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2008年6月

アートセラピーする

友人が企画にかかわっている「ルドルフ・シュタイナーと芸術」という展覧会に行った。シュタイナーは20世紀に活躍したユニークな思想家で、ぼくもずいぶん昔シュタイナーの研究会に出ていたりしたこともある。ただ、あまりに多様な面を持った人なので、理解しているとはとてもいえないのだが、昔シュタイナー関係の知り合いを訪ねてドイツを旅行したこともあり、なつかしくなって足を運んだ。


その展覧会のワークショップでシュタイナーの考え方にもとづくアートセラピーというのをやった。アートセラピーとは絵を描くとか、粘土でなにかを作るといった行為を通じて精神のバランスを回復させる療法。ドイツでは精神病院や学校、障害者施設などに広く取り入れられているらしいが、日本では保険点数にならないこともあって、なかなか普及しないとのこと。


指導してくれたのは、ブラウボイレンという美しい泉のある町で会ったことのあるKさん。当時の彼女は夢見るようなピュアな雰囲気をまとった女の子で、澄んだ泉のほとりでアートについて語るその姿は、カイロでエジプト人相手に怒鳴り暮らすような毎日をおくっていたぼくには天使のように見えたものだ。あれから10数年もたっているのに、あまり雰囲気が変わっていないのに驚いた。

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それはさておき、これが自分の描いたもの(↓)。紙は無地のハガキの裏である。描いてあるものがなにかということよりも、プロセスが面白い。どうやるかというとまず4人でテーブルを囲む。真ん中に花瓶にさしたバラの花がある。そのバラを、形を意識しないで、その葉と花の色だけを集中してよく見て、その色の世界に没入する。没入できなくても、しているつもりになる。


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いよいよ描き始めるのだが、使うのは3色(赤・青・黄)のパステルだけ。筆の代わりに脱脂綿と綿棒を使う。まず紙全体を暖かいと感じる色で満たすことからはじめる。脱脂綿にパステルをなすりつけ、その綿で紙をなでたり、こすったりして色をのせていく。赤でも黄色でも青でも、あるいは色同士を混ぜ合わせてもいい。


紙に暖かい色が広がったら、その暖かさの上に葉っぱの色を重ねていく。青と黄色をまぜて緑を作ってもいいし、そうでなくてもいい。とにかく自分の感じた葉っぱの色を描いていく。それができたら、こんどはその葉っぱから咲くバラの花の色を描く。横からだと形が強調されるので、真上からのイメージで描く。満足するまで色をのせたら、できあがり。30分もかからない。


やりかたは、これだけ。手法がシンプルで、形も描かず、使う色もかぎられているため、みんな似た感じになるかなと思ったら、同じテーブルのメンバーでも、人によって驚くほどちがいが表れるのが不思議だった。しかも、思いのほか複雑な深みも出てくる。シンプルなやり方なので、巧拙とか構図とかオリジナリティといったものにとらわれなくていい分、描き手の持ち味が逆にストレートに表れるのかもしれない。


できあがったら、ペーパーセメントをスプレーする。あと、ハガキは最初テーブルに紙テープで四辺を貼り付けて動かないようにしてから描く。描き終えたあとで剥がすと、剥がした部分が白枠のようになり、いかにもアートっぽく見えるのもいい。癒されたかどうかはよくわからないが、気分がリラックスしたのか帰りの地下鉄で、その場で知り合った人と話していたら、隣に座っていたおやじに「もっと小さな声でしゃべってください」と注意された。


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すごい雷

 
梅雨に入ったせいか、夕方から雷が鳴りはじめた。中途半端に腹を下したみたいに、しばらくは、ごろごろくすぶっているばかりだったが、やがて雨が強まり、稲妻が激しく明滅しはじめたかと思うと、やにわに立て続けの落雷があたりを震わせはじめた。


雷は好きだ。これまでいろんな雷を見たが、雨季の初めのザイール河で見た雷はとくにすごかった。はじまりは森の上にぽつんと浮かぶ、ほんの小さな雲のかけらだった。そのかけらがみるみるうちに黒々とした塊へと育っていく。


風が吹きはじめ、空気が冷えていくうちに、塊は青みを帯びた暗い鉛色に沈み、森の上に重たくかぶさっていく。やがて、その鉛色の内側で小刻みな発光が始まり、塊の中に無数の閃光がほとばしる。引きちぎれるような音が空にこだまし、塊全体が紅く燃えあがり、雨も降り出す。塊の中に溜め込まれたエネルギーは、まもなく飽和状態に達し、地面を揺るがす大音響とともに、光の柱となって真下のジャングルにぶすぶすと打ち込まれていくのだ。


先日、知人から5月の初めにチリで起きたという活火山噴火時の写真が送られてきた。チリに住む親類が送ってきてくれたものだそうだが、撮影者はわからないとのこと。火山の噴煙の中で暴れまわる稲妻が凄まじい。稲妻に取りまかれた噴煙は、無数の神経網に覆われた剥き出しの心臓のようにも見える。まがまがしき崇高さとでもいおうか、こんな雷を目の前で見てみたい。


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「孤独な鳥はやさしくうたう」+ジュバの蛍

 
こまめな更新を心がけるといいながら、また、間があいてしまった。ページの更新を待ってくださっていた方には、ホント申し訳ないです。今度こそ、そうならないよう気をつけます。といってもあまり説得力はないなあ。コメントをくださったみちこさん、かおりさん、「今週中」の予定が守れず、すみませんでした。でも、新刊のほうは予定どおり出そうです。


旅行人のホームページの編集長ブログでも告知されていましたが、新刊のエッセイ集『孤独な鳥はやさしくうたう』が6月25日に出る。本来なら、もっと余裕をもって原稿を仕上げていなくてはならなかったのだが、結局、一昨日の最終入稿の数時間前まで、あとがきやら、加筆や訂正やらにかかっていた。


今度の本はとてもいいものになったと思う。デザインもかっこよくて自分の本とは思えないほどである。表紙の不思議なオブジェはバリ島で知り合った美術家鈴木純郎さんの作品を使わせていただいた。


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中身はこれまで十数年にわたって書いた、おもに旅をめぐる文章の中から厳選したものに手を入れ、さらに書き下ろし一本を加えたもの。「バルセロナのストーカー」「星の王子の生まれたところ」「マラケシュのラヴェル」など硬軟とりまぜて、いろんなスタイルで書いたものを収めてある。


最近は旅をしながらリアルタイムでレポートを書くようなスタイルが流行っているが、旅の経験を寝かせることによって初めて見えてくるものもある。このブログしか知らない方にも読んでいただければと思う。よろしくお願いします。といっても、発売はまだ少し先なのだけど。

 

 
 
でも、これだけで終わってしまうと、久々だというのに、まるで宣伝のために更新したみたいなので、もう少し書く。先日、横浜でアフリカ開発会議というのが催され、それに合わせてアフリカ関係の特集が新聞やテレビなどでもたくさん組まれていた。BSでは1985年のライブエイドを立ち上げたボブ・ゲルドフのインタビューなども流れていたが、ちょうど、ライブエイドやバンドエイドが盛り上がっていたあの時期、ぼくはアフリカのスーダン南部にいた。


その頃、スーダン南部はいまもくすぶっている南北内戦の小康状態にあった。ぼくは当時、南部の村で調査をしていた人類学者の栗本さんといっしょに彼のフィールドの村を訪れ、熱射病になって南部の首都であるジュバに帰ってきた。もっとも首都といっても名ばかりで物資はなく、多くの建物はこわれかけていて、そこいら中から人糞の匂いが漂ってくるような荒廃した町だった。


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熱射病からようやく回復したとき、栗本さんに「パーティーがあるから行きませんか」と誘われた。パーティー? ジュバでパーティーとは意外だった。


夜、栗本さんとパーティー会場に向かう。街灯もないまっくらなサバンナの道をランドローバーで会場へと走る。その暗闇のむこうに明かりが見え、ドラムの音がきこえてきた。サバンナの真ん中に設けられたパーティーの会場だった。


集まっていたのは欧米の援助関係者、スーダン人の男女など、さまざまだった。かんたんなステージが設けられていて、アフリカ人の生バンドが演奏している。夏のビヤガーデンみたいな、心和む雰囲気だ。イスラム法を採用しているスーダンだが、キリスト教徒の多い南部ではウガンダから入ってくるビールが自由に手に入った。


病み上がりだったけれどもビールを飲むうちに気分がよくなってきて、スーダン人の女の子と踊る。そのとき唐突に流れてきたのが、当時日本でもうんざりするほどかかっていたアメリカ発のアフリカ援助のキャンペーンソング「We are the world」だった。


内戦のさなかにあるスーダン南部で、スーダン人の女の子と「We are the world」で踊るのは妙な気分だった。あの歌の詩には「アフリカ」という言葉は出てこないけれども、「命のために手を貸そう」とか「ひとつになって立ち上がろう」とか「愛が必要だ」といった文句が出てくる。


けれども、その歌詞を耳にしながら、めいっぱいおしゃれをした女の子とビールに酔って踊るのは、なにかちがう気がした。女の子に、「この歌、知ってる?」と訊くと、「知らないわ、でもいい曲ね」といった。そういわれると、なにもいえないので、そのままビールを飲んで踊りつづけた。「We are the world」は、そのあともなんどもくりかえしかかった。


夜が更けても、パーティーはつづいた。生バンドの演奏の番になると、ステージのライトが輝き、激しいドラムとベース音があたりに響きわたる。アフリカン・ポップス特有のせわしないリズムに合わせて、ギターが小刻みなフレーズをくりかえす。いった、ここはどこなんだろうと思ったそのとき、突然、バチンと音を立てて電気が落ちた。


同時にエレキベースとエレクトリックギターの音は消え、あたりは瞬時にして漆黒の闇に包まれた。その闇の中でドラムの音だけがどろどろと闇を揺さぶるように響いてくる。恐ろしいほどの濃密な闇だった。こんなすごい闇の底にいたとは思わなかった。


その闇に少しずつ目が慣れてくると、目の前にちらほらと光の粒が舞っているのに気づいた。なんだろう、これはと思って、あたりをみまわすと、そこいら中、まるで空の星が降りてきたかのように、おびただしい小さな光の粒が明るくなったり、暗くなったりしながらゆらゆらと舞っている。


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だれかが声をあげた。一面の蛍だった。照明で明るかったときにはまったく気がつかなかった。


ドラムはいぜんとして押しよせてくる闇に抵抗するかのように激しいリズムを刻みつづけていたが、それもやがてやんだ。人びとの会話も闇の中に沈み、あたりはどこまでも広がる闇と、飛び交うホタルの光だけになった。見上げると、しぶくような凄まじい星空だった。


どのくらい、それがつづいただろう。しばらくすると突然電気が回復した。照明がつき、スピーカーから「We are the world」がふたたび流れはじめた。闇は消え、蛍はもう見えなかった。人びとが立ち上がって踊り出した。ぼくも立ち上がったが、踊りには加わらず、暗いサバンナのほうに50メートルくらい歩いていって、そこで闇のほうに向けて小便をした。数匹の蛍がちらほら、そのまわりを舞っていた。

……なんだか、書いているうちにエッセイみたいになってしまった。こういう発作的なことをしてしまうから、なかなか更新できなくなるんだな。まあ、そのようなわけで新刊のほう、まだ少し先ですがお楽しみに。更新も、します。

 
 
 
 
 
 

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