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SING FOR DARFURに思う

先月になってしまったが、慶応大学の日吉キャンパスで、スーダンのダルフール紛争をテーマとした「SING FOR DARFUR」(シング・フォー・ダルフール)という映画の上映イベントがあった。ダルフール紛争とは、スーダン西部ダルフール地方で現在も進行中の大規模な紛争。スーダン政府軍および政府に支援された民兵組織が、ダルフールの非アラブ系住民への大量虐殺を行い、30万人以上が殺され、270万人が家を追われたといわれ、世界最悪の人道危機ともいわれている。


初夏に20年ぶりにスーダンを訪れたこともあり、ダルフールという重いテーマを映画でどう取り上げているのか興味があった。監督はオランダ人で非営利作品だという。映画の紹介を見ると、よくある戦争映画とはちがうつくりのようだった。上映後にゲストスピーカーをまじえてのトークセッションもあるという。


この映画には、ダルフールの映像はいっさい出てこない。戦闘や虐殺のシーンも、兵士や飢えた子どもの姿も出てこない。ここで描かれるのは、バルセロナのとある一日だ。その日、バルセロナで「SING FOR DARFUR」というチャリティ・コンサートが開かれる。このコンサートを見に来た観光客のバッグがひったくられ、そのチケットを買い上げたヤクザが、さらにそれを高値で転売する。このチケットをめぐる人びとや、そのほかのダルフールとは関係のない普通の人びとの私的なドラマを、カメラは淡々とドキュメントタッチ(実際はフィクションだけど)で見つめていく。

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戦争という非日常を直接描くのではなく、ダルフールのことなどまったく無関心に都会で暮らすわれわれ自身を描くことで、この映画は陰画のようにダルフールの存在を、自分たちの内面の問題として浮かび上がらせようとする。ダルフールは、これらの人びとの日常の中に、一瞬さしはさまれる偶然の背景のように、ひかえめに、ときにシンボリックに描かれる。凄惨な映像や、わざとらしい人間ドラマにすっかり慣れっこになったわれわれにとって、この映画のアプローチはある意味、新鮮である。モノクロームの洗練された映像も、クールなエレクトロニカ系の音楽の使い方も、この作品のアートとしてのオリジナリティを感じさせた。


しかし、終始スタイリッシュにまとめられた、この作品からダルフール問題の切迫感はほとんど感じられなかった。映画の中にダルフールの現実について考える素材はまったくといってよいほど与えられていない。唯一、終わりのほうでタクシー運転手の口から、原因は石油にあるという言葉が断片的に語られるくらいだ。


この映画がアートとしてつくられたというのなら、それでもかまわない。自分の世界に没頭するあまり外部が見えなくなっている現代人を揶揄し、小さな良心やささやかな善意を描いているという意味では佳品といえる。でも、ここで描かれているのは先進国の人たちの心の空洞化であって、ダルフールはその手段でしかないように思われた。これなら、べつにダルフールでなくたって、イラクでもアフガニスタンでもパレスチナでも、どこだってかまわないのではないか。


けれども、監督や主催者側は、この映画をきっかけに、遠いダルフールで起きていることに関心をもって、自分なりにダルフール紛争について調べたり、なにができるか考えてみよう、といいたいらしかった。でも、それをいうならば、もう少し映画そのものの中で、監督のダルフールに向きあう姿勢が鮮明に出るようにするとか、あるいは、なぜダルフールなのか、監督の到達した結論の範囲で、もっと表現すべきではないだろうか。つっこみの足りないところは観客に丸投げして、エンドロールにジョン・レノンの「Love」(のカバー)を流して、愛とか自由でお茶を濁すという終わり方も、納得のいくものではなかった。


だが、びっくりしたのは、上映後の「ゲスト」を交えての「トークセッション」だった。映画の内容はともかく、これをきっかけにダルフールについて考えるのは悪いことではない。ところが、「ゲスト」として登場した人の中にダルフールやスーダンの現場を知る人がだれもいない。企画者の一人である慶応のメディアデザイン研究科の先生と、興行主である広告代理店の人、それに二人組のお笑い芸人、そのほかに声優さんとかミュージシャンとかである。なんで、これがダルフールについてのトークセッションなのか? 


しかも、いきなり先生が「みなさん、ステージ上のスクリーンに、みなさんのケータイからツイッターでこの映画についての感想を書き込んでください」という。ツイッター? なんで、そんなの使わなくてはならないのだ。だいたいこっちはウイルコムだし、ひらがな入力だし、ツイッターもよくわからない時代遅れのオヤジだぞ。


まあ、それはさておき、会場に集まった人(学生なのか若い人が多かった)たちは、すくなくともダルフールになにがしかの関心を抱いて、ここにやってきたはずだ。それなら、せめてダルフール紛争とは、どういうものなのか、ほかの紛争となにがちがうのか、かんたんでもいいので、なにかしら説明があってもいいと思うのだが、それもない。スクリーンにはツイッターなんかより地図くらい載せろよと思うのだが、結局ダルフールがどこにあるかも説明されない。そういうことは家に帰ってから自分なりに調べましょうということなのか。なら、なんのためのトークセッションなのか。主催者側は上映の輪を広げていって、ダルフールについての関心をムーブメントへと高めたいと考えているらしい。それならなおさら、その後のフォローがだいじなのではないか。


「イベント」ではオランダにいる監督とオンラインで映像をつないで質問したりというコーナーもあったが、最先端メディアを使うとこんなことだってできちゃうんですよというパフォーマンス以上に実のある内容とも思えなかった。そのあと、広告代理店の社長さんが出てきて、この映画の日本での上映に合わせてつくったTouch the Skyというキャンペーンソングが発表される(おみやげにCDもくれた)。「We are the World」のダルフール版ということのようだが、こんな展開になるとは思いもよらなかった。


ステージにはアメリカ人の黒人の女性ゴスペル歌手が出てきて、スクリーンに大写しされるアニメ映像に合わせて、その歌をうたいはじめる。歌は「愛を広めよう、関心を持とう、心を開いて声をあげよう」といったような内容のポップスで、観客も椅子から立たされて手拍子をうながされる。いったい、なんなんだ、これは。展開が早くて、ついていけない。歌はうまいのだが、このアニメ映像といい、ベタな歌詞といい、ダルフールについて考えるうえでなにか関係あるのか。でも、会場の若い人たちはけっこう楽しそうに手拍子なんかしている。おい、若者たち、そんなかんたんにのせられていいのか? 楽しけりゃなんでもいいのか? おかしいなとか思わないのかよ。


まわりを見回していると、歌手がうたいながらステージから降りてきて、こっちに近づいてくる。そして「イェー」とかいってマイクを向けられる。仕方なくこっちも「イェー」と応えてしまい、ちょっと情けなくなる。そのときようやく、やっとわかった。これは映画のプロモーションイベントなんだ。ダルフール紛争について考える場などでは、まったくないのだと。


プロモーションイベントであっても、それがアクションを起こすきっかけになるのならいい。しかし、現実に、これをきっかけに、はたしてどれだけの人が家に帰ってダルフールについて調べて、その関心を持続させて、アクションへとつなげるだろう。たしかに、ネットで情報を検索くらいはするかもしれない。しかし、ダルフールの問題はとてもわかりにくい。だからこそ、イベントをするなら、ノリにまかせた宣伝やプロモーションではなく、もう少しつっこんでダルフールのリアルを伝える工夫をしてほしかった。


愛を持ちましょう、関心を持ちましょうという言説は、さんざん消費されてきた決まり文句だ。20年以上前のライブエイドのときも、愛を広げよう、手をさしのべよう、私たちはみな同じ人間だ、関心を持とうというメッセージが大々的に発信された。その結果はといえば、大量の飢えた子どもたちの写真が出回り、アフリカといえば悲惨な大陸というステレオイメージを人びとの間に定着させることになった。でも、紛争は、愛が足りなくて起きたわけでもなければ、愛があれば解決するような問題でもない。ダルフールで殺戮の責任者として国際刑事裁判所から訴追されているスーダンの大統領だって、「自分は愛と平和を愛する」というようなことを述べているのだから。


ちなみに、このイベントの翌週くらいに、東大の学生による企画で、ダルフール・ジェノサイドについて、外務省の担当者やUNHCRやNGOの専門家、研究者らによるパネル・ディスカッションがあった。これはとても内容が濃く、ダルフール紛争についての流布しているイメージをひっくりかえすような触発的な刺激に満ちていた。関心をうながすというのは、こういうことではないのか。


東大でのパネル・ディスカッションは難解な話だったわけではない。むしろ、われわれが、外部からこの紛争とを見るときにおちいりやすい誤解がなんであり、それにたいして、どのように考えていけばいいかというヒントがちりばめられていた(それについては12月頃に出る次号の「旅行人」誌に書きました)。慶応のイベントのあとで、この東大のパネル・ディスカッションを聞いて、そのギャップにがっくりした。慶応は母校なので、「さすが東大」などとはいいたくないけれど、慶応ももうすこし、がんばってくれい。

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コメント

真知さん、すごいコーシン力じゃないですか! その勢いでバンバンやってください。楽しみにしてま〜す。

投稿: banana | 2009年11月 6日 (金) 08時51分

>bananaさま

ありがとうございます。
年刊になったり、季刊になったり、月刊になったり、週刊になったりとせわしないですが、なるべく幅をせばめられるようにします。

投稿: 田中真知 | 2009年11月 6日 (金) 17時26分

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