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私に恥ずかしい言葉を使わないで

先日、銀行のATMで預金を少々引き出したときのこと、手続きを終えたあと、画面に表示された残高を見て、我が目を疑った。3日前にATMで確認したときとくらべて、残高がなんと30万近くも減っている!

なんだ、これは? そんなはずはない。記憶をひっかきまわしても、そんな高額の買い物をした覚えはまったくない。なにかのまちがいにちがいない。

もう一度、ATMにキャッシュカードを入れ、再度、残高照会してみる。結果は同じだった。3日前にはたしかにあったはずのカネが、いまでは存在しなくなっている。なぜだ? どこに行ったんだ? 一言も告げずに行ってしまうなんてあんまりではないか!

冗談ではない。ほんとうに、どうしたんだろう。これはひょっとして、いま流行のスキミングというやつではないのか? 知らぬ間にカードの番号を盗み取り、ひそかにカネを引き出す。そんな手口の犯罪が増えているというニュースを見たばかりだった。まさか、自分がその被害者になるとは。このままでは顔にモザイクをかけられ、音声は変えてありますというテロップのもと、被害者Tさんとしてニュースで紹介されてしまう。ホント冗談ではない。

ATMの横にあるお客様用電話の受話器をとりあげる。呼び出し音が2、3回鳴ったあと、銀行のお姉さんの明るい声がした。

「はい、どうされましたか?」

「あ、あの、預金が、減っているんです。知らぬ間に30万もなくなっているんです。まったく覚えがないんです。3日前にはたしかにあったんです。それが、なくなっているんです」

「それではお調べいたします。口座番号とお名前をお願いします」

お姉さんの明るい声が、逆に不安をかき立てる。むしろ「それはたいへんですね、いますぐ調べますから落ち着いて待っていてくださいね」くらいのことはいってほしい。ともかく名前と口座番号を伝えると、まもなく返答があった。

「クレジットカードからの引き落としとなっていますね。中身についてはカード会社さんのほうにお問い合わせいただけますか」

さてはクレジットカードがスキミングされたのか! しかし、どこから漏れたのだろう。ネットで買い物した際に入力したカード番号が、どこからか流出したのかもしれない。それともどこかのサイトでウイルスに感染して、カード情報を盗まれたのだろうか。

いかがわしいサイトには行かないようにしているが、それでもごくたまになにかの拍子や、思いもよらぬ偶然で、そういうところにつながってしまい、あれよあれよという間にウインドウがつぎつぎと開きだし、あわてて終了しようとしてもキーがいうことをきかず途方に暮れていると、そんなときにかぎって奥さんが部屋に入ってきて「なに見てんのよ!」といわれ、「ちがう、これにはわけがあるんだ」と弁解するも受け入れてもらえず、くやしい思いをしたこともあるが、そんなときにウイルスに感染したのだろうか。

銀行のお姉さんが、カード会社の電話番号を教えてくれたので、さっそくかけることにする。どういうわけか親指がうまく動かず、なんども数字のボタンを押しまちがえた末、ようやく呼び出し音が鳴った。

「はい、○○カードお客様相談センターです」

「あ、あの、○○カードを使っているんですが、銀行でいま残高を調べたら、お金がなくなっていて、その30万も、私の知らないうちに、それでカードからスキミングされたみたいで……」

「あのう、申し訳ありませんが、よく聞こえませんので、もう一度、ゆっくりお話しいただけますか」

「はい、あのですね、その、カードがですね、お金がなくなって、銀行から30万もですね、引き落とされて、でも覚えがないんです」

「……そうですか。先月分のカードご利用代金の明細書はごらんになりましたか。」

明細書? そういえば、そんなものが来ていたような気もするな。でも、どこにあるかわからないし、最近は見たおぼえがない。きっと奥さんが古新聞やチラシといっしょに捨ててしまったんだ。どうしようもないな。だが、そんなことより、大切なお客様の緊急事態だというのに、ここでも話し方が冷たい。もっと親身になって温かい言葉の一つもかけられないものか。まったく他人のいたみをわかろうとしない、思いやりのない世の中になったものだ。だいたい、こういう事件が起きてしまうそもそもの原因はカード会社の情報管理の杜撰さにあるのではないか。その責任を棚上げして、弱い消費者につけを払わせているのだ。そのあげく、振り込み詐欺だ、ウイルスメールだ、スキミングだ、なんだかんだで、社会は悪くなる一方だ。なんだか、だんだん腹が立ってきたぞ。

「……それでは、こちらからお客様のカードの過去1ヶ月のご利用明細をお調べいたします。お名前とカード番号をお願いします……」

質問に一つ一つ答えてから、しばらく待つ。受話器の向こうで端末のキーボードを叩く音がする。30秒ほどすると、お姉さんの声がした。

「お待たせいたしました。では、こちらに記録されている先月分のご利用の明細と金額を申し上げますが、よろしいでしょうか」

「はい、お願いします」

 

「では、申し上げます。○月○日、ソネット、3308円」

 

「はい」(うん、これはネットのプロバイダー代だな)

 

「○月○日、ヤフージャパン、294円」

 

「はい」(これもいつもどおりだ。ネットオークションの登録料だな)

 

「○月○日、ウイルコム、3173円」

 

「はい」(これは携帯だな。ほとんど使っていないわりには高いな)

 

「○月○日、○○病院、28万7600円」

 

「はっ!?」


 

一瞬してから思い出した。そういえば奥さんが入院していたのをすっかり忘れていた。。その入院費をカードで払ったのも忘れていた。しかし、請求がずいぶん遅い。もう何ヶ月もたっているぞ。だけど、そうか、スキミングじゃなかったかもしれないな。よかった、よかった。

「あのー、まだ続けますか?」

 

「えっ?」

 

待てよ、まだスキミングされていないと証明されたわけではない。これでもいぜんとして3万円以上足りないではないか。ここは、きちっと確認した方がいい。

「では、つづけます。○月○日、アマゾン、1万5420円」

 

「はい」(そうか、これはたしか洋書を取り寄せたときの代金だな)

 

「○月○日、ユニクロ、780円」

 

「はい」(ユニクロか、そういえば買ったかもしれんな)

 

「○月○日、ユニクロ、500円」

 

「はい」(うーむ、一回だけじゃなかったのか)

 

「○月○日、ユニクロ、680円」

 

「はい」(……)

消え入りたいような気分だった。なんでこの月はよりによって、ユニクロばかり、それもカードで一度ならず何回も買ってしまったのだろう。電話とはいえ、耳元で若い女性に冷たい声で「ユニクロ 680円」と値段まで口にされると、悪いことをしたわけでもないのに、恥ずかしくて身が縮んだ。せめて、エディーバウアーかギャップあたりにしておくんだった……。

「あのー、まだ続けますか?」

 

「えっ? はい」

 

いくらなんでも、もう終わりだろうと思っていたら、お姉さんが明細を読み上げる無表情な声が、ふたたび受話器の向こうから響いた。

 

「○月○日、ユニクロ、1280円……」

 

あんな無表情な冷たい声を出しながら、お姉さんは心の中で笑っているにちがいない。勤務の終わったあと、同僚に「ねえ、今日、スキミングされたっていう変なオヤジから電話が来てさあ、ひどくあわてているんで、明細読み上げてやったらさ、ユニクロばかりでさあ、あたし吹き出すのこらえるので必死だったわあ」とか話して、友だちが「だっせー」とかいって爆笑したりするにちがいない。その光景がいまから頭の中にリアルに浮かんで、いたたまれなくなってきた。

 

「○月○日、ユニクロ、1000円……」

 

「……はい」

 

誤解しないでください。お姉さん、ぼくはめったにユニクロなんて買わないんです。たまたまこのときは、何年かに一度のことで、偶然ユニクロで買い物したのであって、ふだんはそんなことはないんです。そこのところを誤解しないでいただきたい。スコッチハウスとか、なんだかそういうのだって着ないわけではないんです。いまだってギャップのGパンを履いているし、上だって……あれ、これユニクロかよ……。

いや、そもそもユニクロで何が悪い。ヒートテックは温かいし、いや、よくは知らないけれど温かいという噂だし、そういうものを軽蔑して、見た目やブランドで人や物の価値を判断するようでは、大切なお客様に失礼というものではないか。だいたい、どいつもこいつもぶら下げているルイ・ヴィトンやら、プラダやらのバッグのどこがいいのか、さっぱりわからない。あんなものをありがたがっている、その感性のほうが国際的に見ればまちがっている……。

受話器の向こうのお姉さんの声に耳を傾けながら、頭の中では、弁解とも愚痴とも怒りともつかぬ言葉がカラカラと空しくまわりつづけていた。最後にお姉さんが無表情にいった。

 

「○月○日、ダイエー、2980円。○月分は以上になります。よろしいでしょうか」

 

「……ありがとうございました」

 

携帯電話のスイッチを切った。ひどく疲れた。電話でこれほど疲れたのは、久しぶりだった。だから、電話は好きではないのだ。

 

 

 

  ……さて、ここからは余談である。ユニクロといえば、2月にECMレーベルのアルバムジャケット柄のプリントTシャツを出している。ECMというのは、ドイツで設立されたジャズと現代音楽のレーベルである。「静寂の次に美しい音楽」というコピーにたがわぬ透明感のある清冽なサウンドが特徴的なのだが、ここに目をつけるとはさすがである。しかも、選んだアルバムも渋い。  

このキース・ジャレットの極上のバラード集(The Melody At Night, With You )はもちろんだが、

Melody

ヴァイオリニストのマイケル・ガラッソの「Scenes」 を取り上げるとはおどろきである。ガラッソは映画音楽をたくさん手がけている音楽家だが、ECMの中ではほとんど目立たないアーティストである。ヴァイオリンの多重録音によるこの作品は北の冷気が部屋に広がってくるような、つめたい緊張感をはらんだ美しく静かな音楽である。

Scenes

さらにギタリストのパット・メセニー、キーボードのライル・メイズ、そしてパーカッションのナナ・ヴァスコンセロスによる「As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls 」も選ばれている。数あるパット・メセニー作品の中で、なぜこの地味な作品を選んだのか。

Witchta

これは映画なきサントラというか、みるみる目の前に荒涼とした大地がひろがっていくような、とても視覚的な作品である。じつはパット・メセニー作品の中で、いまでもいちばん好きなのがこれなのだ。

最後は趣味に走ってしまった。カード会社のお姉さんにも聞かせてあげたい。

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コメント

はじめまして。
通りすがりに目が留まってしまい、そのまま過去の方までドンドン遡って読んでしまいました。今日の記事は素直に面白いし、過去の記事も切り口が独特で、なんだかうなずきながら読むことも沢山ありました。こちらの記事に、というコメントではないのですが、どちらにすればよいものかと考えあぐねこちらで失礼します。また、読みに来たいなと思います。

投稿: ぷりしら  | 2006年4月 2日 (日) 22時07分

>ぷりしらさん
はじめまして。コメントありがとうございます。週に1、2度は書いているので、またお寄り下さい。ぷりしらさんのサイトものぞかせていただきました。茨木のり子さん、亡くなられていたとは知りませんでした。心の奥深くにつきささる凛とした詩が好きでした。

投稿: 田中真知 | 2006年4月 3日 (月) 02時11分

こんにちは。とんだ災難というか思い違いだったのですね。
それにしても、奥様が入院とはたいへんでしたね。
入院費用を忘れてしまうのだからきっともう大丈夫なのだろうと思っています。

最後のユニクロのTシャツ、かっこええじゃないですか!!
かなりツボ!!渋い渋すぎる。

投稿: 三谷眞紀 | 2006年4月 5日 (水) 17時00分

>三谷眞紀さま
こんにちわ。眞紀さんからのコメントうれしいです。ひとかどのものになった気がします。
ECMのTシャツほしいんだけど、うちの近所のユニクロにはありませんでした。同じユニクロでもこういうセンスのよいやつは青山とか原宿の店に流れているのかもしれません。近所のユニクロにあったのは天童よしみTシャツだけでした(嘘)。

投稿: 田中真知 | 2006年4月 6日 (木) 00時22分

W氏宅でお会いしました。大麦です、来年の春の家族旅行、エジプトを薦めていただいて、私は心がエジプトに傾いています、子どもたちは大反対ですが。少しずつエジプトのこと調べて行きたいと思います。お勧めの本とかありましたら、アドバイスください。お願いします。

おはずかしいですが、私もプログをしております、また良かったらカキコミください。http://plaza.rakuten.co.jp/komugi10/


投稿: 大麦 | 2006年4月 9日 (日) 10時36分

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