*恋するディジュリドゥ
友人のボーカルの女性がライブをすることになり、その手伝いをたのまれた。手伝いといっても切符のもぎりではない。ゲスト・ミュージシャンとして参加してほしいというのである。楽器は最初キーボードとのことだったが、自分としては、このところ練習を怠っていたディジュリドゥを吹きたいと希望した。
ディジュリドゥとはオーストラリア原住民の伝統的な楽器である。楽器といっても構造はじつに単純で、シロアリが食い荒らして空洞になったユーカリの幹を切った、長さ1メートル半くらいの木の筒である。この筒の一方に口を押しあて、唇をリード代わりにぶりぶり震わせながら吹く。

音色はというと、倍音をたっぷり含んだ低くうなるような響きといっても、よくわからないだろう。一応、木管楽器の仲間だが音階が出るわけではなく、知らないひとには、ひたすらブイブイ唸っているようにしか聞こえないと思う。それでも、吹いている本人はけっこう楽しい。ほかの楽器とちがって、下手でも周りにわからないのもいい。もっとも、上達してもわかってもらえない。
さて、久しぶりにディジュリドゥの練習である。だが問題は練習場所なのだ。けっこう音がでかいし、低周波が出るので周りに響く。家で吹いていると奥さんが「下のウメモトさんに、また苦情をいわれるのいやよ」とかいう。灯油の巡回販売がきても気にしないくせに、こういうときだけは神経質なことをいう。
でも、ぼくもウメモトさんから苦情をいわれたくはないので、仕方なく近所の大きな公園に行く。元は米軍キャンプ地だった広い公園である。トランペットやサックスの練習をしている人もいる。バイオリンでバッハを弾いている女性の周りには、なんとなく人が集まっている。ぼくも芝生の上の手頃な場所にすわってディジュリドゥを取りだす。
ところが、ディジュリドゥを吹きはじめると、なんとなくそれまでふつうに散歩していた人たちの様子が変わる。吹いているときに目が合うと、向こうの方がなに食わぬ顔をして、さっと視線をそらす。見てはいけない、気づいたふりをしてはならない、といった雰囲気が散歩している人たちの間に漂っているのが感じられる。こっちに向かって歩いていた人など、あえて遠回りをするように迂回して行く。
一方で、放し飼い中の犬が反応することがある。なんとかという舶来産のちっこい犬が近づいてきて、音の出ているディジュリドゥの開口部をくんくん嗅ぎだしたことがあった。そこでブオーッと大きな音を出してやると、犬はあわてて飛び退き、キャンキャン狂ったように吠えはじめた。すると、どこからか飼い主の女性が飛んできて、あわてて犬を抱きかかえると、こちらを見ようともせずに、さっさと行ってしまった。会釈くらいしたっていいだろうに。
あるとき、練習を終えてひと休みしていたら、10メートルくらい前に、ギターを抱えた女の子の二人組がやってきた。彼女たちは、ギターを弾きながら「この思い、あなたに伝えたい〜」といったような歌詞の歌を歌いはじめた。オリジナルらしい。そこで、ぼくも彼女たちの歌に合わせて、ディジュリドゥを吹いてみた。飛び入りセッションである。
ところが、ディジュリドゥを吹きはじめてまもなく、曲の途中なのに急に彼女たちの歌が止まった。こちらも吹くのをやめた。ちょっとすると、また歌が再開されたので、こちらもまた吹きはじめた。すると、また歌がやんだ。どうしたのだろう。彼女たちは下を向いて、顔はほとんど動かさず一瞬ちらっと視線だけこちらに向けた。それから二人で顔を寄せ合い、こそこそ話している。恥ずかしがっているのかもしれない。
そこで彼女たちの歌をふたたび引き出すべく、切ない春の乙女心をイメージしながら心を込めてディジュリドゥを吹いた。ベニー・グッドマンは思いを寄せる女性にクラリネットの演奏で愛を告白し、二人はみごと結ばれたという。クラリネットもディジュリドゥも同じ管楽器である。さあ、いっしょに歌おう。季節は春、春は曙、曙といえば太郎。この思い、あなたに伝えたい。
ところが、その後、彼女たちは急にそわそわしはじめ、ギターや譜面を取り片づけると、後ろも振り向かずに、そそくさと行ってしまった。お嬢さん方、そんなに恥ずかしがらなくてもよいものを。
*後記
ディジュリドゥの音を初めて聞いたのはドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォークの1984年の作品「緑のアリの夢見るところ」の中だった。その古い記憶を揺さぶりおこすような蒼古たる響きに、こんなすごい楽器があるのかと衝撃を受けた。いまではディジュリドゥの音色は耳にする機会も多いし、演奏する人も増えた。
でも、少し悲しいのは以前ほど、この音に不気味さを覚えなくなってしまったことだ。ディジュリドゥの音はこわい音だった。幽霊があらわれるときのドロドロといった効果音にも似た異世界からの響きだった。この音が鳴るだけで、なにか騒然とした気持ちになり、そわそわしてくるような不気味さがあった。それがエスニック音楽ブームなどを経て、数あるエスニックな音の素材の一つとして聞くことに慣れてしまったことで、また聴覚のきめ細かさを失ってしまったような気もする。
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