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夏休みの家 その1

子供時代の記憶の中でも、信州の須坂の家でいくたびか過ごした夏休みの日々は、そこだけ、琥珀の中に閉じこめられたように、ずっと時が止まっていた。その飴色に煙る記憶の底をのぞきこむこともないまま、気がつけば30年もの月日が過ぎていた。

前の記事のコメント欄でもふれたが、須坂の家は父の実家だった。江戸時代半ばからつづく商人の屋敷で、明治期には生糸の仲買いなどをしていたらしい。つくられて250年ほどたつという古い茅葺きの家だったが、幼い頃の自分はもちろんそんなことは知らなかった。

夏休み、母親に連れられてやってくる自分にとってこの家は、たいそう古めかしくて、怖いのだけど、なんだかどきどきする不思議な場所だった。通りに面した、かんぬきのある分厚いくぐり門を入ると、もうその中には、外側とは異質な時間が流れていた。左手には茅葺きの大きな母屋があり、その正面に複雑な枝ぶりの見るからに年老いた松の木があり、その後ろに苔むした石でかこまれた古い池があった。池の背後には、使われていない暗い土蔵があった。

その頃、この家に暮らしていたのは祖母、伯母と従兄、そして叔父だった。祖母は着物を端正にまとい、いつも広い居間の座卓の前に正座して、背筋を伸ばして、しずかに庭の方を眺めていた。

祖母は無口で、喜怒哀楽の表情をあまりあらわさない人だった。ぼくのような孫が来ても、とくに表情を変えることもなく、淡々とした口調で「よくきましたね、おあがり」といって、背筋を伸ばしたまま座卓に置かれていた菓子などを指した。祖母の立ち居振る舞いは子供のぼくから見ても優美だった。立ち上がるときも、歩くときも、座るときも、音も立てず、あたりの空気を乱すことなく、つねに凛としたたたずまいを崩さなかった。

ぼくと母親は、いつも居間のとなりの仏間に寝かされた。ぼくはこの部屋があまり好きではなかった。古い仏壇はとても大きく感じられ、夜寝るときにはその奥からなにかがやってきそうで怖くてしかたなかった。

布団に入ると、夜の薄明かりの中で天井や柱の古い木目模様が、侍の顔に見えてきた。障子を隔てた庭の古池からは、ときどきぽちゃんと水音がした。早く、眠ってしまいたいと思えば思うほど、目はますますさえ、しかも、そんなときにかぎって小便がしたくなるのだった。

夜、小便に行くのは怖いなんてものではなかった。障子を開けると、庭を包む闇がいまにも意志をもって動き出しそうで、ぼくは庭を見ないようにしながら、母屋の端にある便所をめざして暗い廊下をたどった。ただし、便所に行くには、古い鎧甲や色あせた肖像写真の飾られた大きな部屋の前を通らなくてはならなかった。昼間でも一人では怖くて入れなかったくらいなので、たとえ、障子が閉まっていたとしても、その前を通るとには恐怖で身が縮んだ。

黒光りする古い板張りの廊下は、歩くとぎちぎちと音を立てた。けれども、夜、そんな音を立てたら、その部屋をつつんでいる目に見えない何かが目を覚ましそうに思えた。そこで、ぼくはなるべく息をこらし、たのむから起きないでくださいと祈るような気持ちで、すり足をしながらそうっと便所へと足をすすめた。

しかし、この便所も怖かった。電気のスイッチをひねると、薄明かりの下に、中国風の山水画の描かれた陶製の小便器が浮かび上がるのだった。絵柄の中には戯れる唐子の姿があり、それを見ていると便器の中の山水画に引き込まれそうな気がして、目をつむった。おかげで小便はいつもあたりに飛び散ってしまうのだが、そんなことにはかまっていられず、いそいで用を足すと、手も洗わず、一目散に部屋まで逃げ帰った。

そんな怖しさの一方で、この家にただよう、時から隔てられたような神秘的な空気はきらいではなかった。母屋には二階があり、その奥には隠し部屋があるとも聞いていたが、二階へつづく階段はなぜか押し入れの中に隠されていた。危ないから登ってはいけないといわれていたが、こっそり途中まで登ってはその先の濃い闇をのぞき、堆積した古い埃のにおいを吸い込んでは、にわかに怖くなって下の明かりのある間へと逃げ降りてきた。

家の敷地の中には、使われていない蔵や廃屋などがいくつかあった。母屋の裏手には小川が流れていて、その向こう側に崩れかけた蔵と竹藪があった。その竹藪の奥にはさらに材木が重ねられた木材蔵があった。それらの材木はいつ切り出されたものかわからぬほど古く、その先に行くと帰ってこられなくなりそうで、竹藪から奥にはめったに足を踏み入れなかった。庭のところどころに石の手水鉢や、すっかり摩耗して形のわからなくなった灯籠のようなものもあった。

この家を訪ねるたびに楽しみにしていたのは叔父に会うことだった。叔父は日中はいつも鎧甲のある奥の部屋にいて、分厚い碁盤を前に、着流し姿でひとりで碁を打っていた。そのころはたしか30代初めくらいで、教科書に出てくる芥川龍之介に風体や雰囲気が似ていた。碁盤に向かっているとき以外は、ぶらぶらしていて、夕方など、着流しのままふらりと散歩に出ていった。そんな叔父についていっしょに隣の寺のあたりを散歩した。

叔父にはよくからかわれたし、子供好きというわけでもなかったが、それでも叔父のそばにいるのはきらいではなかった。夏休みの宿題をしていると、ふいに叔父がやってきて、「まちくん、アルファ、ベータの次はなんだい?」と聞かれたことがある。ぼくは小学校の低学年くらいだった。「わからない」と答えると、「なんだそんなことも知らないのか、まちくんはバカだね」といって頭をこつんとされた。

お盆近くになると、北海道に住んでいる伯父や、神奈川の伯父も須坂の家にやってきた。しかし自分の父親よりもずっと年長だった彼らといるより、毎日、家にいて碁を打つか、ぶらぶらしている叔父と過ごす方が楽しかった。叔父が、どうしていつも家にいるのかは知らなかったし、なにをしている人なのかも知らなかったが、ぼくにはどうでもいいことだった。

叔父とは庭の木についているセミの抜け殻を集めたり、ひとりでは行けなかった庭の奥の竹藪の中に入ったりもした。けれども、なによりぞくぞくしたのは、どこまで本当なのかわからない家の中に隠された秘密や、蔵に入っているという昔の巻物の話などを聞くときだった。

叔父はおしゃべりではなかったし、話をするときも断片的なことしかいわなかったが、それがむしろこちらの想像力をかき立てた。そんなとき、この家全体が謎めいた魔法にかけられていて、自分はその謎の中に包まれているのだと思うと甘美な陶酔感が胸の中に広がった。その陶酔の中にいると、時がすっかり止まってしまうようで、この夏休みがいつまでも永遠に続くようにすら感じた。

そんなおじにひとつだけ恨みがある。縁側で水木しげるの妖怪の本を読んでいたときのことだ。気がつくと後ろから叔父がのぞき込んでいた。叔父はそこに載っていた全身に毛の生えた妖怪の絵をさして、「それはなんだい?」といった。「つちころびという妖怪だよ」と答えると、「これならあそこに住んでるよ」といって庭の古池の向こうの古い蔵を指した。「5、6匹いると思うよ。昼は出てこないがね」

その夜は、もう怖くて寝られなかった。布団をかぶっても、古池の奥でうごめいている「つちころび」の姿がありありと目に浮かび、泣きたくなった。池の方からぽちゃんという音がすると、身がすくんだ。つちころびがやってきたら、どうしようと、どこに逃げようなどと考えているうちに、涙が出てきた。それ以来、ぼくはもうその蔵にはおろか、古池にも近づけなくなった。(つづく)

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コメント

真知さん

面白い本と出会ったときに感じる独特の感覚というものがあります。それは本を開いて読みはじめたら直ぐに感じるものです。1行目で唸ってしまうような、引きずり込まれるような、そしてその後を読むのが楽しみでしょうがないような感覚です。「夏休みの家」はそれと同じ感覚がありました。でも、読み進むに連れて、すぐに、無性に腹が立ってきました。最初、たぶん、なれないブログという形式で読んだため、本として読みたいという気持ちがあるからだろうと思いましたが、何度か読むうちに、ふと気が付きました。本として読みたいという気持ちの奥には、もっと読みたいという気持ちがあるのです。文章が短すぎて、いっきに引き込まれたにもかかわらず、いっきに追い返されたという気持ちになりました。

たんに、いい文章でしたよとは言えないとてもいい文章でした。

つづくとありますので、この渇きが潤う短編ほどの長さを期しています。

投稿: 河江肖剰 | 2006年8月20日 (日) 20時09分

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