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2007年11月

『転生』という翻訳本を出しました

転生—古代エジプトから甦った女考古学者


エジプトにいたとき、上エジプトのアビドスの神殿にイギリス人のおばあさんが何十年も暮らしていた、という話を聞いたことがある。人づての噂によると、そのイギリス人女性は自分が古代エジプト人の生まれ変わりだと信じていて、神々の像に供物や香をたいて祈りを捧げていたという。旅行者が来ると古代の巫女のような格好をして、神殿を案内していたらしい。

エジプトに暮らす外国人には変わった人が多いが、この女性も相当に変わっているなと思ったが、本人は10年以上前に亡くなっているらしく、その後は忘れていた。ところが、その後、ルクソールで本屋に寄ったとき、その女性について書かれている本があることを偶然知った。ジョナサン・コットというアメリカの作家の書いた『The Search for Omm Sety』(「オンム・セティを探して」)という本だった。

一読してみると、これが途方もなく面白い。噂を聞くかぎり、妄想にとりつかれた変人くらいにしか思っていなかったのだが、実際はとんでもない。たしかに変わり者ではあったようだが、妄想狂どころか、じつに数奇な人生をたどってきた知性あふれる魅力的な人物だったことを知って、ひたすら驚かされた。不思議なのだけど、それだけではなく、胸に迫るように痛ましさと美しさをもった、人生の深淵を感じさせる希有な話だった。

女性の名はオンム・セティ。たしかに彼女は自分が前世で古代エジプト人だったということを終生にわたって信じていた。また、自分が3000年前のファラオ、セティ1世の愛人であったというヴィジョンを生涯にわたって持ち続けた。しかし、一方でオンム・セティはほぼ半世紀にわたってエジプト考古庁に勤め、そのエジプト学やヒエログリフについての該博な知識はエジプト学者からも高く評価されるほどだった。(注;オンム・セティのことは「旅行人」本誌157号にも書いたのですが、こちらはweb版ということでやや別バージョンの話を書きます)。


現在活躍している中堅のエジプト学者の多くが、オンム・セティを親しい友人として、またすぐれた研究者として尊敬している。つまりオンム・セティは、アカデミックなエジプト学と、前世体験という二つの対照的な世界を同時に矛盾なく生きてきた人物だったのである。

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オンム・セティが、どのようにして古代エジプトの前世を知るようになったのか、そしてその彼女がどのようにエジプト学研究者となって、晩年はアビドスの神殿のそばに暮らすようになったのかは、そのまま映画にでもなりそうなドラマチックな物語である。そのユニークで数奇な人生についてはナショナルジオグラフィックやBBCがドキュメンタリーをつくっているほどである。

彼女の残した日記や友人のエジプト学者らの証言をもとに、「いったいオンム・セティとはだれだったのか」を初めて評伝としてまとめたのが、先ほど挙げたジョナサン・コットの本だった。それがこのたびぼくが翻訳した『転生―古代エジプトから甦った女考古学者』(新潮社)である。

この本はとても不思議な本だ。転生とか生まれ変わりといった、怪しげに見られがちなテーマを扱っていながら、この手の本につきものの胡散臭さがほとんど感じられない。それは著者のコットの関心が、転生体験が真実か否かといったことよりも、そうした個人的な体験を、実人生と絶妙に調和させていった彼女の生き方をていねいに描いていたからだ。

思うに、神秘体験なんてありふれている。私はだれそれの生まれ変わりだ、といった話など珍しくもないし、それが本当かどうかなんてだれにもわかりっこないのだ。むしろ大切なことは、そうした他人にはわからない個人的な内面世界を、いかに本人が実人生の中に織り込んで、豊かなものに成熟させていけるかということではないだろうか。それは、いわば芸術家の仕事にも似ている。オンム・セティの人生は、まさにそうしたものだったように思う。あのオノ・ヨーコが、この本を絶賛していると聞いて、その感をいっそうつよくした。

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友人のエジプト学者と語らう晩年のオンム・セティ

また、この本ほど古代エジプトがどういう世界だったのか、ということについて生き生きとしたイメージを描かせてくれるものはめずらしい。というのも、多くの場合、古代エジプトというと、どうしてもピラミッドやツタンカーメンの秘宝といった「物」への興味が中心になりがちだからだ。

学問的にそれらのテーマを取り上げたものならば、たくさんある。けれども、古代エジプト人がなにを考えていたのか、彼らの目に空や川や砂漠はどんなふうに映っていたのか、風のそよぎはどう響いたのか、そうした彼らのこまやかな心象世界を、オンム・セティはみずから体験しつつ共感をもって語ることのできるゆいいつのひとだった。古代エジプト人の息遣いや鼓動を、刻々と感じながら、現世を生きていたひとだった。それはときとしてエジプト学者たちが予想しなかった考古学的な発見にも結びついた。だから多くのエジプト学者から彼女は慕われ、敬意を払われていた。

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晩年のオンム・セティ。アビドスのセティ1世神殿の前で。


また、この本では、彼女の転生体験をニュートラルな視点から見つめる著者のアプローチがとてもいい。それはこの本を書いたジョナサン・コットが、いわゆるスピリチュアル系の作家ではなく、「ローリングストーン」誌の編集者出身でグレン・グールドやジョン・レノンやボブ・ディランへのロング・インタビュー本や、ラフカディオ・ハーンの研究書などで知られている芸術家肌の作家であることも大きく関係している。

コットとのメールのやりとりの中で、ぼくは、どうしてグールドやハーンの芸術に深く惹かれてきたあなたが、オンム・セティという一見まったく畑違いの人物に興味を持ったのですか、と訊ねてみた。

コットは返信メールの中で「私にはグールドもハーンも、そしてオンム・セティも自分にとっての本当の故郷を探し求めて旅をしていた人のように思えるのです」と書いてきた。

つづけて彼はこう書いていた。私信ではあるけれど、とても印象的だったので、ここに訳しておく。

「……私が好きなのは、彼らのように地理的な境界、先入観や常識という境界を超えてゆく人なのです。その本質をよく表しているフランスの中世の哲学者サン・ヴィクトルのフーゴーのこんな言葉があります。

『自分の故郷を愛おしむ者は、まだ未熟者である。

どこの土地でも故郷だと思える者は、すでにひとかどの力ある人である。

だが、全世界は異郷のようなものだとする人こそ完璧なのである』

このことをいつも感じるのはグレン・グールドの音楽にふれるときです。幸運なことに、私は数年にわたって電話を通じて、100時間以上もの時間をグールドと共有することができました。グレン・グールドはなみはずれた人物であり、私のヒーローのひとりです」

そんなわけで、もしこの本(『転生』)に興味を持って読んでくださるならば、バックグラウンドにグールドのCDをかけてみてはいかがでしょう。個人的には、バード&ギボンズ作品集や、ブラームスを弾いているやつなどがお薦めであります。

バード&ギボンズ作品集(紙ジャケット仕様)

ブラームス:4つのバラード、2つのラプソディ、間奏曲集

はぁ、なんだか長くなって訳者あとがき別バージョンみたいになってしまった。こんなんだから間が空いてしまうんだな。次回は短くいきます。

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秋の山で反省

前々々回、季節はもう夏だと書いたのに、すっかり秋も深まってしまった。それはたんに更新が滞っていただけのことなのだけれど、じっさい秋の初めから冬にかけては時間がふだんにもまして加速するように感じられる。この加速にのって更新もなるべくつるべ落としの勢いで(?)行きたいと思います。

ところで、週末、天気が良かったので紅葉を見ようと思って10年ぶりくらいに高尾山に行った。紅葉もちょうど見頃で観光客も多かった。奥高尾にむかう途中、もみじがきれいな真紅に色づいているあたりで立ち止まって眺めていたら、後ろからやってきたリュックを背負った中年の男性に声をかけられた。

「あのー、これはなんですか?」そういって男は目の前のもみじを指している。

「ええ?」と一瞬答えに詰まる。もみじはもみじでも、なんという種類のもみじなのかは知らない。同じもみじでも赤く色づくものもあれば、黄色くなるものもある。もみじとかえでというのも、よくは知らないが、厳密にはちがうのだろう。

答えられずに口ごもっていると、後ろから来たおばさんがたまたま会話を聞いていて「これはいろはもみじじゃないかしらね」といった。へえ、この赤いのは「いろはもみじ」というとは知らなかったなと思っていると、先ほどの男性は「もみじ? ああ、これがもみじですか」とさも感心したようにうなずく。

もみじを知らないなんて、からかわれているのではないかなと思ったが、顔は大まじめだし、言葉遣いもていねいだ。世の中には秋の山を歩いていても、もみじという名を知らないひともいるのか、と驚いた。

すると、つぎに彼は少し離れたところにある葉が黄色く色づいた木を指し、「あれはなんですか」といった。

「あれは、いちょうですが……」

「ああ、あれがいちょうですか。どうもありがとうございました」そういうと男はていねいに会釈して、先へと行ってしまった。

うそをついていたり、ふざけていたりしているようには見えなかった。彼はもみじやいちょうという木を見たことがなかったのか、それとも知っていたのだけれど名前だけ知らなかったのか。いずれにしても日本でもみじやいちょうという情報にふれずに何十年も暮らせるものだろうか、とそこまで考えたときに、はたと気づいた。流暢な日本語をしゃべっていたけれど、彼が日本人だったとはかぎらないではないか。

ずっと前、アルジェリアに行ったとき、小さな町のカフェの軒先につるされた鳥かごに、きれいな声で鳴く鳥がいた。「これはなに?」とそこにいたカフェの少年に尋ねると、「ウイ、ムシュー、セ・タン・ワゾー」(だんな、それは鳥ですよ)という答えが返ってきて脱力したことがある。これまでずっと、少年がそう答えたのは鳥の名前を知らなかったからだと思っていた。

だが、もみじやいちょうを知らない外国人がいてもおかしくないように、鳥を知らない外国人がいてもあたりまえだと少年が考えたとしても不思議はない。いずれにせよ、あのとき少年の答えを笑ったことを何十年ぶりかで少し反省した秋の夕暮れであった。


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ただの喪主だと思うなよ その2

「あした続きを」といいつつ遅れてしまいました。すみません。

葬儀は無事終えたが、こんどは戒名をどうするかで頭を悩ます。個人的には戒名など不要と思っていたが、一応『戒名とは何か』といった類の本を図書館で何冊か借りてきて読んだところ、ますます戒名なんていらないという思いを強くした。

しかし、戒名をとらないとなると、何かの折に、なぜ戒名をつけないのかを説明しなくてはならなくなりそうだった。結局悩んだ末、その面倒を省くため、10万円の「○○信女」というのをとることにする。まったく、なんのための戒名なのか。

それが終わるとこんどは仏壇である。父はすでに亡くなっているのだが、うちには仏壇がない。父の葬式のときは、母が喪主だったのだが、夫婦仲が悪く、20年以上別居していたという事情もあって、結局、葬式はあげたものの、父には仏壇もなければ墓もない。そのあたりの事情に踏み込むと生々しくなるので省略するが、結局、父の骨は弟と木槌で砕いて、海にまいた。墓もつくらなかった。

ところが、母親の仏壇をどうするかということになって、そういえば父親の位牌はどうしたのだろうということが気になってきた。父の葬儀のあと、ぼくは当時暮らしていたエジプトに戻ってしまったので、そのあたりの事情がわからない。ふつうは四十九日のときに白木の位牌を本位牌にとりかえるのだが、おそらく父については、そんな手続きもしていないだろう。

それでも、葬儀屋からもらった父の白木の位牌や骨壺は残っていたはずだが、あれはどうなったのだろう。そこで当時母親と同居していた弟に訊いてみたところ、たぶん、位牌も骨壺もおふくろがゴミの日に出してしまったようだというので、さすがにのけぞった。おかあさん、そこまでやるか!

その後、四十九日の相談のことで葬儀社に行ったとき、お父様のご位牌はいまどこに安置されているのですかと訊かれる。さすがに正直には答えにくいので、いやあ、いまどこにあるかわからないんですよ、と口を濁したら、葬儀屋は、それはよくないです、お位牌は故人そのものなんですよ。かならずどこかにあるはずですから、しっかり探してあげてくださいと説教される。ますます、ゴミの日に捨てたなんていえない。

葬儀屋でまた分厚い仏壇やら仏具のカタログを渡される。ショールームにも案内されて、マンションタイプのおしゃれな家具調の仏壇もありますよと説明を受ける。しかし、やはり仏壇は高い。もっと安いのがあるはずだと思い、ネットで探してみると、案の定いろいろ出てくる。格安品になると数千円からある。

ためしにヤフオクをのぞいてみると、そこにもある。しかし仏壇で中古というのはありなのだろうか。そこでこんどもまた図書館で『仏壇のすべて』といった類の本を何冊か借りてきて読んでみる。仏壇とは仏教の宇宙観の表現であるとか、位牌が儒教の祭具だったとか、それぞれの由来はなかなか興味深いのだが、四十九日前に用意しなくてはならないので悠長なことをいっていられない。

と思っていたら、どこから情報がもれたのか仏壇屋からダイレクトメールが届いたり、セールス電話が連日かかってくるようになる。「このたびはまことにむにゃむにゃ……」という挨拶から始まり、「ところで、仏壇のほうはもうご用意されておりますでしょうか」と切り出す。さすがに電話セールスで仏壇を買う気にはなれないので、「いまおうちの人がいないので……ボクはよくわかりません」といって断る。

そんな折、新聞の折り込み広告の中に「大仏壇フェア開催! 大宮スーパーアリーナにて」というチラシを発見する。「最高級仏壇を特別価格でご奉仕!」「有名メーカー仏壇80パーセント引き!」「価格破壊!」などの文字が踊っている。なんだかカメラ屋のバーゲンみたいなチラシだが、願ってもないタイミングである! 

しかし、いったいどういう人たちが、こういうフェアを訪れるのだろう。うちのように最近身内が亡くなった人ばかりやってくるのだろうか。だとしたら、ちょっと雰囲気が暗そうだ。それとも、自分が死ぬ前に安いうちに買っておこうという人たちが来るのだろうか。客層が読めないだけに、すこし楽しみだった。

フェア当日、スーパーアリーナへ出かけてみると、けっこう家族連れが多く、思いのほか盛況だった。広いホールに仏壇がずらーっと並んでいる様はなかなか壮観である。しかし、それ以上に驚いたのは販売員たちが、そろいもそろって柄が悪いのである。しかも風体も独特である。黄色い法被はいいとしても、頭はなぜか角刈りかパンチパーマだ。売っている物が物なので、陰気な販売員よりはいいのかもしれないが、まるで夏祭りのテキ屋である。商品をじっと見ていると「ほかじゃ、買えないよこの値段じゃあ」といって馴れ馴れしく迫ってくる。たしかに安いのだが、それでも何万円かする買い物なので、くわしく訊きたいこともある。

「こちらの六号の仏壇ですが、あちらの同じ六号の別の仏壇と比べると少し小さい気がするのですが、同じ六号といってもサイズに幅があるんでしょうか」

「……こっちはちょっと小さいね。あっちはちょっとと大きいね……でも、どっちも安いんだから」

「材質はちがうんですか」

「材質? この辺はみんな同じ」

「でも、色がちがうようですが……」

すると販売員のおやじは、そのまま何もいわずぷいと行ってしまった。と思ったら、少し離れたところの別のお客さんに話しかけている。どうやらシカトされたらしい。

それでも安さには勝てず、結局、ここで買うことにした。でも選んだ商品の在庫がまだ届いていないというのでフェアの最終日にもういちど取りに来ることにしてお金だけ払うことにする。しかし、現金で払ったにもかかわらず、こっちが要求するまで領収書を出そうとしない。

あのー、領収書はというと、あっ領収書だったね、はいはい、とわざとらしくくりかえし、やっと引き出しから領収証をとりだす。いったい、何者たちなのか。とても仏壇屋が専業とは思えないし、仏壇の値引率の大きさも気になる。いったい、これらの仏壇は、どういうルートで仕入れているのだろう。

位牌と仏壇関係がそろったら、あとは墓である。ところが墓だけは、母親が生前、衝動的に買っていたのだった。ただし、そのときはすでに認知症が始まりかけていたこともあって、本人は、チラシだけ見てその気になって、いちども現地も見ずに購入したらしい。詐欺ではないのだが、現地に行ってみると、その霊園は高速道路のすぐそばにあって、たえず車が流れていくゴウゴウという音が聞こえているようなところだった。すくなくとも、ゆっくり心癒されるような場所ではない。

もっとも、それだけなら仕方ないのだが、墓石の横の墓誌に刻まれた文字を見てまたのけぞった。そこには10年以上前になくなった父の名と没年が刻まれていたのだが、どういうわけか、その没年が実際に亡くなった年より5年ほどずれているのだった。

母親が墓誌に父親の名を刻んでいること自体意外だったが、このでたらめな没年はどうしたものか。おそらく母がかんちがいして指示したのだろうが、石に刻まれたものなので、おいそれとは直せない。没年がちがうからといってだれかが困るわけではないが、そのまま放置しておくのもなんだかなあ、という複雑な気分である。そんなわけで、墓はあるものの、いまだ納骨もせず、どうしたものかとゆるゆる悩んでいる今日この頃である。

(この項了)

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ただの喪主だと思うなよ その1

また、しばらく更新が止まっていた。待っていてくださった方には申し訳ありませんでした。いっそのこと「季刊」にしてしまえばという妙案をくださった方もいるが、さすがにブログで季刊はないよなあ。
 
ところで、この夏、母親が亡くなった。喪に服していたからというわけではないのだけれど、それもあってつい更新が滞ってしまった。

身内の葬式は経験があるが、喪主になるのは初めてだった。他人の葬儀に参列するのとはちがい、葬儀を出す側になるというのがこんなにたいへんだとは思わなかった。臨終のその瞬間から、つぎつぎとやることが押し寄せてきて、それらをいちいちクリアするだけで手一杯になる。肉親の死を悲しんでいる余裕などない。 

まず、臨終から30分もしないうちに病院から連絡を受けた葬儀屋が病室にやってくる。「このたびはまことにむにゃむにゃ……」という挨拶も早々に、さっそく葬儀の段取りを慣れた口調で説明しはじめる。

「とりあえず、すぐに火葬場をおさえなくてはなりません。いまからだと、この日とこの日なら、なんとかなると思います。しかし、この日となるとその前日に葬儀となりますね。ところが、あいにく仏滅なんですよ。となると、その次に可能なのはこの日になりますこの季節は火葬場が混んでいるので、できるだけ早く押さえておきたいのです。これでよろしいですか」

「はあ……それでいいと思います」

といっても、こっちは、まだ頭がうまく切り替わっていないので、ほとんど機械的に返事をしている。それを知ってか知らずか葬儀屋はどんどん話を進めてゆく。

「わかりました。では、いまこの場で予約を入れさせてください(葬儀屋は携帯電話を取り出す)。あーもしもし、○○ですが、いつもお世話になっておりますう、はいー、あのー○月○日の空き状況はどうなってますう、あー、そーですか、わっかりましたあ、では、○日の午後はどうですかあ、ああ、空いてますか。じゃあ、押さえといていただけますか、はい、喪主様のお名前はたなかさまです、田んぼの中のたなかさまです、はいー、おそれいりますう、はい、はい、どーも」

会話だけ聞いていると飛行機の予約みたいである。電話が済むと、「この日になりました。そうなりますと、間が3日空きますが、夏なのでご遺体が傷みやすいので、当社の方で特別な処理を施すことをお薦めします。方法には3種類ございまして、ドライアイスだけのものと、ご遺体の内部に特殊な防腐剤を注入させていただきまして、お顔も整えてという方法と、さらに最近開発されました最新の技術もございます、お値段や具体的なことは会社の方でご説明させていただきます……」

「はあ……」

会社に着くと、葬儀の規模をどうするか、祭壇はどれにするか、供える花はどれにするか、食事はどうするか、メニューはどうするか香典返しの品をどれにするか、受付は誰に頼むか、あいさつはどうするか、休憩室はどうするかなどについて、それぞれの担当者が次々にやってきて説明をはじめる。何種類も分厚いパンフレットを渡され、それらをぱらぱらめくりながら説明を聞く。

葬儀後の精進落としのメニューは洋食中心のものや、寿司がメインのもの、和食の弁当ものなどがある。それぞれ「清風」「香峰」「山吹」などと名前がついている。葬儀屋はさりげなく「香峰」がよく出ているようですよ、などというので、「じゃ、それでお願いします」といってしまう。

つづいてこんどは香典返しをタオルギフトセットにするか、それともお茶の詰め合わせセットにするかについて説明を受ける。葬儀屋は高級そうな品を指して、最近はこちらの「思ひ出」のセットがよく出ているようです、などという。

そのとき値段を見てはたと気づく。なんで、ただのお茶と海苔のセットなのにこんなに高いんだ。これならタオルの詰め合わせの「団欒」セットで十分ではないか。しかし、だいたい、葬式でもらったタオルなんて使っている人はいるのだろうか。

そんなことを考えているうちに、だんだんしゃきっとしてくる。いったい、母親が亡くなったその日に、なんでタオルの詰め合わせセットやら、お茶のセットのカタログをこんなに真剣に見なくてはならないのか、その理不尽さにやりきれなくなるが、ここでぼーっとしてしまったら葬儀屋の思うつぼである。その手には乗るまいぞ。葬儀屋が「思ひ出」を薦めるのを断り「団欒」に決める。ただの喪主だと思うなよ。

それにしても祭壇にしても花にしてもいかにも高い。自分が死んだときは葬儀なんてしなくてもいいと思っていることもあって、なんで祭壇が何十万もするんだよ、なんで花輪が一つ3万円もするんだよとつっこみたくなるが、親戚なども呼ばなくてはならないし、そう文句ばかりいっていられない。

葬儀は一般的な仏式にする。ただ、どの宗派の坊さんにお経を上げてもらうかを決めなくてはならないといわれる。母親はとくに信心深くもなかったし、どこかの檀家に入っていたわけでもないので、宗派はとくにこだわらないと答える。

「これから檀家に入られる予定はありますか?」

「いや、まだなにも考えていないのですが……」

「それならこのあたりだと○○院というのがあるのですが、そこの坊さんに来てもらいましょうか」

「○○院とはなんですか?」

「若い坊さんたちがつくっている宗教法人です。お寺の家に生まれて仏教の大学は出たものの、次男坊や三男坊なので親の寺を継げないといった人たちが作っているんです。ほとんどの宗派の坊さんが集まっていて、いわば坊さんの人材派遣会社みたいなもんです」

「はあ、そんなのがあるんですか?」

「ええ。○○院のお坊様にお経上げてもらったからといって、そのあと檀家に入らなくてはならないということはありません。一回限りのお付き合いです。どの宗派であっても、お布施とお車代とお膳料のセットですべて込みで25万。最近では檀家に入りたがらない人たちも多いので、けっこう人気あるんですよ。で、何宗にします?」

「うーん……」

葬儀屋の説明だと、このあたりだと真言宗と曹洞宗が多いとのことだった。とくに深い考えもなく真言宗に決めた。すると、次に戒名をどうするかという話になった。

「○○院でおつけしていただく場合、○○信女だと10万、○○大姉だと30万、○○院○○姉だと50万となっています。まあ、これは人それぞれお考えもありますでしょうし、四十九日の法要の際にお位牌を作るときまでにお決めになってくだされば大丈夫です、お位牌ですが、こちらも我が社で取りそろえてありますので、仏壇や掛け軸などとあわせて担当係の者にご案内させます。リーズナブルなお値段のものからご用意してございます……」

うーん、なんと葬式とは金がかかるものなのか。それも波状攻撃のように、次から次へとよくわからない出費が出てくる。

(長くなりそうなので、いったん切ります。「そんなこといって、これまでも続きを書くといってそのままになっている話があるじゃないか!」というお叱りもいただいているので、今回はあした続きを載せます。話が話なので、あまり生々しい部分については流してあります。ではまたあした)

 


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