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2009年2月

横谷 宣と語る会 報告

一カ月ぶりの更新です。どんなに忙しそうでも、毎日更新している人とかいるので面目ありませぬ。今朝なにを食べたとか、なにを読んだとかくらいなら書けるとしても、それだけというのもなんだし、やはり日記といっても浅漬け程度には漬け込まないとなあと思うのですが、そうすると気がつくと浅漬けどころか古漬けになってカビが生えて食べられなくなってしまうので、そのあたりの塩梅がむずかしいですね。

 

今回も横谷さんネタです。ミクシー(ではなくてミクスィーでしたね)の横谷宣コミュニティも50名くらいの方が入ってくださってありがとうございます。ぼくのところにも、いろんな感想が寄せられ、とてもうれしく思います。横のバーにも書きましたが、作家の宮内勝典さんも来てくださって、ブログに感想を書いてくださいました。宮内さんは、コネとか友だちだからとかヌルい理由で、なにかを持ち上げるような方ではないので、これはとてもうれしかった。

 

さて、2月14日にギャラリー・バウハウスで、前回のトークイベントに来られなかった方のご要望に応えて2度目のトークイベントがありました。今回はこぢんまりとしたお話し会のつもりでしたが、ふたを開けたら前回同様50人以上の参加者があり、立ち見も出ました。

 

で、来られなかった方のために、遅ればせながらトークイベントの抄録です。前回もとてもいい感じだったのですが、今回もとてもいい雰囲気でした。会場からもいろんな質問が出ました。話をざっくりまとめたものを以下に掲載します。前回の話と重複するところは省略しました。

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写真は小瀧達郎氏のブログより

その前に、ちょっとだけ。会場でも述べたのですが、横谷さんの写真はけっしてだれにでも受け入れられるようなものではないかもしれません。けれども、彼の写真に深く心を動かされる人は、少なくともこの世界に何千人か、あるいは何万人かはかならずいると思います。

 

今回、思いがけず、ほんとうにいろんな方が来ていただけて、その思いがまちがいでなかったと確信しています。ギャラリーの方の話では、賞もとっていない無名の新人の写真展に、これだけの人が来て、これだけ写真が売れたのは、相当異例なことだそうです。わざわざ関西や北陸から来てくださった方もいらっしゃいました。展覧会も2月いっぱいまでです。もし、未見の方はぜひ足を運んでくださればと思います。



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Yokotani Sen Talk 2



子どものころ


子どものときの記憶はあまりないんです。私は成長が遅いというか、精神的に奥手だったのか、小学6年生まで友だちが一人もいませんでした。兄がいたので、兄が友だちと遊んでいるのに、いっしょについていって遊ぶくらいで、近所の人とも学校の友だちともほとんど遊べなかった。あいさつもできなければ、ありがとうということもできなかった。だから、よくいじめられました。


兄が中学に上がった頃から、突然私を殴るようになりました。中学が暴力で悪名高い学校だったので、きっと兄もだれかに殴られて、人は殴るものなんだと思ったのかもしれません。私も中学に上がると、毎日、学校で殴られていました。あいさつもしないし、しゃべりもしないのに、態度だけはふてぶてかったので、生意気に見られていたのでしょう。あまり写真とは関係ないですが。


小学校のときから歩くのが好きでした。高校では友だちとわいわいやっていたのですが、ふと一人になって考えたりする。寝袋だけもって一人で歩いていると、自分のことや、友だちのことなどを考えたりしている。それが面白くて、寝袋だけもって思いつくと夜中でも歩いていました。大学に入ったのは、共通一次がはじまった最初の年でした。世間的にも、いい大学に入って、いい会社に入ってということをいわれつづけていた時代です。私は中学のときからサラリーマンにはなりたくない、職人になりたいと思っていたのですが、親は許しませんでした。


大学に行くなら写真をやりたいと思っていたのですが、これも親が許さないのでしかたなく建築学科に入りました。それまで職業というのは、いろいろやっていれば、そのうちに自分にはこれしかないというものが天から降ってくるように決まるのかなと思っていたのですが、大学3年のとき、そんなものは降ってこないことに気づきました。職業は自分で選ばなきゃいけない。そこで、自分がなりたくないもの、できないものを消去法で消していくと、結局カメラマンしかない。食えないかもしれないけれど、とりあえずつづけようと思いました。職業の選択については、以来、食えなくなっても一回も悩んだことはありません。


大学を中退してスタジオに入って、毎日カメラをいじっているうちに、仕事で撮る写真のほかに、自分の中に出したいものがあり、それをどういうふうに表現すればいいかばかり考えていました。表現したいイメージがどこから来るのかはわかりません。食欲とか性欲のように体の中に出し切れずにある、もやもやしたもの。その表現方法について考えるうちに、自然とレンズの改造をしていました。


モヤッとではなく、グニャッと

 
ふつうのレンズで写真を撮って現像するというのは、売っているテレビを買って、与えられたコンテンツを見るのに似ているかもしれません。カメラの性能や写り方というのは、メーカーが考えるわけです。その性能を最大に引き出すような現像法があり、それにしたがって写真をつくりあげる。けれども、私は家具職人が、一つひとつちがう家具をつくるように、一つ一つの写真を一からつくっていきたかった。


レンズをつくるというと、特殊なことのように思われがちなのですが、レンズをのこぎりで切って玉を取り出すのは、スタジオマンならよくやっていたことなので、自分にはふつうの感覚でした。そうやって最初に8×10のカメラに改造したレンズをつけて撮影したところ、思いのほか、うまくいきました。それで一眼レフでも同じことをしてみようと思いました。


レンズの改造はやり方が決まっているわけではないので、くりかえしながら、ちょっとずついろんな工夫をしていく。すると、うまくいきすぎて、売っているのと変わらない解像度のいいレンズができてしまったりする(笑)。市販されているレンズにもソフトフォーカスレンズというのがありますけれど、あれはフレアが出るような、もやっとした感じで、それは好きではなかったんです。もやっとしているんだけど、フレアは出ないようにして、コントラストは合っていて、線は力強く、ぐいぐいと来るものがほしかった。


印象派の画家などにとっては自分の色調やタッチこそがだいじなのであって、描いているものはあまり関係がない。それと同じように、自分の色調とタッチを表現するためのレンズと現像法がほしい。写真の色調やコントラストはフィルム現像でほとんど決まるので、レンズに合わせて現像液を変えて、全体として、モヤッとしたのを抑える現像方法をつくっていく。レンズ自体もモヤッとせずにグニャッとした感じにする。やってみないとわからないので、とにかくいろいろ実験しました。


ルイ・ヴィトンに並ぶ


撮影の仕事でロンドンに二ヶ月いたことがあり、そのあと一人でなんとなくフランス、スペイン、モロッコのサハラ砂漠の端の村まで行ったことは前回お話ししました。そのあといろいろ旅行して日本でまた仕事をしていたのですが、あるとき東京で撮影の仕事の後、みなで集まっていたときに、そこにパリで発行されている日本語新聞が置いてありました。なにげなくそれを見ていたら、パリの貸部屋情報が出ていた。その場にいたスタッフが、だれそれさんもパリに行ったんだよね、という話をしたとき、私も発作的に「私もパリに行きます」といってしまって、それからまもなくして部屋をたたんで、本当にパリに行きました。


パリには部屋を借りて3年くらいいました。お金はなかったのですが、ひょんなことからアルバイトの口を見つけました。その頃はバブルの影響で、日本人がパリのルイ・ヴィトンの店に行列しているという報道がされていた頃でした。けれども、あれはじつはうそなんです。どうして、そんなことを知っているかというと、私もそこに並んでいた一人だったからです。


ヴィトンは並行輸入で高く売れるので、パリ在住の輸入業者の元締めが、アルバイトを集めて、彼らにお金を渡して、商品を買い占めさせていたのです。私のほかは、ほとんどがベトナム系の移民でした。私たちは毎日元締めから一人日本円で50万円くらいずつ渡され、朝一番に店に並んで全額ヴィトン製品を買います。すると、その5パーセントが報酬になるという仕組みでした。そんなことをしてお金をつくっては、旅行に出かけてました。


私が行くところは基本的に安いところなので、お金はあまりかかりません。移動はローカルバスかヒッチハイクです。泊まるのも野宿か、人の家に泊めてもらうことも多いです。私はバスが好きなんです。列車は泥棒が多いし、走るのも町外れですが、バスは泥棒はあまりいないし、村から村へとめぐるので、休憩のとき食堂に入ったり、物売りが来たりするのも楽しい。好きなところで降りて、野宿することもできる。写真を撮りたいときに、ちょっと停まってもらうこともできる。


旅行をしていてると日本の価値観が世界では通用しないことがわかってくる。それが私には面白かった。だから、その後、日本に帰って人になにをいわれても、気にならなくなりました。あともう一つ、わかったことがありました。私は旅に出る前、世界のどこかには自分にとってのユートピアみたいなものがあるんじゃないかと思っていました。でも、最初はいいなあと思っても、長くいると飽きてきたり、悪いところが見えてきたりする。そうやってあちこち行くうちに、結局どこもいっしょだということもわかってきた。金持ちの国がいいとか、人権が守られている国がいいといった一つの物差しを当てなければ、どこの国もバランスがちがうだけで。それほど変わらない。総合的に点数をつけると、どの国も同じくらいだと思います。その意味では、日本も悪くないと思うようになりました。


印象深いのは国ではなくて、そこでたまたま起こったことが心に残ったかどうかということだと思います。会った人とか出くわした事件がたまたま印象深いものなら、それが心に残る。あるいはそこで見た光がきれいだったとか、そういうことが旅の印象を決める。もし、お金をたくさんもらって好きなところへ行っていいといわれても、どこへ行きたいというのはあまりない。とりあえず、バンコクでもカイロでもいい、そういう旅行者が集まるところで話を聞いて、それから決めたい。


どろっと、ぐわっと


それでもどこへ行きたいかと言われれば、夕方の光のきれいなところ、きれいな光のありそうな場所に行きたいということになります。でも、そういう場所との出会いは偶然です。どこに行けば、なにがあるというものではない。どこで撮ったとか、なにを撮ったというより、できあがった作品を見てみると、自分がいいと思うものには、なにか共通するつながりがある。それはうまく言葉にはできない。どろっとしたものというか、ぐわっとしたものというか、そういう光と空気の感じとしかいいようがありません。

でも、そうやってできた写真を、いろんな人に見てもらうと「こんなのピントが合っていないから使えない」といわれてしまう。だったら、ふつうの写真も撮らなくてはと思うのですが、自作のレンズで撮った写真でいいものが撮れると、ふつうのレンズで撮った写真では不感症になったように、どきどきしないんです。自分はこれでしか感じない、でも、それでは仕事にならない。そこでまたふつうのレンズを試してみる。そのくりかえしでした。


プリントに半年かかるというのも、特殊なことのように思われていますが、そんなことはないんです。印画紙が完全に乾いて黒がしまるまでには時間がかかるのは写真家の間ではわりと常識的なので、どこまで待つかは別にして、黒がしまるのを計算に入れて少なめに露光するといった工夫は、みな行っていることです。ただ、私の使っている印画紙はその性質上、乾くのに時間がかかり、黒のしまり方がかなり変わってくるというのはあります。また、トーニング法であるカルバミド調色も、いまやっている人は少ないですけれど昔からある方法の一つであって、けっして特殊なやり方というわけではない。


ものを作る人はだれでも、そうだと思いますが、なにか伝えたいものがあるのだと思います。けれども、実際に作るときは、これを伝えたいというのがはっきりあるわけではない。全部でなにを伝えたいかということより、「ああ、これきれいだな」と思って見てもらえればいいと思います。私の中では、つねになにがいいものなのか揺れ動いています。初めは、ぬめっとした感じがいいと思っていたが、そのうちに、それに飽きて、もっとガリッとした感じを出したくなって、またレンズをつくり、現像法を変えてみて、それでアンコールワットの写真でガリガリッとした感じが理想として出てきた。でも、そうすると前にあった重みがなくなってしまった気がして、また戻そうかと思っている。それが私には楽しいんです。


横谷宣と語る会(聞き手:田中真知)
2009.2.14 ギャラリー・バウハウスにて

 

 

 

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