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*ベートーベン七変化

以前、学校の音楽室に飾ってあるベートーベンの肖像画が怖いという話を書いた。右手にペン、左手に譜面をもって中空をキッと見据える、例の肖像画である。
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ベートーベンというと、この絵によってイメージがつくられてしまったといっても過言ではない。いまでもベートーベンを紹介する書物や記事のほとんどは、この絵を挿し絵につかっている。この絵は1819年にシュティーラーという画家が描いた肖像画だという。しかし、このほかにベートーベンの肖像画はないのだろうか。

探してみると、ほかにもあった。若いときのものもあれば、ほとんど犯罪者のような悪相をしたこんなのもある。
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これなど気のいいパン屋の親父みたいである。
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けれども、結果的に定番であるシュティーラーによる肖像画が、他を圧倒した。今日、それとともに、われわれの抱くベートーベンのイメージも、おのずと、あの絵に喚起されるような、困難を克服した意志の人というものに仕立て上げられていった。実際そういうところのある人だったのだろうとは思うが、時代もそういうイメージを求めていたのだろう。

『聴衆の誕生』(渡辺裕著)という本を読んでいたら、ベートーベンにまつわる絵画や彫刻の類が好んでつくられたのは、19世紀半ばから20世紀初頭にかけてだと書いてあった。なるほど、この頃はドイツがフランスやオーストリアとの関係をめぐって、ぎくしゃくしていたときである。そうした時代にゲルマン民族の英雄たるベートーベンの神格化が推し進められたというのは興味深い。

じつはこの時期つくられたベートーベンの彫像の中には、ギリシア神話の英雄像みたいなのや、ミケランジェロのモーセ像みたいなのもある。見たことはないのだが、ベートーベンの誕生をキリストの誕生になぞらえたものまであるという。ウィーンにある像など、ベートーベンの足下を天使が取りまいている。ほとんど宗教美術の世界である。そして、こうしたさまざまな像に共通しているのは、その顔が、どれもシュティーラーの描いた顔をモデルとしていることである。

これは現代になっても変わらないようだ。ポップアートやイラストの世界でもシュティーラーによるベートーベンはフォトショップで色をつけられたり、宇宙服みたいなのを着せられたり、裸にされたり、さんざんである。オリジナルに忠実なはずの音楽室の肖像画にしても模写を重ねたせいで、すっかり色がおかしくなってこんなふうになっている。これは怖い。
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それでも、もしシュティーラーがベートーベンを描かず、さっき見たパン屋の親父バージョンの肖像画しかなかったとしたら、作った音楽がいかに偉大であっても、これほど神格化されたり、遊ばれたりすることもなかったのではないか。肖像画もまた偉大だったのである。

*後記

ベートーベンの神話化を促したのは肖像画ばかりではない。彼にまつわるさまざまなエピソードそのものが、かなり神話的脚色を帯びていることは、今日ではけっこう知られている。

たとえば、有名すぎる交響曲第5番。ベートーベンがその冒頭のタタタターンというモチーフについて「運命はこのように扉を叩く」と語ったことから、この曲に「運命」という副題がついたとされている。しかし、これはベートーベンの雑用係をしていたシントラーによる作り話というのが、どうやら本当のところらしい。

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