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認知症病棟のエナジー・フロー

間がちょっとあいてしまった。今回は、久々に音楽の話。

二週間に一回くらいの割合で、入院している母親の見舞いに出かける。彼女はいわゆる認知症で、入院しているのもその専門の病院である。ただ、記憶はとぎれがちではあるけれど、ある程度、意思疎通はできる。

認知症といっても、その進行度合いはさまざまであり、一見ふつうの受け答えのできる人もいれば、徘徊するひとや、大声を上げる人、まったく意思疎通のできなさそうなひともいる。

見舞いに行くときには、ぼくと奥さんと、都合がつくときには中学生の息子も連れて行く。なんといっても、子供がいっしょだと母親の表情も明るくなるし、会話の間がもつからだ。

ほかの患者さんたちも、子供がいると反応がちがう。とくに、まだ彼が小学生だった頃は、広間に入っていくと、それまで無表情だった認知症の老人たちの顔に明るさや好奇心のようなものがよみがえってくるのがわかった。

認知症の人たちといっても、ほかに疾患がなければ、からだは動く。だから、患者たちは一日のほとんどの時間を病室ではなく、大広間で過ごす。

広間にはデパートの大食堂のようにたくさんのテーブルが並んでいる。ソーシャルワーカーの指導でかんたんな工作をしている人たちもいれば、おしゃべりしているひとたちもいる。

もっとも、大半の人たちは、いすに座ったまま、ぼおーっとしてなにもしていない。大画面のテレビがつきっぱなしになっているが、見ている人はほとんどいない。

この広間のすみにアップライトピアノがある。音楽療法の意味もあってか、ときどき本職のピアニストがやってきて弾いているらしい。息子もピアノを習っているので、見舞いに来たときには、母親(彼にとっては祖母)のためになにか弾くようにしている。とはいえ、ろくに練習しないのでレパートリーはあまりない。

何年か前、義父(彼にとっては祖父)がホスピスに入っていたときにも、彼は談話室にあったピアノを弾いた。ただ、そのとき彼の弾ける曲といったらオッフェンバックの「天国と地獄」だけだった。文明堂のCMで有名な「カステラ一番、電話は二番」という景気のいい曲である。

いくらなんでもホスピスで「天国と地獄」というのもなんだかなあと思ったが、それでも義父はじっと聞いていたし、部屋に引きこもっていたほかの患者さんたちもピアノの音が聞こえると、つられるように談話室に集まってきた。ある人は車いすに乗って、ある人は杖をついて足を引きずりながら、遠巻きにピアノをかこんだ。

その激しいリズムはひょっとしたら患者たちにとって生命そのもののしるしのように響いたのかもしれない。場違いな「天国と地獄」が鳴り出すと、モノクロームに沈んだまま動かなかったホスピスの空気がかき回され、色が満ちてくるような気がしたものだ。それから、ほどなくして義父は、ほんとうに天国に行ってしまった。

それと入れ替わるように、それからまもなく母親が入院した。彼はここでもピアノを弾くようになった。ただ、問題はレパートリーだった。老人が多いのだから、わらべうたとか、古い流行歌でも弾ければいいのだが、そういうのはぜんぜん弾けない。

練習しないものだから、弾けるものといったら、だれも聞いたことのない指の練習曲みたいなのばかりだったが、さすがにこれではまずいと本人も思ったのか、モーツァルトのトルコ行進曲やら、メンデルスゾーンの「狩の歌」くらいが、たどたどしいながらレパートリーに加わった。あと最近になって坂本龍一の「エナジー・フロー」などもぶらさがった。

けれども、ホスピスのとぎすまされた空気の中と、認知症患者たちの中とでは、同じピアノを弾くのでも、ずいぶん様子がちがった。ホスピス患者たちのように音楽にじっと耳を傾ける人はほとんどおらず、たいていはまったく無反応である。

癒しのメロディーであるはずの坂本龍一の「エナジー・フロー」なんかを弾いても、唐突に「ギエー」とか雄叫びが上がるし、音楽と関係なくずっと泣き続けている人もいる。「あー、うるさい、うるさい」とわめき出すおばあさんもいる。たぶん坂本龍一を連れてきて弾いてもらっても、同じようなものだろう。

最初は、息子もそんな特異な雰囲気に少々怖じ気づいていたのだけれど、軽い症状の患者の中には、拍手をしてくれる人もいるし、「よかったわよ」と声をかけてくれる人もいる。

そのうちに彼も開き直ったのか、いくら背後から「あー、うるさい、はやく終わんないかしら」という声が聞こえても、患者の悲鳴があがっても、ガラガラドーンとなにかが倒れる音がしても、もくもくと岩のように弾きつづけるようになった。

あるとき、病院のおやつの時間に、彼がトルコ行進曲を弾き始めた。患者たちの前には、おやつのプリンの皿がならべられていた。

母親はピアノのすぐ後ろのテーブルに座っていたのだが、そのとき一人のおじいさんがふらふらとピアノに近寄ってきた。人の良さそうな顔をしたこのおじいさんは、以前から彼がピアノを弾いていると、ときどき寄ってきてなにやら話しかけたり、ピアノの鍵盤を叩いたりしていた。

ところが、このときは、どういうわけか、ピアノのすぐ後ろの席にいた母親のプリンを取り上げようとした。母親が「なにすんのよー」と声を上げ、ぼくもそばに行って、おじいさんのプリンをとりかえそうとしたのだが、おじいさんは頑として返そうとしない。

騒然とした雰囲気になり、やがて腕っ節の強そうな男性看護士がやってきて、おじいさんからプリンを取り上げようとした。しかし、おじいさんはピアノの鍵盤のところにもたれかかり、身体をよじらせて抵抗する。その間も息子は下を向いて、なにごともないかのように、ごりごりとトルコ行進曲を弾きつづけていた。

「放しなさい! これは○○さんのじゃないの。○○さんのはあっちにあるんだから」と看護士。

「……▲*◎†※&」おじいさんは抵抗する。

「だめですよ、これはタナカさんのなんだから返しなさい!」

「……○§△◇☆※!」

トルコ行進曲がエンディングにさしかかったころ、看護士が強引にプリンを取り上げた。その反動でバランスを崩したおじいさんのからだが、棒でも倒すようにすーっと後ろに倒れたかと思ったら、「グワーン!」とものすごい音がした。おじいさんの後頭部がピアノの角にぶつかったのだ。トルコ行進曲が止まった。

床にあおむけに倒れたおじいさんは放心したように目を見開いたまま動かなくなった。と思ったら、まるでドラマの場面のように頭の下からすーっと赤黒い血が床に広がっていった。息子はピアノのいすに座ったまま、硬直していた。

すぐに看護士が何人もやってきた。

「○○さん、大丈夫ですかあー?」

プリンを取り上げた看護士が声をかけたが、返事がない。まもなく彼は担架にのせられると、どこかに運ばれていった。

それから、しばらく病院に行ってもおじいさんの姿を見かけなくなった。どうしたのだろうかと気になっていたが、何ヶ月かたったある日病院に行くと、いすにすわってぼおーっとしているおじいさんの姿があった。「こんにちわ」と声をかけたが反応はなかった。

久々にいっしょに病院に来た息子は、その日も少しピアノを弾いた。けれども、いつもなら「あー、うるさい、うるさい」というはずのおばあさんも、心なしか反応が鈍くなっていた。これまで拍手してくれていた紙おむつのおばあさんも、あらぬ方向を見つめてぼおーっとしている。

ピアノの黒い筐体から発したたどたどしい「エナジー・フロー」の音符が、尿のにおいをふくんだ生温かい広間の空気の中を、行き場を失ったまま、ただよいつづけていた。

 

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