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2006年12月

クリスマス・スペシャル 後編

前回に引きつづき、マンガの後編の2篇。

3 KEPLER'S DREAM


4 SNOWMAN SHANGRI-LA


解題というわけではないけれど、17世紀の天文学者ヨハネス・ケプラーは『夢(ソムニウム)』というタイトルの月世界旅行記を書いている。いまでいうSF小説の先駆けとなった奇妙な作品だが、この本を入り口として、透徹した観察者としての面と、太陽系を星々の奏でる交響楽の場としてとらえるほどのロマンチストの面をあわせもったケプラーという人物に惹かれていった。

占星術師でありながら、占星術を否定した近代科学者でもあったケプラー、魔女として弾劾された変わり者の母親のもとに生まれたケプラー。オカルトにとりつかれたルドルフ2世の宮廷で占星術師として活躍したケプラー。孤独で、不器用で、人に教えることが不得手だったケプラー。惑星運動の法則を導き出すとともに、地球が太陽のまわりを歌いながらまわっていると考えたケプラー。最後は貧困の中、旅先で死んでしまったケプラー。冬の夜空を見上げていると、ケプラーを思い出す。

雪だるまの人形を焼くのは、ヨーロッパの春迎えの儀式。20年くらい前、ゾルターン・フサーリクというハンガリーの映画作家がつくった「カプリッチョ」というタイトルの短編映画を見たことがある。その中にそんな春迎えの儀式が詩的に描かれていた。どんな話だったのか、ほとんど思い出せないのだけれど、そのシーンだけはよくおぼえている。


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クリスマス・スペシャル 前篇

ずっと消息を知らなかった古い友人からメールが来た。20年ぶりだった。メールには、昔の手帳を調べていたら、あなたの描いたマンガが出てきてなつかしくなった、とあった。おどろきが4割、なつかしさが4割、それに照れくささと切なさが1割ずつ。

そのマンガのことは覚えている。20代の初めにかかわったニューエイジ系の雑誌に描いたものだ。編集者から「新しい雑誌を創刊するのだけれど、なにか書かないか」といわれ、即座に「マンガを描かせてください」とお願いした。マンガなど、いたずら程度でしか描いたことがなかったにもかかわらず、意外にも要求はすんなりと受け入れられた。

2号目から掲載が始まった。1ページものの読み切りを2篇。しかし、雑誌が3号でつぶれてしまったため、連載は2回しかつづかなかった。そして、これが自分が公に発表した唯一のマンガになった。

友人からメールをもらってから、押し入れの中を引っかき回し、やっとその雑誌を見つけた。たま出版というところから1982年に創刊された「メビウス」という雑誌だった。表紙には、オカルト、ニューサイエンス、古代文明、アート、インド、精神世界といった、いまにしてみれば時代を感じさせるキャッチコピーが並んでいる。だが、あらためて目次を見ると、なかなかの執筆陣である。

表紙イラストはいまは亡きタイガー立石。書き手には、作家の宮内勝典、のちの『複雑系』の訳者で科学ジャーナリストの田中三彦、アンドルー・ワイルの紹介者でもある上野圭一もいる。対談コーナーには五輪真弓や石川セリが出ている。連載マンガ陣には、いまだにコアなファンの多い故・坂口尚もいる。なつかしい「日ペンの美子ちゃん」(!)の広告もある。よく、こんなところに平気で挟まっていられたものだと、少し冷や汗が出る。

で、せっかく雑誌が出てきたので、クリスマス・スペシャル(?)ということで、そのマンガをスキャンしたものを2回にわたって公開します。ちょっとクリスマスっぽい内容といえなくもないので。

1回2編×2号分の計4編のうち、今回は最初の2編。
 


1 MOONY CIRCUS


2 MOON CHILD

 

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宇宙徘徊流転の旅へ

このブログでも紹介したことのある旅の仙人、水津英夫さんが12月8日の朝、旅立たれました。


水津さんが世界中を旅をされていたころ、ご自宅に電話しても、たいてい留守でした。

だから、私のなかでは、水津さんはいつも留守の人でした。

水津さんが旅立ったときいても、その不在の感覚は私にとってはなじみ深い気もします。

これまで水津さんのいないところで、彼について語ってきたように、これからも彼について書いたり、語ったりしていくことにはかわりありません。

かつて、旅をしている友人にあてて、届くかどうかわからない手紙を、大使館気付けで送ったように、これからも、あなたに手紙を書きつづけるでしょう。


道中、お気をつけて。


よい旅を!

水津英夫、おおいに語る

旅の仙人写真館(棋士・森信雄さんのサイト)

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ラッキーチェンジ、プリーズ

あっというまに12月である。クリスマス・バージョンに模様替えしてみた。

あいかわらずテレビは映りが悪く、チャンネルによっては白黒でしか写らないところや、雨がざーざー降っているようなところや、ほとんどなにがなんだかわからないところもある。アンテナを動かすと少しよくなったり悪くなったりする。なんだか昔のテレビみたいで、ちょっと懐かしくもある。

仕方なく、比較的映りのいいチャンネルをつけるが、それがたまたまバレーボール中継だった。ふだんとくにスポーツを好んでみるわけではないが、日本が負けているとやはり悔しい。といっても、相手の方が明らかに実力が上の場合、そうかんたんには勝てないのもわかる。でも、なんとかして逆転できないだろうか。控えの選手をいくら投入しても、この点差をひっくりかえし、試合の流れを変えるのは困難だろう。自分のチームを急に強くすることはできないのだ。だとすれば、逆に考えればいいのではないか。つまり、相手チームを弱くすればいいのである。でも、どうやって?

そのとき、ひとつの画期的なアイディアが浮かんだ。選手交替についての新ルールを設けるのだ。ふつう選手交替というと、自チームの選手を替えることである。しかし、これを逆にする。つまり、相手チームの選手を替えられるようにするのだ。しかも、その交替要員には、実力的にほかの選手に比べてかなり劣る人、つまりまったくの素人を投入できるようにするのである。たとえば、野球でヤンキースとの試合であれば、センター松井に替えて、場内整理のおじさんかだれかを、そのポジションに入れる。ただし、彼は交替要員として入ったおじさんは、ヤンキースの一員として真剣にプレーしなくてはならない。

当然、そのおじさんは敵チームから狙われることになるだろう。しかし、そのとてつもないギャップというか、ハンディをほかの選手たちがカバーして勝利をめざす。それこそがプロのチームワークの見せ所というものではないか。

現実の世界はヤンキースでもなければ、オールスターチームでもない。会社ひとつとってみても、かならずそこには使い物にならない社員というのがいるはずだ。だが、そういう、いびつな存在をかかえつつも、そのハンデをカバーして仕事を進めるのが正しいビジネスのありかたではないか。

現実社会では、MFロナウジーニョ、FWロナウジーニョ、DF田中真知、という組み合わせだってありえる。このときDFを無視したり、スポイルしたりしてしまえば、それはいま問題になっている「いじめ」になってしまう。だが、逆にDFをみなでカバーして結果的に勝利できたとすれば、それは観客により大きな感動と笑いをもたらすだろうし、いまの子供たちの教育にも大きな効果が期待できることはいうまでもない。ルールをちょっと変えるだけで、いじめ問題まで解決できてしまうのである。

問題は、この交替の権限を、いつ、どのようにして、何人まで行使できるようにするかである。制限なくルールを行使すると、ヤンキースがあっという間に草野球チームレベルになってしまいかねない。ピッチャー、ランディー・ジョンソンのほかは全員素人というのも、営業的にはまずいだろう。また、ピッチャーが素人というのもまずい。そのあたりを整備する必要がある。

また、どんなときにその権利を行使できるかというのも決めておかなくてはなるまい。クイズ番組だと、アタックチャンスとか、ボーナスタイムといった、唐突にもたらされるご祝儀的な権利が存在するが、これを取り入れるのも一案である。仮にそれを、ラッキーチェンジとでも呼ぼう。野球の実況放送であれば、おっと、ここでラッキーチェンジとなりました。ワンアウト、ランナー1、3塁のこのチャンスで、ははあ、やはりイチローを替えますねえ、イチローに替えて田中真知がバッターボックスに入りますね。これで試合の行方がわからなくなりました……というふうに、試合に不確定の要素を加えるのである。

話変わるが、いまの日本の閉塞感は、所詮なにも変わらないんだというニヒリスティックな諦観が根底にあるせいのようにも思う。しかし、スポーツにこのルールを導入することで、たとえ弱者であっても、大きな試合を動かせるということが世に示される。大量得点差があろうと、実力がどれほどちがっていようと、このルールを導入することで運と采配によって、どんな困難もひっくり返すことができるのだという希望が、国民の心に宿るのではないか。そうすれば、いじめだって、格差社会だって、あるいは人種差別だって民族紛争だって怖れることはない。自由と公平という名の下に、資本主義的な強者の論理がまかりとおっている現代の国際社会にあって、スポーツを変えることによって世界が変わるかもしれない。。。

テレビが映りにくくなって、バレーボールを見ていたことでスポーツばかりか世界を変える案を思いついてしまった。でも、これで本当に変わるんだろうか。。。

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