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*かくも甘きエコー

前回に引きつづき、ラジカセの話。2年くらい前、SONYのカサブランカ・オフィスに勤める友人(日本人)を訪ねたことがある。彼の仕事は主にラジカセの営業だった。

日本製のラジカセ、とくにSONYのラジカセといえば、アジアやアフリカでは垂涎の的である。SUNNYやらSONICといった怪しげな製品が出回るなか、彼は本家本元の拡販のためにモロッコ全土を飛びまわっていた。

ところが、彼に営業用のカタログを見せてもらったところ、「なんじゃこりゃあ〜」であった。まるで超合金合体ロボである。仮にもS*NYといえば、アーバンでスタイリッシュなデザインが売り物で、雑誌でいえばVogueかMarie Claireといったところなのではないか。それなのに、これでは女性セブンかひよこクラブではないか。

「日本と同じデザインだと地味すぎるんです。こっちの人たちの好みに合わせると、こうなっちゃうんです」と彼はいった。ところ変われば品変わる、である。で、機能のほうはというと、これも日本とは仕様がちがう。なにがいちばんちがうかというと、エコーのかかり方が半端ではないのだ。カラオケモード(CDの歌のパートが消える)にして、エコーをかけると、まるでモスクのアザーンである。

実際、エジプトでも、アザーンはもちろん結婚式の司会のあいさつなど、エコーのかけ方が尋常ではない。エコーがかかりすぎて、ハウリングを起こして、なにがなんだかわからなくなっても、まるで気にしない。エコーが利いていればいるほど「いい音」なのである。

エコーをかけると気持ちがいい。それはエコーをかけることで、音そのものの輪郭が曖昧になり、音の鳴っている空間が感じられるからである。その空間的な広がりの感覚が一種の陶酔感を生み出す

この陶酔感覚は、前回の激辛重低音とはまたちがう麻薬作用をもつ。それは辛味ではなく、むしろ甘味である。垂直的に突き上げる刺激ではなく、物と物との輪郭を曖昧にとろけさせ、水平方向に広げ、ぼやかしていこうとする母性的な誘惑である。そう考えれば、アラブ人がなぜ紅茶にあんなにたくさん砂糖を入れるのか、わかるような気がしないだろうか、なんとなく。

 

*後記

エコーがもたらすもう一つの快感は万能感だと思う。よく映画などで、天から神様や天使の声が聞こえるという場面があるが、かならずその声にはエコーがかかっている。

わたしの声を声を声を……聞くがよいよいよい……」というふうに、エコーがかかると自分が神のような存在になったような気がしてくるのだ。

またエコーがかかっていると、話すペースがゆっくりになり、言葉と言葉の間をとるようになる。このため、ふだんせっかちなしゃべり方のために軽く見られて損をしている人も、エコーマイクを使ってしゃべる訓練をすれば、話し方に威厳がにじみ出てくるはずだ。性格改造にも使えそうである。

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