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旅の翁に会いに行った

先週末、大阪である集まりに参加した。今年85歳になる年金バックパッカー、水津英夫さんをかこむガーデンパーティーである。水津英夫さんのことは、これまで「旅行人」誌などでなんどか書いたことがあるので、ご存じの人もいるだろうけれど、知らない人のために、かんたんに紹介しておく。

初めて水津さんに会ったのは、1993年だから、もう10年以上前、まだカイロに暮らしていた頃である。ある日、カイロの安宿に滞在していた知り合いの旅行者から、「すごいひとがやってきたんです」と電話をもらった。聞けば、そのひとは72歳のバックパッカーだという。中国、パキスタン、イラン、トルコなどを経て、半年がかりで陸路でアジアを横断してエジプトまでたどりついたというのだ。その年で、そんな旅をしているとは、いったい、どんなひとなのか。興味がわいて、彼の滞在する安宿を訪ねて話を聞いた。

1泊150円のドミトリーの一室で会った水津さんは、よけいな力の抜けた飄々とした雰囲気をまとった小柄な方で、とてもアジアを横断してきたような強者には見えなかった。しかも意外なことに、大正10年生まれの水津さんが旅をはじめたのは、定年になった60歳からだという。暇でやることもないので、旅行でもするかと軽のバンに生活道具をのせて日本をまわった。しかし、4年もすると行くところがなくなってしまったので、リュックを背負って台湾に行ってみた。それが初めての海外一人旅だった。

この旅がきっかけで、水津さんはバックパックの旅の愉しさにめざめた。それに外国を旅行していた方が日本にいるよりお金がかからないことも知った。貧乏旅行だと月6万ほどしか使わないので、乏しい年金でも貯金ができてしまう。しかも安宿では若い人たちと話もできる。言葉ができなくても、なんとかなることもわかった。疲れたと感じたら、近くの病院に入院する。年寄りだと、たいてい断られないし、回診は午前中なので、午後は観光もできる。入院費も帰ってから保険で払い戻される。

こうして貧乏旅行の世界にはまった水津さんは、以後1年のうち10カ月を旅の空で過ごすようになった。初めのうちは中国を丹念にまわっていたが、だんだん行動範囲をひろげて、今回ついにアジア・中東を横断してエジプトまで足を伸ばしたというのだった。

水津さんは、そうした旅の話をぽつぽつと語ってくれたのだが、ぼくにとって他人の旅の話をこれほど面白く聞いたのは初めてだった。他人の旅の話とは、たいてい語っている本人は楽しくても、聞いているほうはどこか白けてしまうことが多い。けれども、水津さんの脱力したようなとぼけた語り口には聞く者をひきつけてやまない不思議な魅力があった。

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エジプト・シナイ山頂の水津さん(72歳)

このとき水津さんはエジプトに何ヶ月か滞在して、そこからまた旅を続けた。その後も、水津さんの噂はときどき耳にした。オーストラリアで水津さんらしき人にあったとか、マレーシアで会ったとか、中国で会ったとか、世界各地から水津さんの噂が聞こえてきた。しかし、ぼくも日本に帰国し、2000年を迎える頃には水津さんの噂も、とんと聞かなくなった。最初に会ってから7年がたち、水津さんも80歳になる。さすがに、もう旅を続けているとは思わなかった。

ところが、そんなとき偶然、人づてに水津さんがいまでも旅を続けているらしいことを知った。ぼくはおどろくやら、あきれるやら、うれしくなるやらで、なんとか水津さんが日本にいる時期をつきとめて連絡をとり、大阪の彼のアパートまで会いに行った。

水津さんは、「もうすっかりボケましたわ、旅行者に『前に会いましたよね』と声をかけられても、ちっとも思い出せんのですよ」といっていたが、そのわりには、旅の話をはじめると、いくらでも話が出てくる。おどろいたのは、エジプトを出た後、彼はトルコで睡眠薬強盗にやられ、またそのあとの南米の旅ではペルーで首締め強盗に遭ったという。しかし、運が悪ければ命を落としていたかもしれないそんな災難のことを、彼はまるで他人事のような口ぶりで話すのだった。

「こわくなかったんですか?」とぼくは訊いた。

「こわくはなかったですね。やられるまでなにもなくて、やられてるときは瞬間的だし。ぼくは、どこで終わってもいっしょやないかと思うんです。十年やそこら長く生きたって同じじゃないですか」

そこには強がりも、自嘲も感じられなかった。けれども、ぼくにはわからなかった。初めて水津さんに会ったときから感じていたことだけれど、年をとっても元気に旅行できるうちはいい、しかし、年齢のことを考えれば、身ぐるみはがれたり、旅先で病気になったり、あるいはだれにも知られずに死んだりという可能性だって低くはないし、じつは内心、不安や心配だってあるのではないか。

水津さんは、そうした感情を無意識に押し隠して、あえて元気にふるまっているのではないか。心のどこかで、ぼくはまだそう疑っていた。しかし、そんな勘繰りをよそに、水津さんは、「つぎはアフリカに行こうと思っとるんです」といった。「まあ、本当に行けるかどうかわからないですけど、行けなくてもいいんです。でも、アフリカいいなあ、行きたいなあと思っていることが楽しい。でも、そんなことばかり考えていると、いつか本当に行けたりするんです」

それからまもなく、80歳の水津さんは本当にアフリカに行った。もっとも80歳でアフリカを旅行するというだけなら、そんなにむずかしくはない。豪華なロッジに泊まって、チャーター車で国立公園をサファリするくらいなら、ヨーロッパからの高齢のツアー客がよくやっていることだ。

しかし、水津さんがアフリカを旅するというのは、そういうことではまったくなかった。彼はあろうことか、東アフリカでもとりわけ過酷なケニアからエチオピアの陸路ルートをたどった。バスや列車はないので、移動するには物資輸送のトラックの荷台に乗ることになる。しかも、ケニア北部の道は洗濯板のような凹凸があるため、揺れ方が尋常ではない。水津さんも振り落とされないよう荷台にしがみつき、二日がかりで国境までたどり着いたのだ。強者のバックパッカーでも尻込みするような旅をしながら、水津さんは東アフリカから南アフリカまで半年近くかけて旅行した。

帰国した水津さんは、つぎは南極に行こうと考えた。ただ、膝をはじめ、からだのいろんなところにガタがきていたので、しばらく休養しながら日本を旅行していた。そんなとき、たまたま日本の旅先の病院で肺にガンがあることがわかったのだった。

人づてに、そのことを知ったぼくは、とうとう来てしまったなという思いがした。そして、本当に死を覚悟しなくてはならなくなったいま、水津さんはどう感じているのだろうかと思った。お見舞いに行くにも、いつも飄々としていた水津さんが弱音を吐いたりしたらどうしよう、あるいは逆にことさらに元気にふるまったりしたら、どうすればいいのだろうと、すこし悩んだ。

けれども、ぼくは水津さんのことを、まるでわかっていなかったのだ。病院の水津さんは、旅行していたときと少しも変わらず、力の抜けたような雰囲気を身にまとい、やはり飄々としていた。彼は、こちらが切り出す前に、自分のガンが末期であること、頭にも転移が見られること、手の施しようがないことなどを話してくれた。しかし、その話しぶりは以前トルコで睡眠薬強盗に遭ったときのことを話してくれたときのように、どこか他人事のようで、ときに愉しそうな表情すら浮かべていた。

「でもね、ぼくは、むしろこれからが本当の人生のような気がしておるんですよ」

「どうしてですか」

「ガンが頭に来とるせいか、ボケがひどくなっているんです。自分の撮った写真を見ても、それがどこだか思いだせんのですわ。だから、かえって写真を見ていると愉しいんです。行ったことないところを旅をしているような気がして新鮮なんです」

ふつうの人が、そんなことをいうと強がりのように聞こえるかもしれない。けれども、水津さんは無理しているわけでもなく、本当にそう感じているのだ。死への恐怖があるとかないとか、あるいは、恐怖があってもそれを隠すとか、この人の場合、そういうことはたいした問題ではなさそうなのだ。老いというものを、ことさらに哲学や生死のテーマに引きつけて考えようとすることもないし、あるいはその逆に、開き直ったりするでもない。

達観しているとか、枯れているというのともちがう。老人にありがちな、そうしたわざとらしさが、この人にはまるでないのだ。そもそもこの人は、最初から死への恐怖などというテーマが頭に思いつかないのではないか。そんなことよりも、こうして自分が病気になっているという、生の不思議さが面白くて仕方ないのではないか。

ガンがわかって数か月後たったその年の秋、「生前葬」の名目で水津さんをかこんで、ささやかな食事会をした。彼が旅先で知り合った親しい人たちで集まって、水津さんが旅先で撮ったスライドを見て、食事をしようという会だった。しかし、このときはまだ彼と長年のつきあいのある人たちでさえ、どのように彼に接すればいいのか図りかねていた。水津さんの中に、他人の踏み込めない孤独とか、死を前にした独特の感慨などがあるはずだと思いこみ、そこにみだりにふれぬようにと気を遣っていたように思う。

しかし、本人はそんなこちらの心配をよそに、おおいに食べて飲んで、じつに愉しそうにしゃべった。「葬式は金がかかるから、いらんです。骨壺は電車の網棚に置き忘れてくれるのがいいですわ」といつもの調子でのたまうのだった。冗談というわけでもなさそうだった。いずれにしても、もし来春も水津さんが元気だったら、お花見をしようという話になった。そこには祈りのような気持ちがなかったとはいえない。

そして2005年の春がやってきた。水津さんは冬に少し体調を崩したものの、春には元気になり、彼の病院のそばの大学の敷地にある桜並木の下で花見をした。エチオピアの麦わら帽子に、作務衣という出で立ちであらわれた水津さんは元気で、顔色もよかった。聞けば、前の年の生前葬の後、しばらく退院して、その間、北陸をクルマで旅行していたという。

それからまた一年がたって、2006年の春になった。ふたたび桜の咲きほこる時期、水津さんをかこんで知人の家でガーデンパーティーを開いた。今年85歳になる末期ガンの水津さんは、あいかわらず元気で、食欲旺盛で、よくしゃべった。「本当にあの人、末期ガンなのですか」と初めて水津さんに会ったひとはいぶかしんだ。

しかし、本人は「ぼくもね、いよいよ、だめなんですわ。頭に転移したガンがもう手の施しようがなくて、なんの治療もしとらんのですわ。医者からも見放されとります。これから苦しくなってくるんですわ、でもね、ぼくはそれが楽しみなんですわ」とのたまい、それからそこに来ていた若いひとたち(彼にくらべれば、四〇代、五〇代だって若い)相手に、酒を飲み、串カツを食べながら、ずっとおしゃべりしつづけていた。

ぼくはもうなにを聞いても、おどろかなかった。ひょっとして、この人はじつはもう死んでいるんじゃないか。もちろん肉体的に死んでいるわけではないけれど、死者がもはや何者にも傷つけられないように、水津さんもこの世のことでは傷つかないのだ。その意味で彼は死者なのだ。でも、この死者は生きていることが愉しくてしかたなさそうに見える。その生きていることの中には、だまされることや、病気になることや、襲われることや、死ぬことも、もちろん含まれている。

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水津翁(左端)おおいに語る(85歳)

かんたんに書くつもりが、ずいぶん長くなってしまった。どうもブログというのは、どう書いたらいいものか、よくわからないな。けれども、水津さんをめぐる話は、とても書ききれないので、これまでぼくが彼について書いたものや、彼へのインタビュー記事や、まだ書いていない話などを、別にウェブサイトをつくってまとめてアップしたいと考えている。ただ、なるべく、はやくつくらないと、水津さんが死んでしまう。いや、さっき、水津さんはすでに死者だといったばかりだったっけ。まあ、どっちにしても、彼にとっては同じようなものかもしれない。

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コメント

真知さんが旅行人本誌で書かれたことはどれもよく覚えていますが、水津さんのお話は、とりわけ印象的だった回のひとつです。
そうでしたか。いま、そういう状況ですか。
なにか、人生の行く先で問題(と見えること)に当たったとき、「あの人なら、こんなときどうだろう?」と必ず思い出してしまう人っていますね。
水津さんというかたは、多くの人にとってそういう対象として思い出される方のように感じます。

投稿: 三谷眞紀 | 2006年4月17日 (月) 13時05分

>三谷眞紀さま
そうですね。でも、水津さんという方は、他人が問題と見ていることを問題と見ない(見えない)ので、あまり参考にならないかもしれない。いや、むしろそれだからこそいいのかな。問題が問題に見えなければ、問題ではないわけですからね。

投稿: 田中真知 | 2006年4月18日 (火) 03時07分

 「すでに死者かもしれない」というのは面白い表現ですね。
インドネシアのスンバ島には屋根が高く空を突き刺すような慣習家屋が並ぶ村があります。その村には大きな石を使った墓石が家と一緒に並んでいます。墓石の上に載って10分くらい居ましたが村人は「墓石にのってはいけない」と文句をいわない。そこから村の写真を撮ったのですが、日本に帰って現像し、ルーペで写真を見ると、村を歩いている人びとが不思議なことに死者が歩いているように写っていました。
 やはりインドネシアのセレベス島のトラジャでもそこに住む人々はすでに死んでいるのではないか、という思いにかられたことを思い出します。
 ラフカディオ・ハーンが日本は死者が支配する国だ、と何かに書いていましたっけ。
 もしかすると私も、もう死んでいるのかなあ。

では。

投稿: 小松義夫 | 2006年4月21日 (金) 08時25分

>小松義夫さま
エジプトの砂漠に暮らす修道士たちに会ったときも、この人たちは死者のように生きているのだなと思ったものです。死者にならないと見えないこの世の風景というのがあるような気がします。
ハーンはいいですね。ハーンの『日本の面影』という本をときどき読み返すのですが、そのたびにこんな国に行ってみたいという気にさせられます。

投稿: 田中真知 | 2006年4月22日 (土) 09時34分

今日は(5月9日)、兵庫県西宮の山崎忠厚君の家に来ています。彼の版画展が神戸であったので見てきたところです。
もし、連絡もらえるなら上記アドレスへメールください。
今日撮った写真送信します。

投稿: 水津英夫 | 2006年5月 9日 (火) 18時23分

>水津さん

なんと、水津さんご本人からコメント?が来るとは思いもしませんでした。ご本人の話によると、退院されたそうです。パソコンのある方のお宅に行ったら、こちらにも遊びに来てくださいね。

投稿: 田中真知 | 2006年5月11日 (木) 11時17分

 ご無沙汰しております。一昨年の水津さんの会(大阪)でお会いしました、森信雄といいます。
 このブログの日はあいにく出席できませんでした。水津さん宅は昨日も訪ねましたが、お元気です。
 昨年に水津さんに依頼された写真を預かりまして、「旅の仙人写真館」で掲載しております。
 どうぞご覧下さい。
 HP「森信雄の日々あれこれ」の中です。

ブログ「旅の仙人写真館」
http://morinobu19.exblog.jp/
「旅の仙人写真館アルバム編」
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bafhc008/newpage5.html

田中さんの文を読ませていただきました。暖かくて、鋭い分析で、水津さんのいちばんの理解者なんだなあと感じまし
た。私も出来る限りのお手伝いをと思っています。

投稿: モリノブ | 2006年7月 4日 (火) 21時45分

田中さんが旅行人に書かれた記事で水津さんのことを知り、このような旅行者としての先人がいてくれることがとてもありがたく、心を強くしました。その後も、水津さん、どうしておられるのかなあと気になっておりましたので、「旅の仙人 水津英夫、おおいに語る」を嬉しく拝読しました。ありがとうございます。

「旅の仙人・・」にリンクを貼らせていただきました。
http://officesonomama.cocolog-nifty.com/officesonomama/2006/11/post_df11.html

投稿: そのまま | 2006年11月15日 (水) 13時16分

>そのままさま
水津さんページ、読んでいただきありがとうございます。
いまエジプトなのですが、日本に戻ったらまたコンテンツを増やそうと思っています。リンクは大歓迎です。

投稿: 田中真知 | 2006年11月15日 (水) 19時21分

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