タコのせ!  【肩こりにお悩みのかたに朗報!】

【肩こりにお悩みのかたに朗報!】
フェイスブックにあげたら好評だったのでこちらにも。。以前ダイソーで買って気に入っているのが頭皮マッサージ用のタコ。眠いときに、これで頭をシャカシャカすると、とても気持ちいい。だが、このほど、このタコの新しい使い方を発見した!


Img_3367


最近、肩こりや首コリがひどく、ストレッチなどやってもあまり効果が感じられなかった。たぶん、ふだんの姿勢で無意識に首が前に落ちているせいかもしれない。



そこで考えた。このタコを頭頂部にのせる。タコは8本の足で百会のあたりに落ち着いてくれる。で、その状態で今日一日過ごしてみた。トイレも、ご飯食べるときも、仕事するときもこのまま。前屈みになるとタコが落ちるので、いやおうなく背筋がまっすぐになる。アフリカの女性は頭の上に物をのせて運ぶので、とても姿勢がいい。あれの応用だ。



Img_3365

本読むときは目線だけ下げる。スープは飲みにくい。トイレもタコが便器に落ちやしないかと気を使う。顔洗うときや歯を磨くときは、さすがに無理なので下ろす。お風呂も厳しい。また、鴨居が低いとタコをかすめ取られる。外出時はちょっとむずかしい、というか恥ずかしい。それ以外は、ずっとタコを頭にのせていた。


一日やった結果だが、なんとなく肩がかるくなった気がする。姿勢もよくなる。ただ、それだけにとどまらない効用があることも発見した。ヘコヘコしたり、やたらうなずいたりするとタコが落ちるから、そういうこともしない。呼ばれても急に振り向いたりするとタコが落ちるから、ゆっくりと振り向く。がっかりしても、頭を抱えるとタコが落ちるから、そのまま瞑目して嘆く。

そうやっていると、動きにゆとりや威厳が生まれ、所作も優雅になり、ちょっとやそっとでは動じない堂々とした人の気分になってくる。硯と墨を用意して筆で「不動心」とか書いてみたくなる。いまもタコをのせて、これを書いている。しばらくつづけてみようと思う。


さて、ここからは、その後の経過報告。いつもは朝起きると肩甲骨一帯がばりばりなのだが、今朝は明らかにすこし軽い。きのうまでが10だとしたら7くらいの感じ。そんなわけで今日ものせている。タコをのせていると、背筋がのびて、ネガティブな気分にもなりにくいこともわかった。


人と話すときもタコをのせていると話がこじれないのではないか。ふざけとんのか、と怒り出す人もいるかもしれないが、そんなときは「まあ、のせてみてください」という。人はとっさにバランスをとる習性があるので、タコをのせると無意識に落とすまいとして、そちらに注意がむく。すると、姿勢がととのい、怒りもさめる。


タコを、自分にとってだいじなもの、さらにいえば「自分自身」と考えてみると、タコのせは「自分」を落っことさないようにする、という自己にたいするいたわりとみることもできる。期せずして、じつは「タコのせ」には深い身体的・哲学的叡智がこめられていたのだ。また、タコに肩こりはない、とか、こじつけることもできそう。


それはともかく、あひる商会が開発した「タコのせ」は、ふだんの姿勢のクセを努力なしに改善できます。肩こりにお悩みの方はぜひ「タコのせ」を。。<(˘⊖˘)ノ


| | コメント (2)
|

キンシャサが舞台の映画 『わたしは、幸福(フェリシテ)』

コンゴ民主共和国の首都キンシャサが舞台の映画『わたしは、幸福(フェリシテ)』が12月16日(土)から公開される。セネガル系のフランス人、アラン・ゴミス監督が、アフリカを西洋の視点からではなく、そこに生きる一人の女性の視点から描いた作品。ここには飢餓も難民も紛争も、西洋によって類型化されたアフリカ人も出てこない代わりに、アフリカの都市に生きる女性のリアルがみごとに描かれている。


 

キンシャサは、アフリカの他の都市にくらべて酸素濃度が高いんじゃないかと思われるほど人びとのテンションが高く、それだけによくも悪くもいろんな事件が起きる。その中でよく撮影したものだと思うが、おかげであの街の独特の空気感がとてもよくとらえられている。初日16日のヒューマントラストシネマ渋谷での16:30の回の上映終了後には、字幕監修をされた奥村恵子さん(パパ・ウェンバのバンドのパーカッショニスト)のトークもある。わたしもこの映画についてエッセイを書きました。(下、プレス向け資料より。ネタバレというほどではないけれど、気にされる方は読まないほうがいいかも)。(´Θ`)ノ


 
Img_2280_2

クリックで拡大

| | コメント (0)
|

浅川芳裕さんの新刊『カイロ大学』発売!

ついに発売! 農業ジャーナリストにとどまらない活躍をされているカイロ時代からの古い友人で、カイロ大学中退の浅川芳裕さんの新刊『カイロ大学』(KKベストセラーズ)。これは本当におもしろいです。


Img_2911_2


一般には小池百合子都知事が出たというくらいでしか知られていないカイロ大学ですが、この大学自体が相当にユニークです。その建学からエジプト革命後の今日にいたる歴史をわかりやすく解説した、というだけではありません。


いや、そこも、もちろんすごく面白い。なにしろカイロ大卒業生には、あのサダム・フセインや、アルカイダ指導者のアイマン・ザワヒリといった物騒な人たちから、ノーベル平和賞をとったPLOのアラファト議長、ノーベル文学賞のナギーブ・マフフーズ、それに日本人で初めて博士号とったハサン中田考さんなど、テロリストから政治家、文化人、知識人まで多種多様な卒業生がいて、しかも、なんと学生数20数万(!!!)という超マンモス大で、寮生だけで1万人くらいいて、そのなかにイスラム武闘派などのさまざまなセクトから秘密警察の詰め所まであって、学生運動で当局に殺された学生が数百人という日本の大学の常識では計り知れない熾烈と混沌の世界なのである。


中東の近現代史をカイロ大を軸として見るという視点も興味深い。オスマン帝国が滅んで、カリフ制が廃されたあと、西洋近代化の波にさらされ、アイデンティティの危機に直面したアラブの大国エジプト。そうした時代背景の下で創設されたカイロ大学の学生・教師らから起こった闘争や活動がその後、どのように中東の多くの地域に波及して、9.11やアラブの春、そして今日の停滞と混乱へとつながっていくことになるのか、その流れがよくわかる。


だが、それにもまして、19歳でエジプトにわたった若き浅川青年の学生生活について書かれた第7章が面白すぎる。前にぼくのブログでも紹介したことがあるが、高校時代に湾岸戦争に衝撃を受けて、高校卒業後すぐバグダッドへ行こうとして、それがエジプトに変更となり、モスクで礼拝中のエジプトの文部大臣にカイロ大の入学許可をくださいと直談判したり、入学後はヘブライ語を専攻して秘密警察に追われてなんども拘束され、よりによってイスラエルに逃げたり、帰りにガザのハマスの口利きでアルバイトしたり、あげくのはてに秘密警察に捕まって拷問されたり等々。怖れも葛藤も迷いもない即断即決の無謀な青春記でもある。


カイロにいた当時、浅川さんは、たまにうちに遊びに来てごはんを食べたりした。当時の彼は短髪で、黒縁メガネをかけて、白シャツに黒いズボンという、端正で、まじめそうな若者だったのだが、ぽろりと出てくるのがこの本でも書かれているような耳を疑うような話ばかりで、こんなことしていたら、いつか死んじゃうんじゃないかと、こちらのほうがハラハラしたものだ。こうして生きていてくれて、なによりです。でも、よい子はけっして真似してはいけません。


1990年代前半のカイロには、浅川さんをはじめ、いまエジプト考古学者になっている河江肖剰さんや、この本にも出てくるいまイスラーム法学者になっているハサン中田さんも近所に住んでいて、みんな若かったし、おもしろかった。それぞれが見ているカイロはまるでちがっていた。ピラミッドなどの遺跡のある観光地としてのカイロも、カイロを構成する無数のレイヤーのひとつでしかないことを浅川さんはリアルに教えてくれた。彼がどのような世界に生きていたかは第1章の「カイロ流交渉術の極意」でもその一端が披露されている。よい子はけっして真似してはいけません、というか、たぶん真似できません。。。


本書は「世界最強の大学カイロ大学留学のすすめ」ということになっていて、日本からの留学の仕方なども冗談みたいに、ていねいに説明してある。ただ、これを読んでカイロ大学に本当に行きたいと思う人がいるかどうかはなんともいえない。だが、ハーバードやオックスフォードといったエリート大学からはけっして見えない、世界の身もふたもない風景が、ここからはきっと生々しく見えることはまちがいない。その混沌と闘争によって培われた知恵が、これからのカオティックな世界を生き抜くのに必要なのだといわれれば、なんとなく説得力もある。新書ではあるが、今年の現地取材も加えて構成した300頁をこえる混乱の力作がたったの920円とはお得すぎる。あひる商会CEOもお手伝いしました。(´Θ`)ノ


と書いていたら、最近カイロ大学が5人の教授をテロ活動に関与しているとして解雇したというニュースが。。



| | コメント (0)
|

アフリカを撮りつづけた大塚雅貴さんのこと

たいへん残念なお知らせです。友人のカメラマンの大塚雅貴さんが、コンゴ民主共和国で取材中、不慮の事故で亡くなりました。


大塚さんは8月初めにキンシャサ入りし、コンゴ河上流にむかって移動しながら取材をすすめていらっしゃいましたが、8月25日の夕方、バイクで移動中の小休止の折、突然倒れてきた大木の下敷きになり、その後まもなく亡くなられたということです。念願のコンゴの森の中で取材を進めているさなかの、突然の、それも確率的にも、ほぼありえないようなできごとに、いまだに現実感がありません。


大塚さんはサハラ砂漠の奥地で、遊牧民たちと生活をともにしながら、長期にわたって撮影をつづけるというスタイルで20年あまり仕事をされてこられたサハラ取材の第一人者です。2年前にはキヤノンギャラリーで巡回写真展も開かれています。過酷な自然のただなかで、じっくり撮影をするタイプの写真家が少ないいま、文字どおり命がけで写真に取り組んできた希有な方でした。


大塚さんと知りあったのは20年前のカイロでした。野町和嘉さんの助手としてサハラ取材に同行したことから、現地の言葉や文化を理解した上で写真を撮りたいということで彼はカイロにやってきました。しばらくエジプトに滞在して、アラビア語を学びながら、デルタ地帯の農民の撮影などをされ、その後は、サハラの遊牧民から雲南の棚田風景まで、生々しい自然とそこで生きる人びとを中心に世界のさまざまな場所で撮影を続けられました。


大塚さんの写真には沈黙を余儀なくさせるような厳粛で、深いしずけさがありました。なにか途方もない光景を目にしたときに、一瞬すべてのことばがやんでしまうような、そんな「とき」がとらえられていました。「美しい」とか「すごい」とかといったことばが立ち上がる前の、かすかな瞬間。彼の写真集『SAHARA 砂と風の大地』(山と溪谷社)には、そんな、はかなくも永遠につながっているような瞬間が無数にとどめられています。


リビア、マリ、ニジェールなどで長年にわたって撮影をつづけてこられた大塚さんですが、アラブの春以降、サハラの治安は急激に悪化し、取材も困難になってきました。しかし、ライフワークともいえるサハラがそんなありさまになっても、大塚さんは国内はもちろん、中東、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北米、そして国内と、各地で淡々と撮影をつづけられていました。


そんな彼から電話をもらい「コンゴに行きたいんです」と告げられたのは昨年9月の半ばでした。砂漠のような乾いた世界を撮りつづけていた彼が、真逆ともいえる熱帯雨林の世界を撮りたいとは意外でしたが、じつは以前からずっと行きたいとおもっていたとのこと。大塚さんの静謐なまなざしで、あの饒舌きわまりないともいえる森と大河の世界を撮ったらどうなるのだろうと想像するとわくわくしてきて、さっそく力になってくれそうなコンゴ関係の友人を紹介しました。


大塚さんは、その後こつこつと準備を進めて、8月の初めに首都のキンシャサに入り、そこからコンゴをフィールドとする研究者の方々に同行して上流のキサンガニに向けて河をさかのぼるルートで取材をすすめられていました。そのさなかの事故でした。


大塚さんはこれまでにも取材中に拘束されたり、身ぐるみ剥がされたりという目にあいながらも、その都度切り抜けて来られました。コンゴも治安はけっしてよくありませんが、紛争やテロに巻き込まれたわけでも、強盗に襲われたわけでも、風土病にかかったわけでも、交通事故にあったわけでもなく、「まさか」としかいえないような偶然で命を落とされたことに、いまだ混乱をおぼえます。


すこしだけ救いを感じるとすれば、森の中での最後の小休止のとき、大塚さんは、なにかこころひかれるものを見つけて、それを撮影しにいったことです。それがなんだったのか、写真を見たからといって、けっしてわからないでしょうが、いつか機会あるならば、彼の目に映っていたコンゴ河や熱帯雨林の風景を、のこされた写真をとおして見ることで、彼が見つめていたものに、ほんのわずかでも近づくことができればとおもいます。そして、大塚さんのことを知らなかった方には、ぜひ彼の美しいウェブサイトや写真集を見てみていただければとおもいます。

| | コメント (0)
|

エジプト映画「ヤギのアリーとイブラヒム」

エジプト映画「ヤギのアリーとイブラヒム」を早稲田の戸山キャンパスで見た。コミカルでファンタジーなロードムービーで、とても楽しい作品だった。来週9/9(土)にも大阪の民博でも上映会があるのでその案内もかねて。


カイロの庶民街に暮らす2人の若者。ひとりは耳鳴りに悩む才能あるミュージシャン、もうひとりは一頭のメスヤギを死ぬほど愛していていて、どこにいくにもいっしょに連れていくので、まわりから変人扱いされている。この2人が自分たちの悩みを解決するために、呪術師のアドバイスのもと、カイロからアレキサンドリア、シナイ半島のダハブへと旅をする・・・。


コミカルでテンポのいいやりとり、カイロの繁華街や下町、ナイル川や地中海、紅海の美しい風景など、エジプトに住んだり旅したりしたことのあるひとなら、 文句なしに楽しい。けれども、それにくわえてよかったのは、この作品が人間の孤独の本質を、けっして深刻ぶることなく、さらりと、しかしあざやかに描いていることだった。

世界には70億ものひとがいるけれど、だれひとりとして同じ世界を生きてはいない。「私」の見ている世界は、「私」以外のだれにもけっして見ることができない。にもかかわらず、ひとびとは相手と自分が同じ世界を見ていると思い込むことで、自分がたったひとりの世界に生きていることを感じないようにしてい る。


しかし、ここに登場するヤギを恋するアリーと、耳鳴りのイブラヒムが生きている世界は、ほかのだれにも理解されない。耳鳴りは本人にしか聞こえないし、ヤギへの愛情も本人にしかわからない。もちろん、だれもが自分にとってだいじな世界をもっているだろうけれど、たいていは他者と共有できる領域をとおして世 界とのつながりを保っている。しかし、アリーにとってはヤギ(ナダという名前)なくして世界とのつながりはないし、逆にイブラヒムにとっては耳鳴りが世界とのつながりを妨げている。


「聞く」ということがこの映画ではキーになっているように感じた。2人が孤独なのは、彼らがおかしいからではなく、彼らに聞こえているものを、まわりのひ とが聞く術をもたないからだ。アリーにはわかるヤギの言葉の意味も、イブラヒムの脳内をつらぬく耳鳴りも、まわりのひとには聞こえない。


映画では、その聞こえない音や言葉がまわりのひとたちにも聞こえるようになるかどうか、というあたりが展開のモチーフになっている。自分にしかわからなかった言葉がひとにもわかるようになり、自分にしか聞こえなかった音がひとにも聞こえるようになれば、世界はいままでとはちがうかたちであらわれる。この くらいならネタバレにはならないと思う。

映画を見ていたとき、登場するヤギの名前が「ナダ」というのが気になった。ナダ(Nada)とはサンスクリット語で「音」を意味するからだ。それもただの音ではなく、世界を創造する根源的な音といったような哲学的な意味を含んでいたと思う。ナダという名のヤギは、まさに音をとおして、2人の世界を再創造す るきっかけとなったという意味で象徴的だなあと思って見ていたのだが、実際に監督はそんな意味を込めてつけたのかなと思い、上映後、監督に直接聞いてみたところ、「ナダはエジプトの女性によくある名前です。それだけです」といわれた。ぜんぜんちがった(笑)。


来週の9月9日(土)には大阪の国立民族学博物館でも上映会+監督インタビューがあります。大阪の人たちぜひ。手話通訳付です(´Θ`)ノ


Yagi20170909


| | コメント (0)
|

«『〈帰国子女〉という日本人』がおもしろい