« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006年2月

「んっ?」

東アフリカのケニアのコースト近くにドゥルマという人びとが住んでいる。先日、そこの村に住み込んでドゥルマの太鼓を習ってきたという日本人の演奏を聞いた。

演奏のあとにかんたんなワークショップがあった。音程のちがう太鼓をたくさんならべて、それぞれの太鼓の前に叩き手がつく。いちばん低い音程の太鼓が基本的な8ビートのリズムを叩き、そのとなりの太鼓が、そのバリエーションを叩き、そのまたとなりの太鼓がまたべつのバリエーションを叩きというふうにして、太鼓の音が重なり合っていくというもので、これがドゥルマの太鼓のシステムなのだそうだ。

いちばん基本となる低い音の太鼓のリズムは決まっていて、口でいうと「クーニービッチ、クーニービッチ」(だったと思う)という音で表されるという。つまり、太鼓のリズムが「クーニービッチ、クーニービッチ」と聞こえるように叩かなくてはいけないというのだ。「ドンツクドンツク」でもなければ、「タータカタータカ」でもなく、クーニービッチなのだそうだ。

とはいっても、木の胴に牛の皮を張った太鼓だから、どうやってもクーニービッチとは聞こえない。ワークショップをしてくれた彼も、村で太鼓を習っていたときには、その感覚がつかめなかったという。彼が叩いていると、ドゥルマの太鼓の先生は「おまえの叩く太鼓の音は四角い、そうじゃなくてもっとクーニービッチでなくちゃだめなんだ」と教えてくれたという。

ノリのちがいといえばそれまでだが、このリズム感のちがいはなかなか、からだではつかみにくい。思い出したのは民族音楽研究家の若林忠広さんが、著書『スロー・ミュージックで行こう』の中で書いていたジョークだ。すごく面白かったので、ここでも紹介する。若林さん自身も、最初にだれがいいだしたのか知らないので、もし知っている人は教えてほしいと書いている。

それによると、道ばたの壁にアルファベットでAとNとDという文字がずらずらと隙間なくつづけて書いてあったという。ちょうど、つぎのようなかんじだ。

ANDANDANDANDANDANDANDANDANDAND

壁のそばを通りかかったアメリカ人が、この文字列の落書きを見てつぶやいた。

「AND、AND、AND、AND……What's that?」

アメリカ人が行ってしまった後にやってきたのは日本人だった。日本人もまた、この文字列を見てつぶやいた。

「DAN、DAN、DAN、DAN……なんだこれは?」

最後にやってきたのはアフリカ人だった。彼はこの落書きを見て、こうつぶやいた。

「NDA、NDA、NDA、NDA……Hii ni nini ?(こりゃなんだ?)」

若林さんも書いているが、これは民族の言語感覚とリズム感の関係を絶妙にとらえたすごいジョークである。ANDANDANDという文字列の分節の仕方に、それぞれのリズム感の特徴がみごとに現わされているからだ。

実際、アフリカにはNやMからはじまる言葉が多い。地名にも、ンジャメナとか、ンバンダカとか、ンゴロンゴロなどがあるし、南アフリカにはンデベレ族というのもいる。

もっとも日本でも山形などは、「んだ」とか「んだの?」といった「ん」から始まる言葉がけっこうあるので、通りかかった日本人が山形県人だったら、アフリカ人みたいに「NDA、NDA」と読むのかもしれない。ただ山形弁の「ん」はしっかり発音されるのにたいして、アフリカの「ン」ははっきりとは発音されない。「ンジャメナ」にしても「ッジャメナ」、「ンバンダカ」にしても「ッバンダカ」といった裏ノリ的なリズムなのである。

それで思い出すのは、中央アフリカのザイールを訪れたとき、人びとが息を吸いながら返事したり、相づちを打っていたことだった。頭を後ろにそらせながら、息を吸いながら喉をすぼめるように「アー」と音を出して相づちを打つ。いや、「打つ」というのは正しくないな。むしろ、引っこ抜くような感じといったほうがいいかもしれない。これも「NDA」と同じく、裏ノリの一種だ。中には、そのまま息を吸いながら笑い出す人もいて、ちょっとこわい。

若林さんは「アフリカでアフリカ人の師匠にたっぷり太鼓を学び、体で覚えたつもりで帰ってきても、ンダをダンで学んできている場合がある」と書いている。では、どうしたら「ンダ」の奥義を身につけられるのか。

ひとつ、いい方法を思いついた。日本の伝統芸能である「しりとり」を使うのである。ただし、これまでのしりとりは最後に「ん」がついたら負けということになっているが、このルールを変える。「ん」がつく言葉がきても、「ん」で始まる地名や人名や方言を探して、しりとりをつづけていくのだ。

たとえば、かめ−めだか−からすみ−みかん−ンジャメナ−なまこ−こたつ−つみき−きりん−ンデベレ−レモン−ンゴロンゴロ……というふうにつづけていく。これこそ国際化というものだ。えっ、どうやって終わればいいのかだって? んー……。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

ローカル・ヒーローは日本を救う?

食品キャンペーン・ソングの話題がつづいて恐縮だが、最後にぜひ紹介しておきたいのが自治体主導の作品である。とくに地方になると、洗練とか、グローバリズムからかぎりなく距離を置いた、我が道をゆくような楽曲が多い。20世紀初め、アフリカの彫刻が、ピカソらパリの画家たちにつよいインパクトを与えたのと同じように、そのストレートすぎる表現形式には異質の迫力がある。

まずは岡山県農政企画課。ここでつくったという「地産地消おかやまの唄」というのがある。
Song
フォーク調のほのぼのした旋律にのせて、「安全安心有機無農薬野菜、蒜山だいこん、トマトに黒豆、千両なす、まだまだあります下津井ダコ、岡山カキ、岡山和牛肉、おかやま地どり、ジャージー牛乳、岡山米」と、ひたすら岡山の特産品を挙げつづけ、「地産地消地産地消岡山HEY」という耳に残るフレーズでしめる。振り付けを収録したDVDもあるそうだ。「地産地消おかやまの唄」で踊りたいという人がどのくらいいるのか見当もつかないが、ひょっとして興味のある人は岡山県農政企画課に問い合わせてみるといいだろう。

地域のキャンペーン・ソングについて、とくに目につくのは○○レンジャーの類のローカル・ヒーローの存在である。前回の「しゃぶしゃぶレンジャー」は、ミツカンという企業が低迷する牛肉消費を高めるために生んだお助けマンだった。一方、ローカル・ヒーローの目的は、ただ一つ、地域の活性化である。

食品の話題からずれるが、長野県下條村には、そのものずばり「地域戦隊カッセイカマン」というのがいる。いうまでもなく村の景気と元気を守り、地域を活性化させる正義の戦士だそうである。
Cd_5_a
もちろん主題歌もある。「おおがたてんの しんしゅつに ちいきしょうぎょう だいだげき そんなとき そんなとき たすけてくれるぞ カッセイカ!」「 国県ざいせい おおあかじ こうきょう工事は さくげんだ そんなとき そんなとき 守ってくれるぞ カッセイカ!」という歌詞なのだが、あまりにベタすぎやしないか。

ヒーローといえば長崎県も例にもれない。いまはもう放送が終わってしまったそうだが、昨年まで長崎市には、ごみ分別とリサイクルの推進をめざす「ごみ分け姉妹」という着物姿の二人組の姉妹がいたそうである。
Sisters
テレビCMで「ごみ分けて〜、ながさきし〜」と演歌のような歌を歌っていたそうなのだが、これは「こまどり姉妹」のイメージなのだろうか。ちょっと見たかった。長崎のlalombeさん、見たことありますか?

大村市には協力戦隊グレイトレンジャーというのもあって、あいさつや交通安全や食育についての啓蒙を行っているらしい。北松福島町には健康戦隊フクシマンというのもいて、壱岐市には離島戦隊イキツシマンというのもいるらしい。ただし、歌があるのかどうかは未確認である。

また、福井市にはリサイクルレンジャー「ワケルンジャー」というのがいる。主題歌も聞ける。それにしても、福井市の子供たちは学校でワケルンジャーの歌をみんなで歌ったりしているのだろうか。

地方のヒーロー文化というのは奥が深いと思っていたら、なんと首都・東京の杉並区には、もっと強力なヒーローがいた。その名も杉並戦隊イレンジャー。彼らは、スーパーでレジ袋を大量に持っていこうとするおばさん怪人に敢然と立ち向かう環境保護のヒーローだというのだが、もうなんでもやってくれいという気分になってくる。

杉並区がすごいのは、この杉並戦隊イレンジャーを主人公とした15分ほどのドラマまでつくっている点である。主題歌つきで、ストーリーは学園ラブ&コメディ、おまけに特撮シーンまである。自治体のPRビデオもここまで来てしまったかと思わせる作品である。それにしても、こんな企画が通ってしまうなんて、杉並区という職場はいいなあと別の意味で感心する。

これを観たあと、スーパーで会計をすませたあと、思わずまわりを見回して「怪人」を探した。するとたしかにいる。レジ袋のロールをからからと回して、トイレットペーパーを引っぱりだすように大量のレジ袋をとっていく「怪人」がけっこういるのだ。

このほかに杉並区は「環境派天使スギナ☆ミライ」というヒロインもののドラマも作っている。悪の秘密結社「過剰包装ツツミ隊」の隊員、怪人ラッピングに襲われてる兄を助けるために立ち上がるエコロジーエンジェル少女「スギナ☆ミライ」の活躍を描いた物語とのこと。

おびただしい食品系キャンペーン・ソングがあるのと同じく、ローカル・ヒーローも日本全国で次々と生み出されている。彼らの活躍でほんとうに日本は救われるのだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (2)
|

さかなを食わないやつは……

前回、食べ物のキャンペーン・ソングについて書いたところ、知人からメールがあり、娘のマリコちゃんが「だいずのうた」をたいそう気に入り、覚えるといったそうである。告発のつもりが、かえって普及活動になってしまった。

とはいえ告発したいのは、食料品売り場で音楽を垂れ流すという、その行為のほうである。むしろ、こうした食品系キャンペーン・ソングが生まれてきた背景には、景気の低迷や消費の伸び悩みといった切実な事情があるのも事実なのだ。

たとえば日本の魚介類の消費量に関する統計資料を見てみると、1991年にそれまで右肩上がりだった消費量ががくんと下がっているのがわかる。「おさかな天国」が発売されたのは、まさにこの年である。

曲のおかげかどうかはわからないが、その後魚介類の消費量はやや持ちなおす。しかし、2000年からまたも消費量が下がり出す。これではいけないと、2002年、ふたたび「おさかな天国」をリバイバルさせ、それがあのブレイクにつながったのだ。

同じ頃、やはり日本の食に脅威をもたらしたのがBSE(牛海綿状脳症)である。BSEともなれば、牛肉の消費量は下がる。当然、人びとはしゃぶしゃぶを食べなくなる。しゃぶしゃぶを食べなければ、しゃぶしゃぶのタレも売れなくなる。

そこで、もっとしゃぶしゃぶを食べてもらうために、しゃぶしゃぶのタレをつくっているミツカンが「しゃぶしゃぶレンジャーの歌」をつくった。
Photo_syaburen
作詞作曲はデーモン小暮で、歌っているのはミハエル・シャブシャブスキーだそうだ。ミツカンのサイトを見ると曲は聴けないが、歌詞が載っている。レンジャーという言葉からもわかるように、彼らはお助けマンである。じつは、これがキャンペーン・ソングの重要なポイントである。

さまざまな食品にキャンペーン・ソングがあるということは、じつは日本の食が相当の危機に瀕していることのあらわれにほかならない。だいずも、かまぼこも、コロッケも、たこ焼きも、鍋焼きラーメンも助けを求めているのだ。「さかな、さかな〜」とか「やっさい、やっさい」というのも、メロディーはほのぼのしているが、中に込められたメッセージは、じつは過激なまでの苦渋を含んでいるのだ。

そんな過激なメッセージをストレートにぶつけたキャンペーン・ソングも最近は出てきているようだ。サイトを見ただけではどういうものなのかよくわからないのだが、たとえばこういうバンド(?)もある。
鮪
日本の食文化を魚に戻し鯛」というのがキャッチフレーズらしく、実際に魚介類の通販もしている。砥石のCDまで売っているらしい。それにしても「解体マグロック」って、どんな曲なんだ?

セックス・マシンガンズというバンドの「みかんのうた」というのも過激系破壊的キャンペーン・ソングといえるかもしれない。「みかんを粗末にする奴は みかんにやられて死んじまえ こたつにみかんが無い家は 日本の心を失くしてる 日本の心を取り戻せ」と歌詞も過激だし、曲調もパンクである。

食品系キャンペーン・ソングには、ほのぼのと暴力性が同居している。本当は過激に飛ばしたいところを、ぐっとこらえてほのぼのした雰囲気を演出しているのだ。「さかなを食わないやつは 日本の心を失くしてる」といいたいところをぐっと抑えて「さかなを食べると あたまがよくなる」といっているのである。しかし、それもいまや破綻を迎えつつある。じつは、その破綻が顕著に見られるのが日本の「地方」なのである。(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

キャンペーンはご勘弁

スーパーマーケットの鮮魚コーナーで「サカナ、サカナ、サカナ〜」という歌が流行っていたときのことを以前書いた(「サカナを食べてもアタマは痛い」参照)。あの頃は聞きたくもない歌を鮮魚コーナーに行くたびにむりやり聞かされるのが苦痛でならず、ひたすらブームが過ぎ去るのを待っていたのだが、どうやらこの歌はブームを超えて、いまやスタンダードになってしまった。それどころか、この歌のヒット以来、スーパーの食料品売り場のさまざまなコーナーで似たようなキャンペーン・ソングが聞かれるようになってしまった。

最近はあまり聞かないが、一時期など、鮮魚コーナーでは定番の「お魚天国」、青物コーナーに行くと「やっさい、やっさい、毎日食べて」という野菜の歌、さらに精肉コーナーでは「すきすき、すきすき、おなかすきすき、ステーキ、からあげ、しょうが焼き」といった肉の歌まで流れていた。さらにコロッケを揚げているおねえさんの横のラジカセからはコロッケの歌なんてのまで流れていて、こうなると、もうたのむから勘弁してほしい。

これらの歌は、すぐに覚えてもらうためだろう、どれも単純で耳に残りやすいメロディーと歌詞がつけられている。スーパーの食品コーナーを一回りして買い物をすませて外に出ても、頭の中にはこれらの歌がすっかりコピーペーストされていて、iPodでキング・クリムゾンを再生しても、ロバート・フリップのギターの背後から、「あたま〜がよく〜なる〜」とか「にんじん食べればお肌つるりん」といったフレーズがサブリミナル・メッセージのように囁きつづけるのである。

ところで「お魚天国」で火がついたと思われる、こうした販促ソングは、どのくらいあるものなのか。こわいもの見たさというわけではないが、ちょっと調べてみると、出てくるわ出てくるわ、こんなものにまでと思うような食材にまで曲がある。

まず「やっさいやっさい毎日食べて」の野菜の歌。これは正しくは「やさい王国」という歌で、ホームページまである。それによると、この歌は「長野県の穂高町(現安曇野市)在住の3人の子持ちの主婦、千野真知が野菜嫌いの子供たちが歌って踊って野菜を好きになってくれるようにとの願いを込めて」お友だちといっしょに自主制作したものだという。「振り付け・ダウンロード」のコーナーでプロモーションビデオも見られる。
Yasai_1

こんなんで子供たちが野菜を好きになるものなのかと思うのだが、ホームページを見ると、かなりの人気らしい。掲示板も盛況で、歌をうたっている二人組の主婦ユニット(unit My)はスーパーやら児童センターなどで、いまもひんぱんにライブをこなしているらしいので興味ある方はどうぞ、と宣伝している場合ではないのだが、歌っている主婦の方と名前がいっしょなので、まあしかたないか……。

ほかにも目についた食品・食材系キャンペーン・ソングをいくつか挙げてみる。

「お肉の歌」
 がけっぷち芸人バンドというのが歌っているらしい。ときどき耳にしたが、最近は聞かない。

コロッケのうた
 ホームページで、プロモーションビデオが見られる。コロッケのイラストがかわいい。
Corokke

だいずのうた
 兵庫県の健康財団が、もっと大豆を食べようということでつくったもの。プロモーションビデオを見ると、70年代のアイドルみたいなかっこうをした5人のお姉さんが、野原の真ん中で「だいずんずん、だいずんずん イソフラボンがたっぷりだ」と歌いながら踊る。お姉さんのかっこうと、まわりの自然との対照がなんともちぐはぐ。2004年に制作されたらしいが、異様に古めかしく感じてしまうつくりである。
Daizu2

「たこ焼きの歌」
 聞いたことはないが、記事によると、大阪で作られたこの歌を韓国のたこ焼き店が気に入って韓国語版をつくったところ、韓国でヒットチャート入りしたのだそうだ。
Tako_1


鍋焼きラーメンの歌
 高知県須崎市生まれの鍋焼きラーメンのよさを知ってもらおうとつくられたという。鍋焼きラーメン? 作詞作曲は、「アンパンマン」の作者であり、同県出身の漫画家やなせたかし氏。やなせ氏は1919年の生まれだが、84歳になってから作曲を始められたそうである。

かまぼこの歌
 舞鶴蒲鉾協同組合の企画によるカマボコ応援ソング。「 板かま、笹かま、かに風味、蒸し板、梅焼き、伊達、なると」とかまぼこ・ちくわ系の魚肉練り製品の名前が、歌っているうちに自然に覚えられるとのこと。
Kamaboko

やや毛色はちがうが、驚いたのがキューピーマヨネーズのホームページである。担当者の趣味なのかもしれないが、ここはオリジナルの食材ソングの宝庫だった。「知る・楽しむ」というページの下にある「ジュークボックス」というアイコンをクリックすると、アスパラガス、ジャガイモ、カボチャ、カニ、カリフラワー、ゴマ、トウモロコシ、オレンジ、ピーマン、赤カブ、レタスなど、12種類の食材についての歌が聞ける。

ひととおり聞いてみると、12曲もあるのに、それぞれの曲の雰囲気がみなちがう。ポップス調のもの、ロック調のもの、50年代のロックンロール調のもの、歌謡曲調のもの、ラップ調のものなど、さまざまなタイプがあるうえ、曲のレベルやアレンジの完成度も高い。歌詞も工夫がきいていて、自治体主導のいまひとつあかぬけない販促ソングに比べると、洗練度がちがう。

たとえば「オレンジソースの歌」はデュエット形式で「オレンジは考える。もっとちがう私があるわ。定められた食べられ方。教科書どおりの××(聞き取り不能)。そんなのって、そんなのって私がなんだか可愛そう……」と歌う、いわばオレンジの自分探しなのだ。このオレンジが、同じく自分探しをするマヨネーズと出会って恋をしてソースになるという話である。

「カラーピーマン」はファンキーなバックコーラス付でかっこいい。歌詞はつぎのようなかんじだが、ラップなので一気に口を大きく開けながら読むこと−−「生まれ故郷はじりじり太陽が焼きつく熱帯熱帯アメリカなんだよあのコロンブスがスペインに持ちかえったのが始まりピーマンの名前もスペイン語のピメントから来てるんだエスニックな香りがしてるだろう、green yellow red black and white……」。

いったい食材や食品に歌をつけるという発想はいつ頃からあるのだろう。かつての納豆売りや豆腐屋の売り声、あるいは「やきいも〜やきいも」というのも、そうなのかもしれないが、物売りでない人たちの間にも歌という形で伝わっていったものはあったのだろうか。そう思って、さらに調べてみたら、あった。なんと明治時代の尋常小学校の教科書に「うめぼしのうた」という詩が載っていたという。いまの販促ソングとは対照的に、けなげで、しみじみした詩である。

思えばつらいことばかり
それでも世のため人のため
しわは寄っても若い気で
小さい君らの仲間入り
運動会にもついてゆく
ましていくさのその時に
なくてはならない このわたし

食品系キャンペーン・ソングにもいろいろあるのはわかったが、スーパーで流れるこの手の歌がどうしても好きになれないのは、その押しつけがましさにくわえて、地味なものをむりやり派手に盛り上げようとするあざとさのせいだと思う。それは最近のスポーツ中継、とくに女子バレーなどでアナウンサーが選手を「○○姫!」と呼んだり、スパイクのたびに「出た! 幻のスーパー○○」などといって舞い上がっているのを聞くときの白けた気分と近い。

それでも子供が売り場に設置された宣伝ビデオモニターの映像に合わせて楽しそうに踊っているのを見たりすると、そのボリュームを強引に下げる気にもなれない。いらだたしく悩ましい食料品売り場の時間である。

| | コメント (10) | トラックバック (0)
|

おじさんは変な人じゃない

今回も電話の話である。

子供が中学校に入ってまもなく、どこで知ったんだか、やたらに塾やら家庭教師センターの類からの電話がかかってくるようになった。

そんな電話が来るたびに、「まにあっています」とか、ときには声色を変えて「いま、お父さんもお母さんもいないので、わかりません」とか答えていたのだが、中にはなんど断っても電話をかけてくるところもあった。

中でもしつこいのが、学生がやっているというふれこみの某家庭教師派遣センターだった。電話に出ると、かならず最初に「もしもし、私、○○大学○年生の○○と申します」と名乗った。そして「現役の大学生」であることを強調し、料金も一般の塾や家庭教師センターにくらべて格安だとアピールした。

とはいえ、家庭教師をお願いする気はなかったから丁重にお断りしていたのだが、横の連絡がうまくいっていないのか、三日とおかず、また電話がかかってくるのだった。いいかげん、こっちもうんざりしていたある日、また電話がきた。

「もしもし、私、青山学院大学2年生のモリタと申しますが、○○ちゃんの教育のことでお電話させていただきました」という女性からの電話だった。それから、いつものように自分たちの会の成り立ちのこと、初回は無料体験であることなどを説明した。

「なるほど」モリタさんの話が一段落したあと、ぼくは教育熱心な親らしい慇懃な口調でいった。「たしかに、いまの学校の教育にはいろいろ疑問を感じています。先生の質に、首をかしげざるをえない事件も、最近はよくありますからね。その意味でも、信頼できる家庭教師の方に、子供の教育をお願いしたいという気持ちは前からありました」

「そうですか」モリタさんの声が明るくなった。

「ところで、モリタさんは教科は何を教えられるのですか?」

「私は教えるとしたら国語です」

「大学でも国語を専攻されているのですか」

「いえ、専攻は教育学です」

「そうですか。教育学といえば、今後の日本の人材育成のために欠かせない学問ですね。あらゆる分野について幅広い知識が要求されますね、勉強もさぞたいへんでしょうね」

「ええ、まあ……」

「教育学を専門とされている方に息子の勉強を見ていただけるとは願ってもないことです。ただ、やはり子供を託す親の気持ちとして、失礼かとは思いますが、いくつか確かめたいことがあるのです」

「どういったことでしょう?」

「国語を教えられるということですが、夏目漱石という作家がいますね」

「はい」

「その漱石が最後に書いた未完の小説はなんだかご存じですか?」

「……」

「もしもし」

「……あの、わかりません」

「わからない。……そうですか。まあ、モリタさんは教育学の方ですから、あまり小説はお読みにならないのかもしれませんね」

「すみません」

「では、もっと一般常識的なところでお聞きしたいのですが、いまイスラエルとパレスチナの問題がひじょうに深刻化していますが、そうした今日のパレスチナ問題のきっかけとなったバルフォア宣言というものがあるのですが、これはどんな内容なのか、ご存じですか?」

「……わかりません」

「まあ、ちょっと古い話ですからね。では、もっと最近の時事問題はいかがでしょう。中国の食糧自給率が近年、大きく変化していますが、いま何パーセントくらいかはご存じですか?」

「……わかりません」

「そうですか。モリタさん、あなた大学生ですよね。いまお話ししたようなことは、大学生なら当然知っておくべきことですよ。他人を教えるよりも、いまあなたにとって大切なことは自分が学ぶことだとは思いませんか。あなたの親御さんだって、そのことを望んでおられるのではないでしょうか」

「すみません」

モリタさんは恐縮して謝罪の言葉を述べて電話を切った。やった! ただし満足感の一方で、なんていやなオヤジなんだろうと少々自己嫌悪に陥った。それでも、その甲斐あってか、二度とこの家庭教師センターからは電話が来なくなった。

それからしばらくして、やはり中学生の娘さんがいる知人の家を訪ねた。雑談をしていたとき、その家のお母さんが、最近「娘の家庭教師をします」という電話がひんぱんにかかってきて迷惑しているといった。ぼくが、うちにもそんな電話がひんぱんにあったけど、最近はすっかり来なくなったという話をしたそのとき、彼女の家の電話が鳴った。

彼女は受話器を取ると、「はい、はい」と相づちを打ちながら、ぼくに目配せした。いぶかしんでいると、彼女が「それでしたら、ちょっと替わります」といって、こちらに受話器を渡した。

わけもわからず受話器を受け取り、「もしもし、お電話替わりました」というと、「あ、ご主人様でいらっしゃいますか」と男性の声がした。なんと、相手はいましがた彼女が話していた家庭教師派遣の会社だった。こんな偶然がほんとうにあるのだ!

どうやら、うちにかかってきたのとは別の家庭教師センターのようだった。学生ではなく、きちんとした会社組織のようだった。一通り説明が終わって、ぼくは切り出した。

「ところで、娘を託すというからには、親として信頼できる方であるかどうか確かめたいという気持ちがあります」

「それはごもっともです」

「失礼ながら、つかぬことを伺いますが、よろしいでしょうか?」

「なんでしょうか?」

「夏目漱石という明治の文豪がいますね」

「はい」

「その漱石が最後に書いた未完の小説はなんだかご存じですか?」

「はっ?」

「漱石最後の未完の小説のことです。国民的作家である漱石について、教育に携わる方なら知っていて当然と思うのですが、ご存じですか」

「……」

「もしもし、聞こえてますか。わからないようでしたら、次にいきます。いまイスラム過激派によるテロが各地で起こっておりますが、イスラムにおける五つの義務とはなんだかご存じですか? 」

(ガチャ、ツーツー)

なんと電話はいきなり切られてしまった。あいさつもなしに失礼な人である。しつこい家庭教師斡旋の電話を撃退した満足感とともに受話器を置き、彼女とそばにいた娘さんや息子さんの方を向くと、みなポカンとしている。迷惑電話をしりぞけてもらったことに感謝しているという雰囲気ではない。お母さんは笑ってくれたが、娘さんは困ったような顔をしている。

マリコちゃん、おじさんは変な人じゃないんだよ。ふだんは、こんな人じゃないんだからね。

| | コメント (9) | トラックバック (0)
|

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »