« 夏休みの家 その4 | トップページ | ダンディな男にはパパイヤが似合う »

夏休みの家 その5

須坂の家の広間には古い箪笥と座卓、それに黒光りした柱にかけられた古時計くらいしか調度品はなかった。その片隅に地味な和服を端正に着こんだ祖母が背筋を伸ばして座っている姿は、まるで古くからそこにはめ込まれた風景のように違和感がなかった。

薄暮のせまる頃、明かりをつけるにはまだ少し早いくらいの頃合に広間をのぞくと、一瞬そこにいる祖母の姿に気づかぬことさえあった。祖母がそっと目をあげると、その瞬間、薄闇に埋もれていた祖母の気配がふいに甦るのだった。独りでいるとき祖母の魂はこの家に溶けこんでいて、だれかがやってくるとふいに、こちらの世界に帰ってくるかのように思えたものだった。

だからだったのか、祖母が亡くなったという知らせを聞いたときも、おどろきや悲しみはなかった。人の死をこれほど自然に、特別な関心もなく、かといって無関心でもなく、あたりまえに受けとめられたのは、いま思い出しても、あのときだけだったかもしれない。

夏休みの終わりで、ぼくは中学三年生になっていた。この数年、須坂を訪れていなかったし、家庭や学校や高校受験のことなどが頭の中の大半を占めるようになっていたこともあって、須坂の記憶はすでに、すっかり奥の方にしまいこまれていた。

葬儀に出るために、ぼくは父と二人で須坂へと向かった。父にとってはじつに二十数年ぶりの帰郷だった。学生時代に須坂を出て以来、父はいちども帰省したことがなかった。

父は両親にずっと恨みを抱いていた。自分の父親が亡くなったときも葬式には行かなかったし、今回の知らせがあったときも、おれは行くつもりはないといった。母がいれば代わりに葬儀に出ただろうが、その母はこの年の春に、家を出ていた。伯父からは再三、父に葬式に出るようにと電話がかかってきた。結局、父も重い腰を上げざるをえなくなった。

ぼくには数年ぶりに訪れる須坂の家がどうなっているのかということよりも、二十何年ぶりに帰郷する父の目に、須坂の家がどう映るのかが気になった。

父が両親を恨んでいた理由は、母から聞いたことがある。父は大学生のとき、検事になりたくて司法試験の勉強に集中したかった。ところが、父親が学費を出してくれなかったため、アルバイトに明け暮れることになり、結局、試験どころではなくなってしまった。それで以後、父親とは死ぬまでいっさい会わなかったというのだ。母親については、もっと情けない理由だ。父が子供の頃、ズボンの尻が破けてしまった。ところが、母親はそれを見ていながら、繕おうとしなかった。そのおかげで恥をかいたので、生涯恨みつづけていたというのである。いずれにしても、そんなことで一生恨みに思って葬式にも出ないというのも、なんだかなあと思う話である。

慢性アルコール中毒だった父は、飲んでいないときには、神経が高ぶるのか、たえずいらいらしていて、家族の前ではちょっとしたことで感情を激しく爆発させ、手が付けられなくなることもしばしばだった。難を避けるため、ぼくも小さい頃から父の微妙な顔色の変化をすばやく察知する術を磨いてきた。このときも、恨みを抱いていた実家への帰還ということもあって、歩いているときも、列車に乗っているときも、ずっと父の表情や仕草をひそかに観察していた。だが、父の感情を読みとることに慣れていたつもりだったぼくにも、父がなにを感じているのかは見てとれなかった。

祖父の葬式のときには、船を思わせる大きな白木の祭壇が、まばゆいほどの白い光の海に浮かび、そのまわりは一面の花で埋め尽くされていた。濃密な香の匂いの中に、金属のふれあうようなきらびやかな音が降りそそぎ、灰色の和服に白い帯をしめた祖母が祭壇のかたわらで、まるで船出を待つ船頭のようにしずかにたたずんでいたはずだった。

ところが、いま祖母の葬式を目のあたりにして、ぼくはそれが幼心にきざまれた幻の映像だったことに気がついた。死化粧をほどこされて横たわる祖母の前には特別な祭壇もなければ、そこに灯された明かりもまばゆいというにはほどとおい、ありふれたものだった。香の匂いはただよっていたものの、ぼくの記憶の中にある、途方もない祝祭のような光あふれる雰囲気を思わせるものはなにもなかった。そのとき、あらためて小さい頃の自分が、この家でのできごとを内なる想像の光に照らして見ていたこと、そしてそれが祖母の死によって完全に過去のものになったのを知った。

葬式が終わってかたづけられた広間には、あたりまえのことだが、祖母の姿はなかった。それはたんに祖母がいないというだけでなく、祖母の姿をかりて、その気配を表していたなにものかが、完全に見えなくなったという感覚だった。いつも祖母がすわっていたあたりに開いていたはずの、この家の神秘にいたる穴が祖母の死によってふさがれてしまったかのようだった。広間には、町田の伯父や、北海道の伯父、それにこの日ばかりは黒いスーツを着ていた着流しの叔父、それに父の姿などがあったが、彼らさえも、その穴への入り口で踏み迷っているかのように見えた。

父は、久しぶりに顔を合わせた伯父たちと淡々と、あたりさわりのないことばをかわしていた。その表情からはなつかしさも恨めしさも見てとれず、むしろ事の核心をさけるために互いに細心の注意を払っているという印象を受けた。祖母もそうだったが、この家の人たちは概して無口で、感情を表に出さないのがつねだった。なにか問題があっても、それをあえて問題としてとりあげずに、時間の中に塗りこめてしまおうとするのが、この家の伝統なのかもしれなかった。伯父たちは、父がなぜ母と来なかったのか、どうしてこれまでいちども帰ってこなかったのかについても、いっさいふれようとしなかったし、父もなにもいわなかった。

家そのものの印象もずいぶん変わった。母屋の台所や水回りは修繕され、薪で沸かしていた風呂もガス釜にタイル張りの浴槽に変わっていた。その一方で、使わなくなってしまった部分は朽ちるにまかされていた。土間には埃だらけになった釜や錆びた包丁や食器が蜘蛛の巣の中に埋もれていた。古いものと新しいものが、うまく折り合えぬまま、お互いを無視し合っているような居心地の悪さが家全体をつつんでいた。

葬式の翌朝、庭を散策した。小さい頃、果てがないように思われた庭も、歩いていくと意外とすぐに敷地の境目である土塀につきあたった。このくらいの距離を、かつては無限に遠く感じ、奥へ歩を進めるたびに、自分の想像力に押しつぶされそうになっていたのだった。それから、幼い頃、「つちころび」という妖怪がいると叔父にいわれた古池の奥の味噌蔵や、裏庭にころがっている石灯籠や、竹藪の奥の材木蔵などを丹念に見てまわった。自分はもうこの家に来ることはないかもしれない、と感じていたからかもしれない。

庭の奥から戻ると、母屋の手前の小川のたもとに父が一人でぽつねんと立っていた。子供の頃のことでも思い出していたのかもしれないが、ぼくに気がつくと、あわてたように急に「トマトがなっている」といって、足下になっていた赤くなりかけたトマトの実を手を伸ばしてもぎとると、おいしそうにかじりついた。ぼんやりとしているところを見られた照れ隠しだったのかもしれない。

「食べられるの」と聞くと、父はもう一つトマトをもぎとってさしだした。アルコールが切れていたためだろう、その手は小刻みに震えていた。わたされた固いトマトをシャツの裾でぬぐってから、かじりついた。青臭い苦みが口の中に広がって、とても食べられたものではなかった。「うまいだろ、これが本当のトマトだ」そういうと父はまたトマトにかじりついた。そのトマトも青くて、見るからに苦そうだった。「うまいな」と父は顔をしかめながらいった。「うん」とぼくも顔をしかめながら答えた。
(つづく)

***

やれやれ長くなった。つぎでおしまいです。その前に次回はまた幕間話で。

|
|

« 夏休みの家 その4 | トップページ | ダンディな男にはパパイヤが似合う »

「雑記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21644/3402249

この記事へのトラックバック一覧です: 夏休みの家 その5:

« 夏休みの家 その4 | トップページ | ダンディな男にはパパイヤが似合う »