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夏休みの家 その4

記憶とは、かならずしも新しくなるほど鮮明さを増していくというものではないようだ。須坂の家の記憶にしても、近所のTくんをともなって訪れた小学四年の夏休みを境に、それ以後の日々については、思い出せることが極端に少なくなってしまう。あのあとも、二、三度、夏に、あの家を訪れているはずなのに、記憶の引き出しから取り出せるのは、どこか干からびかけた、よそよそしい映像ばかりだ。

おそらくあの年の夏休みを最後に、ぼくは自分の内に灯した小さなランプをかざしてあの家を見るのをやめてしまった。この家の中にも、外と同じ時間が流れているのだと漠然と感じるようになったことで、それまで永遠の形象のように見えていたこの家に生じつつあった微妙なきしみを、ふとした拍子に感じるようになった。

それはたとえば、分厚い萱葺きだった屋根がトタン張りに変わっていたり、いつも赤々と炎を燃やしていた土間の土造りの竈に蜘蛛の巣が貼っているのを見たときだったりした。庭を流れる小川を挟んだ向こう側にはいつからかプレハブの離れが建てられ、叔母と従兄弟たちが暮らすようになっていた。家のここかしこから仄暗い空間が影をひそめ、それとともに闇の中でしずかに息を凝らしていたものたちの気配もしだいに薄れていった。

それでも廊下の奥まりにある便所や、鎧甲のある奥座敷だけは昔と同じく、時のうつろいから取り残されたようにひっそりと息をしていた。鎧甲のある奥座敷では、以前より歳はとったものの、変わらぬ着流し姿の叔父が、分厚い碁盤の前で腕を組んでいた。

叔父はあいかわらず気軽に声をかけてくれた。だが、もはや叔父にからだごとぶつかっていくような年でもなかったし、働きもせずに碁ばかり打っている叔父を、まわりがどんなふうに見ているのか、ぼくにもなんとなく感じられた。

叔父が東京の大学を三カ月でやめて須坂に戻ってきたこと。以来、働くこともなく、遊び人のような暮らしをしていることなども、いつのまにか知るようになっていた。だからというわけではないが、須坂を訪れても、以前ほど叔父と話さなくなっていたし、叔父もどこへ出かけたのか夜になっても戻ってこないことがあった。

だが、大広間で和服で座っている祖母だけは、以前とほとんど変わらなかった。周囲がどんなにざわついていても、祖母のまわりだけは、つねに水を打ったような静けさが支配していた。そんな祖母にぼくは畏怖さえ覚えたものだった。

まだ幼かった頃、夏の夕暮れ、庭で見つけた虫を祖母に見せようと大広間に行った。祖母はいつものように背筋を伸ばして正座し、うつろなまなざしでじっと庭を眺めていた。庭を眺めていたのか、あるいは物思いにふけっていたのかはわからない。ただ、子ども心にも、そこになにか侵しがたい気配をおぼえて、ぼくは声をかけられず、その場に立ちすくんだ。すぐ目の前にいるのにもかかわらず、祖母がおそろしく遠いところにいるように感じたのだった。

しばらくして祖母のほうがぼくに気がついた。祖母は口元にかすかな笑みを浮かべたものの、目の表情は虚ろなまま、「まあちゃん、どうしました?」としずかにいった。そういわれても、ぼくには祖母がすぐそこにいるようには思えなかった。

そうだった。祖母はすぐそこにいながら遠い人だった。ほとんど記憶のない祖父とはちがって、いまでも祖母の立ち居振る舞いや、ゆっくりとした話し方、少ししわがれた声は、はっきり思い出せる。幼い頃には、祖母の布団で寝たこともある。にもかかわらず、自分が祖母と同じ空間の中にいると感じたことはなかったように思う。祖母が身にまとっている目に見えない気配は、あるいはこの家を包み込んでいる物の怪めいた気配と通じていたのかもしれない。

あるとき、祖母に手相を見てもらったことがある。祖母にそんな能力があることなど知らなかったし、どうしてそんなことになったのかも覚えていないが、たしか、その場には帰省した伯父や従兄弟たちもいた。眼鏡をかけた祖母は、伯父−−つまり自分の息子−の手をとり、しばらく眺めてから、ぽつりと「○○歳」とある年齢を口にした。それは生命線から読み取れる寿命を意味していた。

祖母は、伯父や従兄弟の手をとっては、無表情な声で「○○歳」とその人生の終わりをつぎつぎと告げていった。祖母がどういうつもりで、そんなことをしたのかわからない。祖母が「○○歳」とつめたく告げるたびに、ぼくは恐ろしさで身が縮む思いだった。
 
やがて、怖れていたことが起こった。祖母はぼくのほうを向くと、ぽつりと「まあちゃんも、見てあげましょうか」といったのだった。心臓が止まりそうだった。そのころぼくは小学校の低学年くらいだったはずだが、それでも祖母の告げる歳がなにを意味しているかは理解していた。だが、動転していて、いやというゆとりさえなく、気がつくとぼくは手を祖母の前にさしのべていた。祖母はぼくの手のひらに黙って視線を落とした。手を引っ込めたかったが、力が入らず冷や汗がにじんでくる。と、次の瞬間、あっけないほど淡々とした口調で、祖母が「○○歳」と告げた。全身の力が一気に抜けていった。

祖母はかけていた眼鏡をはずすと、もう手相のことにはふれなかった。手相なんてあてになりませんよ、という一言でもあったならば、少しは気も楽になったかもしれないが、祖母はなにもいわなかった。ああ、ぼくは○○歳に死ぬのだ。祖母がいうのであれば、まちがいないのだろう。あきらめと悲しみの入り交じったなんともいえない虚しさが、心の奥深くの水面に音もなく波紋を広げていった。
(つづく)

***

また、あと2回くらい。夏が終わってしまう。

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コメント

手相による運命って信じていないけれど先日、とある詩人と仕事した。彼は手相をみるのが得意で、正確運命をいい当てる、という。私のを見たい、といったので両手を見せたが、、、、。

ルーマニアで仕事した人が、別れるときポラロイドで私の手を撮りたい、というので左手の甲を出した。甲は汚れていて美しくなかったので手の平を撮ることにした。手の平を見せたら彼がアッという。彼の左の手を見せてもらったら、手相が彼と全く同じといってよいほど似ていた。二人ともその結果に少しあきれて別れた。

手相を見られたことはなんどかありますが、祖母といい、たいていろくなことをいわれません。あなた振られたでしょとか、鬱っぽいとか、意志が弱いとか。まあ、当たってないとはいいませんが。

ちなみに右手の手相がひらがなの「て」という字のようになっているので、これは珍しいと思って学生のとき、友人に自慢したら、そいつも同じ手相だった。けっこうどこにでもいるみたいです。ただインドの思想家のクリシュナムルティの手相の写真を見たことがあるのですが、両手ともみごとな「て」の字で驚いたことがあります。

その、とある詩人の方はなんといったのでしょうか?

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