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ただの喪主だと思うなよ その1

また、しばらく更新が止まっていた。待っていてくださった方には申し訳ありませんでした。いっそのこと「季刊」にしてしまえばという妙案をくださった方もいるが、さすがにブログで季刊はないよなあ。
 
ところで、この夏、母親が亡くなった。喪に服していたからというわけではないのだけれど、それもあってつい更新が滞ってしまった。

身内の葬式は経験があるが、喪主になるのは初めてだった。他人の葬儀に参列するのとはちがい、葬儀を出す側になるというのがこんなにたいへんだとは思わなかった。臨終のその瞬間から、つぎつぎとやることが押し寄せてきて、それらをいちいちクリアするだけで手一杯になる。肉親の死を悲しんでいる余裕などない。 

まず、臨終から30分もしないうちに病院から連絡を受けた葬儀屋が病室にやってくる。「このたびはまことにむにゃむにゃ……」という挨拶も早々に、さっそく葬儀の段取りを慣れた口調で説明しはじめる。

「とりあえず、すぐに火葬場をおさえなくてはなりません。いまからだと、この日とこの日なら、なんとかなると思います。しかし、この日となるとその前日に葬儀となりますね。ところが、あいにく仏滅なんですよ。となると、その次に可能なのはこの日になりますこの季節は火葬場が混んでいるので、できるだけ早く押さえておきたいのです。これでよろしいですか」

「はあ……それでいいと思います」

といっても、こっちは、まだ頭がうまく切り替わっていないので、ほとんど機械的に返事をしている。それを知ってか知らずか葬儀屋はどんどん話を進めてゆく。

「わかりました。では、いまこの場で予約を入れさせてください(葬儀屋は携帯電話を取り出す)。あーもしもし、○○ですが、いつもお世話になっておりますう、はいー、あのー○月○日の空き状況はどうなってますう、あー、そーですか、わっかりましたあ、では、○日の午後はどうですかあ、ああ、空いてますか。じゃあ、押さえといていただけますか、はい、喪主様のお名前はたなかさまです、田んぼの中のたなかさまです、はいー、おそれいりますう、はい、はい、どーも」

会話だけ聞いていると飛行機の予約みたいである。電話が済むと、「この日になりました。そうなりますと、間が3日空きますが、夏なのでご遺体が傷みやすいので、当社の方で特別な処理を施すことをお薦めします。方法には3種類ございまして、ドライアイスだけのものと、ご遺体の内部に特殊な防腐剤を注入させていただきまして、お顔も整えてという方法と、さらに最近開発されました最新の技術もございます、お値段や具体的なことは会社の方でご説明させていただきます……」

「はあ……」

会社に着くと、葬儀の規模をどうするか、祭壇はどれにするか、供える花はどれにするか、食事はどうするか、メニューはどうするか香典返しの品をどれにするか、受付は誰に頼むか、あいさつはどうするか、休憩室はどうするかなどについて、それぞれの担当者が次々にやってきて説明をはじめる。何種類も分厚いパンフレットを渡され、それらをぱらぱらめくりながら説明を聞く。

葬儀後の精進落としのメニューは洋食中心のものや、寿司がメインのもの、和食の弁当ものなどがある。それぞれ「清風」「香峰」「山吹」などと名前がついている。葬儀屋はさりげなく「香峰」がよく出ているようですよ、などというので、「じゃ、それでお願いします」といってしまう。

つづいてこんどは香典返しをタオルギフトセットにするか、それともお茶の詰め合わせセットにするかについて説明を受ける。葬儀屋は高級そうな品を指して、最近はこちらの「思ひ出」のセットがよく出ているようです、などという。

そのとき値段を見てはたと気づく。なんで、ただのお茶と海苔のセットなのにこんなに高いんだ。これならタオルの詰め合わせの「団欒」セットで十分ではないか。しかし、だいたい、葬式でもらったタオルなんて使っている人はいるのだろうか。

そんなことを考えているうちに、だんだんしゃきっとしてくる。いったい、母親が亡くなったその日に、なんでタオルの詰め合わせセットやら、お茶のセットのカタログをこんなに真剣に見なくてはならないのか、その理不尽さにやりきれなくなるが、ここでぼーっとしてしまったら葬儀屋の思うつぼである。その手には乗るまいぞ。葬儀屋が「思ひ出」を薦めるのを断り「団欒」に決める。ただの喪主だと思うなよ。

それにしても祭壇にしても花にしてもいかにも高い。自分が死んだときは葬儀なんてしなくてもいいと思っていることもあって、なんで祭壇が何十万もするんだよ、なんで花輪が一つ3万円もするんだよとつっこみたくなるが、親戚なども呼ばなくてはならないし、そう文句ばかりいっていられない。

葬儀は一般的な仏式にする。ただ、どの宗派の坊さんにお経を上げてもらうかを決めなくてはならないといわれる。母親はとくに信心深くもなかったし、どこかの檀家に入っていたわけでもないので、宗派はとくにこだわらないと答える。

「これから檀家に入られる予定はありますか?」

「いや、まだなにも考えていないのですが……」

「それならこのあたりだと○○院というのがあるのですが、そこの坊さんに来てもらいましょうか」

「○○院とはなんですか?」

「若い坊さんたちがつくっている宗教法人です。お寺の家に生まれて仏教の大学は出たものの、次男坊や三男坊なので親の寺を継げないといった人たちが作っているんです。ほとんどの宗派の坊さんが集まっていて、いわば坊さんの人材派遣会社みたいなもんです」

「はあ、そんなのがあるんですか?」

「ええ。○○院のお坊様にお経上げてもらったからといって、そのあと檀家に入らなくてはならないということはありません。一回限りのお付き合いです。どの宗派であっても、お布施とお車代とお膳料のセットですべて込みで25万。最近では檀家に入りたがらない人たちも多いので、けっこう人気あるんですよ。で、何宗にします?」

「うーん……」

葬儀屋の説明だと、このあたりだと真言宗と曹洞宗が多いとのことだった。とくに深い考えもなく真言宗に決めた。すると、次に戒名をどうするかという話になった。

「○○院でおつけしていただく場合、○○信女だと10万、○○大姉だと30万、○○院○○姉だと50万となっています。まあ、これは人それぞれお考えもありますでしょうし、四十九日の法要の際にお位牌を作るときまでにお決めになってくだされば大丈夫です、お位牌ですが、こちらも我が社で取りそろえてありますので、仏壇や掛け軸などとあわせて担当係の者にご案内させます。リーズナブルなお値段のものからご用意してございます……」

うーん、なんと葬式とは金がかかるものなのか。それも波状攻撃のように、次から次へとよくわからない出費が出てくる。

(長くなりそうなので、いったん切ります。「そんなこといって、これまでも続きを書くといってそのままになっている話があるじゃないか!」というお叱りもいただいているので、今回はあした続きを載せます。話が話なので、あまり生々しい部分については流してあります。ではまたあした)

 


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コメント

このたびはご愁傷さまです。

先日、妻の祖母(94歳)が亡くなったので通夜と葬式に行ってきました。結婚してから出る親族の葬儀は、これまでと全く視点が変わりますね。なにせ「出す方」ですから。

妻の実家は広島市内なのですが、それでも血縁・地縁の濃さは、大きな都会とはかけ離れています。葬儀の準備や費用も大変だったろうと思いました。おまけに、なけなしの遺産をめぐってか知りませんが、生臭い人間関係が表面下でとぐろをまいているらしく、それに直面し対応しながら進むのが葬儀の日々でした。

それにしても戒名を価格で差別化しているとは…。
葬儀屋と寺にはちょっと辟易しますね。

ご愁傷様です。。

投稿: ダ | 2007年11月 9日 (金) 15時40分

真知さん、この度はご愁傷様です。

2007年9月12日 (水)に

>真知さん、更新を心待ちにしているのですが…。

と投稿した者です。
事情を存じ上げなかったとはいえ、自分勝手なコメントを
してしまい、本当に申し訳ありませんでした。

実は私も6月に父親の危篤状態に遭遇しました。それまでは本当に
仲が悪かったのですが、リハビリ中の父に今は何となく優しく
接するようになりました。あれだけ喧嘩ばかりしていたのに、
不思議なものです。弱りきった父親を見るのが切なかったのも
ありますが、今自分が父親のことを気にかけている分、きっと
父も自分のことを今まで気にかけてきてくれたからだろう、
また、自分に自信が持てない面もあったのですが、大筋で正しかったんじゃないか、と素直に思えるようになりました。


今は父の必死のリハビリ(療法士さんからは「死ぬ気で頑張って下さい」とハッパをかけられています。)を目に焼き付けておきたい
と思います。

真知さんも大変でしたね。切ない年末になるかもしれませんが、
これから寒さが厳しくなる季節、どうかご自愛下さい。

投稿: さっちゃん | 2007年11月 9日 (金) 17時03分

>ダさま
ありがとうございます。都会ですら葬式はたいへんなのですから、規模の大きい田舎ではたいへんでしょうね。もっとも、田舎の場合はご近所がチームで手伝ってくれたりということもあるのでしょうね。もっとも親族も含めて人間関係が密な分、生臭さもいちだんと強烈そうですが。

>さっちゃんさま
病気をきっかけにお父様にやさしく接せられるようになってよかったですね。
ふだん、ひとはお互い有限の時間を生きているということを忘れがちなのだけど、そのことがふとリアルに感じられるときがあって、そんなときはなんとなくやさしくなれます。

ぼくの場合、母との関係は何十年も絶望的にひどかったのですが、認知症になって母からいろんな記憶が抜け落ちてしまった最後の一年は、彼女のなかから何十年も見たことのなかった無垢なやさしさが浮かび上がってきて奇跡でも見るような思いでした。
ただ、そのときには記憶を介した会話がもうむずかしくなっていたのがざんねんでした。
>自分に自信が持てない面もあったのですが、大筋で正しかったんじゃないか、と素直に思えるようになりました
そう思えるようになってよかったですね。
ぼくがいうまでもないですが、お父さんといろんな話をしてあげてくださいね。

投稿: 田中真知 | 2007年11月12日 (月) 02時36分

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