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ただの喪主だと思うなよ その2

「あした続きを」といいつつ遅れてしまいました。すみません。

葬儀は無事終えたが、こんどは戒名をどうするかで頭を悩ます。個人的には戒名など不要と思っていたが、一応『戒名とは何か』といった類の本を図書館で何冊か借りてきて読んだところ、ますます戒名なんていらないという思いを強くした。

しかし、戒名をとらないとなると、何かの折に、なぜ戒名をつけないのかを説明しなくてはならなくなりそうだった。結局悩んだ末、その面倒を省くため、10万円の「○○信女」というのをとることにする。まったく、なんのための戒名なのか。

それが終わるとこんどは仏壇である。父はすでに亡くなっているのだが、うちには仏壇がない。父の葬式のときは、母が喪主だったのだが、夫婦仲が悪く、20年以上別居していたという事情もあって、結局、葬式はあげたものの、父には仏壇もなければ墓もない。そのあたりの事情に踏み込むと生々しくなるので省略するが、結局、父の骨は弟と木槌で砕いて、海にまいた。墓もつくらなかった。

ところが、母親の仏壇をどうするかということになって、そういえば父親の位牌はどうしたのだろうということが気になってきた。父の葬儀のあと、ぼくは当時暮らしていたエジプトに戻ってしまったので、そのあたりの事情がわからない。ふつうは四十九日のときに白木の位牌を本位牌にとりかえるのだが、おそらく父については、そんな手続きもしていないだろう。

それでも、葬儀屋からもらった父の白木の位牌や骨壺は残っていたはずだが、あれはどうなったのだろう。そこで当時母親と同居していた弟に訊いてみたところ、たぶん、位牌も骨壺もおふくろがゴミの日に出してしまったようだというので、さすがにのけぞった。おかあさん、そこまでやるか!

その後、四十九日の相談のことで葬儀社に行ったとき、お父様のご位牌はいまどこに安置されているのですかと訊かれる。さすがに正直には答えにくいので、いやあ、いまどこにあるかわからないんですよ、と口を濁したら、葬儀屋は、それはよくないです、お位牌は故人そのものなんですよ。かならずどこかにあるはずですから、しっかり探してあげてくださいと説教される。ますます、ゴミの日に捨てたなんていえない。

葬儀屋でまた分厚い仏壇やら仏具のカタログを渡される。ショールームにも案内されて、マンションタイプのおしゃれな家具調の仏壇もありますよと説明を受ける。しかし、やはり仏壇は高い。もっと安いのがあるはずだと思い、ネットで探してみると、案の定いろいろ出てくる。格安品になると数千円からある。

ためしにヤフオクをのぞいてみると、そこにもある。しかし仏壇で中古というのはありなのだろうか。そこでこんどもまた図書館で『仏壇のすべて』といった類の本を何冊か借りてきて読んでみる。仏壇とは仏教の宇宙観の表現であるとか、位牌が儒教の祭具だったとか、それぞれの由来はなかなか興味深いのだが、四十九日前に用意しなくてはならないので悠長なことをいっていられない。

と思っていたら、どこから情報がもれたのか仏壇屋からダイレクトメールが届いたり、セールス電話が連日かかってくるようになる。「このたびはまことにむにゃむにゃ……」という挨拶から始まり、「ところで、仏壇のほうはもうご用意されておりますでしょうか」と切り出す。さすがに電話セールスで仏壇を買う気にはなれないので、「いまおうちの人がいないので……ボクはよくわかりません」といって断る。

そんな折、新聞の折り込み広告の中に「大仏壇フェア開催! 大宮スーパーアリーナにて」というチラシを発見する。「最高級仏壇を特別価格でご奉仕!」「有名メーカー仏壇80パーセント引き!」「価格破壊!」などの文字が踊っている。なんだかカメラ屋のバーゲンみたいなチラシだが、願ってもないタイミングである! 

しかし、いったいどういう人たちが、こういうフェアを訪れるのだろう。うちのように最近身内が亡くなった人ばかりやってくるのだろうか。だとしたら、ちょっと雰囲気が暗そうだ。それとも、自分が死ぬ前に安いうちに買っておこうという人たちが来るのだろうか。客層が読めないだけに、すこし楽しみだった。

フェア当日、スーパーアリーナへ出かけてみると、けっこう家族連れが多く、思いのほか盛況だった。広いホールに仏壇がずらーっと並んでいる様はなかなか壮観である。しかし、それ以上に驚いたのは販売員たちが、そろいもそろって柄が悪いのである。しかも風体も独特である。黄色い法被はいいとしても、頭はなぜか角刈りかパンチパーマだ。売っている物が物なので、陰気な販売員よりはいいのかもしれないが、まるで夏祭りのテキ屋である。商品をじっと見ていると「ほかじゃ、買えないよこの値段じゃあ」といって馴れ馴れしく迫ってくる。たしかに安いのだが、それでも何万円かする買い物なので、くわしく訊きたいこともある。

「こちらの六号の仏壇ですが、あちらの同じ六号の別の仏壇と比べると少し小さい気がするのですが、同じ六号といってもサイズに幅があるんでしょうか」

「……こっちはちょっと小さいね。あっちはちょっとと大きいね……でも、どっちも安いんだから」

「材質はちがうんですか」

「材質? この辺はみんな同じ」

「でも、色がちがうようですが……」

すると販売員のおやじは、そのまま何もいわずぷいと行ってしまった。と思ったら、少し離れたところの別のお客さんに話しかけている。どうやらシカトされたらしい。

それでも安さには勝てず、結局、ここで買うことにした。でも選んだ商品の在庫がまだ届いていないというのでフェアの最終日にもういちど取りに来ることにしてお金だけ払うことにする。しかし、現金で払ったにもかかわらず、こっちが要求するまで領収書を出そうとしない。

あのー、領収書はというと、あっ領収書だったね、はいはい、とわざとらしくくりかえし、やっと引き出しから領収証をとりだす。いったい、何者たちなのか。とても仏壇屋が専業とは思えないし、仏壇の値引率の大きさも気になる。いったい、これらの仏壇は、どういうルートで仕入れているのだろう。

位牌と仏壇関係がそろったら、あとは墓である。ところが墓だけは、母親が生前、衝動的に買っていたのだった。ただし、そのときはすでに認知症が始まりかけていたこともあって、本人は、チラシだけ見てその気になって、いちども現地も見ずに購入したらしい。詐欺ではないのだが、現地に行ってみると、その霊園は高速道路のすぐそばにあって、たえず車が流れていくゴウゴウという音が聞こえているようなところだった。すくなくとも、ゆっくり心癒されるような場所ではない。

もっとも、それだけなら仕方ないのだが、墓石の横の墓誌に刻まれた文字を見てまたのけぞった。そこには10年以上前になくなった父の名と没年が刻まれていたのだが、どういうわけか、その没年が実際に亡くなった年より5年ほどずれているのだった。

母親が墓誌に父親の名を刻んでいること自体意外だったが、このでたらめな没年はどうしたものか。おそらく母がかんちがいして指示したのだろうが、石に刻まれたものなので、おいそれとは直せない。没年がちがうからといってだれかが困るわけではないが、そのまま放置しておくのもなんだかなあ、という複雑な気分である。そんなわけで、墓はあるものの、いまだ納骨もせず、どうしたものかとゆるゆる悩んでいる今日この頃である。

(この項了)

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コメント

わ。ご母堂様、亡くなられていたんですね。しかも8月!知らぬこととはいえ、よしなしごとで長電話してすみませんでした。
お悔やみ申し上げます。
しかし、お墓を「衝動買い」してくれていて、よかったですね。これからお墓も…なんてことになったらば、大変ですものね。

謎の仏壇バッタ屋さんたち…いかにも怪しいですね。悪いけれども、笑ってしまった。その後、仏…もといブツは、無事届きましたか?

投稿: チャーリー・ブラックストン | 2007年11月12日 (月) 03時30分

 いろいろ大変だったのですね。
 私自身、お墓も位牌もなくていいと思っているので、「位牌を捨てた」という行為自体は、「すっきりしていいんじゃない?」と思いますが、理由がもし「仲が悪かったから」だったのなら、さびしいですね。
 没年の5年のずれというのは、実際より早かったのか遅かったのかは書かれていませんが、いずれにしろ、お母様の心からお父様の存在が消えた日だったということかもしれません。
 私の親はまだ健在ですが、いずれ看取る日の心の準備だけはしておかなくてはと、しみじみ思います。

投稿: 鈴木かおり | 2007年11月12日 (月) 11時49分

>チャーリー・ブラックストンさま
ありがとうございます。
墓は衝動買いしといてくれてほんとに助かりました。でもあいかわらず墓地の勧誘電話はよくかかってきます。
ブツはとどきました。といっても配送料別なので引き取りに行かなくてはなりませんでしたが。仏壇フェアのすぐとなりはなぜかファンシーグッズのコーナーになっていました。

>鈴木かおりさま
自分も墓はいらないし自然葬がかんたんでいいと思っていたのですが、最近は自然葬も厳密には場所が指定されているとかで、かえってふつうの葬儀より金がかかる場合もあるという話も聞きました。
父親のときはなにも知らず許可も取らずに、海にまいたのですが、これだとほんとうは死体遺棄になるそうです。
まあ、法律のことなどはべつとして、海に還したのはよかったとおもっています。
命日には酒と花を持ってどこかの海へ行きます。

投稿: 田中真知 | 2007年11月13日 (火) 01時12分

お悔やみ申し上げます。
更新をずっと心待ちにしていたのですが、葬儀関係はすべてすむとガクッときますよ。
そのとき体調を崩しがちなのでお気を付けてください。
落ち着いたら、たまにはお会いしたいですね。

投稿: 三谷眞紀 | 2007年11月14日 (水) 07時40分

>三谷眞紀さま
お久しぶりです。またとどこおってしまってすみませんでした。これからはなるべくこまめに……といっても信じてもらえないだろうな。
葬儀はすべてすむとガクッとくる、というのはなんとなくわかります。けっこうハイになりますからね。ご心配ありがとうございます。

投稿: 田中真知 | 2007年11月14日 (水) 16時58分

このブログの中で一番すきなのが、ここ、お母様がお父様のご位牌をゴミの日に捨ててしまう件です。いやー、もう大笑いなんですが、そういうシーンですよね?
他人がどうこういう問題ではありませんが、忘れたくても忘れられない人だったわけですし、この潔さはカッコイイ。
さらには、生前、衝動的に…というのも画面のせいか、前衛的に、と読んでしまい、それってどんな??となって、田中真知さんのお母様の超クールなイメージが広がっていきます。

投稿: 下野 良子 | 2008年9月13日 (土) 20時27分

>下野良子さま

コメント、ありがとうございます。
「超クール……」そうですね。
たしかに抜き身の剣のような人でしたね。
父親もかなりエキセントリックなうえ、互いの世界観がほとんどかみあっていなかったので毎日が真剣白羽取りでした?

投稿: 田中真知 | 2008年9月14日 (日) 13時04分

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