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ゴリタンの作文

前に書いたエントリーに寄せられたひさのさんのコメントに、パウル・クレー展にいっしょに行った小さな子がくれた手紙のことが書かれていた。「あのときの私は絵なんてちっとも見れなくて、へやに響くちゃあちゃんの靴の音ばかりに気がいっていたけど……」という一節は、とてもすてきだ。

 

それを読んでいて思いだしたのは、小中学校の同級生だったゴリタンのことだ。ゴリタンはたしか小学5年のときに転校してきた。色黒で、唇が厚く、目がぎょろりと大きく、細い手足を優雅にゆらして走った。その走る姿から、あだ名は、一瞬にして天啓のように「ゴリタン!」と決まった。

 

6年生のとき、家庭科の小テストがあった。その中に、青菜の油炒めにかんして、「フライパンに青菜はいつ入れますか」というような問題があった。テストが返却されたとき、だれかがゴリタンの答案をうばって、答えのらんを見ると、そこにはこう書かれていた。

 

「あぶら ぼつぼつ なた いれる」

 

ひょっとしたら、「あぶら ぼつぼつ なたとき いれる」だったかもしれない。いずれにしても答案を見たやつは爆笑し、みながそれを回覧しては爆笑した。ゴリタンの回答に○がついていたのか、×がついていたかはおぼえていない。おそらく期待されていた答えは、「油が十分温まってから入れる」といったようなことだったのだろう。ゴリタンもその意図は理解していたのだが、うまく言葉にならず、結果的に「あぶら ぼつぼつ」という、よりストレートで感覚的な表現になったのだろう。

 

ふだんのゴリタンとの会話はまったく問題なかった。けれども、文章となると、小さい「っ」や「ゃ」が使えなかったり、助詞がとんだり、抽象的な言葉がでなかったりして、なんともいえない、たどたどしいものになった。それがおかしくて、ぼくを含めた悪童どもは、ゴリタンのテストや作文が返却されると、それを奪ってはみんなで回し読みした。

 

いま思えば、ゴリタンの文章には、社会の約束事を逸脱したストレートで直観的な手ざわりがあった。当時のぼくたちも笑いながらも、そのユニークな表現に魅了されていたのだと思う。その証拠に、2年くらい前に30数年ぶりにあった当時の同級生のKくん(いまは中学校の国語の先生をしている)と話していたときにも、ゴリタンの作文はすごかったなあという話題が出た。

 

だいたい小中学校時代の友だちの書いた作文やテストの回答なんて、自分のものだって覚えていないのがふつうだ。けれども、ぼくたちは二人ともゴリタンの作文や回答を、おどろくほどよく覚えていた。 

 

−−「あぶら ぼつぼつ なた いれる」は衝撃的だったよなあ。


−−そういえば「やまださんの おかね どんなた」というのもあったよなあ。

 

それはたしか算数の問題で、山田さんがもっていたお金をいくらか使って、そのあと山田さんのお金はどうなりましたか、といった問いに対するゴリタンの答えだった。算数の問題だったから、答えは数字であるはずだったが、おそらくゴリタンは問題をなんども頭の中でくりかえし、いったい山田さんのお金はどうなったのだろうか、と考えた末、その思考のプロセスをそのまま言葉にしたのだろう。それが「やまださんの おかね どんなた」だった。

 

小学校の卒業文集にのったゴリタンの作文も、いまでも部分的にそらんじられるくらい、よくおぼえている。たいてい卒業文集などというと、「小学校の楽しい思い出を胸に、新しい中学生活にむかって旅立ちます」とか「中学校ではサッカー部に入って、がんばろうと思います」といったことを書くものだ。しかし、ゴリタンの作文では、その関心は、中学校へ自転車で行けないとつまらないというものだった。彼の作文はこうむすばれていた。

 

「ぼくは中学校へは自転車で行ったらいいなとおもう。……自転車でなかったらつまらない。……自転車で行けないのはくやしいけど、中学生だからがんばれるだろう」

 

そつのない、悪くいえば、面白くもない作文が多い中、ゴリタンの作文は異色だった。もちろん、それは国語的にいえば、まちがいだらけかもしれないし、成績をつけるならぜんぜんなっちゃいないということになるだろう。

 

しかし、そこには、たしかにゴリタンが、その作文を書いたときにリアルに感じていた、とりとめのない実感や不安が息づいていた。自転車で行けなきゃつまらない、という思いが、作文を書いている間中、頭の中をよぎっていることが、そのたどたどしい文章からじわじわ伝わってきた。もし、この文集の中から、もっとも文学的なものを選ぶとしたら、まちがいなくゴリタンの作文だった。

 

学校の勉強では、先生や社会が期待するふるまいや行動をとることが、いい成績につながる。国語もそうだ。けれども、ゴリタンの作文はちがった。それはまわりの期待や意図とはかかわりなく、彼自身の中から立ち上がってきたものを、そのたどたどしさのままにストレートに表現していた。受けねらいでも、ケアレスミスでも、ひらきなおりでもない。そのときはおかしくて笑っていたけれど、それが30年以上たったいまでも記憶に残っているのは、どこか彼の作文に、ほんとうの意味でのリアルな個性的世界があったからだと思う。

 

30数年ぶりに同級生のKくんと話していたとき、やはり6年生のときゴリタンが書いた詩のことが話題になった。それは日光に修学旅行に行ったあと、国語の時間に旅の思い出を詩で書くようにいわれたときのことだった。

 

みんなは華厳の滝や東照宮、宿での夜の楽しさなどを題材にしていたはずだが、自分のものもふくめて、何を書いたかまったく覚えていない。ただし、そのときゴリタンが書いた詩だけは、けっして忘れられない。それはたった一行だったが、これほどインパクトのある詩を、ぼくはいまだにほかに知らない。こんな詩だ。

 

 

 




 たき  おしっこみたいに  でる

 

 

 

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コメント

改めてゴリタンのさいごの名句。

紺色の背景に、雪の結晶が舞う中
画面中央にぽつんと浮かべるようにして
眺めてみるとしみじみ味わいぶかいですねぇ。

あぁ、滝みたいだ・・・と
感じ入って見入ったんだろうなぁと
少年の、見下ろす目線を体験できるようで
宇宙にいるみたいな、静かな時が流れます。

投稿: ひさの | 2009年1月 5日 (月) 22時33分

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