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桜の花咲いて、野町さんの写真を見る

例によって更新期間が空いてしまい、月刊ブログになりかけていた。ときおりページをのぞいてくださっていた方、すみませんでした。ブログというのは結論がなくても、断片的なことを書くだけでもいいとはわかっているのだけれど、性分なのかなかなか割り切れない。自分の中で書けないことや、書きにくいこと、書く気になれないことなどもあるし、みなどうしているのだろう。そうこうしているうちに桜も咲いた。

 

ともあれ気分一新して春の再開である。カッパの皿回しのほうも更新した。今後はともにこまめな更新を、といっても、だれにも信じてもらえないだろうな。また罰金制を復活させようかな。うーむ。

 

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さて今回も写真の話。ただし横谷さんではなく、いま恵比寿の東京都写真美術館で開催されている野町和嘉さんの写真展のことだ。

 

知っている方も多いだろうが、野町さんは1970年代にサハラを撮影され、その後ナイルの奥地やチベット、インドなど世界の辺境とよばれる地域を地を這うように撮影してきた方だ。一方で、メッカやバチカン、エチオピアの教会のような祈りの現場に肉薄した作品でも知られる。今回の写真展は「聖地巡礼」というタイトルで、これまでに訪れた場所のなかで宗教や祈りに結びついた作品が選ばれている。

 

これまで野町さんの写真展にはなんども足を運んできたけれど、今回の写真展はその中でも、とりわけよかった。メッカやチベットといった地域をテーマとするのではなく、聖地や祈りというテーマこそが、彼の写真を貫いているものであることが、とてもよく伝わってくるからだ。とくに今回ぼくは初めて目にしたのだけれど、インドの写真が圧巻だった。

 

ちなみに、ぼくがアフリカに行くきっかけになったのも野町さんの写真だった。それはスーダン南部のディンカという牧畜民を写した一連の写真だった。明け方の青ざめた光の中にシルエットとなって浮かぶ彼らの姿が、なにか、この世のものとは思えないほど神々しく思われた。こういう人たちが同時代に地球のほぼ反対側で、いまもこうして暮らしている、というその事実に衝撃をおぼえた。

 

たとえ一時的に衝撃は受けても、時がたてば自分の日常とはかけはなれたリアリティは薄れていくものだ。けれども、野町さんの写真で見たディンカは、日がたっても目に映る日常のほうがかき消えてしまうほど圧倒的な存在感に満ちあふれていた。写真に映し出された現実にくらべれば、自分の生きているこの日常はなんとふにゃふにゃしたものなのだろう。若かったぼくには、そんなふうに思えてならず、それから2年後、スーダンをめざした。

 

もっとも、ぼくが彼の地にたどりついたときには、すでにディンカの暮らしているエリアは内戦下にあり、とても訪れることのできる状況にはなかった。野町さんが写真に収めたのは、スーダン南部が幸福だった最後の時代だったのかもしれなかった。

 

いま、あれから25年くらいたって、あらためて野町さんが1970年代、80年代に撮影したサハラやスーダン、エチオピアなどの写真を見ると、時代が変わったなあという思いがこみ上げてくる。いや、時代が変わったというより、自分も含めて、それを見るわれわれの眼差しが変わったということかもしれない。

 

当時、野町さんの写真に魅せられた人は多い。ぼくもそうだが、地球上には、こんなにもざらついた存在感のある激しい世界が存在するのだ、ということに衝撃を受けて、旅に出た人も少なくないだろう。けれども、いま若い人たちは、この写真をどんなふうに見るのだろう。

 

野町さんの写真はけっして外地の情報を伝えるものではない。むしろ、そこから伝わってくるのは、ざらざらした「生」の手ざわりのようなものであって、インドに行ったから、エチオピアに行ったからといってそれだけで出会えるようなものではない。野町さんの撮影した地域の情報なら、いまならネットでいくらでも手に入るかもしれないが、彼の写真にしかない生々しい触感は、やはりそれだけではけっして見えるものではないのだ。しかし、あふれんばかりの情報の中で、野町さんの写真といえども、情報の一つとしてとらえられてしまうとするならば複雑な気分だ。

 

また、スーダンもそうだったように、野町さんが撮影したサハラは、いまのサハラではない。少なくとも、治安面とか、情報面では大きく変わった。オープニング・パーティーの会場で、一時期カイロに暮らしていて、いまもサハラの写真を撮りつづけている知人のカメラマンの大塚雅貴さんに会った。大塚さんによると、この数年、日本ではまったく報道されていないが、ニジェールの治安が悪化してアルカイダが入ってきて外国人の拉致などをくりかえしているという。

 

大塚さんはいう。「もう昔のサハラじゃないんですよ。すっかり危なくなってしまった。それにいたずらにネットで現地の情報が手に入ってしまうのも困りものなんです。実際は行けば何とかなるのかもしれないけれど、情報があると、かえっていろいろ想像してしまって行けなくなってしまうんです」

 

会場には戦場カメラマンの村田信一さんもいた。このときだったか、その前に会ったときだったかおぼろげだが、村田さんは、雑誌メディアでは戦場取材や戦場の写真などへの需要が以前に比べてがくんと減ったと話していた。情報はいくらでも手に入るが、一つひとつの情報のもつ重みはどんどん軽くなり、かぎりなく背景へと遠ざかってしまったような気がする。死体の写真なんて、その気になればネットでいくらでも見られるし、パレスチナもダルフールもチェチェンも、よく区別がつかないし、自分たちとはとりあえず関係ないし、というのが一般的な感覚だろう。それがよくないというのではなく、そういう感性の閉塞感におおわれた時代なのだ。

 

今回の写真展の図録にノンフィクション作家の最相葉月さんが、こんなことを書かれていて、読みながら思わず「そうだよなあ、そうなんだよ」と頷いてしまった。「……近頃、野町さんのように辺境を旅する若い写真家は少なくなった。グラフ誌の相次ぐ廃刊で写真家を支えるメディアがないことも大きな理由だろうが、それだけでもないようだ。グーグルで検索すれば、サハラもインドもチベットも、ヴァーチャルに旅行できる。もう全部見ちゃった、もはやこの世に辺境はない、という錯覚の中で私たちは生きている。乾いた砂漠に吹きすさぶ熱風も知らなければ、ヌバ族の体臭も、ガンジスの火葬場から漂う死体の焦げる臭いも嗅いだことはないというのに……」

   

 
野町和嘉写真展「聖地巡礼」
■会 期:2009年3月28日(土)→5月17日(日)
■休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
■会 場:東京都写真美術館 地下1階展示室
■料 金:一般 800円/学生 700円/中高生・65歳以上 600円
 
 
 

   

 

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