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クリスマス・スペシャル 後編

前回に引きつづき、マンガの後編の2篇。

3 KEPLER'S DREAM


4 SNOWMAN SHANGRI-LA


解題というわけではないけれど、17世紀の天文学者ヨハネス・ケプラーは『夢(ソムニウム)』というタイトルの月世界旅行記を書いている。いまでいうSF小説の先駆けとなった奇妙な作品だが、この本を入り口として、透徹した観察者としての面と、太陽系を星々の奏でる交響楽の場としてとらえるほどのロマンチストの面をあわせもったケプラーという人物に惹かれていった。

占星術師でありながら、占星術を否定した近代科学者でもあったケプラー、魔女として弾劾された変わり者の母親のもとに生まれたケプラー。オカルトにとりつかれたルドルフ2世の宮廷で占星術師として活躍したケプラー。孤独で、不器用で、人に教えることが不得手だったケプラー。惑星運動の法則を導き出すとともに、地球が太陽のまわりを歌いながらまわっていると考えたケプラー。最後は貧困の中、旅先で死んでしまったケプラー。冬の夜空を見上げていると、ケプラーを思い出す。

雪だるまの人形を焼くのは、ヨーロッパの春迎えの儀式。20年くらい前、ゾルターン・フサーリクというハンガリーの映画作家がつくった「カプリッチョ」というタイトルの短編映画を見たことがある。その中にそんな春迎えの儀式が詩的に描かれていた。どんな話だったのか、ほとんど思い出せないのだけれど、そのシーンだけはよくおぼえている。


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「雑記」カテゴリの記事

コメント

ケプラー、、、。勘違いかもしれませんが、昔プラハ旧市街の小路でケプラーの顔の銅版(ブロンズ?)を何だか知れず、一応撮った記憶があります。ケプラーの法則、というのが頭にあってシャッターを押したきり、ケプラーについてなーんも調べず忘れていました。あれは(銅版は)一体なんだったのだろうか。1977年のことです。

ケプラーの母が魔女とされた、、、1600年ごろの話だと思いますがヨーロッパの魔女狩りの歴史って我々の想像を超えていますね。
言葉として「魔女狩り」はよく使われますが、、、。集団イジメといったらおかしいのだろうか。

投稿: 小松田 堂鐘 | 2006年12月28日 (木) 08時40分

>小松田堂鐘さま
ケプラーは、ティコ・ブラーエに招かれてプラハに行き、その死後はルドルフ2世の宮廷にいたのでプラハとの縁は深いはずです。銅版はその記念碑かもしれませんね。昔、テレビでやったカール・セーガンの「コスモス」という番組で、そのあたりのことが再現ドラマになっていました。

魔女狩りはたしかに集団イジメですね。ケプラーの母親は、薬草を売っていたそうです。薬草を扱う者は、いまでいうハリポタみたいな古い魔法に通じていると疑われ、魔女として告発されることが多かったようです。キリスト教権力による非キリスト教的世界観の排除だったのでしょう。

投稿: 田中真知 | 2006年12月29日 (金) 16時35分

 突然のコメント失礼します。水津英夫さんのご逝去を知り、インターネットで検索していたら、このブログに行き当たりました。誰かに水津さんの話がしたくて、失礼とは思いながら、書き込みをさせていただいています。(書き込みは初めてなので、ちょっと要領を得ませんが・・)
 私が水津さんに会ったのは、今から22年前の85年の2月、稚内のユースでした。実はその日そのユースには、水津さんより年上のおじいさんが泊まっており、その方は当時より仙人の風貌で、水津さんはまだ旅の初心者といった感じでした。でも、みんなで親しく話をするうちに、毎年年賀状をやりとりするようになり、お会いしたのはその時だけなのに、何故かいつもとても身近に水津さんを感じていました。(親戚にすごいおじさんといった感じかな)
 時には海外から、時には自宅から、その時々で、旅先の写真をつけて年賀状をいただき、就職して思うように旅ができなくなっていた私には、毎年水津さんの年賀状が楽しみで楽しみで、自分が旅をしている気分になっていました。これまでいただいた葉書は、ファイルに入れてすべてとってあり、私の宝物になっています。
 昨年の葉書では入院中とのことで、心配していましたら、今年私が出した葉書が、「転居先不明」で戻ってきてしまい、嫌な予感がして、インターネットで検索し、訃報を知りました。
 水津さんは、きっと今、世界中を自由に旅しているんだなあと思います。いつものように飄々と。でも、もう私の元には、水津さんの笑顔を写真が届かない。それがとても寂しいです。
 水津さんのご冥福を心より祈ります。
 

投稿: 松本順子 | 2007年1月 8日 (月) 15時21分

>松本順子さま
そうですか。古い旅のお知り合いだったのですね。85年というと、まだ自動車で日本をまわっておられたころでしょうか。

突然届く水津さんからの絵はがきは、私にとっても楽しみでした。こんなところに、という思いがけないところで、あっけらかんと旅をしている彼の姿を知るにつけ、松本さんと同じように、自分もまた旅の中にいるような気持ちにさせられたものです。

水津さんの旅したあとには、まるで花咲爺のように、人の輪が咲いていきます。こうして思いがけなくコメントをいただけて、とてもうれしく思います。ありがとうございます。

投稿: 田中真知 | 2007年1月 8日 (月) 22時49分

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