« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

あまやどり (かっぱとあひる  4)



 


Pict0002


きょうも こさめが ふっている


 
 
 
 
Pict0006

でも あまやどりは すきだ


 
 
 
 
 
 

Pict0012

くさが どんどん のびていく


 
 
 
 

 
Pict0037

きのねっこも かさを さしている

 
 

 
 
 


Pict0018


あ あかいみだ

 
 
 
 
 
 

Pict0020


なんのみ だろう

 
 
 
 
 
 
 
Pict0016


あひるさんが いたら おしえてもらえるのにな

 
 
 
 
 
 

Pict0031


あれ これは

 
 
 
 
 

Pict0030


いんでぃあんの はねだ

 
 
 
 
 
 

Pict0024

いんでぃあんも あまやどり しているのかな
 
 
 
  
 
 

Pict0028

 

あ みずたまりだ

 

 
 
 
 
 
 
Pict0026

みずたまりの なかは いろが ついていないんだ

 
 
 
 
 
 

 
Pict0029


 
むかしの せかいを のぞいているみたいだ


 
 
 
 
 
 
 

Pict0042


そういえば このまえ あひるさんが おおきなみずたまりに つれていってくれた

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Rimg0154


そこは とても おおきな みずたまり だった

 

 
 
 
 
Rimg0085


「おおきな みずたまりだね」

 

「それほどでも ないさ」

 
 
 
 
 

Rimg0094

「あの ひとは なに?」


「あれは りょうし だよ」


 
 
 

 
 
Rimg0067_2

「りょうし?」
 


「そう さかなを つかまえているのさ」
 

 
「ふーん」
 
 


 


Rimg0020_3

「この みずたまりのむこうに なつ がいるんだ」


「なつ?」
 

「そう とても あついやつ なんだ」


「ふーん」

 

 
 

Rimg0159_3


 
なつって どんなものだろう


 
 
 
 
 

Rimg0072_2

 

こんなかな・・・


 
 

 
 


 
 
 
 


Pict0215_2

 


こんなんだったら やだな・・・

 
 
 
 


 
Rimg0087
 


「じゃあ ちょっと なつを さがしに いってくるから きみは いいこに しているんだよ」

 

「あひるさん!」


 


 

 

Rimg0160


あひるさん いっちゃった・・・


 
 
 
 
 
 

 

Pict0044

あひるさん いまごろ なつのくにに ついたかな


 

 
 
 

 
Pict0023


なつの くにって どんなところ だろう
 

 
 


Rimg0022_2


こんなとこだったら いいな


 

 


Pict0025


あ すこし ひが さしてきた

 


 
 
 
Rimg0030


なつの くにに いってみたいな


 
 

 
 
 

Pict0051


〈おわり〉 

 
このあと 「なつのまひるのゆめ」につづく
 
 
 
 
 

| | コメント (8)
|

カミングアウト

最近は世の中もオープンになってきて、いろんな人たちがこれまで公にできなかった自分の秘密をカミングアウトできるようになってきたのは、いいことだと思う。人知れず秘密を抱えて、人前ではそれを知られないようにふるまうのは、なかなかつらいものがある。


じつは、ぼくにもそんな秘密がある。といっても、自分自身にとっては秘密でも何でもなく、気がついたらそうなっていたのだ。自分には自然なことなのだが、他人からするとかなり変わっているようなので、あえて口にすることはなかった。知っているのは家族だけである。だが、その家族の反応はというと、「信じられない」「かっこわるすぎる」「恥ずかしい」など、すこぶる評判が悪い。


どうして、そんな差別的ないわれ方をしなくてはならないのか。べつに恥じるようなことではない。法を侵しているわけでもない。たまたま、自分がそうだったというわけで、それで日陰者扱いされるのは不本意というものだ。人に迷惑をかけているわけでもないし、気づいたらそうなっていたのだから仕方ないではないか。


それでも、他人にそのことを知られたいかというと、やはり抵抗がある。いちどうちに来た友人がネット検索をしたいというので、うっかり何も考えずにぼくのパソコンを使わせた。ところが入力しようとした彼がモニターを見つめて「ありゃ、なんですか、これ!」とびっくりしたような声を上げた。その声ではっと気づいて、あわてて友人をどかして、いや、なんでもない、あれ、どうしたのかなとごまかした。危なかった。


でも、考えてみればべつにごまかさなくたってよかったのだ。これがありのままの自分なのだから。それに、ひょっとしたら自分のような人間はほかにもたくさんいるのかもしれない。世間の目が気になって公にできないだけかもしれない。そう家族に話すと、「ありえない」「そんな人、会ったことない」と言下に否定される。


ほんとうにそうなのか。たしかに、これまで会ったことはない。でも、おおっぴらには口にできないだけで、本当はけっこうたくさんいるのではないか。じつは、そうした仲間が集うマニアックな雑誌がひっそりと売られていて、こっそりと秘密の会合などが開かれているのではないか。
 

そう思ってネットで検索してみたが見あたらない。ミクシーでコミュニティを検索してみても、やはりない。よほど地下深くまで潜入しているのか、それともほんとうにいないのか。いや、いないはずはない。


そこでまず自分からカミングアウトすることにした。これ以上、隠していても(隠しているわけではないのだが)謎はとけそうもない。もし、自分のような人が思いのほかたくさんいることがわかれば、家族からのたびかさなる暴言も不当であったことがわかるし、負い目を感じることもない。なので、もしぼくと同じタイプだという人は恥ずかしがらずに教えていただきたい。


肝心のカミングアウトの内容だが、パソコンの入力で「ひらがな入力」を使っている、ということである。

 
つまり、キーボード上でローマ字を打って、それを日本語に変換しているのではなく、キーボード上に書いてある「ぬ」とか「ふ」とか「あ」という文字を直接打って入力している、ということである。


家族のいうように、ぼくもこれまで「ひらがな入力」で文章を書いているという人に直接会ったことがない。年をとってから初めてパソコンにふれた人には、そういう人もいるかもしれないが、若い人で最初からひらがな入力でという人は、どのくらいいるのだろう。

Rimg0003


自分の場合、英文タイプはやったことがあったが、初めてワープロ専用機を買ったとき、そこに書いてあったひらがなを見て、ローマ字入力よりも打つ回数が少なくてすむと思って、以来、ずーっと疑問を持つこともないまま、ひらがな入力だった。とくに不便を感じることもなかった。


ところが、パソコンが普及するようになってから事情が変わった。外国でネットカフェに入ってメールを打とうとすると、キーボードに「ひらがな」が書いていない!

  
それならローマ字入力で打てばいいのだが、もうずーっとひらがな入力しかやっていないものだから、打つのが極端に遅い。たまに英文を書くこともあるので打てないわけではないのだが、ローマ字入力で日本語を打とうとすると思考とタイピングのテンポがずれてしまって、時間はかかるし文体はおかしくなる。

 
しかもネットカフェにおいてあるのは、ウインドウズ・マシンである。パソコンはマックしか使ったことがないので、ウインドウズの使い方がわからないので操作にも苦労する。二重苦である。短いメール一通書くのにも人の倍以上時間がかかる。


そんなわけで、ひらがな入力が少数派であるのはおそらくまちがいないのだろうが、じつはけっこうマニアックに使っている人は多いのではないかと期待もしている。だって、やっぱり二文字打つより、一文字で打つ方が速いし、宇摩志阿斯詞備比古遲神とか高御産巣日神といった言葉をローマ字で打つなんてなんだかなあという気もしないだろうか。

 
みんな、ほんとうにローマ字入力なのだろうか。キーボードに書いてある、あのひらがなに誘惑されないなんて、そっちのほうが信じられないのだが。 「あの有名な作家のだれそれはひらがな入力だった」とか、そういうたのもしい情報などもご存じの方がいたら教えてください。


| | コメント (10)
|

エジプトの豚のこと その2

前回、エジプトの豚虐殺の話を書いたら、長年エジプトに住んでいる友人からメールをもらった。それについてコメント欄に書きだしたら長くなってしまったので続編ということで新たにエントリーを立てました。


エジプトの友人によれば、「(今回の措置は)全く偽善そのもの……他国に先立って衛生面から防御策をとっているとの恰好づけ」という。「コプトの大主教もこの処理案に賛成したそうです。政府は補償するといってますが、これもまずないのではないかと思います。会社の同僚(イスラム教徒)に今回の政府の方針についてきくと賛成との事。決して日常的に過激な言葉を口にする者たちではないのですが」とのこと。ほぼ思ったとおりだった。


ただ、意外だったのはエジプトのコプト大主教が、このたびの豚の処分に賛成しているらしいということだった。調べてみると、たしかにそのとおりだった。しかし、今回、いちばん打撃を受けるのはコプト教徒の豚生産者・処理業者などだ。彼らを保護する精神的支柱であるはずの大主教なのに腑に落ちない。しかも、その発言は、政府の方針に逆らってはいないものの、なんとも歯切れがわるい。


大主教は「エジプトのコプト教徒のほとんどは豚肉を食べない。エジプトの豚肉は非イスラム教徒の観光客によって食べられている」と述べ、さらに感染予防対策を優先する政府のやり方を認めるような発言をしている。でも、これは明らかにエジプト政府の顔色に気をつかっている弱気な発言だ。しかも事実ともちがう。「エジプトのコプト教徒のほとんどは豚肉を食べない」というのは正しくないし、今回の処置が感染予防対策などではないこともはっきりしている。国連のFAOをはじめ、感染症の専門家たちも感染の確認されていない国で豚を処分することがナンセンスであることは明言しているのだ。


にもかかわらず結局、処理は強行された。予想されたことだが、警察隊が装甲車で豚を飼育している地域に乗り込み、豚を飼育している人たちとの間で衝突が起こり、負傷者や逮捕者が出ている。このような事態を止められなかった大主教への失望を口にするコプト教徒も多いというが、そりゃそうだ。でも、そこまで大主教が政府に気をつかわなくてはならないのには理由がある。やはりコプト教徒の立場が弱いのだ、エジプトでは。

Pict0023

今回の事件には、やはりエジプトのイスラム化という背景があるのだと思う。長い歴史の中で見るとエジプトにはなんでも飲み込んでしまうような、ふところの広い寛容さがあった。しかし、それと逆行するようにエジプトのイスラム化が、近年じわじわと進んでいる。キリスト教徒やさまざまな移民を抱え込んだ国家主義的なアイデンティティは影をひそめ、むしろ汎イスラム主義とでもいうか、イスラム国家の道をめざしているような政治的動きが目立つ。要するに、国内のコプト教徒よりも、外国のイスラム教徒のほうを同胞と見るような感覚である。こうした極端なやり方が粛々と進められていくことは、とても怖い。それは南隣のスーダンで長年行われてきたイスラム化という名の下の民族浄化政策に重なるものがある。


現在も、エジプトのコプト教徒にはいろんな法的な制約がある。モスクを建てるのにはたいした許可が要らないが、新たに教会を建てようとすれば、膨大な手続きが必要になる。警察や役人、教育機関などでもコプト教徒が高い地位に就くのはむずかしい。コプトにとって社会的に不利な法的システムがまかりとおっているのが現実である。けれども、事実上の一党独裁の政府の下では、それに表立って逆らうことは、かえって自分の首を絞めることになる。今回の大主教の弱気発言も、そうした事情があるのだろう。


気の毒なのは、今回のあおりをいちばん食ったのが、エジプトのマイノリティであるコプト教徒の中でも、もっとも弱い立場にある人たちであったことだ。政府は補償をするといっているというが、その額は豚1頭につき1000ポンド(約2万円)という。しかし、実際にエジプトの事務処理の煩雑さや遅さを考えると、友人がいうようにきちんと支払われる可能性はとてもあやしい。それにたとえ一時的にわずかばかりの補償金をもらったからといって、生活の糧を失った彼らの先行きは暗い。それに豚の飼育者だけの問題ではなく、冷凍倉庫業者や運搬業者、販売業者など、その周辺の何万という人たちの生活だってかかっている。コプト教徒は豚を食うとか食わないという問題ではない。


| | コメント (3)
|

エジプトから豚が消える?

豚インフルエンザが世界中を不安に陥れているが、数日前の新聞にあったある記事に目を疑った。それはエジプト政府が、「豚インフルエンザ対策として、国内で飼育されている豚約35万頭の全頭処分を決めた」というものだ(朝日新聞09年4月30日)。となりのイスラエルで感染者が出たことを受けて、先手を打ったつもりなのだろう。しかし、これは、もし本当に実行されたとしたら、とんでもない暴挙である。


エジプトの人口の9割を占めるイスラム教徒にとって豚は不浄とされる動物であり、食用にされることはない。しかし、1割のキリスト教徒(コプト教徒)にとっては豚は、ウシやニワトリなどと同じく食肉である。そして、豚の飼育をなりわいとしているコプト教徒にとって、それは仕事を奪われることにほかならない。エジプト国内で感染が確認されたわけでもなく、豚から人よりも、むしろ人から人への感染こそが脅威だというのに、豚全頭処分はほとんど無意味である。


エジプトではさしあたっての脅威はむしろ鳥インフルエンザである。鳥インフルエンザへの感染例は60件以上あり、30人近くが亡くなっている。これほどの被害を出しながら、エジプト中のニワトリが処分されたという話は聞かない(感染源となった鶏舎の鳥は処分されたのかもしれないが)。そこには、豚を食べないイスラム教徒中心の政府の施策が露骨にあらわれている気がしてならない。


エジプトで豚の飼育に携わっているコプト教徒たちの多くはとても貧しい。彼らはカイロの街の東外れにあるモカッタムの丘の麓に暮らしている。そこはカイロ中のゴミを集めるゴミ収集業者たちが40年ほど前に強制移住されられた地区でもある。ぼくも訪ねたことがあるが、ところかまわず堆積するゴミにおおわれた壮絶な場所だ。生ゴミの発する熱のせいか、いたるところで噴煙が上がり、あたりは鼻の曲がりそうな強烈な刺激臭に満たされている。街にゴミが散乱しているというのではなく、ゴミの中に街があるといったほうがあたっている。

Z3

豚はこれらの生ゴミを餌として飼育されている。アパートの一階部分がゴミで覆われ、その中に何十頭もの豚がうごめいていたり、街のいたるところに仕切りが作られて、そこにおびただしい豚が飼われていたりする。高いところから見ると、豚はゴミの海の中で、長い胴をてらてらと黒光りさせたナメクジの群れのように見える。それはたしかに清潔とはいいがたい。けれども、地方から出てきた貧しいコプト教徒にとってゴミの収集と豚の飼育は、彼らのできる数少ない仕事なのである。


Z1


強制移住によってつくった地区にもかかわらず、政府はここを行政政策から切り捨ててきた。住民は長年、カイロのゴミ処理を一手に引き受けてきたにもかかわらず、最近では政府はゴミ収集を彼らの手から切り離し、民間のゴミ収集業者の手への移管する政策を進めている。要は、この不衛生なゲットーのような地区を一掃してしまいたいのである。


さらに住民に追い打ちをかけるように、たびたびモカッタムの丘から巨大な岩が崩落して人びとが犠牲になる事件が起きている。そこに来て、今回の豚の全頭処分のニュースである。イスラム教徒の豚への嫌悪感からパニックが起きることを怖れてというが、本音はこの不衛生な地区と住民と豚を一掃してしまうために、今回の豚インフルエンザ騒動は好都合と考えられたのだろう。しかも、国際社会に対しては、豚インフルエンザに対して迅速な対策をとる有能な政府というイメージを植え付けられるとでも思ったのかもしれない。

 
しかし、見かけの凄絶さにくらべて、この地区の雰囲気はけっして悪くない。人びとはやさしいし、コミュニティのつながりや同胞意識も強いし、治安もけっして悪くない。豚を全頭殺すということは、豚の飼育を生業として、ぎりぎりの生活を送っている何万人ものコプトの人びとの生活を殺すことである。それも、ほとんどなんの根拠もなしにだ。そのほうが、よほど将来的な社会不安をあおる結果になると思うのだが。愚かとしかいいようがない。

| | コメント (2)
|

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »