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2009年1月

横谷宣×飯沢耕太郎ギャラリートークより

1月16日にギャラリーで横谷宣さんと写真評論家の飯沢耕太郎さんとのトークイベントがあった。トークはとてもよかった。ギャラリーのオーナーの小瀧さんも書いているように、それはまさに「しあわせな写真の一夜」だった。当日の様子を撮った写真が、小瀧さんのブログで見られる。ほかにも、当日参加した方たちが、いくつかのサイトで、その感想や内容について綴っている。

「横谷宣写真展」 ― 心象のざわめき ―

ギャラリー・トーク 「横谷宣 × 飯沢耕太郎」

行っていない人のために、ここでもおおまかな内容を紹介する。実際には飯沢さんの質問や参加者からの質問にたいして、横谷さんが応じるかたちで行われたトークなので、ここに書いたように、すらすらと話がすすんだわけではない。彼のとつとつとした口調や雰囲気を再現することも困難だ。これは、あくまで横谷さんの発言をまとめた覚え書きである。

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Yokotani Sen Talk

私は岡山で生まれ育ったんですが、岡山は田舎でなにもないので、遊びといえば、山で釣りをするくらいでした。兄につれられて、山によく釣りに行ったんですが、そのうちに、自分は釣りよりも、歩くことが好きなことに気づきました。小学校のころから山の中を野宿しながら何日も歩きまわりました。高校のときには、岡山県を野宿しながら一周したり、大学のときには家からずっと歩いて富士山まで登ったりしました。……歩いていると、いろんなことを考えるんです。それが楽しかったですね。


大学を中退してスタジオに入りました。だれでもそうだと思うんですが、仕事で撮る写真と、自分の撮りたい写真はやっぱりちがうんですね。自分の頭の中には、つねになにかこう、ぐわーっとしたイメージがあったんです。そのぐわーっとしたものっていうのは、ちょうど画家の筆のタッチのようなものだった。でも、私は絵は描けないから写真でそれを表現できないかなと、いつも考えていました。


26、7のとき、ロンドンでの仕事が現地解散になったあと、バスに乗って、モロッコの奥のほうまで行きました。仕事では外国はなんども行ってましたが、ひとりで旅をするのはそれが初めてでした。モロッコの奥の砂漠の中の小さな町で、バスを降りました。電気もガスも水道もないような町でした。


その町の、ある家の前で、一人のおじいさんが、石の上にすわって、一日中なにもしないでぼおーとしていたんです。実際には、ヒツジの番をしていたんですけど、ヒツジは勝手に草を食べていますから、べつに一日中見ていなくてもいいんですけどね。私もそのおじいさんをぼおーっ見ていたんですが、そのときに、こういう生き方があるんだと思いました。日本にいたときは、写真にかぎらず、ちゃんと仕事をしてお金をかせいで、社会的に自立しなくてはならないといわれつづけていたんですけど、そのおじいさんを見ていたとき、そういうことはどうでもいいのだと思ったんですね。となりの大きな町にも行かずに一生を終える、そうした人生もあるし、そういう人が、堂々と生きているわけです。


レンズの改造は25歳くらいからやっていました。100本くらいレンズをバラして玉を取りだしてつくってみたりしました。そうやって自分の頭の中にあるくわーっとしたイメージを、なんとか形にしてみたかった。ふつうのレンズというのは、画面の端から端までピントが合うようにつくられています。けれども、それだと自分の中にあるイメージとやっぱりちがうんです。まわりはぐねぐねしていて、真ん中はピントが合っているような、そんなイメージに合わせてレンズをつくっていました。


モロッコへ行ったあと、ひたすら旅をしました。世界中見て回ったら、自分にとってのユートピアみたいなのがあるんじゃないか、とも思っていました。基本的につぎどこ行くかは決めないで、人に聞いたり、地図を見て地形の面白そうなところ探しては、あちこち行きました。国連のトラックに乗ってソマリアの難民キャンプへ行ったり、戦場へ行ったり、なんの装備もなく雪山へ登ったり、そんなふうにして10年くらい、やみくもに旅行しましたね。レンズは、そのときいちばん気に入っているレンズ1本しか持ち歩きません。トラックの荷台とかに乗って移動したり、野宿したりするのに、荷物が多いとたいへんなんです。基本的にはデイパックに寝袋とフィルムだけでした。


私が自分なりのいい写真の撮り方とおもっているのは、いい風景やいい情景は探すなということです。基本的には夕方しか撮りません。夕方は光がいちばんきれいなんです。日が落ちる直前のオレンジ色の光と直後の青白い光ですね。昼間だと紫外線が多いので像がシャープに結びません。青や紫は屈折しやすいので像がもわっとしてしまう。それにたいして、赤い夕方の光は直進性が高く、いちばんシャープなんです。だから、私の写真はソフトフォーカスなように見えますけれど、じつはシャープな写真なんです。そこがいい場所でなくていい。物ではなくてきれいな光を撮りたい。ああ、いい光だなと思ったらシャッターを押す。レンズも、その夕方の光をきれいにとらえられるように改造したものなので、昼間撮ると、ハレーションを起こして真っ白になってしまいます。

Pict0032_2

©Sen Yokotani

先輩からは、せっかく世界中、旅行するんだから、ついでにカラーポジも撮っておけば仕事になるからといわれたんですけど、やはり一個のイメージに集中しないと気が散ってしまうんですね。でも、自分の改造レンズで撮った写真をデザイナーに見せても、「面白いけどこういう仕事はないな、ピントが合っていないからね」といわれました。そこで、もう少し仕事になるような写真もとらなきゃと思って、ふつうのレンズで撮ってみたりもしたんですけど、そうすると、撮っているときも撮った後もどきどきしないんですね。やはり、自分はこれでしか写真が撮れない。


ただし、ピラミッドの写真は、迷っていてふつうの写真を撮らなきゃと思っていたときに撮った、自分の中ではふつうっぽい写真なんです。レンズも自分でつくったやつではなく、1000円くらいで買ったぶっこわれたローライのレンズです。ピラミッドはとても大きいので、初めは100メーターくらい離れたところからぐるりと一周して眺めて、また別の日には500メーターくらい離れたところを一周して、また別の日には1キロ離れて一周したり、さらに5キロ離れて回ってみてというのをくりかえし、とりあえずここというふうにポイントを決きめると、今度は、毎日夕方そこにいって一カ月くらい眺めていたりしました。


そうやって撮影した写真を現像するんですが、レンズが改造したものなので現像液も自分でつくりなおさなくてはならないんです。市販の現像液はふつうのレンズ用にできているので、レンズをつくるたびに現像液もつくりなおします。そうすると、現像液の調合によって、最初のころはヌメッとしたかんじの写真になったのですが、あとになってくると現像の仕方を変えてカリッとしたかんじがいいなと思うようになりました。そのあとさらにカリカリっとしてきて、イメージに近づいてきたなと思っていたんですが、いまになってみると薄暗い、どんよりした感じがなくなってきたので、また前のやり方に戻そうかと思っています。だから、ここにある作品も、私の中では未完成なんです。


現像はカルバミド調色という方法で行っています。カルバミドとは尿素です。現像の仕方は、いろんな昔の資料を見て、実験しました。カルバミド調色は、銀をいったん消して尿素で色をのせるのですが、私は銀を少し残して漂白して、そこに調色した色を載せています。そうすると重なり合う部分が、明るさによってちがう色になり、それが深みにつながるんです。結局、色の差を出すためにいったん水洗して乾かしてまた10日して水洗します。


印画紙は、フランス製のアルシュという500年くらい前からつくられているものを使っています。コットンの毛足の長いものを漉いてつくった水に強い紙です。水に入れると繊維が緩むので、置いて半年くらいたつと黒がしまるんです。そのあとでコーティングするので、一枚できあがるのに最低半年くらいかかります。ただ、この印画紙が製造中止になってしまったので、これから焼く場合は、別の似た印画紙を使います。それもなくなってしまったら、自分でつくるしかないですね。印画紙をつくるのはけっこうかんたんなんです。問題は工場で作っているのとちがって均質性が出せないので、テストをたくさんしなくてはならないことです。


この間テレビで、秋葉原でお客さんを殴るアイドルの女の子が人気だという話を見ました。お客さんは殴られるのが幸せなんだそうです。われわれから見ると変態かもしれないですけど、そんなことでも本人にとっては幸せなんですね。私も変態かもしれませんが、こうやって写真をつくるのが最大の喜びなんですね。ある程度がまんしてもそれをやるのはなんともない。欲望をけずっているのではなく、かたよった欲望がある。好きなことを持っている人はそうだと思います。まともに仕事に行ってお金を稼いで家族をもってというのがかならずしも幸せではないのではないか。


私は子供のときから、よく先生に怒られました。自分ではまちがっていないと思っていても、みんなとちがうからだめだといわれつづけてきました。それなら見た目だけでも同じにできればいいんですが、私はどんくさくてできなかった。でも、旅をしたことのある方ならわかると思うんですが、世界を旅していると、日本人が当たり前だと思っているそういう価値観が、じつは世界では非常識だということがわかってくる。モロッコで見たおじいさんもそうですが、そういう人が堂々と生きている。金がなくても、自分の力で、自分の好きなことをしていくのが私には幸せなんです。欲望をけずって、こういうことをしているのではなくて、楽しくてしょうがないんです。

 

横谷宣×飯沢耕太郎ギャラリートークより
(於ギャラリー・バウハウス 2009.1.16)

文責:Machi Tanaka

 

 

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Sさんの日記より

おくればせながら、年が明けました。おめでとうございます。

2009_new_year


さて、年末に告知したヨコタニさんの写真展が開催中である。なるべく多くの方に知ってもらいたいのでミクシーにも告知を出してみた。ミクシーは入っていたものの、ほとんどほったらかしだった。でも、書き込みのために、これを機に、コミュニティというのにも入ってみた。

 

見ていらっしゃる方というのはいるものだ。自分の書いた告知ではなかったのだけど、そのあと「美術館・博物館 展示情報」 を見たSさんという方の日記の中で、ヨコタニさんについて書かれた文章を見つけた。

 

それはヨコタニさんがカメラマンのアシスタントをやめて旅立ったあとの話だ。とてもすてきな話だった。

 

写真を見るうえで言葉はよけいだといえば、たしかにそのとおりだ。写真を撮ったのが、どういう人かというのも、どうでもいいことかもしれない。けれども、こういう人だからこそ、あのような作品を撮れたというのも、またひとつの真実ではないかとも思うのだ。

 

Sさんの許可を得て、文面の一部を以下に転載させていただく。

 


横谷 宣さんに初めて会ったのは、もう15年も前の事になるかな〜


僕が昔、カメラマンのK氏の専属アシスタントをしていた時に、
K氏から横谷っていうヘンなやつがいてね〜
でも、あいつが撮る写真はすごいんだ!
ある日突然パリに行っちゃって、
パリで撮影があった時にアシストしてもらったことがあったけど、
その後、どこへ行ったか分からなくなっちゃったんだ...
って言っていた。


そんなある日、K氏のスタジオのインタホーンが鳴って出てみると、
汚いかっこうに、布製のリュックを背負った短髪の男性が立っていた。


その男性は自分のことを説明しきれずにどうしようかな?って状況の時に、
何かを感じたK氏は慌ててドアから走り出てきた。


「横谷!!心配していたんだぞ!!!」
と、K氏はそのまま泣き崩れるように横谷さんと抱き合った。


横谷さんはパリからヒッチハイクをしながら東京まで戻ってきた。
でも途中でエジプトのピラミッドを撮影している時に、
どうしてもパリに一旦戻らなくちゃならなくて、
仕方なく飛行機でパリへ戻り、用事を済ませ、
飛行機で同じポイントまで戻り、
そこからまた撮影をしながら、
日本まで戻ってきたというんだ。


住む所も、お金もない横谷さんは
しばらくKさんのスタジオに住んでいた。
アルバイトをしながら、K氏のスタジオで、撮りためたフィルムを現像したり、プリントをしたり。


そうやって何ヶ月スタジオに寝泊りしていたかな〜


その間にいろんな話を聞いたな〜


Sさんも1回バックパッカーで世界を回った方がいいよ。
お金もそんなにかかんないよ。
でも人生観、価値観は変わるよ。
って言われたけど...
(僕は怖くてそんなこと出来なかったなぁ...)


そんな話をしながら、横谷さんの写真を見せてもらった。


初めて見せてもらったときは、正直、言葉が出てこなかった。


こんな写真見たこともないんだ。
とてつもなくすばらしいんだ。
素晴らしい!以外のなにものでもなくて、
それ以上言葉にできないんだ。


そんな素晴らしいモノクロの写真を見せてくれながら
横谷さんはこんな事を言っていたなぁ〜


「僕にはお金も、守るものも、本当に何もないんだ。
 あるのはこの作品たちだけ。
 この作品たちが俺の財産かなぁ〜」って。


そんな作品たちを是非観てください。


僕が知っている作品たちがあるかどうかはわかりません。


でも、知らない作品だったとしても、
たぶんとてつもなく素晴らしいと思います。


たぶん観たことのない写真だと思います。


やっと、あれらの作品がたくさんの方々に観てもらえる機会が出来て本当にうれしいかも。

 

 

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