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2002年3月

*砂漠にホスピタリティを見た

カイロを離れて、砂漠に出かけるとほっとする。空気はきれいだし、なにより静かである。たまに砂漠で過ごすと、耳も目も心もすっかり洗われるような気がする。

あるとき友人たちと西方の砂漠に出かけ、人工湖のほとりにある質素なキャンプに泊まった。電気も水も通じていない砂漠のまんなかで、客もわれわれ以外にはいなかった。

夜になり、湖のほとりで火を焚いた。月のない晩で、風が砂漠を吹きわたる音しか聞こえない。われわれは火を囲んで座っていた。薪が燃えつき、仄かな赤みをとどめて呼吸する熾き火を、とろとろした気分で見つめていた。こういうのはいいものである。

そのときである。急に背後が煌々と明るくなった。キャンプのエジプト人スタッフが自家発電式のサーチライトをわれわれに向けている。たき火が消えそうなので、親切心からライトをつけてくれたらしい。しかし、ここはライトを消してほしいとお願いする。どうしてだ、と訊くので、たき火を楽しんでいるんだと答える。スタッフは、ふーんとうなずいて、ライトを消した。闇が戻ってきた。

しばらくすると、さっきのスタッフがまた後ろにやってきた。手に缶のようなものをもっているので、なにか火で炙る料理でもしたいのかなと思って場所を空けてやると、スタッフはその缶の中の液体を熾き火にバッとかけた。そのとたん、熾き火がボワッと音をたて、1メートルほどの炎が立ちのぼった。われわれは驚いて飛び上がった。

「いったい、いま、なにしたの?」

「ベンジーン」スタッフは得意げにいった。

ベンジーンとはガソリンのことだ。たき火が消えそうなので、気をきかせて火を燃え上がらせてくれたらしい。

「こうすればたき火が明るくなる」

もっともである。気持ちはうれしい。しかし、さらにかけようとするので、それを押しとどめる。どうしてだ、と訊くので、暗いたき火が好きなんだと答えると、彼はふーんとうなずいた。ちょっと悲しそうだった。

またしばらくすると、さっきのスタッフが後ろにテーブルを運んできた。なんだか、いやな予感がした。予感は的中した。彼はいったん母屋の方に戻ると、大きなラジカセを抱えてやってきた。おまえたちが今日来るというので、新しくバッテリーを買っておいたんだといいながら、彼はラジカセにテープを入れ、得意げにプレイボタンを押した。

 

*後記

2005年夏、この砂漠の湖のほとりをふたたび車で通った。灰褐色の砂の広がりの中に、青い湖が白昼夢のように浮かんでいた。
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*怨霊よ、鎮まれ!

カイロに暮らしていてなにが怖いって、結婚式にまさる恐怖はなかった。門番がにこにこしながら、今夜は近所で結婚式があるよと教えてくれたりすると、これからやってくる地獄の一夜を思って、目の前が真っ暗になった。

エジプトでは庶民の結婚式は野外で行われるのがふつうだ。夏になると、うちの前の地区では、多いときには週に2回くらいの割で結婚式があった。式がある日は、路地の一角に天幕が張られ、色電球が鈴なりにぶら下がる。そして日が暮れると、怖れていたことが始まる。バンドの生演奏である。

エジプトの結婚式にバンドとベリーダンスはつきものだ。楽器編成はシンセサイザーと打楽器と歌。演目はベリーダンスの伴奏と流行歌だが、問題は演奏である。これまでフリージャズやらパンクやら、いろいろ聞いたが、これほどまでに破壊しつくされた演奏は耳にしたことがない。これに比べれば、ノイバウンテン(というドイツのノイズバンドがありました)だってヒーリング・ミュージックである。

曲者はシンセだ。爪でガラスをかきむしるような電子音がぎゅわぎゅわと踏ん張るように絞り出される。歌はエコーのかけすぎで、ハウリングを起こして、なにがなんだかわからない。怨霊、いや音量もアザーンを上回る。会場から数百メートル離れた10階のわが家の中にいて窓を閉めても、うるさくて話ができない。頭の中を音でひっかきまわされ、いっさいなにもできなくなるのだ。こんなのが夜中の2時、3時までつづく。拷問である。

それにしても、どうして、ここの人たちは、こんな尋常ならぬ音にさらされて平気なのか。双眼鏡でのぞいてみると、大音響をまき散らす巨大スピーカーのすぐ前で、おおぜいのエジプト人が手拍子をとって踊っている。ガキどもはかけまわっているし、踊る母親の背中では赤ん坊が眠っている。なんなんだ、あんたたちは。どうかしちゃっているのではないのか。

ベルリンあたりのノイズ・ミュージックは、あえて生理的に不快で耳障りな音を使うことで前衛性を出している。だから、あれはいわゆるマニアのための音楽である。けれども、エジプトの結婚式バンドの場合、音そのものは、ノイズミュージックなどより激しくアバンギャルドなのに、老いも若きも男も女も、それを生理的に気持ちのよい、くつろげる音楽として楽しんでいる。前衛の極右が、ここではスタンダードなのだ。

そう考えると、ヒーリング・ミュージックとか音楽療法というのはじつに胡散臭い。CDショップに行くと、心を落ちつける音楽とか、元気が出る音楽といったCDがあって、アルファ波がどうしたとか書いてあるが、あんなのはウソだ。エジプト人に、こんなCDを聞かせてもアルファ波なんか出ないだろう。むしろ、あの結婚式バンドの演奏を聞いているときこそ、びんびんアルファ波が出ているのではないか。

しかし、彼らが癒されれば癒されるほど、こっちは苛立ち、精神のバランスは崩れ、エジプト人にたいするネガティブな感情ばかりがふつふつとこみ上げてくる。耐えられなくなると、10階の窓から身を乗り出して、下に向かって「この****め、おまえたちは****で****だ、この*****め!」と怒鳴るのだが、その声もまた茫々たる音の洪水にたちまちのうちに呑み込まれてゆく。空しく長い夏の夜である。

 

*後記

ここに収録した音が、そんな夏のある晩の結婚式。住んでいたマンションの門番の息子の結婚式ということでわれわれも誘われたのだが、丁重に固辞した。時刻は夜11時頃、場所は300メートルほど離れた庶民街の一角。そのくらい離れていても、このくらい響く。演奏は休みをはさんで深夜まで続く。もっとも、録音された音では、あの神経をかきむしるような毒気が100分の1も伝わらないのが残念である。

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*目覚めよと呼ぶ声あり

運命とはつくづくわからない。音にたいして繊細なつもりでいた自分が、エジプトのカイロという、世界でももっとも騒々しいといっていい街に、長きにわたって暮らすことになったのだから。しかも、よりによって、うちの目の前がモスクである。

目の前にモスクがある。これがなにを意味するか、中東世界を旅したことのある人なら、わかるであろう。イスラム教では、一日5回のお祈りが義務とされている。このお祈りの時刻を告げるのが、モスクから流れるアザーンという呼びかけである。

もともと生の声でなされていたこのアザーンは、いまではモスクの塔につけられた拡声器から流される。これはどこのイスラム諸国でも同じである。しかし、とくにエジプトの場合、音が並はずれて大きいうえ、エコーがたっぷりとかけられる。音が割れようが、ハウリングを起こそうが、そんなことは気にしない。

モスクの前に住むとは、この強烈なアザーンの直撃を一日5回浴びるということである。それもひとつだけではない。うちのアパートの前に広がる庶民的な地区には、50メートルとおかずたくさんのモスクが立ち並んでいた。それらがお祈りの時間になると、いっせいにアザーンをはじめるものだから、それが終わるまでの5分ほどの間、あたりは茫々たる音の大洪水に浸される。窓を閉めたって、なんの効果もない。

それでも昼間はまだいい。悩まされたのは明け方である。第1回目のアザーンは、夜明け前である。周りが静かなだけに、ただでさえ圧倒的なアザーンの響きは、いっそうきわだつ。それが津波のように押し寄せて、安らかな眠りをさらってゆく。どうしようもない。むこうにはなにしろイスラム1300年の伝統がついているのだから。

それでも意外なことに、この大音響にたいして、日本の移動パン屋や、ミニパトにたいするように激しく苛立つことはなかった。ああいう放送が我慢ならないのは、人が聞いていようがいまいがそんなことはおかまいなく、ただ流していりゃあいいという音の使い方の無神経さだったことに気がついた。アザーンは少なくともそうではない。

夜明け前、アザーンが流れているときに窓を開けると、まだ暗いなか、モスクに入ってゆくひとたちの姿が見える。それを見ていると、まあしょうがないかなという気もしてくる。そのうちに慣れてしまったのか、明け方のアザーンでも目が覚めなくなった。

毎回アザーンを耳にしていると、最初はみないっしょくたに聞こえたアザーンが、だんだん聞き分けられるようになってくる。どう聞いても下手くそなアザーンもあれば、うまいのもある。風邪でもひいてるのか「アッラ〜フ、アクバ〜ル」とやらなくてはならないところを、「アッラ〜、ゴホッゴホッ、オッホン、アクバ〜ル、クワッ、ペッ」とか、いかにも苦しそうなこともある。

あるとき、午後のアザーンの時間に停電になったことがある。「やった!」と思って外を見ると、朗唱士たちがそれぞれモスクの外に出てきて、手を口の横にあてて、生の声でアザーンをやりはじめた。みな太くて、よく通る美しい声だった。それぞれの声が重なって暴力的になることもない。拡声器を通さなければ、アザーンの響きはこんなに味わい深いものだったのだ。

考えてみれば、100年くらいまでは拡声器などなかったのだから、これがアザーンのかつての姿だった。拡声器やらエコーやらで、音を歪め、増幅し、ぐちゃぐちゃぐちゃにしてしまうことが問題なのだ。しかし、エジプト人は、むしろこの歪んで、ぐちゃぐちゃになった音の方が好きなのだと思えてならない。そうとしか思えないことが、つぎつぎと起こるからである。
 

 
*後記

こんなやかましいアザーンに耐えられるなんて、ほとんどのエジプト人の耳はどうにかしているにちがいないと思っていた。ところが、2004年の秋、エジプト政府がモスクのアザーンの音量を規制することを決めたというニュースを聞いて驚いた。そのきっかけは、モスクのそばに住むエジプト人からの投書だったという。やはりエジプト人の中にも、あのアザーンに耐えられなかった人たちがいたのだ。

政府が発表したのは、カイロにおよそ4000あるといわれているモスクを有線放送システムでつないで同一のアザーンを抑えた音量で流すという案だった。しかし、あのエジプトでそんな案が実現できるはずがないだろうと思っていたら、案の定、イスラム系のグループの側から大きな反撥があったようだ。政府が宗教に口を出すというのは、イスラム過激派にとって攻撃の格好の口実になる。いままでモスクのアザーンの騒音が野放しだったのは、そのせいもあるのだ。

有線放送などにしなくても、やはり、いちばんいい解決法はスピーカーを使うのをやめることだと思う。コーランにもハディース(ムハンマドの言行録)のどこにも「アザーンにはエコーを効かせたスピーカーを使うように」などとは書かれていないのだから。

その後、カイロのモスクはどうなったか。2005年の夏の時点では、やはり以前とまったく変わっていなかった。

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*終わりなき戦いへの序章

今日も巡回販売車が、いつもの音楽を流しながらやってくる。そのとたん自分の胸の内側で、なにかがきゅっと縮こまる。なるべく意識をそこに集中させないようにして販売車が去るまでの時間をしずかにやりすごす。これができるようになるには、筆舌に尽くしがたい、長く、苦しい試練の日々があった。

昔はこの手の音にさらされると、まるで剥き出しの粘膜を熱した針の先でつつかれるような痛みを覚えたものだ。しかし、傷ついてばかりもいられない。ある時期から、こっちも反撃を試みた。

それまでBGMのある喫茶店や酒場には入らないことにしていたが、BGMなしの喫茶店はめったにないし、打ち合わせなどでどうしようもないこともある。そこで、BGMを切るか、さもなくば音量をしぼるよう店に要求するようにした。断わられるかと思ったが、意外にもたいてい願いは聞き入れられた。BGMがなくなって文句をいう客などめったにいないのだ。客だって聞いちゃいないのだ。

これに勇気を得て、つぎに巡回販売車との戦いを開始した。まずは、交通標語を連呼するミニパト。「横断歩道を渡りましょう」とか「クルマは左側通行を守りましょう」といった、ガキじゃあるまいし、そんなわかりきったことを、なんででかい音でそこいらじゅうに垂れ流して歩く必要があるのだと前々からいまいましく思っていた。ここはひとつ納税者の声というものを、はっきり伝えてやらなくてはいけない。

そこで、このミニパトが通りかかったとき、すかさず自転車にまたがってスクランブルをかけた。頭のなかで組み立てた納税者としての言い分をつぶやきながらペダルを漕いだ。しかし、ミニパトは速い。2度スクランブルをかけたのだが、2度ともこっちの存在を認識してもらえるにいたらなかった。放送が聞こえてから発進したのでは間に合わないのだが、だからといって、自転車で待機してミニパトが通るのを待ちつづけているのも変だ。

そこでミニパトはあきらめ、巡回パン屋をターゲットにした。これならパンを売るために停車するので、逃げられることはない。このパン屋はいつも回転のおかしくなった童謡のテープを平気で流すので、がまんならなかったのだ。流している音楽からして、きっとへなへなした若いやつにちがいない。ここは消費者として一発ガツンといってやる必要がある。

ところが、近づいてみると、パン屋はへなへなというより、マグロ漁から帰ったばかりみたいに日に灼けた屈強なオヤジだった。一瞬ひるみそうになるが、それでも勇気を出して「あのー、その音楽ちょっとうるさいんですが……」というのだが、途中で語尾がフェードアウトしそうになる。パン屋はこちらを細い目でにらんでから、野太い声で「そう」といって、スイッチを切った。勝った!

しかし、パン屋は一枚上手だった。こっちが角を曲がるやいなや、ふたたび回転のおかしな童謡を流しはじめたのである。ちくしょう! だが、もういちどパン屋のところに行く気にはなれなかった。消費者とはかくも弱いものである。その後も、パン屋は来るたびに回転のおかしな童謡テープをかけつづけた。心なしか、この出来事以降、ボリュームも前より大きくなったような気がした。

灯油の巡回販売も悩みの種だった。こっちは子どもの歌う「春よ、来い」のテープをエンドレスでかけながらやってくる。音がもこもこして聞くに耐えない。おまえんとこの灯油なんて絶対買ってやるものかと、ぴしゃりといい放ってやりたいところだったが、寒い家だったので灯油を買わないわけにはいかなかった。「は〜るよ、こい」のシャワーを浴びながら、ポリ単に灯油を入れてもらうたびに苦い屈辱感を味わったものだ。

しかし、じつはこの程度のことは、これから始まることに比べれば、ほんの序の口であった。真の試練は、このあとエジプトに暮らすようになってから本格的に始まったからである。

 

*後記

最近は、CDラジカセ、パソコン、テレビを無料で引き取るという巡回車がひんぱんに来る。「こわれていてもけっこうです」というのがキャッチフレーズだ。しかし、どうしてこわれていてもけっこうなのか、わからない。直して使うのだろうか。それにしても、こわれていてもいいといっても限度があるだろう。外形をとどめぬほど破壊されていてもかまわないのだろうか。そんなことを考えていると、また頭の中で「こわれていてもけっこうです」というフレーズがエンドレスで回りつづける。

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*かくも甘きエコー

前回に引きつづき、ラジカセの話。2年くらい前、SONYのカサブランカ・オフィスに勤める友人(日本人)を訪ねたことがある。彼の仕事は主にラジカセの営業だった。

日本製のラジカセ、とくにSONYのラジカセといえば、アジアやアフリカでは垂涎の的である。SUNNYやらSONICといった怪しげな製品が出回るなか、彼は本家本元の拡販のためにモロッコ全土を飛びまわっていた。

ところが、彼に営業用のカタログを見せてもらったところ、「なんじゃこりゃあ〜」であった。まるで超合金合体ロボである。仮にもS*NYといえば、アーバンでスタイリッシュなデザインが売り物で、雑誌でいえばVogueかMarie Claireといったところなのではないか。それなのに、これでは女性セブンかひよこクラブではないか。

「日本と同じデザインだと地味すぎるんです。こっちの人たちの好みに合わせると、こうなっちゃうんです」と彼はいった。ところ変われば品変わる、である。で、機能のほうはというと、これも日本とは仕様がちがう。なにがいちばんちがうかというと、エコーのかかり方が半端ではないのだ。カラオケモード(CDの歌のパートが消える)にして、エコーをかけると、まるでモスクのアザーンである。

実際、エジプトでも、アザーンはもちろん結婚式の司会のあいさつなど、エコーのかけ方が尋常ではない。エコーがかかりすぎて、ハウリングを起こして、なにがなんだかわからなくなっても、まるで気にしない。エコーが利いていればいるほど「いい音」なのである。

エコーをかけると気持ちがいい。それはエコーをかけることで、音そのものの輪郭が曖昧になり、音の鳴っている空間が感じられるからである。その空間的な広がりの感覚が一種の陶酔感を生み出す

この陶酔感覚は、前回の激辛重低音とはまたちがう麻薬作用をもつ。それは辛味ではなく、むしろ甘味である。垂直的に突き上げる刺激ではなく、物と物との輪郭を曖昧にとろけさせ、水平方向に広げ、ぼやかしていこうとする母性的な誘惑である。そう考えれば、アラブ人がなぜ紅茶にあんなにたくさん砂糖を入れるのか、わかるような気がしないだろうか、なんとなく。

 

*後記

エコーがもたらすもう一つの快感は万能感だと思う。よく映画などで、天から神様や天使の声が聞こえるという場面があるが、かならずその声にはエコーがかかっている。

わたしの声を声を声を……聞くがよいよいよい……」というふうに、エコーがかかると自分が神のような存在になったような気がしてくるのだ。

またエコーがかかっていると、話すペースがゆっくりになり、言葉と言葉の間をとるようになる。このため、ふだんせっかちなしゃべり方のために軽く見られて損をしている人も、エコーマイクを使ってしゃべる訓練をすれば、話し方に威厳がにじみ出てくるはずだ。性格改造にも使えそうである。

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