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ペンデの仮面の謎

違和感をおぼえたのは、朝、パンを食べていたときだった。パンを咀嚼するときの左側の頬の動きが悪い。噛んだパンが左側の歯茎と唇の間に落ち込んで、舌ですくい上げようとしてもうまくいかない。起きぬけで顔がこわばっているのだろうと初めは気にとめなかったのだけど、しばらくたっても違和感が消えない。

目がしょぼつくので片目ずつまばたきしようとしたところ、左のウインクができない。おどろいて「えーっ」と声をあげた。しかし、いつもなら声をだしたとき左右に広がるはずの口がうまく広がらない。どうなってしまったのか。

鏡に顔を写してみる。顔の左半分から表情が失われている。顔をしかめてみたり、笑ってみたり、額にしわを寄せようとしても、筋肉がついてくるのは右半分だけで、左側は知らんぷりだ。

ネットで調べてみると、顔面神経麻痺というものと症状が似ている。顔を動かす筋肉に信号を送る顔面神経がなんらかの原因で麻痺してしまったために、顔の半分の自由がきかなくなったということらしい。放っておくと後遺症がのこる場合もある、と書いてある。

これはたいへんだと、すぐに近所の総合病院に行った。神経内科で診てもらったところ、やはり顔面神経麻痺だろうということだった。顔面神経麻痺には大きく分けて二つあって、ひとつは脳血管障害のような脳から来るもの、もう一つはウイルスなどによる末梢神経の異常によるものだという。たいていは末梢神経の異常のケースが多く、たぶんぼくのもそれだろうという。

通常の治療はステロイド剤で行われ、二、三週間でよくなることが多いとのことだった。「一週間くらいでピークがくるはずです。いまの症状がもっときつくなりますので、その前にまた来てください」といわれた。血をたくさん抜かれ、MRIで脳の断層撮影をして、点滴もやって、大量の薬を出された。

顔面神経麻痺といっても熱が出たり、痛みがあるわけではないので日常生活にさしさわりはない。ただ、困ることはけっこうある。まず食事。噛んだものが麻痺した側のあごの下にたまってしまうので、指でかき出しながらでないと飲み込めない。

麻痺した側の口がきちんとしまらないものだから、水なども注意して飲まないと口の端からだらだら垂れてしまう。うどんやパスタも食べにくい。パピプペポといおうとしてもファ、フィ、フ、フェ、フォーとなってしまう。ひどく年をとった気分である。

顔が変わってしまっているので、営業のように人に会う仕事だと困るだろう。人に会わなくても、ヤクザとすれちがったらガンつけていると思われかねないので、盛り場にも近づかない方がいい。

いちばん困るのは目が閉じられないことである。まばたきもできないので目がすぐ乾く。目薬は片時も手放せない。顔や頭を洗うときにも片手で目を押さえてなくてはならないし、なによりやっかいなのは夜寝るとき、まぶたが開かないよう絆創膏で押さえておかなくてはならないことである。

そんな状態で数日たって、ふたたび鏡に顔を写してみた。顔の左半分はいっそうよそよそしくなって、ほとんど別人のように見える。左側の口の端がだらんと下がり、左まぶたもこわばって垂れ下がり、左小鼻の肉も心なしかふくらんで下に傾いている。自分の顔に二人の人間が同居しているような気がするほどだ。

そのとき、ふと、この顔はどこかで見たことがあると思った。だが、いったいどこだったのか。しばらく鏡とにらめっこしているうちに、はたと思い出した。

部屋に戻り、押し入れの奥から衣装ケースを取り出した。中に入っているのは、中央アフリカのザイール(現コンゴ)を訪れたときに、首都のキンシャサで買ったさまざまな仮面である。いずれもザイールからアンゴラにかけてのさまざまな民族が通過儀礼で用いる伝統的な仮面だ。

一般に、アフリカの仮面はデフォルメが激しく、抽象的でシュールレアリスティックだといわれている。しかし、実際にアフリカを歩き回ると、そんなことはないことにすぐ気づく。というのも、実際に仮面そっくりの人が、ふつうに歩いていたりするからだ。

たしかにそれはヨーロッパの写実主義のような意味でのリアリズムではないかもしれない。けれども、顔のつくりや表情、そこから受ける印象は、根本的にはリアリズムにほかならないように思う。ザイールの数々の仮面もその例にもれない。

しかし、そのなかで、ずっと気になっていた謎めいた仮面があった。ザイール南西部に暮らすペンデ族という人たちがつくる仮面の一つで、ペンデ・マラード(病気のペンデ)と呼ばれているものである。仮面の左右の色がちがっていて、白い側の鼻や口がだらりと垂れ下がっているのである。

これがなにを意味しているのか、いろいろ調べても結局わからなかったのだが、なんということだ、いま鏡に映っている自分の顔こそ、あのペンデの仮面そのものではないか。どんな仮面かというと、こういうものである。

Pende_malade


翌日の診察のとき、担当の神経内科医のカミタニ先生に「つかぬことをお聞きしますが」といってデジカメで撮影したペンデの仮面の写真を見てもらった。

「これって顔面神経麻痺の症状とはいえないでしょうか?」

「ああ、そうですね。そっくりですね」

「こういう顔になる原因って、どんなものがありますか?」

「外傷で顔面神経を損傷してなる場合もあるし、脳梗塞や、あなたのように末梢神経の場合もありますけど、結果的に顔面神経麻痺の症状でしょうね」

おそらく、かつてペンデの人びとは、顔面神経麻痺になって顔の半分が別人のようになってしまった人を見たのだろう。その左右の顔の表情のあまりのちがいに、人は彼が悪霊や精霊に取りつかれていると思って畏怖したのではないか。いずれにしても、そこに超自然的な存在の関与を見た彫刻家が、その人の顔をリアルな造形に仕立てあげた結果、生まれたのがこの仮面だったのではないだろうか。そんなことを考えた。

顔面神経麻痺になったおかげで、長年の謎が、ひとつ解けた気がした。あらためて壁にかけたペンデの仮面を見ていると、なんとなく親近感が湧いてくる。この仮面が、どことなく困ったような情けない顔をしているのもよくわかる。モデルになったペンデの男も、きっとものが食べづらかったり、目が乾いて苦労したのだろう。夜には椰子の繊維とバナナの葉っぱかなんかで、まぶたを押さえて寝たのかもしれない。そして、みながハッハッハッと笑っているときに、彼はひとりフォフォフォフォと笑っていたのだろうな。

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コメント

ペンデの仮面の写真、おもしろいですね。
イズの大室山に「アフリカン・アート・ミュージアム」という個人の博物館があります。建物もなかなかよくできていてアフリカの仮面がゾロリと展示してあります。
そこにはペンデの仮面のようなものは無かったなあ。
このミュージアムでビデオを上映するため私も写真で関わりました。

顔面麻痺は石毛直道さんがなったことはご存知かと思いますが、私の母(現82歳)も25年ほど前になりました。夏、エアコンそして外気で顔面温度が不安定になっていたとき車の窓を開けて片側だけ顔面気化熱で冷えて、ダラリとなったそうです。現在でも少しおかしいので後遺症といえるでしょう。

車に乗って窓を開けるという行為、オープンカーで快適に走るという行為は顔にとって危険です。
特に助手席に彼女を乗せて屋根をオープンにして走る、などお互い非常に危険なことだ、と私は申し上げたい。

投稿: 小松義夫 | 2006年3月 8日 (水) 12時17分

さっそく日参しましたら、あ。よかった。
ご病気をお題にされているではないですか。
深刻な状況かと思い、こちらでは触れずにいたのですが……ネタにできるなら完全回復も早いと思います。
仮面の写真は、半分ずつを手で隠して半分ずつ見ると、全部をいっぺんに見たときよりさらに真に迫っていますね。
ともあれお大事になさってください。

投稿: 三谷眞紀 | 2006年3月 8日 (水) 14時37分

>小松さん
伊豆のアフリカン・アート・ミューゼアム、行ってみたいです。精巧で細工のこまかい西アフリカの仮面にくらべると、コンゴからアンゴラにかけての仮面は形そのものが大胆です。とくにペンデの仮面は面白くて好きです。この仮面もお気に入りのペンデです。顔が横に広いのは病気のせいではないと思いますが。それにしても、顔を冷やしただけで顔面神経麻痺になることがあるとは怖いですね。

>三谷眞紀さま
ありがとうございます。仮面の写真、真ん中に鏡をあてて左右の顔を見比べても面白いですよ。この機会に仮面の虫干しもできてよかったです。カメのヒーターも外しました。春ですからね。

投稿: 田中真知 | 2006年3月 8日 (水) 19時12分

 写真のペンデの仮面が素晴らしく、想像力をかきたて、文章も軽やかだったので、つい軽く書いてしまいましたが早い回復をお祈りいたしております。
 返事に貼り付けられた横長の仮面の類は西アフリカでは見たことがありません。これまた想像力をかきたてられます。大袈裟に言えばショックです。アフリカン・アート・ミュージアムにもこの類のお面はありませんでした。館をやっている林さんが横長仮面を見たらヨダレを流すでしょう。
 大阪の民博の展示にはカメルーンのものが多かった、と記憶しています。カメルーンがアフリカ大陸の縮図、ということで集中的に収集したのでしょうか。
 ところで私も軽い顔面麻痺です。十数年前、忙しすぎたため脳の一部が切れたのかな、と思っておりますが左顔面が疲れると死んだようになり表情がなくなります。病院で検査を、とおもいつつ行っておりません。疲れたときは特にひどくなるので疲労のバロメーターにしているのですが、、、、。
 では、横長面の写真ありがとうございました。

投稿: 小松義夫 | 2006年3月 9日 (木) 22時34分

>小松さん
カイロに住む友人の奥さんは、夏にアイスノンを頬にあてたまま寝たあと顔面神経麻痺になったそうです。それがほんとうの原因かどうかはわからないそうですが、いずれにしても冷やすのはよくないのですね。病気ペンデの面もだらりとした側の色が白いのは血行が悪いせいかと思われます。小松さんもおだいじになさってください。

横長面ですが、たしかにアフリカでは珍しいですね。縦長面ならたくさん見かけるのですが、横長面となるとペンデくらいしか見ません。アフリカ美術の本を見ても載っていない。

投稿: 田中真知 | 2006年3月10日 (金) 21時40分

 あまりいい例えではないけど、初めて単眼児のホルマリンル漬けを見たとき、ああ、これが一つ目小僧の原型なんだなあと思いましたよ。
 早くよくなるといいですね。耳や味覚は大丈夫ですか?

投稿: ぷー | 2006年3月12日 (日) 01時01分

>ぷーさん
返事遅くなりましたが、お見舞いありがとうございます。おかげさまでだいぶよくなりました。聴覚はまだ少し不自然です。鼓膜というのは筋肉で支えられているので、筋肉が動かないと聞こえがおかしくなるということがわかりました。とくに高温が耳に触ります。味覚もすこし変ですが、舌の片側は異常ないので食べ物をころがせば気になるほどではありません。

投稿: 田中真知 | 2006年3月15日 (水) 16時35分

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