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*重低音はバブルの夢を見るか

クルマに乗っていると、すれちがうクルマのオーディオからブンバ、ブンバといったかんじの異様に重低音のきいたリズムが響いてくることがある。信号待ちで、こういうのが隣りになると迷惑なのだけど、ひとりだけ場違いにいきんでいるようなその様子がおかしくもある。遠ざかるときにドップラー効果がかかるのも、まぬけくさくていい。

この手のクルマだけでなく、気がつくと巷で再生されている音楽はどれもこれも低音が過剰ブースト気味な気がする。低音が利いていないと聴いている気がしないのか、テクノだろうがラップだろうが、スピーカーから響くベース音はドベドベに震え、バスドラはズンダ、ズンダと餅のように重くもたれる。

低音は音に存在感を与える。だが、低音が利いていればいるほど、いい音というわけでもあるまい。明らかに音がモコモコして聞きづらいのに、それでも低音をブーストしたがる感覚は何なのか。

思うに、世の中に蔓延する慢性的重低音中毒をもたらした原因は、いまのCDラジカセやウォークマンにかならずついている重低音強調機能(Super Bassなどという名前がついている)というやつにあるのではないか。この機能がラジカセに搭載されるようになったのは、1980年代半ばである。この時期、各メーカーは競って低音ブースト機能付きラジカセを発売し、重低音はたちまちのうちに日本中に広がっていった。

たしかに重低音ラジカセの音は画期的だった。それまでラジカセといえばスカスカの軽い音が当たり前だと思っていたわれわれにとって、ドスの利いた重低音には麻薬のような魅力があった。いちどこの快楽を知ってしまったら、もう二度とは抜け出せない。その快楽に魅入られたあげく、大晦日の晩にお寺の鐘の中にしのびこむ者が跡を絶たなかった(嘘)。

ところで、ほぼ同じ頃、日本全国を席巻したもうひとつのブームがあった。激辛ブームというやつである。じつは、この激辛ブームと重低音ブームはよく似ているような気がするのだ。

重低音中毒者にとって低音が利いていないと音楽を聴いている気がしないように、激辛中毒者は辛くないと食べている気がしない。素材そのものより、刺激によって存在感をあおろうとする安直な発想はそっくりである。

しかし、重低音と激辛ブームを結ぶもっと重要なポイントがある。それは、両者がともにバブル全盛期の産物であるということだ。

バブル経済とは本来の価値を超えて、価格だけが上昇していくことであったけれど、ラジカセの低音強調機能も発想は同じだ。低音をブーストすることで、質の悪いスピーカーでも擬似的に存在感のある低音を出す。激辛も同じである。要は、どちらもバブル時代の落とし胤なのである。

バブル崩壊後も、重低音中毒や激辛趣味は、すでに市民権を得たかたちで生き残った。さすがにドデカホーン(というラジカセがあった)といったようなバブルもろ出しの恥ずかしいネーミングの製品はなくなったけれど、かたちを変え、品を変えた重低音=激辛の陰謀は地下に潜伏して、今夜もバブルの夢を見つづけているのである。

 

*後記

重低音はいまやごく当たり前のものになっている。それにくわえて擬似的に臨場感を演出する機能がAV装置につくようになった。いわゆる「サラウンド・システム」というやつだ。これも結局のところ、実際には貧弱な音しか鳴っていないのに、空間に擬似的な広がりをもたせるという技術である。

一方、激辛ブームはどうなったのか。あいかわらずハバネロやカラムーチョといった激辛スナックは販売されているが、むしろこの数年目立ってきたのはオーガニック、スローフードといった安全性を強調した食への流れである。そのきっかけは社会がバブリーな食に疲れたからというのではなく、じつは規制緩和によって外国からの輸入農産物や食材が大量に流入することになった危機感に由来しているように思う。

そこに来て昨今のIT関連企業の急激な伸長と没落である。これはなにを意味するのか。

じつは人びとはサラウンドシステムも、ITバブル、株式もみんないんちきだと知っている。でも、そうしたフィルターを通さずして現実を見つめる勇気がない。そこで食べ物くらいはオーガニックやらスローフードにして、せめてもの贖罪としているのだ、という解釈はやや強引な感は否めないが、たしかにいえるのは、食の嗜好、音への嗜好というのが社会のありかたと密接に関わっているということだ。

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