけど、奥さまの佐保子さんが、だめよ、クリスマスまで待ちましょうと、それを制したという。でも、その年のクリスマスがやってくる前に、辻邦生さんは亡くなり、炎のともったイスラエル・ローソクを目にすることはなかった。佐保子さんはそのことをずいぶん悔やんでいて、それから毎年クリスマスの晩には、そのローソクを灯すようになった。


佐保子さんからカードが送られてきてまもなく12月の下旬、というか、つい一週間くらい前に、佐保子さんの書かれた『辻邦生のために』の、出たばかりの文庫版が送られてきた。単行本も以前送ってくださったので、いちど読んでいる。亡くなった伴侶についての思い出というと、どうしても感傷的な思い入れのつよいものになりがちだが、この本は、まるでちがう。淡々とした、硬質で、しなやかな勁さを感じさせるその文体は、作家・辻邦生の文学世界と生活世界の関係性をなにより雄弁に伝えてくれるともに、その背景を透明な悲しみが水のように満たしている。年末はこの本を、あらためてゆっくり読もうと思っていた。


お二人にイスラエル・ローソクをさしあげたのは、1999年だから、もう10年以上も前のことだ。毎年つけていたら、ローソクもずいぶん減ってしまっているはずだ。それにローソクが減っていくというのは、なんとなく不吉な気もしていた。そこで本のお礼をかねて、もう一つうちに残っていた未使用のイスラエル・ローソクを、まぬけくさいけれど2通目のクリスマスカードとともに23日に佐保子さん宛てに送った。クリスマス・イブに間に合うよう、12月24日の午前中に届くはずだった。メッセージカードには新しいローソクでよいクリスマスを迎えてください、といったようなことを書いた気がする。届いたら電話をさし上げようと思っていた。


24日の昼頃、ネットの宅配便集配確認のページでお届け状況を調べてみたら、「不在・持戻」になっていた。あれ、どこかへ出かけられているのかなと思ったが、クリスマスだし、ひょっとして親類かご友人が気をきかせてお誘いしたのかなと思い、そのときはそれほど気にとめなかった。その晩は、いまごろ佐保子さん、前にさしあげたローソクを灯して、邦生さんと会話されているのかな、とその様子を想像したりしていた。


翌日、ふたたび集配状況をチェックしてみると、ふたたび「不在・持戻」になっていた。いま思えば、このときどうして気づかなかったのだろうと思う。不安はなかったわけではないのだけれど、無意識のうちに起きてほしくないことを打ち消そうとしていたのかもしれない。佐保子さんの教え子にあたる共通の知り合いは25日から国外へ出かけたばかりだったので確認のしようもなかった。お住まいのマンションの管理人が親切な方だと聞いていたので、だいじょうぶだろうと根拠なく思っていた。こうして書いていても、自分の想像力のなさ、へんな遠慮ぐせが、ほんとに情けない。


佐保子さんはいろんな持病を抱えておられたが、お会いするととても元気で、80を過ぎているとは思えないほど頭の回転が速く、早口で、いろんな話題が次から次へと飛び出し、こちらがいつも圧倒されるほどだった。新しい本や雑誌もよく目を通していた。以前「考える人」に書いたエッセイもめざとく見つけて、すぐに感想を送ってくれるほどだった。だから、ついいつも元気でいるような気がしていた。


お会いしたり、電話で話したりすると、いつも開口一番「ねえ、真知さん、ちゃんと食べていけてる? だいじょうぶ?」と声をかけられ、「はあ、まあなんとか・・・」というと、「そう、それならいいわ、それがいちばん大切よ」といってくださるのだった。また、手紙の末尾には、いつも「あまり危ないところには行かないでくださいね」と気遣う言葉が書かれていた。


辻邦生さんが亡くなられてからは、佐保子さんは二人分の膨大な蔵書目録の作成や、邦生さんの蔵書の整理に追われていた。そのかたわら新潮社から刊行された辻邦生全集の月報を書いたり、それをまとめた『「たえず書く人」辻邦生と暮らして』(中央公論社)や、さきほどの『辻邦生のために』などを出されていた(蛇足ながら『「たえず書く人」辻邦生と暮らして』の中には、ちらっと自分のことかなと思える話が載っていて、佐保子さんに聞いたら、そうよ、あなたのことよ、といわれてうれしかった)。


心残りはたくさんあるが、蔵書の片付けのお手伝いを結局できなかったことも、とても悔やまれる。以前から、書斎のタンスに階下のトランクルームの蔵書を移したいので、洋服の整理が終わったらお手伝いしてねといわれていた。今年いただいたクリスマスカードにもそのことが書かれていた。いちど下見におじゃましたときには、きれいに整頓された辻邦生さんの書斎を案内してくださった。


そこはかつて辻邦生さんが元気だった頃、なんどか訪れたことのある場所だった。このタンスの中を空にして、下の本をここに移したいの。あ、これは池澤夏樹さんが送ってくださったディケンズの全集よ。そっちは昔の請求書とか入っているの、もうなにがなんだかわかんないのよ、でも、ずいぶんこれでも整理したのよ、こんな洋服みんないらないの、なにが入っているのか私もわからないのよ、あら、こんなもの入っていたわ・・・過去と現在と未来が入りまじって、あまり効率的とはいえない今後の計画を話し合った。


でも、洋服の整理なんて待っていたらいつまでもできっこないことは、すこし想像すればわかったはずだ。こちらから押しかけて洋服の整理でもなんでもしてしまえばよかった。遠慮していいことなんて、なにもないのだ。


ぼくは辻邦生さんの奥様としての佐保子さんしか知らなかったのだけれど、じつは西洋美術史、とくにロマネスクやビザンチン美術研究の世界では佐保子さんの影響力はとても大きい。アカデミズムのことはよく知らないが、日本の中世美術関係の研究者の多くが佐保子さん門下のはずである。辻さんの『背教者ユリアヌス』に出てくるコンスタンティヌス帝からユリアヌス帝の時代のローマの時代背景や建築物についての詳細な記述にしても、佐保子さんの仕事の影響ぬきには考えられないし、また『夏の砦』に出てくる主人公の子どものころにまつわる挿話の多くは佐保子さんの少女時代の話に想を得ている。


若かりし頃の佐保子さんのことは、辻邦生さんの最後の著作となった青春の回想という形をとった『のちの思いに』(日本経済新聞社)という、かぎりなく事実に即した作品の中で「リスちゃん」という東大の美術史学科初の、コケティッシュでかわいらしい女子学生として登場する。これは夢のような幸福感に満ちたアルカディアの青春の記であり、いま思うと、よくこれが日経新聞に連載されていたなと思う。


また、パリ時代の佐保子さんのことは、やはり今年亡くなった北杜夫さんがマンボウ航海記の中で、パリの二人のマンションを訪ねたときのことを書いたくだりで「Tの女房はホルモンが足りず、白人の女に比べればまったくの小娘で、防寒のためにエスキモーみたいな珍妙な帽子をかぶっている。そんなちっこい彼女がチョコチョコ店頭の雑踏の中を走り回っているさまは、日本人が見ても異様である」と描いている。。。


さすがに北さんもこれはちょっとまずかったかなと思ったのか、異論があればなんとかしますと辻さんや佐保子さんに4回にわたって詫び状を送っている。佐保子さんは「何をかいても全然怒らないから御安心を。このごろ平気になりました。他に面白いことが一杯あるから。首しめられても気がつかないかもしれません。もっともよかったらおみやげに油虫を一杯持って帰ってもいいです。(蝶々を喰わせるために)。ここには特大のがいるから」(『若き日の友情』辻邦生・北杜夫)と書き送っている。こういう関係っていいなあと思った。


そう、今年は北杜夫さんも亡くなった。10年以上前、辻邦生さんが亡くなられた年に行われたお別れの会で、北さんを見た。スピーチのために壇上に上がった北さんは「私は、よく人にお元気そうですねとかいわれます。でも、そういわれるのが嫌いなんです。ちっとも元気じゃありません。友だちはみんないなくなる。年とっていいことなんて、なにもありません。辻がいなくなって、ぼくはとても悲しい」と話していた。


一年くらい前に佐保子さんにお会いしたとき、やっと(主人がいないことに)慣れてきた、でも、まだ写真は手がつけられない、とおっしゃっていた。辻さんが亡くなって12年がたつ。考えてみれば、その間ずっと、その遺品や仕事の整理に追われてきたようなものであり、日々いやおうなく、その思い出を回想させられ、彼が亡くなったという事実をつきつけられてきたようなものだったのかもしれない。それは作家の妻としての宿命なのかもしれないけれど、ある面では、とてもつらいことだったはずだ。辻さんが亡くなってしばらくして全集に寄せる月報を書くために、全作を読み返していた佐保子さんは「辻邦生のすべてを追体験したいと願って暮らしてきたためか、実際の年齢の倍以上も急に歳をとってしまったような気がする」と書いている。


あの世があるかどうかはわからないけれど、もしあの世があるなら、そこで親しかったひとたちが再会できればいいと思う。そして、生きているときに傷つくことをおそれていえなかったことや、あやまりたいことや、つらかったこと、かなしかったことを、素直に相手に、言葉でないかたちで伝えることができればと思う。


この世界はこんなにも広いのに、そういうことが伝えられる場所や時間はほとんどない。こんなにもたくさんの人が生きて、こんなにもたくさんの言葉が行き交っているのに、いえないことや伝えられないことのほうが、ずっと多い。形にならなかったそういう言葉をたくさん抱えたまま、ひとは、ひとりで死んでいく。もしあの世があるならば、そんな無念を埋め合わせることのできる場所であったらいいと思う。佐保子さんも、ひとりでつらく、さびしかったことを、あの世で辻さんに伝えられればいいのにと思う。


佐保子さんにはたくさんの教え子がいたし、ぼくはけっして深い知り合いではない。辻邦生さんともそうだったが、佐保子さんとも仕事や研究とは関係のない、純粋に個人的な関係だった。だから、そういう近しい人たちをさしおいて、自分がなにかをすることにたいして遠慮や気後れがあったことは否めない。でも、そんなふうに考えてはいけなかったのだ、といま思う。たとえ、知り合いの末席にいるとしても、自分にしか聞けない話や、自分にしか理解できない話だって、きっとあったのだ。ほんの少しかもしれないけれど、自分にしか見えないものや、聞こえないものを、ひろいあげられていたかもしれない。


今年ほど、人生はいつとつぜん幕を閉じるかわからないことを思い知らされた年はなく、だからこそ、会いたい人にはすぐに会い、いいたいことはきちんといい、したいことはあとまわしにしないで、すぐにやらなくてはと思ってた矢先なのにと思うと、こう書いていても気持ちがつぶれそうになる。10人中9人、いや100人中99人には迷惑がられるか無視されるかもしれないが、それでもひとりの大切なひとを救えるのだとしたら、やはり遠慮すべきではないのだと思う。


なにを書いているのか自分でもわからなくなってきた。2003年の秋に佐保子さんと辻邦生さんのお墓参りに行ったことが思い出される。佐保子さんはなんどか来ているはずなのに、広い霊園の中で道に迷ってしまった。あちこち右往左往した末、やっとお墓にたどりついた。お墓をきれいにして、黄色い薔薇やリンドウの花を供え、春に芽が出るようにクロッカスの球根を植えた。お線香をつけてお祈りしてから、しばらく墓前で、昔パリで暮らしていたデカルト街の家に辻さんの銘のプレートが刻まれたこと、ソルボンヌの総長も来てくれたことなど話してくれた。


いまこれを書いていて思いだしたのだが、あのときもぼくはイスラエル・ローソクを持参していた。生前にさしあげたのとはべつのもので、佐保子さんにさしあげようと思って持っていったのだ。お墓の前からいったん引き上げかけたとき、ふと、墓前でこのローソクをつけてみることを思いついた。佐保子さんも、それはいいわね、主人は結局見られなかったから、とさびしそうにいった。


ローソクに火をともし、お墓の前で二人でしゃがんで、小さな炎をしばらく見つめた。秋の日が傾きはじめていて、すこし肌寒かった。炎は風に小刻みに揺れていたけれど、消えることはなかった。


帰りに最寄りの駅前の喫茶店でコーヒーを飲んだ。佐保子さんは、晩年の主人は涙もろくなって、自分が親不孝だったとか落第をくりかえして時間を無駄にしたと後悔していた、といった。佐保子さんが、そんなことないでしょ、あなたはとても親孝行だったじゃないのといっても、そんなことはないといって悔やんでいたという。


「そうだったんですか・・・」


「あのくらいの年齢の男のひとは、みなそういう挫折感をもっているのね。ずっと昔のことなのに、自分がちゃんとしたコースを歩めなかったと思い込んで一生悔やんでいるのね。わたしが『そんなことないわ』といった晩、主人はわたしを殴る夢を見たといっていたわ」


「・・・」


「主人はね、ほんとうは私に編み物でもしていてほしかったの。わたし、大学に落ちていたらお見合いして結婚するはずだった。それでもしかたないって思っていたわ。女の人生ってそういうものだったから。だから、主人を見ていて、男のひとの挫折感ていうのが、とても意外だった・・・」


「男と女はちがうんですねえ」


「そうよ、でも私、がんばったのよ、主人は映画や芝居がとても好きで、私にもいっしょに見てほしいと思っているのがわかったから、なるべくつきあうようにしていた。だから、わたしに本当にしなくてはならない仕事があるときは、主人が寝たあとで細切れの時間で仕事していたの・・・」


一年くらい前にお会いしたときは、佐保子さんはずっとお父様の話をしていた。全集を出し、蔵書目録を完成し、辻さんについての二冊の本を出したことで、あるいはすこし気持ちの整理がついていたのかもしれない。「歩いて3分くらいのところに深夜営業のスーパーがあるの。運動のために一日一回そこまで買い物がてら歩くようにしているのだけど、よたよた歩きだからボケ老人が徘徊していると思われているかも」といって笑っていらした。


ネットもメールも「こわいから」といってされていなかった佐保子さんが送ってくださる葉書には、いつも「エスカルゴ印のろのろめーる」と書かれていた。もう、のろのろメールが来ないのかと思うと、とてもさびしい。23日にお送りしたイスラエル・ローソクはさきほどネットで見たら「配達完了」になっていた。もはや受け取ってもらえる人のいないローソクがどうなるのかわからないけれど、もし、だれか気づいてくれたならば、佐保子さんの御霊前に灯してあげていただければと思う。


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〈追記〉

その後、ご親類の方から、ローソクを受け取り飾らせていただいたと連絡がありました。

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くりすますの とかいへ (かっぱくんとあひるさん 17)

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あるばん あひるさんが とかいへ つれていってくれた





 


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「ずいぶん たかいねえ」


 

「これは ばべるの とう っていうのさ」



 




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「ばべるの とうでは なんでも たかいのさ」

 

「ふーん」




 


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「これは ばべるの はなだよ」
 


「ほんとに たかいねえ」

 
 

「それほどでも ないさ」


 








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「これは いったい なに?」


 
「たかいところを あるく れんしゅうを しているのさ」

 
 

「なんだか おっかないなあ」
 
 
 
「ばべるの ひとは なにかと たいへんなのさ」






 
 


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「あ あれは・・・」


 
「たかい いぬさ」










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「あ あそこにも・・・」

 

「むかしの ばべるの とうだよ」









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「きれいだね」
 


「たかい からね」





 
 


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「なんだか ばべるの とうは つかれるなあ」


 
 
「それなら ひなびた とかいへ いこう」









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「ここが ひなびた とかいだよ」

 
「ふーん」






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「ほら ひなびた ひとたちだよ」

 

「ほんとだ」





 

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「あ かっぱくん こんなところに・・・」

 
 

「・・・」


 

「かっぱくんは あまり ひなびてないね」


 
 


 

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「あ あれは・・・」


 
「さんたくろーすが  おきわすれた ふくろさ」

 
 
 


 
 
 

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「さんたくろーす って わすれっぽいんだね」


 
「おじいさん だからね」

 
 
 
 
 


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「このなか ぷれぜんとが はいっているのかな?」


 
「ちがうよ」


 








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「じゃあ なにが はいっているの?」


 
「さんたくろーすは ひとから あつめた わるいものを ふくろに つめて もってかえるのさ」




 
 


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「わるいものって?」

 

 
「あいつは ゆるさん とか ぼくは もうだめだ とか そういう きもちさ」


 
「ふーん」






 
 
 



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「そういう わるいものを ぬすむのが さんたくろーすの しごとなのさ」


 
「さんたくろーすって どろぼう だったんだね」


 
「だから この ふくろは あけちゃ だめだよ」


 
 
 
 

 
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「どうして さんたくろーすは そんなものを ぬすむの?」

 
 
 
「そうすると よのなかが きれいに みえるように なるからさ」

 
 
「ふーん」


 
「それが さんたくろーすの おくりものなのさ」


 

 


 
 
 


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「きれい だねえ」

 
 

「さんたくろーすの おかげさ」



 
 
 

 

〈おわり〉
 
 
 
 


おまけ

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達人あらわる! (コミュニケーション力をめぐる その3)

明日か明後日には更新なんていっておきながら面目ありません。有言実行と思ったのですが、有言無実行では話になりませんね。かといって無言無実行ではもっとだめだし、有と無以外の選択肢がないものだろうか。今回のテーマは、そんなことにも通じるかもしれない。

 
 
そういえば昨夜は月蝕でした。手持ちなので、これが限界ですが写真を。

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さて、前回に引き続いて、迷惑電話への対応をめぐる話。結果的には撃退したのだけど後味があまりよくない。電話線を抜いてしまうというのは潔さに欠ける気がしたからだ。迷惑電話相手に潔さもへったくれもないけれど、それでも、どこか納得いかない。

 
 

では、どうすればよかったのか。前に書いたが、迷惑電話や勧誘電話への基本対応は「相手にしないで、すぐに切ること」とされている。そのとおりではあるのだけど、話し始めてしまった以上、急に切るのもしゃくである。かといって、相手を言い負かしてやろうと議論をふっかけるのも、こちらの正当性を証明してやろうという姑息な意図が見え隠れしていて潔くない。
 

 
このとき感じたのが、いまよくいわれているコミュニケーション力といわれているものの胡散臭さだった。コミュニケーション力とか共感力というと、聞こえはいいけれど、実際は、相手にすりよるとか、相手から何か得になるものを引きだそうとか、相手をコントロールしようという衝動に由来しているものが、ほとんどなのではないか。

 
 

自分に利益をもたらす相手に対しては、コミュニケーション力や共感力は有効かもしれない。しかし、そうでない相手、たとえば先の迷惑電話の相手などに対しては、ほとんど機能しない。もし、迷惑電話の相手に共感したり、コミュニケーションをとろうとしたりしたら、向こうの思うつぼである。


 
だから、そういう場合は「話を聞かずにすぐ切れ」といわれる。電話ならそれも可能だが、世の中はむしろコミュニケーションをとりたい、共感したいという相手よりも、その逆の相手の方がはるかに多くはないか。そういう相手と渡り合うのが、本当のコミュニケーション力だと思うのだが、そっちのほうは電話を切るように切り捨ててしまうというのは、いかがなものか。


 
日本の社会は、迷惑をもたらす相手、あるいは利益をもたらさない相手に対して、とても冷たい。でも、必要なのは、ゲイティッドされた仲間内の領域でのみ有効な「コミュニケーション力」ではなくて、むしろ突然の異形の他者の侵入にたいして対処できるようなコミュニケーション力、いやむしろ反コミュニケーション力ともいうべきものなのではないか。

 

そんなことを思いつつ、電話のあと、ネットをうろうろしていたら、YouTubeでこのようなものを見つけた。どうやら留守番電話に入っていた架空請求の請求元に電話をかけて、業者とのやりとりを録音したもののようだ。


 

音声のみ


 
アップ主は冗談として上げたのかもしれないけれど、このやりとりを聞いて目の前がぱあーっと開ける思いがした。なるほど、そうか! 


 
これを聞いて浮かんできたのは格闘技の場面だった。しかし、それはスポーツ化された試合ではない。時代劇などにある殴り込みのような、道場やリング以外の場所でいきなり起きた闘いのようなイメージだ。

 

 
話が前後するが、迷惑電話とは不意打ち、もしくは辻斬りに遭うようなものだと思う。道場で行われる剣道の試合のように、互いに防具を身につけて、礼をして、「はじめ」の合図で、ルールに則って行う闘いではない。心の準備もできていないまま、無防備な状態で、闇の中からいきなり斬りかかられるのだ。だから、どうしてもそのままだと「受け」にまわってしまう。前回の自分の対応がそうだった。

 
 

相手の太刀筋を読み、それを受け、また別の角度からの切り込みを受ける。しかし、そのくりかえしだと結局、相手のペースから逃れられない。相手は辻斬りなのでルールもなく、禁じ手も次々にくり出してくる。「受け」にまわっているかぎり、こちらからつけ込む隙はなかなかない。


 
しかし、この動画のツワモノは、けっして受けに回らない。コミュニケーション力や共感力というワザを使うなら、相手の言葉を受けて、その言葉の矛盾をついて相手を反撃するのが定石だが、そういうことはせず、相手の質問の矛先をずらして、逆にこちらから関係のない質問を矢継ぎ早に投げかけて相手をからめとっていく。理で押すのではなく、非−理でたたみかける。孔子に「理非無きときは鼓を鳴らし攻めて可なり」という言葉があるが、まさにそれである。

 
 

しかも、途中からの、思いもよらぬ展開に息をのむ。なにより感心したのは、それでも向こうが腹を立てて、電話を切ってしまわないことである。相手と距離をつめつつも、けっして相手を精神的に追いつめていくわけではない。大声を出して相手の戦闘能力を低下させたり、相手のプライドを傷つけて追いつめるわけでもない。そんなことをすれば、相手は激高するか、いきなり電話を切りかねない。いや、もちろん向こうが怒って切ってくれるにこしたことはないのだが、そういう展開にはならない。なんとなく相手の戦闘意欲をそいで、最後はなんとなく困ったような、脱力した感じで電話が切られる。

 
 

一見すると、架空請求業者をおちょくっているかのようにも思えるし、実際本人はそういう気持ちもあるのかもしれない。だが、この人の同じくほかの架空請求などへの対応の動画の中には、怒っていた相手が最後にはほのぼと苦笑しつつ電話を切るというものもあった。つまり、結果的に勝ち負けを超えてしまうのである。

 
 

前回、自分の迷惑電話への対応に満足がいかなかったわけが、これを聞いてわかった。自分は迷惑電話への対応をどこか勝ち負けで見ていた。相手の論理の矛盾を突いて勝ってやろうとか、あるいは逃げることで勝負を放棄しようとか、そうした枠組みから逃れられなかった。業者側にしても、こちらを屈服させて、カネを払わせれば勝ちである。逆に、その論理に乗らず、相手の矛盾をついて業者を引き下がらせれば、こちらの勝ちである。


 
 
しかし、この方の場合、相手を屈服させることを目的とせず、むしろ、結果的に、そうした枠組みの外へと相手を連れ出してしまっている。合気道の達人の塩田剛三は「合気道で一番強い技はなにか」と聞かれ、「それは自分を殺しに来た相手と友だちになることだ」と答えたという。大げさだが、そんな言葉を思い出してしまった。


 

この話にはまだつづきがある。この数日後、同じ業者から休日の朝に電話がかかってきた。もし、こんどまた迷惑電話がかかってきたら、このツワモノにならってみようかと思っていたのだが、こちらは起きぬけで、ぼおーっとしている。やはり迷惑電話は闇討ちであり、辻斬りである。


 
 
「もしもし、私、ゴニョゴニョゴニョなんですが、ご主人様でいらっしゃいますか」


 
「はい・・・」


 
「いまお住まいになっている賃貸住宅や持ち家の今後について、どのようにお考えでしょうか」


 
前回とほとんど同じ対応である。だが、こちらはまだ頭が回らない。つい習慣で「受け」に回りそうになる。いけない。このままだと、また相手のペースにのせられそうだ。そこで、こんなこともあろうかと前回の電話のあと、パソコンに保存しておいた迷惑電話撃退用のテレホンメッセージを流してしまった。


 

音声のみ


 
相手は、しばらく無言だったが、途中でガチャッと電話を切った。リダイヤルもされなかった。それはよかったのだが、せっかくツワモノの対応を知ったのに、結局、飛び道具(テレホンメッセージ)にたよってしまったのは卑怯だったのではと、また反省。


 
それからまた数日後、大東流合気柔術の使い手であるKくんと電話で話したときにこの話題が出た。飛び道具を使ってしまったことが、ちょっと自分で情けなかったといったところ、「それで、いいんですよ」といわれた。


 
「そう?」

 
 
「そうですよ。どういう手段であっても、それで身を守れればいいんです。自分の技をためしてやろうとか、そういうことは武道家はしません。使えるものを使う。それが武道です。試合ではないのだから、ピストルがあったら、ピストルを使う。録音メッセージが使えそうなら、それを使えばいい。だいじなのは、確実に自分の身を守ることです」

 


そのあと、迷惑電話というのは闇打ちや辻斬りに似て、「はじめ」という合図もなく、いきなり始まってしまうという話をすると、Kくんがいった。

 


「それが本来の武道です。実戦では試合のように『ハイ、そこまで!』という終わりの合図があるわけでもない。だから、どうやって終わらせるかが問題になるんです。相手を殺して終わらせるか、あるいは徹底的に痛めつけて、まいったといわせて終わらせるか。でも、もし中途半端に痛めつけたら、恨みを買って、いつか仕返しされるかもしれない。そういうことも含めて、武道家は終わらせ方を考えなくてはならない・・・」


 

なるほど。さすがかつて無礼な某国タクシー運転手を戦闘不能におちいれたことのあるKくんのいうことだけある。あの動画のツワモノの対応は、やはり武道家につうじるものがあったのだ。


 

 
まとめ、というほどではないが、結局のところ、いま世にいわれているコミュニケーション力とは、あらかじめよけいな要素を排除した安全圏の中で行われる「試合」に勝つためのコツのようなものではないか。それはあらかじめ、つながり合うことが前提とされたゲイティッドされた領域での処世術ともいえる。


 

けれども、現実の社会では、そうした「試合」よりも、圧倒的に不意打ちや辻斬りの方が多い。それに対処するには、たんなる共感やコミュニケーションではなく、反感やディスコミュニケーション力を駆使しつつ、勝負という枠組みを超えていくことも必要になるのだ。そんなことを教えてくれるのだから迷惑電話も、けっして迷惑なばかりではないのかもしれない。でも、あまり、かかってきてほしくはないな。

 


長くなってしまいました。。。年内中にまた辻斬りのように更新します。

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