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*おい、聞いてるのか!

ガールフレンドが部屋に遊びに来る。そのときバックにどんな音楽をかけるか。これは男にとって、けっこう大きな問題だ。

ウディ・アレンの映画「ボギー、俺も男だ」にも、そんな場面が出てくる。アレン扮する小心者の主人公は、初めて女の子を部屋に招いた日、なにを考えたのかBGMにオスカー・ピーターソンを選ぶ。この選択は裏目に出る。ムードづくりにオスカー・ピーターソンはないだろう。

かといって、下心見え見えなのも困る。マリリン・モンローの「七年目の浮気」では彼女に一目惚れした中年おやじが、あらぬ妄想を抱きながらラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をかける。これは美しい曲なのだけど、狂おしいほどロマンティックで暗い情念をはらんでいて、いきなり、こんなのをかけられたら引いてしまうだろう。

自分も昔、彼女(のちの奥さんです、念のため)が遊びに来る日には、どんな曲をかけようか、とあれこれ思案した。その日の気分や季節や天気なども考慮して、レコード棚から候補を引っぱり出す。よし、初めはリッチー・バイラーク、つぎはポポル・ヴー、そのあとゲッツ/ジルベルトでいこう、などと順番も考える。けっこう楽しい。

彼女がやってくると、選んだ曲をかけ、お茶など飲んで話す。けれども、こちらとしては会話の内容よりも、細心の配慮で選んだ曲を聞いてくれているかどうかのほうが気になってしかたがない。

曲が盛り上がるときなど、このかっこいいフレーズをちゃんと聞いてくれているかな、とやきもきしたりする。さりげなくボリュームを上げたりもする。

ところが、そんなときに「ねえ、なんだか、おなか空かない」とか「それにしても、この家って、隙間風ひどいわよね」とか、どうでもいいような話をされたりすると、だんだん邪険な気分になってくる。

むすっとしていると、「ねえ、わたしの話、聞いてないの?」と怪訝そうにいわれる。思わず「そっちこそ、聞いてないじゃないか!」といいかえすと、きょとんとされる。聞いているものが、お互いちがうのである。

ひとはそれぞれちがう。音にたいする繊細さも、音楽の趣味も、千差万別である。それでも自分に聞こえているものが相手に聞こえていないのは、ときとして淋しい。音楽だけでなく、灯油の巡回販売や廃品回収や移動パン屋や警察の広報車などの放送にも、いちいち傷ついているのに、この痛みをわかってもらえない。孤独である。

いちど、そういうことを訴えたところ、彼女はぼくの部屋のカーテンや食器などを指して、わたしだって、こういうカーテンやこういう食器を平気で使えるひとのセンスって理解できないわ、こういうの見てるとなんだか悲しくなってくる、などという。

なにをいうか! この赤い馬車の模様のカーテンのどこがいけない? 安かったし、部屋の雰囲気だって明るくなるではないか。このコーヒーカップだって、粗品のわりには花柄がパリっぽくてプリティーではないか。まったく、わけのわからないことをいう。

こういう衝突をくりかえすうちに、互いの感覚のちがいは、どうしようもないことがつくづくわかった。要するに、こちらが音に繊細で、視覚的なものに寛大であるのに対し、彼女は音に鈍感で(それに音痴である)、視覚的なものに神経質なのだ。

よく、相手の身になって考えなさい、といわれる。しかし、この言い方は、じつは相手と自分が同等な感覚世界を共有しているという前提の上にしか成り立たない。

けれども実際は、相手の見ているものは、こちらには見えてないし、こちらの聞いているものは、相手には聞こえていない。いや、たとえ聞こえていたとしても、相手がなにも感じなかったら、こちらの身になって考えることなど、どだい不可能である。

いまでは、うちにおける音楽的な決定権は自分にある。タリバン並みの独裁体制との批判もあるが、平和と秩序を維持するには、これがいちばんなのである。そのかわり、同居人がいつまでたってもバッハとモーツァルトのちがいもわからなくても、もうなにもいわない。こちらもカーテンや食器や家具や服については、なにもいわないことにしている。
 

*後記

なにもいわないことにしているとはいえ、しょっちゅう家人の前でかけている音楽をかけているだけなのに、「この曲って、初めて聴くわよね」などといわれるとがっくりくる。その芸術的失望感の大きさに比べれば、さっき食べ終えた夕食のメニューを忘れたくらい些細きわまりないことである。

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