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2006年11月

「のだめ」のこと

久しぶりに音楽の話。帰国してみたら、なぜかテレビの写りがひどく悪くなっていた。楽しみにしていた「のだめカンタービレ」もこれでは見られないではないかと思ったら、ふだん音楽にほとんど関心を示さない奥さんが、きれいに録画された「のだめ」のDVDを、自分の妹から送ってもらっていた。「のだめ」のコミックもいつのまにか本棚に16巻まで並んでいて、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ていいわよねえ、なんてのたまわっている。

その曲ならこれまでだって、家でなんどもかけていたはずだが、本人の記憶にはまったくないらしい。あの甘美な第二楽章が流れているときに、洗濯物をたたみながら、こういう穴の開いた靴下は捨ててちょうだいよ、それにこのパンツ、ゴムがよれよれよ、これじゃずり落ちてきちゃうんじゃない、これも捨てていいわよね、などとぶつぶついっていたことも、よもや覚えてはおるまい。

もっとも、映画やドラマを通してその曲のよさに気づくというのは、専門家にしても変わらないようだ。ずいぶん以前、モーツァルト毒殺説を扱った「アマデウス」という映画が公開されたとき、音楽評論家の吉田秀和が作家の大岡昇平に、あの映画を見てモーツァルトの音楽はあらためていいなあと思った、といったようなことを話しているのを読んだことがある。

高名な音楽評論家ですら、映画のような物語の中で音楽を聞くと感激するのだから、そうでない人ならなおさらだろう。純粋に音だけでその曲のよさを味わうなんてことは、じつはあまりないのかもしれない。その曲を弾いているひとがハンサムだからとか、美人だからとか、諏訪内晶子だからとか、高木綾子だからとか、村治佳織だからとか、三村奈々恵だからとか、ちょっとジャンルはちがうが山中千尋だからとか、自分にはよくわからないのだが、そういう理由でCDを買う人がいるらしい。たまたま偶然、気づいてみれば、自分もこうした人たちのCDをわりと持っているのだが、もちろん自分の場合、純粋にその演奏に惹かれたからだということは強調しておきたい。

ちなみに、外国などにいて日本の事情がわからない人のために書いておくと、「のだめカンタービレ」とは、クラシック音楽をモチーフとした、いま日本で大ヒットしているマンガであり、現在テレビドラマ化されて放映中である。悪臭に満ちたゴミためのような部屋の中で人並み外れた美しいピアノを奏でる変人音大生・野田恵(通称のだめ)と、指揮者をめざすエリート音大生・千秋をめぐって集まる変人音楽家たちの人間模様を描いた作品である。

クラシック音楽を取り上げたマンガというと、これまではたいてい浮世離れした王子様やお姫様みたいな主人公が出てきたり、猛練習でピアノの鍵盤が血に染まっているとか、嫉妬のあまりバイオリンの弦に毒を塗ってライバルを陥れるといったエピソードがあったり、不治の病を隠していた主人公が演奏を終えた直後、倒れて絶命するといったゴシック・ロマンスぽいものが多かった気がする。けれども「のだめカンタービレ」は、クラシック音楽をリアルな日本の生活感と結びつけ、しかもギャグ満載のコメディーにしてしまったという点で類を見ない。

音楽マンガに傑作が少ない理由の一つに、マンガからは音楽が聞こえてこないからということがいわれる。いくらコマのなかに音符を書き入れようと、ロックコンサートの場面でギターソロやドラム演奏の場面を「ギョワーン」とか「ズダダダ」といったオノマトペとともに描こうが、やはりそこから実際の音楽はなかなかイメージしにくい。昔はよく、レッドツェッペリン物語とか、ピンクフロイド物語といった読み切りのロックバンドの伝記マンガがあったものだが、これとてもそこから彼らの音楽が聞こえてくるほどの迫力は、なかなか感じられなかった。

しかし、「のだめ」の場合、音楽が聞こえてくるのだ。聞こえてくる、というと語弊があるが、聞こえてきても不思議はないような気にさせてくれるのだ。たとえ、その曲を知らなくても想像がわいてきて、その曲を聞いてみたくなる。こういう音楽マンガはこれまでなかったように思う。ただ、これを読むようになってから、奥さんまでが(芸のない)のだめ化してきているのが、すこし気になる。

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エジプトの酒がおいしくなったこと

エジプトが元気である。なにが元気って、ビールが本当に美味しくなった。1990年代の後半まで、この国の国産ビールといえば「ステラ」という銘柄だけだった。ただし、その味はといえば、しょっぱい石けん水といったかんじの、なんともいえないもので、しかも、瓶によって内容量もばらつきがあれば、味もしょっぱかったり、酸っぱかったりとばらばらだった。いまはステラの味もずいぶん進化したが、90年代初期にはステラを買うのはクジをひくようなものだった。

アレキサンドリアのホテルでこのステラを注文したことがあるのだが、1本目はコップに注ぐとビールなのに不気味に白濁していた。こんなのは飲めない、べつのをもってこいと2本目を頼むと、今度はすっかり気が抜けていて、まったく泡が立たない。これもだめだと3本目を頼むと、今度は中に白い絆創膏のようなものが浮遊している。やれやれ、これもだめかと、それでもしつこく4本目を頼む。こんどは黒ビールでもないのに色が茶色っぽく、すえたような臭いがする。かんべんしてくれよ、と5本目をたのんで、ようやく本来のしょっぱい石けん水の味のするステラが出てきた。

ところが、勘定をしようと請求書を見ると、なんと五本分の金額が書かれている。おい、こんなので金取るのかと、ウエイターに食ってかかる。ウエイターはすました顔で、だって五本注文したではないかという。そうじゃない、どれもこれも腐っていたから代わりのを持ってこさせたんじゃないか、こんな腐ったビールでカネをとるつもりとは信じられないというも、相手は腐ってなんかいないという。腐っていないというのならこの白く濁ったやつや、この中に変な物が浮かんでいるやつを飲んでみろ。ところが、ウエイターは自分はムスリムだから酒は飲めない、だからこれが腐っているかどうかもわからない、ともかくあんたは五本注文したのだから、その分を払えと言い張る。

らちがあかない。そこでマネージャーを呼びにやって、五本のビールをそれぞれコップに注いで、その色や臭いをたしかめさせた。ところが、やってきたマネージャーは、まったく気の抜けたビールを一口含むと、あろうことか「ノープロブレム」とのたまわった。ウエイターが横で勝ち誇った顔で、こっちを見てにやついている。やれやれ。ともかく、こんなビールに断じて金は払わないといって、一本分の金だけをおいて立ち上がり、そのレストランをあとにした。うしろからミスター、ミスターと声をかけられたが、無視してそのまま店を出た。

さすがにこういう経験は一度だけだが、ふだんでもステラを1ダース買うと、一、二本はたいていハズレがあった。それでも、ステラはまだよかった。ワインにはさらに凄みがあった。エジプトは歴史的にワイン発祥の地である。だから名前も、クレオパトラとか、ファラオとか、プトレミー、オマル・ハイヤームといった、いかにも歴史的な重厚感のあるネーミングがなされていた。ところが、これらのワインを飲んだ翌朝は、かならず重厚感のある頭痛、ときには吐き気に悩まされるのがつねだった。

それでもワインはまだよかった。問題はエジプト産のウイスキーだった。下町の酒屋の店先には一見、スコッチによく似たボトルのウイスキーが並んでいた。ところが、その名前をよく見ると、Johnny Walker(ジョニー・ウォーカー)とあるべきところが、Black Johnny (ブラック・ジョニー)となっていたり、White Horse かなと思ってよく見ると、White House (ホワイトハウス!)であったり、Ballantine (バランタイン)かと思ってよく見ると、Valentine (バレンタイン!)だったりした。

ボトルの形や、ラベルのデザインはよく似せてあるので、一見だまされそうになってしまうのだが、当時、これらには絶対手を出してはいけないという大使館からの通達があったほどだ。というのも、その頃エジプト産ウイスキーを飲んでドイツ人が視力障害を起こしたという噂がささやかれていたからである。

だが、こうしたエピソードも昔話になりつつある。数年前から酒造産業に民間が参入し、ドイツのノーハウでのビール造りが行われるようになって、エジプト・ビールは生まれ変わった。ステラも前に比べれば飲める味になったし、品質も一定してきた。SAKARA GOLD(サッカラ・ゴールド)という国産ビールはピルスナー系のビールとして十分満足できるレベルに達している。

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ビールだけではなく、ワインも進化した。これまでエジプトのワインは、ワイン通にいわせればとてもワインと呼べるしろものではなかった。後味が薬くさく、添加物だらけなのが素人にもわかるような人工的な味で、おまけに翌朝には激しい頭痛がもれなくついてきた。けれども、2005年に発売されたというChateau des Reves(夢の城)という赤ワインは、チリワインを思わせるワイルドなコクと香りのある良質のワインである。ボトルもおしゃれだ。エジプトもここまでできるようになったのかと、初めて口に含んだときは少なからず感動した。頭痛のおまけもついてこなかった。

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ただ、これまで泡の立たないステラや、頭痛ワインを飲んだときに感じた、ああエジプトだなあという不愉快と愉快のいりまじった独特の感慨が失われていくのは、なんとなく寂しい気もするのだが、酒好きにとってエジプトの愉しみがひとつ増えたことにはまちがいないので、まあよしとしよう。ちなみに、オマル・ハイヤームとか、プトレミーといった従来のエジプトワインもラベルデザインを変えて中身は昔のままで売られているので、頭痛とともに昔のエジプトを懐かしみたい人は、こちらもどうぞ。

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エチオピアでサングラスをかけると

エチオピアからエジプトに戻ってきたので、ようやく更新できる。エチオピアのネットは回線速度がえらく遅いうえ、ホームページの表示すらままならなかった。

さて、エチオピアに入って早々にメガネを落として割ってしまった。目が悪いのでメガネがないと、ほとんどなにも見えないのだが、幸い、度付きのサングラスを持ってきていたので、それをいつもかけることにした。かなり濃いレンズなのだが、日の光がとても強い土地なので、昼間は快適である。

問題は夜である。エチオピアの夜は暗い。田舎に行くと街灯もない。そこにサングラスをかけると、もう真っ暗である。でも、サングラスを外すと物の輪郭が曖昧になり、暗い霧の中を歩いているようで、足下の石さえはっきり見えない。サングラスをかけると、もっと暗くなるのだが、物の輪郭や遠近感はなんとかつかめる。仕方なく真っ暗闇でサングラスをかけて歩く。芸能人みたいだ。

夜、部屋に入ってもサングラスをはずせない。エチオピアの宿の部屋というのは、どこもとても暗い。安宿だと、たいてい40ワット電球が一つだけである。そこに濃いサングラスをして入ると、もう闇の中である。部屋なのだからサングラスをはずしてもいいのだが、昼間撮影した写真をパソコンに読み込んだり、本を読んだり、書き物をするには、やはり裸眼だと見えにくいのでサングラスをかけてしまう。しかし、やはり世界が暗いと、どうしても陰気な気分になってくる。

それならビールでも飲みに行くかと外に出る。もちろんサングラスをかけているから、夜道はひたすら暗い。しかも、エチオピアのバーがまたどこも異様に暗い。40ワットの電球に赤いセロハンを巻いてあったりして、裸眼でも暗すぎると感じるのに、サングラスをかけていると、もう闇の中の手探り状態である。料理を頼んでも、闇鍋状態で、ビールのコップが汚れているのかどうかもわからない。

取材で写真を撮影するときも困った。山の中にある岩窟教会をめぐったのだが、岩を掘りぬいただけの教会なので中はとても暗い。もちろん電灯などない。壁画を見るために、僧が棒の先にローソクを灯して掲げてくれるところもあるが、こっちにはなにも見えない。ガイドが「みごとなものでしょう」というが、真っ暗なのでなんともいえない。とりあえずストロボをたいて撮影して、あとで見て、へえ、こんなものだったのかと納得したりする。

そんなふうだったから、室内の写真は失敗も多かったのだが、それでもなんとか取材を終えて首都のアジスアベバに戻ってきた。アジスアベバの宿は、エチオピアでも屈指の由緒のあるホテルなのだが、古い建物なので天井が高く、そこに例によって40ワットの裸電球がぽつねんとぶら下がっている。サングラスをかけたままだと、本を読むにも、パソコンで文章を書くにも、暗すぎて作業にならない。

そこで電気屋で150ワットの電球を買ってきて付け替えてみた。すると陰気な馬小屋のようだった部屋が、空港免税店の化粧品売り場のように煌々とした眩しい空間に生まれ変わった。裸眼だとやや明るすぎの感もあるが、サングラスをかけるとちょうどいい。さらに、もうひとつ使われていない電球ソケットがあったので、そこにも電球を買ってきてねじ込んだところ、パーティー会場のようになった。やはり、光は人間の心をゆたかにしてくれる。

アジスアベバも首都とはいえ、夜はまだまだ暗い。宿のあるピアッサという地区は、ブンナベットと呼ばれる、いかがわしい飲み屋が軒を連ね、麻薬の売人やポン引き、娼婦も多い界隈である。アフリカの都会の中では治安がよいほうだといわれているとはいえ、夜に歩くにはやや緊張する。ましてサングラスのせいで視界はほぼ真っ暗である。行き交う黒人の顔もほとんど真っ黒くつぶれてなにも見えないので、襲われたりしたらいやだなあと思いながら足早に歩く。

でも、真っ暗な中、サングラスをかけているのは、周りの人間にとっても奇妙に写るようで、「そんなんで見えるのかい」と聞いてくるあんちゃんもいる。そんなときは、そのまま無言でニヤリと笑うと、たいていそれ以上はなにも聞いてこない。

サングラスをかけていると、こちらの目の表情を読まれない。ふだんは、それがフェアじゃない気がして、めったにサングラスはかけないのだが、こうして何週間も昼も夜もかけっぱなしだと、だんだん慣れてくる。サングラスをかけると、大胆な行動にも出やすいことに気がついた。仮面をしているようなものかもしれない。

エチオピアはどこへ行っても、子供がうるさい。それもあいさつ代わりに、いきなり「ユー、ユー、ブル!」(おい、おまえ、カネ!)といってくる不届きなガキも少なくない。下校時の小学生の集団などに出くわすと、そのうち1ダースくらいがいつまでもついてきて、ずっと「ユー、ユー、ブル!」とか「ファランジ、マネー(ガイジン、カネ!)」と口々にいってくる。根性の悪いのになると、ポケットに手を突っ込んでくるやつもいる。彼らはべつに乞食やストリートチルドレンではなく、いたってふつうの小学生である。

いったい、どういう教育を受けているのか、となんどもこういう状況に出くわすたびにやりきれない思いでいたのだが、あるとき、アジスアベバ郊外の布市場で買い物していたときに、やはり同じ状況になった。そこはちょうど小学校の門のところで、折しも授業を終えた小学生たちが一斉下校するところだった。そろいの緑のセーターを着た彼らは、めざとくこちらの姿を見つけると、さっそく「ユー、ユー」「ブル!」「マネー!」と口々に叫びながら、まわりをとりかこんだ。

最初は無視していたが、やがてその中のいたずら好きがこっちのカバンをつついたりする。周りの大人が追っ払うが、何十人もの集団にふくれあがった小学生どもはもはや別の生き物と化していた。

「ユー、ユー」「ブル、ブル!」「マネー!」

濃いレンズの奥から彼らの顔を一人ひとりじっくり見回し、それから数を数えながら深呼吸をゆっくり五回くりかえす。

「ユー、ユー」「ブル、ブル!」「マネー!」

以前見たことのあるエチオピアの飢餓に苦しむ子供の写真を思い浮かべ、マザーテレサの祈る姿を思い浮かべ、行進するガンジーの姿を思い浮かべ、苦行する仏陀像を思い浮かべ、コーランの冒頭の文句や般若心経などを心の中で唱え、心の中に広げた半紙に「慈悲」という文字をゆっくり書いてみる。

「ユー、ユー」「ブル、ブル!」「マネー!」

つぎの瞬間、ぼくは足下にあった大きな石を手に取り、それを地面にたたきつけた。子供たちがさっと数歩下がった。ぼくは顔を上げると、校門からなおもはき出されてくる子供たちの流れをかきわけながら、学校の校舎にむかった。ファランジ! ファランジ!とまわりじゅうで歓声があがった。その子供の歓声の中を、ひたすら無言で校舎に向かい、最初に目に入った大人に声をかけた。先生か、と聞くと、うなずくので、これまでたまっていた思いの丈を、息せき切って英語でまくしたてた。

あんたの学校では子供たちにマナーというものを教えているのか。それとも、見も知らぬ外国の大人にいきなり「カネ、カネ」といいなさいとでも教えているのか。英語では、あいさつはハローというんだ、だが、このガキども、いや、このお坊ちゃまがたは、カネ!というのが挨拶だと誤解しているらしい。あんたも教育者なら、こんなふざけた態度を子供たちが平気でとることを同じ国民として恥ずかしく思うべきではないか。エチオピアが立派な国になるためにも、子供たちにきびしくマナーを教えてほしい。ユーユーだとか、ブルブルだとかいうのは、失礼なことだということを子供たちにちゃんと教えてもらいたい。見れば、この子たちはむずかしそうな英語のテキストをもっているけれど、一番の基本はちゃんとした礼儀正しい挨拶をできるようにすることではないのか。

こちらの剣幕に押されたのか「先生」は少しおどおどしていた。それでもときどきうなずいたり、眉をしかめたりして、こっちの話に共感はもってもらえたようだった。たしかに手応えを感じて、ぼくはさらに子供の教育について持論を展開した。子供たちがまわりをドーナツ状にとりかこみ、ファランジーとか、ユーユーといった嬌声が飛び交っていた。校門のところからは町の人たちが事の成り行きを見守っていた。

「先生」がなにかいいたそうにしているので、ぼくは言葉を切った。言い分があるなら聞こうではないか。「先生」は、アイ、アイとかいいながら、申し訳なさそうに小首を振った。それから片手をあげて、イングリッシュ、リトル……と小声でいった。イングリッシュ、リトルって……だって、あなた、うなずいていたじゃないですか!

ひょっとしてなにもわかっていなかったのか。そこで「キャン・ユー・アンダースタンド・イングリッシュ?」と聞くと、「先生」は照れくさそうな笑みをうかべて、目をぱちくりしている。

あなた先生ですよねと、ぼくは念を押した。すると「先生」はそれもわからないというふうに首をふった。どうやら最初から適当に返事していたらしい。ぼくはまわりの子供に向き直って、「先生」を指さしながら「ティーチャー?」と聞くと、みんな首を振る。なんだよ、じゃあ、だれなんだよ、この人は。「先生」は申し訳なさそうな顔をして、そそくさと行ってしまった。たまたま校庭にいた関係ないひとだったらしい。がっくり。。。

ハア、と大きなため息が出た。どっと疲れが押し寄せてきて、ぼくはその場にうなだれた。いったい、自分はなにをやっているのだろう。さっきまでの興奮がすっかりしぼんで、脱力感だけが残った。近くの木の枝で鳥が鳴くのが聞こえた。

そのとき、不意にぼくの手が握られた。顔をむけると、坊主頭の男の子がぼくの手を取り、白い歯を見せて笑っている。反対側でべつの男の子がもう一方の手を取った。すると、まわりの子供たちも、競って手を伸ばし、ぼくと手をつなごうとした。

ぼくは先ほどまでさんさん腹を立て、ののしっていた子供らを両手いっぱいにぶら下げるようにしながら、複雑な思いで校門を出た。後ろからファランジ、ファランジとはやし立てる声が追いかけてきた。通りすがりの大人たちがじっと見ていたが、そのときサングラスの奥でぼくがどんな目をしていたのかは、彼らにもけっして想像つかなかったことだろう。

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