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2010年1月

横谷さんの手作り印画紙

東京神田のギャラリーバウハウスで、「The Collection Ⅱ」という展覧会が行われている。これまで同ギャラリーで写真展をした作家たちの作品を80点、展示してあるのだが、昨年の初め、ここでも紹介した横谷宣さんの作品も10点含まれている。新作ではなく、前回の個展「黙想録」のときに発表されたものの一部(インド、スペイン、シリアなど)、または別バージョンのようである。


もし、前回見たくて見逃した方は2月いっぱい開催されているので、足を運んでみてください。すでに売れている作品もありました。

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©Tatsuo Kotaki


で、その横谷さんだが、いま、なにをしているかというと印画紙をつくっている。ミクシーに横谷さんコミュニティがあるので、そちらではなんどか状況を報告していた。その印画紙づくりの話がなかなかに壮絶なので、内容はややだぶるが、こちらでも少し書いておく。


横谷さんがこれまで使っていた印画紙は製造中止になって久しい。そこでデッドストックになっていた印画紙を手に入れ、プリントを試みていた。けれども、ロットナンバーがちがうと紙のテクスチュアや色合いが微妙に異なるそうで、結局、自力で印画紙作りをすることに決めた。それが昨年の春。


紙をつくるといっても、紙漉をするわけではなく、既成の紙を加工して、そこに乳剤や目止めなどをして印画紙をつくろうというのである。それだけ聞くと、かんたんそうな気もするのだが、実際には『印画紙の作り方』なんて本があるわけではなく、彼の場合、これまでも既成の方法ではない現像やプリント法を自分で工夫して制作を行ってきたので、今回もすべて一から始めるようなものだった。


まず、さまざまな紙のサンプルを集めて、エンボス加工を施すためプレス機を購入し、好みのテクスチュアをつくる。それに何カ月かかかった。それと並行して、暗室をつくる必要があった。天井やら床下やらを開けてダクトをはわせ換気扇を大量に取り付け、水道管を加工して水道をひっぱって部屋を改造。配管をいじっているうちに建物内部に取り付けられた火災報知器に信号が入り、真夜中に消防車が何台もやってきたこともあったそうだ。消防署員は改造された部屋を見て、ぎょっとしていたそうだが、「なんとか、ごまかしました」とのこと。


最近の印画紙は、含有成分に毒性のあるものを使わなくなっているそうだが、その毒性のある成分がじつは黒のしまりとか、色合いに影響してくるらしい。そうしたさまざまな薬剤を取り寄せて、化学実験のように調合しては実験をくりかえし、自分の気に入った乳剤のオリジナル・レシピを探している。ところが、その薬剤から出るガスが、換気扇をたくさんつけているとはいえ、かなりキツイものらしく、咳が止まらなくなったり、食欲がなくなったり、昏倒したりするという。


これらのサンプルを紙に塗布するのだが、それも手でやらなくてはならないので均一に塗るのがむずかしい。掛け軸をつくる表具師に刷毛をオーダーしたり、いろんな塗り方を試したが、ホームセンターに売っているサッシのすきま風を防ぐためのスポンジの断熱材を工夫したものがいいことを発見。そうやって紙に一枚一枚、乳剤を塗って、プリント実験を何百回もくりかえしているという。紙のテクスチュアと、目止め用のコーティング、乳剤を構成する薬剤の割合と、塗る回数や塗る量によって、シャドーや黒の出方が変わってくるので、もっとも理想的な出方になるまで、パターンをいろいろと変えて実験をえんえんとくり返している。


昨年の秋に電話したら、「あと数日でできあがりそうです」という。それから、一ヶ月後に電話すると、また「来週にはなんとか完成しそうです」。なんだか締め切りをすぎた原稿の催促への言い訳みたいだが、彼の場合、言い訳ではなく、ほんとうに完成寸前だと確信しているのだそうだが、最終的な段階で満足できない点が生じて、最後のステージが長引いているということのようだ。すでに前半、後半戦は終わっているのだけどロスタイムが半年くらいつづいているというかんじだろうか。

 
ただ、実験をあまりにもたくさんくりかえしたので「こうすれば、こうなる」というのは、ほぼわかったそうだ。本人にいわせると、「本来なら5年くらいかかってわかることが、半年くらいでわかりました」とのこと。すでに前の印画紙とほぼ同じか、それ以上のシャドーや色合いの出し方はできていて、それはわれわれが見てもたぶん見分けがつかないものなんだそうだが、せっかく手作りでやっているのだから、それだけのものにしたいという。


なんでもかんでも速さが勝負という時代に、こんなにも悠長に制作に(それも写真家が印画紙や刷毛をつくるところから)時間をかけているという事実に、やきもきする反面、うれしくもある。これがスポンサーがいたり、財産があって食うに困らぬ身分の人がやっていたりするのならべつだが、横谷さんの場合、まったくそうではなくて、食パンにキャベツの葉っぱをはさんだだけの食事などしながら、こんな途方もない作業に1年近く明け暮れているのだ。それも、かなり愉しそうに。飯沢耕太郎さんが昨年の秋くらいに岡山で本人に会ったそうだ。どうでしたか、と飯沢氏に聞いたら「あれは、バカですね」とうれしそうにいった。


バカでもなんでもいいので、早く完成させてくれい。そんなわけで、今回ギャラリーに出品されているのは、すでに生産中止となった印画紙で制作された希少なバージョンである。興味ある方はお早めに。


今回、ギャラリーからの帰りに一ヶ月ぶりくらいに本人に電話してみた。淡々とした口調で、聞き慣れた言葉が返ってきた。


「あと、ほんの少しで、できあがりそうです・・・」


ロスタイムの笛が鳴るのが待ち遠しい。


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某日某所での横谷さん(撮影:大藤健士)


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たまたま

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年の目標は週一回くらいのペースでの更新です。といいつつ、すでに2週間遅れているが、その分はあとで取り戻したい。箱根駅伝で10人抜きというのもあるくらいだし、後半のがんばりが功を奏し、年末には結果的に平均して週一回更新ペースになっていた、という形にもっていきたい。


話は変わる。もしかしたら経験がある人がいるかもしれないが、iPodでシャッフルモードにしているとき、流れてくる曲が、シャッフルされているように感じられないことがある。プレイするたびに、前に聞いたときと同じ曲が流れる一方、なんどかけてもいちども流れない曲もあったりして、これはじつはランダムではないのではと、ときどき感じていた。


ところが、この前の連休、友人の田中三彦さんの訳した『たまたま』(レナード・ムロディナウ著/ダイヤモンド社)という本を読んでいたら、まさにそのことが書いてあった。それによると、われわれが感じるランダムと、数学的なランダムというのはちがうらしいのだ。

 
たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する

 

たとえば、0と1を数学的にランダムに10の100万7乗個並べたとすると、0が連続して100万個並ぶ箇所が10箇所現れるという。たまたま、この数列をながめて、その0がえんえんとつづいた箇所に行きあたった人は、とてもそれをランダムとは感じられないはずである。


iPodに最初に採用されたシャッフルのシステムは、このような数学的に正しいランダムを生み出すものだったという。ところが、ぼくが感じたように「これはちっともランダムではない」という意見がけっこうあったらしく、結局、アップル社のスティーブ・ジョブスは「もっとランダムな感じにするために少しランダムではなくした」のだそうだ。


人間という生き物はどこにでもパターンを探したがり、パターンが見つかると、そこに意味を与えずにはいられないという性質がある。つまり、まったくの偶然の産物であっても、人間は、そこにパターンを見出して、意味づけしないではいられない存在なのだ、と『たまたま』の著者(マックス・プランク研究所のフェローだった理論物理学者)はいう。


それは社会的な出来事でも同様だという。「ハリー・ポッターが大ヒットしたのは、すぐれた作品だったから」「ビル・ゲイツが大富豪になったのは才能があったから」と世間は思いがちだ。逆に、売れないものは「劣っている」「時代に合わない」「才能に欠ける」などと評される。けれども、著者は、それはランダムな数列にパターンを見出すのと同じで、科学的な根拠はまったくないという。ならば、ビル・ゲイツの成功の秘密は何か。それもまた「たまたま」、つまり偶然だという。


身も蓋もない話にも聞こえるが、逆にいえば「自分には能力がない」とか「自分は時代から取り残されている」とか「人生がうまくいかないのは愛が足りないからだ」とか「ブログの更新ができないのは、自分が無能だからだ」などと悩む必要はないということだ。むしろ、そういう根拠のないパターンにとらわれて、信念を強化してしまうことが問題だという。


あらゆることが偶然だとすれば、それを起こしやすくするには確率を上げればいい。つまり世界の根本法則は「数打ちゃ当たる」に尽きるということだ。


実際のこの本の内容は統計学や確率論など、ややこしい話がつづいて、けっこう歯ごたえがあるので、ここに書いたような解釈が正しいのかどうかはわからない。けれども、成功するにはあーしろ、こーしろとエラそうな解釈やノーハウを押しつける本ばかりが売れている中、「そんなの、たまたまだよ」といいきってしまうところは気持ちよかった。原題(「Drunkard’s Walk」(ヨッパライの歩み))も悪くないが、邦訳タイトルがいいなあ。

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