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奥志賀のモーツァルト

須坂の家の話がつづいていたので、今回は気晴らしがわりの幕間。王様の耳そうじ、本来のテーマからどんどんはずれているが、それを悩みはじめると、また休眠状態に入りかねないので、あまり気にしないことにする。

信州に出かけたついでに、まわりにも少し足をのばしてみた。湯田中の先にある渋温泉というところに泊まって、夜、温泉街を歩いていたら、どこかで見たことのあるような旅館があった。

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一階の縁側(右下隅)に妙なものがいるが、ここが、あの映画のモデルになったのだろうか。ちなみに、朝になったらいなくなっていた。

志賀高原にも足をのばしてみた。志賀高原といえば、冬にスキーで来たことがあるくらいだが、夏はどうなっているかというと、なんとかなりの数のホテルが進学塾の貸し切りの夏期講習会場になっていた。道路沿いで目にするホテルというホテルに、「○○アカデミー」という垂れ幕がぶら下がっている。何面もあるテニスコートに塾の生徒らしき中学生や高校生が集合して、炎天下で弁当を食べていた。これも夏期講習の一環なのだろうか。

志賀高原でも、いちばん奥の奥志賀高原まで行くと夏期講習もなくなって、ひっそりとしている。チベットとまではいわないけれど、吹きわたる風はかるく、さわやかで、歩いているだけで胸が広がって呼吸が深くなる。夏の高原がこんなに気持ちのよいものとは思わなかった。

なだらかな丘の上に教会を思わせる木造のモダンなつくりの平屋の建物が見える。観光案内所でもらったチラシによると、「森の音楽堂」というコンサートホールとのことだった。数日後には小澤征爾もここで振るらしかった。中を見学したかったが、「室内楽の練習のため、関係者以外立ち入り禁止」と看板が出ていた。もっとも、練習しているらしき音は聞こえない。

昼も過ぎているし、せっかく、こんな気持ちのいいところまで来たのだから食事をしようと奥さんがいう。ぼくは、こういうところのレストランは、高くて、まずいよ、それより町で食べるところを探そうと提案すると、そんなこといってラーメン屋にでも行くつもりね、志賀高原まで来て、そんなのいやよとわがままをいう。ラーメンをバカにしてはいけない、小澤征爾だって中国で生まれ育ったんだぞと諭すが、そういう問題じゃないといわれ、しかたなく音楽堂のすぐそばの高級そうなリゾートホテルに入る。

レストランはどこですかとスタッフに聞くと、2階にフランス料理のレストランがありますという。そうか、フランス料理か。すこし緊張して2階に向かう階段を上がる。

フランス料理というのはどうも好きではない。「オマール海老のガスパッチョのココット仕立てのトリュフソースとバジル添えプロバンス風」とか名前だけはたいそう立派で、皿もやたら大きくて立派なのに、そこにのっている量といったらほんの一口で食べられるくらいだったりする。そのくせ、値段は名前と同じくらい立派で、その上にサービス料なども立派に上乗せされていたりして、立派すぎて騙されたような気がしてくるのだ。

学生の頃、初めてフランスに行ったとき、パリのレストランに一人で入ったものの、メニューが読めずに適当に注文したら、出てきたのが全部チーズだったことがある。前菜チーズ、メインもチーズ、デザートもチーズである。それも赤カビやら青カビからすごいのばかりだった。いくらなんでもこちらが言葉が不自由で困っていることくらいわかるだろうに、それを無言でそのまま持ってくるとは、なんて意地の悪い奴らだと思ったものだ。それにくらべると、パリのアルジェリア・レストランは親切だった。メニューの説明も、こちらにわかるようにゆっくりとしてくれたし、ウエイターは笑いかけてくれたりもした。もし、ここにアルジェリア料理店があれば迷わず入るのだがな。

そんなことを思いつつ、階段をのぼってレストランの入り口につくと、白いシャツに黒いエプロンのボーイがすまして立っている。入り口にはメニュー表もない。入り口から店内の様子もうかがえないし、なんとなく気後れさせられる雰囲気だ。せめて「今日のランチ」というのでも看板に出ていたら、値段のチェックもできたのだが、それも許されない。

だめだ。危険すぎる。ボーイに声をかけられてしまったら、もう逃げられない。しかし、急に足を止めて引き返すのもしゃくである。このまま吸い込まれるしかないのか。

と、そのときレストランの入り口の手前左に下に向かう階段があるのが目に入った。ボーイの視線がこちらに向けられる前に、間一髪、左へ折れて階段を下る。ちょっと、どこ行くのよと、背後で奥さんの声がするのを無視して足早に下まで降りるとそこはホテルの裏庭だった。巨大な空調装置がうなりを上げ、芝生のはげた地面にこわれたベンチが転がっている。

あそこはだめだ、とぼくはいう。どうしてよ。あそこは小澤征爾も食事するんだ、メニューだって出ていない、小澤征爾はきっと値段なんかみないで注文するから入り口にメニューなんていらないんだ。そんなところに、うかうか入っていったら、やつらの思うつぼだ。なにわけのわからないこといってるのよ。ほかのところにしよう、とにかくフランス料理は危険すぎる。

そのホテルから数百メートル離れた高台に、アルプスの山小屋風のホテルがあった。テラスもあり、雰囲気も明るそうである。こっちのほうなら、いいかもしれない。こんどは逃げないのよ、と奥さんが釘をさす。逃げるなんて人聞きの悪いことをいう。

山小屋風ホテルは新しいらしく、雰囲気もいい。高原をのぞむオープンテラスにパラソルのあるテーブルが並んでいて、小さな子供をつれた家族連れが何組か食事している。こっちはイタリアン・レストランだった。値段も手頃だった。

テラスに出ると、かわいた風がさわやかで、緑が目にまぶしい。目の前には目の覚めような緑の丘がゆるやかな起伏をなして、遠くの森までつづいている。丘のところどころに白樺や楡の木立が影を落としている。その影の中で昼寝している人がいる。遠くでカッコウの鳴き声がする。料理も、思いのほか量もあり、しかもおいしい。幸福感がこみあげてきて、気持ちも大きくなってくる。

町なかのラーメン屋かなんかにしなくてよかったでしょ、と奥さんがいう。そうかもしれない。もし、そっちになっていたらと思うと、ありえたはずの場面がリアルに浮かんでくる。赤い文字で大正軒とか書かれている戸をガラガラと開けると、へい、らっしゃいと声がかかり、壁のテレビでやってる高校野球中継を横目で見ながら席につくと、すぐさまおかみさんがテーブルを拭きにやってくる。テーブルの下にはラーメンの汁を吸ってよれよれになったスポーツ新聞やちょっと古い週刊誌。調理場では、ときどき中華鍋がジューッと音を立てて炎を吹き上げ、舞い上がった油っこい熱気が天井の蛍光灯をとおして、薄い霧のように店内に広がってゆくのが見える。勘定を終えて外に出ると、待っていたかのようにむっとした外気が体を包む。そこを大きなトラックが黒い煙を吐き出しながら通過し、あとに残された生温かい排ガスが顔をもわっとなでてゆく。その想像のほうが目の前のさわやかな高原の風景をかき消してしまうほど、現実感をともなっているのが悲しい。考えるのはもうやめよう。

食事の後、高原を散歩する。こういうところでは貴婦人ならば日傘をさして散歩するのがならいだが、日傘をもってこなかったので奥さんは雨傘をさして散歩している。しばらく、高原を歩き回ったり、木陰で寝ころんだりしていると、ふと彼女が、風の中にかすかに音楽が聞こえるという。ふだんのこの人らしからぬ詩的な発言におどろく。どうしたんだ。頭が変になったんじゃないのか、と心配になる。聞こえるわよ、聞いてごらんといわれ、高原のひんやりとした風の流れに耳を澄ませる。でも、なにも聞こえない。

なにも聞こえないよ。そんなことないわ、聞こえるわよ。そこで、もういちど、目を閉じて耳を澄ます。けれども耳に届くのはさわさわという空気の流れだけである。やっぱり聞こえないよ。そうなの、ひょっとして顔面神経痛やったせいで耳が遠くなっちゃたのかもしれないわね。なにが聞こえるの? 音楽、バイオリンみたいな高い音。どっちのほうから? あっちのほうと彼女が丘の向こうを指さす。行ってみよう。

丘を歩き出してしばらくすると、風に乗って、かすれるような弦の音がかすかに耳をよぎった。音は、さっきそばまで行った「森の音楽堂」のほうから流れてくる。室内楽の練習が始まったのかもしれない。なだらかな斜面を音楽堂に向かって下っていくと、下から風に乗って弦の調べが吹き上がってくる。妙な感じだ。
 
音楽堂のホールは、幾何学的な半球を伏せたようなかたちをしている。内部は木の質感を生かした板張りで、壁に大きく開けた窓から、やわらかい午後の光がさしんでいる。その澄んだ光の中でバイオリンやチェロを手にした4人が、聞きおぼえのある旋律をくりかえし練習していた。モーツァルトの弦楽四重奏曲の一節だった。だが、その耳慣れていた旋律が、これほどしみいるように聞こえるのは初めてだった。ぬくもりのあるあたたかい響きにしても、ふくよかな音のひろがりにしても、かけぬけていくような疾走感にしても、これほど美しく聞こえるのはおどろきだった。

生演奏だし、木造の丸いホールの音響効果がすばらしいせいもあるだろう。だが、それ以上にこの夏の高原にモーツァルトが、こんなにも似合うとは思いもよらなかった。モーツァルトの音楽がもつ、とどまるところなくどこまでも無辺に広がりつづける無邪気で軽やかな躍動感が、ここでは寸分も去勢されることなく、目の見える動きのなかに浸透していく。風のそよぎや、アゲハチョウの舞や、形を変えながら流れていく雲の動きのなかにモーツァルトがしみいっていく。

しばらく、ホールの窓の外にあった折りたたみ椅子に腰掛けて、流れる雲の影を映す山々を眺めながら、ホールの外にあふれだしていく、だれのためでもない調べに耳を傾けていた。その音の流れの中を一匹のカラスアゲハが黒い羽を光にきらめかせながら舞いつづけていた。自然が惜しげもなく美を蕩尽していくように、モーツァルトの音楽も人知れず湧く泉のように自然の中にあまねく広がっていくのが、なによりふさわしいありかたなのかもしれない。ふくよかで豊かなその調べは、高地の希薄な空気の中に広がって、それが大地や木々や生き物の息として吸い込まれ、さらに微細に浸透してその細胞の隅々までを精妙な振動で満たす。夏の奥志賀で聴いたのは、そんなモーツァルトだった。
 
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コメント

フランス料理、確かにそうですね、同感。東京でフランス料理店の店主(フランス人)が経営がうまくゆかず、腹いせに放火という事件があったなあ。
フランス料理はパリでもやっぱり入るのに警戒します。パリのフランス料理も何だか怪しいのが多い。田舎のフランス料理は安心。もっというと、街道筋のトラック運転手のための昼食メニューの店は満足を通り過ぎて、あきれるほど店が気前がよい。大満足Aプラスです。

先週LPレコードプレーヤーを買って伊豆の倉庫家でミニコンポにつなげてボリュームをあげてブラームスを聞きました。ミニコンポではパワーがない。不満。時間があれば中古の150Wくらいのパワーがあるアンプを買い、やはり中古でパワーのあるスピーカーでボリュームをフルにしてジプシー音楽その他を聞きたい。周りに家が無い山の中なので迷惑にならない、と最近気がついた。若いころの夢だったんですね、フルボリュームで聞く、ということが。夢がすぐそばにあり、実現可能なことに気がつきました。中古を探す時間があれば、の話ですが、、、。ネットで検索(こんなことが出来る時代になったのだなあ)でもしてみるか。やっと40日くらい日本に居れそうです。

パリではアラブ人街、ロンドンでは中華街が食事スポットでした。街道筋のトラック運転手用の店とは聞くからによさそうですね。これまでうまかったフランス料理というと、マダガスカルの海岸の町で食べたやつを思い出します。
フルボリュームで音楽を聞くというのは、考えてみるとやったことないです。フルボリュームというとエジプトのアザーンを思いだし、本能的な警戒感がもたげてしまいます。

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