『リベリアの白い血』を観た

一週間くらい前に渋谷のアップリンクで『リベリアの白い血』という映画を見た。西アフリカのリベリアのゴム園で過酷な労働をしていた男性が、移民した従兄弟をたよってニューヨークへわたり、そこで経験する理想と現実が扱われている。こんなコアなテーマを取りあげたのが日本人監督であり、しかもカメラマンが撮影中に感染したマラリアで亡くなったという衝撃的な話をさしひいても、とてもていねいにつくられたいい作品だった。


過酷なゴム採集の労働に従事する主人公はアメリカにわたった従兄弟がいることで村の仲間から、うらやましがられ、事あるごとに「アメリカでは月いくら稼げるのか」とか「おまえもいつかはアメリカに行くのだろう」とやっかみをいわれる。実際には従兄弟をとおして、アメリカの暮らしがけっして楽ではないことは知っている主人公だが、それを仲間に納得させられない。過酷な搾取構造の最底辺にいる者にとって、アメリカが理想の楽園に見えるの無理もない。結局、主人公はニューヨークへわたるのだが、そこで待っていたのは、よそよそしく苦い現実だったーー。


前半はリベリア、後半はニューヨークが舞台。リベリアのパートはアフリカの暮らしのリアルな感じがよく出ていた。科白も現地語だ。後半のニューヨークのパートは、リベリア内戦の話を取り入れることでストーリーに変化をつけている。


主人公はニューヨークのリベリア人コミュニティに迎え入れられる。実際、米国では国や民族集団ごとにコミュニティがある。以前コーネル大の教授から聞いた話では、ワシントンDCではタクシードライバーはナイジェリア移民の1世、ニュージャージーのガススタンドのオーナーはインドのシーク教徒、カリフォルニアのドーナツショップはインド系といったように各マイノリティ集団が特定の業種を独占しているという。リベリア・コミュニティがどういう位置づけなのかはわからないが、それぞれのコミュニティはレイヤーのように、それぞれのニューヨークを生きていて、その内側は外からはなかなかわからない。そうした見えにくい現実に光をあてたという点もこの作品の画期的なところだ。


こういう映画を見ると、いったい「アメリカ映画」とか「フランス映画」とか「ドイツ映画」といった日本で当たり前のように使われている国家別の映画のくくりに、どれほどの意味があるのかと思う。たとえばノルウェーに移民したレバノン人が、そこにやってきたシリア難民を扱った映画をつくったとすれば、それはどこの国の映画になるのだろう。そういうカテゴライズそのものが、もはや意味をなさなくなっている。『リベリアの白い血』を日本映画ということはほとんど意味がない。この前、中東映画研究会で見た『辛口ソースのハンス一丁』というドイツ映画もそうだった。その話はまたこんど。


話はもどるが、『リベリアの白い血』のモチーフにもなっているゴム採取はアフリカにとって因縁深い。100年以上前、ベルギー王レオポルドの私領地だった「コンゴ自由国」では、ゴム採取のノルマを達成できない人夫は見せしめに手首を切り落とされた。やがて見張りたちは自分が仕事をしていることを白人長官にアピールするために、人夫たちの手首だけを切り落としてもっていくようになり、のちにその実態が暴露されてスキャンダルになった。アフリカのゴム採取にはそんな暗い記憶がつきまとっている。ともあれ『リベリアの白い血』、おすすめです。(´Θ`)ノ


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辻邦生「夏の砦展」へ

学習院大学史料館で開催中の辻邦生「夏の砦展」へ。『夏の砦』は当時河出の名物編集者だった坂本一亀氏(坂本龍一のお父さん)に2度書き直しを命じられて、それでもめげずに書き上げられた原稿用紙にして700枚ほどの作品で、森有正は「この小説にはいつも夏が燃えている」と述べたという。小説の背景や、辻さんをめぐる人間関係などをしめすパネルが展示されていたが、いずれも本当に辻作品が好きなのだなということが伝わってくるデザインだった。

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だが、なにより圧倒されたのはB4の紙の裏に小さな文字でびっしりと書かれた草稿だ。辻さんは大量に書く人だった。作品になるかならないにかかわらず、つねに、だれにもいわれることなく「ピアニストがピアノを弾くように」大量の文章を書きつづける人だった。その「つねに書く」という行為が、結果的に作品に転じたということだ。作品にするために書くのではなく、書きつづけたから作品になった。同義反復のようだが、じつはその意味するところは真逆だ。辻さんの草稿やメモを見るのは初めてではないが、今回はあらためて打ちのめされた気分だった。


「真昼の永遠の光の下で目をさますために、深いねむりに入りたい」というのが『夏の砦』の主人公の冬子の最後のことばだ。「真昼」というのは辻さんのキーワードのひとつだ。彼には『真昼の海への旅』という小説もあって、これは「大いなる真昼」と名づけた帆船で若者たちが世界を旅する一見海洋冒険小説のような哲学小説だ。「大いなる真昼」とはニーチェのツァラトゥストラにでてくることばだ。その真昼というのは、何の影もないあけっぴろげの真昼ではなくて、死や虚無や深い闇とともにある。

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辻さんは明るい人だったし、ヨーロッパを扱った一見ロマンティックな作品が多いので、どこかスノッブに見られたり、どちらかというとやわな印象をもたれるところもあった。しかし、自分はそういうふうに彼の作品を読んだことがなかったし、むしろ蒸溜されて透明感はあるものの、わずかに火の気があればたちまち気化して、あたりを焼き尽くすかのような生命力をかんじていた。


辻さんから直接聞いた話だが、取材でたしかセネガルを訪れたとき、日本大使館で日本人の2人組の若者に「辻先生ですよね」と声をかけられたそうだ。彼らはアフリカの大河を丸木舟で河口から源流までさかのぼるという旅をしていて、これからニジェール川を遡る計画だといったという(あるいは遡ったあとだったか?)。彼らに「ぼくたちの舟の名前はなんていうと思います?」と聞かれたので、辻さんが「なんていうの?」と聞いたら「〈大いなる真昼〉っていうんです」といわれてぴっくりしたという。1980年代後半の話だ。当時はインターネットもなかったので、その2人がどんな旅をしたのかそれ以上わからない。でも、ひょっとしたらその後自分がザイール河を下ることになったのは、このとき聞いた話がこだましていたこともあるのかもしれない。もっとも、自分たちが下ったときに舟につけた名はボーゼン号だったけれど。


中途半端をおそれないこと。人生はかならず中途で終わる。つじつまを合わせようなどと思わないこと。どんな人生だってつじつまは合っていない。なぜか、そんなことを思った展覧会だった。

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キュウさんのこと

坐禅会で知りあったキュウさんは上海生まれ北京育ちの中国人女性。日本の大学を出て、いまは東京のシンクタンクに勤めている。上海へ行ってきますといったら、あらー大都会ですよーといわれた。


穏やかでほんわかとした雰囲気のある彼女に、どうして坐禅をしようと思ったんですかと以前訊いたら、「がまんを学ぶためです」という答えがかえってきた。


「考えてみたら、私はこれまでの人生でがまんしたことがないんですよ。それってあまりいいことじゃないのかなと思って・・」


「それで生きてこられたんならば、いいじゃないですか。がまんなんて、しないにこしたことないですよ」


どちらかというと、坐禅しようなんて人は、ふだんの生活でがまんしつづけている人のほうが多いのではないか。がまんしつづけているうちに自分を見失って坐禅にたどりつくとか。そして、たいてい、がまんしつづけている人ほど、頑固でわがままだったりするのだ。


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キュウさんの日本での暮らしはもう20年以上になる。すっかり日本の感覚がしみついてしまって、ときどき帰国すると、お姉さんに、あんた給料あがったの? もっとガンガンいかなきゃだめよ、とハッパをかけられるという。


「中国人は現状維持が嫌いなんです」とキュウさんはいう。「なんでも他人と比較して、それを超えたがる。〈比較〉こそがエネルギー源。ちょっとでもチャンスがあれば、リスクがあっても、どんどん前に出てチャンスをものにする。それが当たり前の考え方」


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日本人は現状維持したがり、リスクをとることを極端に怖れる。中国人にとってエネルギー源である〈比較〉は、日本人にとってはプレッシャでしかない。チャンスをものにしようという意欲もなく、最初から諦めてしまう。リスクばかり見て可能性のほうを見ようとしない。 失敗した時の社会的な制裁や、自己責任恐怖がひじょうに強い。


規制についての考え方もそう。日本人は規制がないと動けない。個人の責任を問われることを嫌うので、規制をきちんとしてくれることを望む。新しいことをするにしても、規制がしっかりできて個人にふりかかるリスクがないと確認できるまで動こうしない。そうやってチャンスを逃してしまう。でも、チャンスを生かすよりも、責任逃れの方が重要。中国人にはそういう考え方が想像できない。規制は嫌い。グレーの方がチャンスが生まれて大胆になれるから。


「でも中国にも情報統制や報道規制をはじめ規制がいろいあるようにみえますけど?」と訊くと、日本から見ると規制が国を覆っているように見えるかもしれないけれど、実際は広い国土の中でそれは点のようなもの。実際は穴だらけ。国の規制や管理なんて、人びとはたいしたものだとは思っていないとキュウさん。

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「日本人にとって黄金時代は高度成長期だったんでしょうね。コストをかけて良いものを作ることが日本の発展を支えてきた。でも、その考え方に縛られていて、新しい世界の状況に対応できずにいるように見えます。日本人はいろんな点で恵まれているのに、実際は生活に喜びを感じておらず、先のことをいつも心配していて、不幸になっている・・


「私は東日本大震災の後の被災地の復興がいまだに進んでいないことが信じられない。完璧なものを作りたいいう要求が高すぎる。中国は四川大地震の後、1年で全てが再建された。復興ではなく再建。それは共産党主導だからできたことです。党がやるといったらできてしまう。人口が多いから一つ一つ意見を聞いていたら何事も前には進めないんですけどね・・・」


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なにを見ても、なにかを思い出せない。。

『なにを見てもなにかを思い出す』というヘミングウェイの短編がある。小説の内容よりそのタイトルにひかれていた時期がある。初めて会う人が、知人のイメージに重なったり、初めて来た場所が過去に見たことある風景を思い起こさせたりということが、いまから10年くらい前までよくあった。


ある程度の長さ、人生を生きてくると、たまった知識や経験が、おのずと目の前の風景に重なるのは自然なことかもしれない。それを人生の豊かさという言葉で表したりもするのだろうが、そのときは豊かさよりも、むしろなにかを思い出してしまうことで、自分が過去の記憶や経験に閉じこめられているような息苦しさを感じていた。


ところが、最近はそういうことが、あまりなくなった。なにを見ても、あまりなにかを思い出さなくなった。過去の記憶を参照して目の前の風景や人を見るということが前ほどなくなってきている。だから、なんどか会っているひとにも、つい「はじめまして」といってしまったりする。。。


たんに忘れっぽくなったせいもあるだろうが、それにくわえて、人生の残り時間が意識されるようになってきたこともあるかもしれない。目の前に起きている現実ーー人との出会いだったり、風景だったり、自分じしんだったりーーが、よくもわるくも、これまでいちども起きたこともなければ、もう二度とくりかえすことのない一回かぎりのものなのだ、という事実にいまさらながら気づく。そこに過去の経験がレイヤーのように重なって感じられることはある。けれども、そのレイヤーに現在に侵入する力はもはやない。過去は手の届かないところに不安げに漂っている。


この「時」が「二度とくりかえすことのない一回かぎりのもの」だとしたら、未来は予想できないし、先も見えない。先が見えないと、ひとは不安になったり心配になったりする。でも逆に、先が見えてしまっても、ひとは不安になったり絶望したりするものだ。『なにを見てもなにかを思い出す』を書いたヘミングウェイも結局自死を選んだ。昨今のテロや紛争も「先が見えないから」というより、「見えすぎてしまった先」をこわしたい衝動に由来しているようにも思う。


見方によっては「先が見えない」とは一回かぎりの新しさの中を生きていることであり、それは先の見えてしまった絶望にくらべると、希望にもなりうるのかもしれない。そのことを感じたのは、10年くらい前、認知症になった母を見ていたときだった。


母は5年にわたって認知症で入院していた。認知症の症状はひとによってさまざまだが、母は認知症になる前から、不幸な結婚生活の記憶のせいで、被害者意識を抱えるとともに、それを十分に受けとめられなかったぼくにたいして愛憎入りまじった激しい攻撃性を見せてきた。それが亡くなる前の一年、認知症の進行にともない過去の記憶がうすれていくとともに、母は憎悪や苦悩から解放されていった。それは認知症の悪化による脳の萎縮のせいであったのだが、ぼくにはむしろ数十年ぶりに母の意識の中に光が射してきたようにすら感じられた。


記憶を失うことで、母はぼくをだれかとまちがえることもあった。それでも、そこにぼくがいることを母は心から喜んでくれた。話をしているさなかも母の記憶は泡のように、たちまち消えてしまうのだけれど、そのたびにぼくは新しい息子として、母の前に出現していたのだと思う。そこでぼくは母と何十年ぶりかに「まとも」な会話をした。こうなる前にそういう会話をしたかったとも思ったが、それでも最後の数ヵ月、母の表情が目に見えて安らかになってきたのは、ありがたいことだった。


ありがたい、といえば、「ありがとう」という言葉の反対は「くたばっちまえ」でも「呪われよ」でもない。「ありがとう」の反対は「あたりまえ」なのだという。なぜなら「有り難う」とはめったに起きることのない例外への賛美だからだ。坊さんのしそうな話だが、そのとおりで坊さんのした話だ。


一方、「あたりまえ」とは「なにを見てもなにかを思い出す」ことであり、「日の下には新しいものはない」ことであり、「先が見えてしまう」ことだ。知識や経験や記憶は、えてしてひとをあたりまえの世界に追いやり、その中に閉じこめてしまう。そのあたりまえが快適ならいいが、そこが苦悩に満ちているとしたら、そこから出たい。自分で出られなければ忘却にたよるしかない。できれば建設的に忘却したいものだが思うようにはいかず、なんどか会った方にも、つい「はじめまして」といってしまうかもしれないが、どうかおゆるしください。。あひる商会CEO誕生日の夜に。<(˘⊖˘)>



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明日世界を終わらせないために

3月15日と16日に「明日世界が終わるとしても」と題して、2夜連続でそれぞれシリアとルワンダで支援活動をされている日本人を取りあげたドキュメンタリーが放映された。2夜目で取りあげられた佐々木和之さんは、ルワンダのプロテスタント人文社会科大学の平和紛争研究所で、いまだつづく虐殺の当事者たちの葛藤や苦しみを12年にわたって見つめつづけてきた方。昨年秋に来日されたとき東京外大で話をうかがったことがある。


虐殺から23年、経済力のあるひとは村を出て行ったが、大半の人たちは生活のために惨劇のあった村にとどまらざるをえない。親族を殺されたり自分を傷つけたりした加害者と同じ場所で、被害者が生きていかなくてはならない。信頼回復のために、加害者を訴追するだけではなく、加害者による告白と謝罪などの取り組みもなされてきた。とはいえ当然ながら信頼回復はかんたんではない。


差別を合法化していた旧政権にたいして、現政権はフツとツチのエスニック表記をなくすことで「みんな、いっしょなんだから」みたいな路線をとろうとしている。一見よさげに聞こえるかもしれないが、実際にはいまなお特定の集団が優遇されている現実がある。しかし建前上、差別がないとされることによって、かえって格差や不平等が強化、隠蔽され、再生産されていく。経済的な配分の不平等にたいしてすら批判の場さえない。外大の講演ではこうした構造的な矛盾や現実の複雑さについてふれられていて興味深かった。


被害者女性と加害者男性との和解をとりもつ対話のシーンは、とても印象的だった。自分の気持ちを話すとき、被害者に丸い石を持たせる。加害者はだまって耳をかたむける。こんどは加害者がその石を手にして自分の奥深い気持ちを話し、被害者がじっと聞く。何日もかけて、そうした対話をくりかえす。23年間、自分を苦しめつづけていた記憶がかんたんにいやされるはずはないが、それでもほんのわずかずつ変化が生まれる。そうした感情のこまやかな揺らぎが、短い枠の中で、ていねいにすくいとられていた。


1夜目のヨルダンのアンマンでシリア難民の訪問支援をされている田村雅文さんのドキュメントもよかった。訪問先のあるシリア難民はUNからのアメリカ移住へのオファーを断わっていた。彼は田村さんに「私のしたことは正しかったのか」となんども聞く。田村さんは否定も肯定もしない。先行きの見えない中、嫌がらせをされながらアンマンにとどまりつづけるより、変化を求めてアメリカへわたる選択もあるかもしれない。けれども、そういう助言や意見は口にせず、ただ彼の選択をみとめる。


傷つくのは一瞬だが、癒えるのには長い時間がかかる。けっして結果を急かさず、本人の中から変化が生まれるのを待ちつづけること、その遅々としたペースに時間をかけてつきあうことが、だいじなのだと伝わってくる番組だった。


残念な点もあった。「信念を持って生きる日本人の物語」というのがテーマだったためか、2夜目についていえば佐々木さんが講演で話されていたような構造的な矛盾には、ほとんどふれられていなかった。番組冒頭で「もう民族の違いはなくなった。われわれはみな同じルワンダ人だ」という町の人の声が紹介されていた。先ほどもふれたように、こういう口当たりのよいスローガンによって、現実に存在する差別や不平等は覆い隠されてしまう。「同じ○○人じゃないか」といって得をするのは政権の側にいる人たちだからだ。


実際、大学へ行けるエリート層はツチのほうが多く、政府の支援のおかげで働かないで勉強できるのもほとんどがツチだという。しかし、そのエリート層が、かつての悲劇によって強烈な被害者意識をもちつづけている。イスラエルもそうだが、エリート層が被害者意識をもちつづけるかぎり、構造的な矛盾は温存される。もっとも、このような問題は政権批判につながるのでテレビでは扱いにくいのだろう。


あともうひとつ、メインテーマになっている「明日世界が終わるとしても」という言葉にも違和感があった。これは「明日世界が終わるとしても、私はリンゴの木を植える」というマルティン・ルターの言葉が出典だそうだが、田村さんにしても、佐々木さんにしても、明日世界を終わらせないために活動しているのではないのか。


これがもし「私が明日死ぬとしても、私はリンゴの木を植える」ならばわかる。私が死んで「私の世界」が終わったとしても、ほかのひとたちの世界はつづいていくからだ。


「明日世界が終わる」とは明日隕石かなにかが落ちてきて、この物理的な世界そのものが終わることを意味しているわけではないのだろう。明日がどうなるかはわからないけれど、いまできることをする。その行為が明日をつくる。そのことを信じようということではないのか。明日世界が終わってしまっては困るのだ。


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