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2011年2月

エジプト革命なる!

2月11日、とうとうエジプトのムバラク大統領が辞任した。アルジャジーラ・ウォッチで寝不足が極みに達していたので、このタイミングで辞任してくれて個人的にも助かった。それから一週間、日本の報道がにわかに元気になってきた。デモの最中よりも、結果がわかってからのほうが報道が盛んになるというのは、どういうことか。報道っていうのは、結果をうんぬんするよりプロセスを知らせることのほうが、だいじなのではないか。


それはさておき、やはり長年暮らしたエジプトでの出来事だけに感慨深い。政治的なことについては、いろんな人がいろんなことを書いているので個人的な印象だけ書いておきたい。前のエントリーでも書いたけれど、今回の革命でいちばん感じたのは、旧世代と若い世代との入れ替わりがはっきりしたなという印象だった。被害者意識に根ざした反米とか反イスラエルといった旧来の枠組みにからめとられない意識をもった若い人たちが、教育のあるエジプトの若者の中に着実に育っている。


9.11の頃はまだそうではなかった。あの頃も、教育のある若者はたくさんいたが、自分たちを受け入れてくれない不満を共有したり、ぶつけたりする手段がまだなかった。そんな彼らの一つの受け皿になっていたのが、ある意味、イスラーム主義であり、またイスラーム武装勢力だった。そこでは、悪いのはイスラエルやそれを支援するアメリカであった。むろん、そこに身を投じた若者は一部ではあったけれど、当時はそうした被害者意識が若者もふくめてエジプト人全体にある程度分かちもたれていたように思う。


けれども、それから10年以上たって状況はずいぶん変わった。ネットの普及のおかげで、自分たちの意見を共有できたり、政府のプロパガンダを距離を置いて考えられる環境が整ったのは、それ以前の若者たちとは大きなちがいだろう。暴力革命ではなにも変わらないことをわかっている世代が育ったということか。その意味で、これはイスラム革命でも反米革命でもなく、思想の世代交代なのではないか、という感がつよい。


今回タハリールのデモを指導した若者の1人であるグーグルのワエル・ゴニム氏をはじめ、運動の中心となった20代後半から30代くらいの教育のある若者たちは、ぼくがカイロに暮らしていた1990年代に中学生や高校生だった。彼らの多くは中産階級である。中産階級といっても貧富の差が大きいエジプトでは、日本とはかなりイメージがちがい、むしろそれなりの特権階級である。そのあたりについては長くなるので、あらためて書くことにする。


もう一つ感じたのは、アラブ政治の研究者の池内恵さんもいっていたことだが、尊厳の回復が大きな動機になっているということ。貧困が引き金といわれているが、貧困そのものももちろんだが、貧困によって自分たちの尊厳がこれ以上踏みにじられることに耐えられない。その思いが、社会階層を超えて共有されたというのは大きいと思う。程度はあるものの、たとえ貧しくても、自分が社会に大切にされている、尊重されていると感じられる環境があれば、人は生きていくことに希望を見いだせる。でも、それがほとんど見いだせない状況が極限まで来ていた。


エジプト人はプライドが高い。それは伝統的な気質のせいもあるだろうが、とくに中産階級の親の子供への接し方を見ていて感じたのは、とにかく些細なことで子どもを叱らないことだった。そのせいか鼻持ちならないタイプの者もけっこういるが、エジプト人におしなべて見られる根拠のない自信、底抜けの楽観主義は、こうした生育環境によってつちかわれたのだろうと思うことが多かった。それは、すぐに自分を責めてしまいがちな日本人の身からすると、脳天気にも見えると同時にうらやましくもあった。


けんかをするにしても、彼らは絶対に自分の非を認めない代わりに、相手のプライドを傷つけるようなふるまいを避けるのもうまい。けんかをしていると、かならず、すぐにまわりに人だかりができる。すると、けんかしている当人たちは、まわりに自分の正当性をアピールしだす。するとだれかが仲裁役になり、当人たちを「まあまあ」となだめにかかる。そのとき仲裁役が気の利いた冗談をいったりすると、一気に空気が和み、けんかしているはずなのに、なぜか笑いあったりするのだ。彼らのユーモアは互いのプライドを傷つけないための知恵である。そこまで大切にしている彼らのプライドが限界まで傷つけられてしまったのは、今回の事態につながる根深い要因だったと思う。


日本人はというと、こちらはおしなべて自己肯定力が低いから、プライドを盾に突っぱるよりも、プライドを捨ててしまうほうを選ぶことが多いのではないか。人を人として扱わないような組織的仕打ちは日本にもあふれているが、日本人の場合は、プライドを捨てて、それを感じないようにするか、その矛先を自分に向けてしまいがちだ。だから、うつになる。


話がそれたが、あともう一つ印象的だったのは、デモに参加した人たちが、みずからすすんで広場の掃除をしていたことだ。これはほかにも書いていた人がいたが、本当に驚きだった。ぼくが知っていたエジプトでは、だれも自分たちの町をすすんで掃除する人などいなかった。走っている車の窓からコーラの瓶を投げ捨てるのが当たり前で、汚した後の後片付けなどは無縁だった。


カイロに暮らしていた頃、現地の新聞の投稿欄に、こんな投書が載ったことがある。「私は日本人の知り合いに、どうしてカイロの街は汚いんだ、どうしてこんなにゴミだらけなんだ、といわれた。そういわれて見てみると、たしかにそのとおりだった。いわれて初めて気がついた。もっと、私たちの街をきれいにしようではないか・・・」だいたいそんな内容だった。


これを読むかぎり、投書したエジプト人は指摘されるまで、街の汚さなど目に入っていなかったらしい。その投書が新聞に載るということは、多くのエジプト人も似たようなものだったということだろう。それが今回は、だれからともなく掃除を始めた。これはおおげさにいえば意識改革といっていいほどすごいことに思えた。


亡くなったジャーナリストの沼沢均さんが生前、1993年、独立の喜びに沸くエリトリアを取材したときのことだ。選挙をおこない、国家建設への喜びにわくエリトリアを取材しつつも、彼はこれまでの経験から、いまは盛り上がっていてもふたたび新生国家への不満が増して、汚職や反乱が再発するのではないか、という不安をぬぐえなかった。ところが、そんなときたまたま中年の女性が歩道にかがみこんで、はがれた石畳をならべかえている場面を目にして、「エリトリアは大丈夫ではないか」と感じた、と彼はその著書の中で書いている。


自分たちの暮らす街を、自分たちでなんとかしよう。それまで感じられなかったそうした建設的な意志を、女性の石を並べかえるという行為に見て、沼沢さんはそう思ったのだろう。タハリール広場の掃除をする人たちの映像を見ながら、そのことを思い出した。


でも、そのあとに沼沢さんはこう書いている。「祭りの後に、食えない、働けない、ゆとりがないという状況がしばらく続くのだろう。しかし、それは乗り越えなければならない問題であることを、一番よく知っているのは当のエリトリア人自身であるのだ。エリトリアは自身の意志で立ち上がった。しばらくの間、歩き出すのを、見守ってみたい」(『神よ、アフリカに祝福を』)。


この「エリトリア人」はそのまま「エジプト人」と読みかえられる。彼らも、いますでに試練を迎えている。でも、それは乗り越えなければならない問題なのだ。外野のぼくがなにかいうのもせんえつだけれど、沼沢さんの言葉をかりて、ぼくもまた、しばらくの間、エジプトが歩き出すのを、見守ってみたい。

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エジプトのデモはどうなる? その2

先週の金曜日(1/28)から、アルジャジーラのライブ・ストリームで放映されているカイロ、タハリール広場の映像(ときどき中断されるが)を見つづけていて、すっかり寝不足である。いやはや、それにしても、たいへんな迫力である。思いもよらない展開に度肝を抜かれつつ、モニターから目を離せずにいる。カイロに住んでいた頃、数え切れないほど通ったタハリール広場が、初めて見る世界のような異様な場所に見える。


これまでブログを更新するときくらいしかのぞかなかった休眠状態のツイッターを駆使して、情報を集めるということをこの一週間くらいで初めてするようになった。ツイッターというのは、こういうときに役に立つのですね。やっと、わかりました。それにしてもアルジャジーラの取材すごすぎる。当局によってカイロの事務所を閉鎖され、記者が一時期逮捕され、主要な機材を没収されても、めげずに場所を変え、名前を伏せながら、ライブ映像を執拗に放送しつづけ、ライブが送れなくてもツイッターで間断なく情報を流しづける。これがなかったら、当局はもっと大胆なデモの弾圧に出たのではないか。一方でテレビというのは、ニュースにとって、いったいなんなのだろう。


それはさておき、いまだに先の見えないエジプト情勢だが、これまでの経緯も思いのよらないものだった。覚え書きと感想程度のことだが、ツイッターに書いたことなどをピックアップしつつ、まとめておく。


デモが本格化し始めたのは金曜日(1月28日)の集団礼拝後だったが、初めのうちは、緊張感はあるものの、憎悪に満ちた対立という印象は受けなかった。デモの最中に集団礼拝が始まり、その間は治安部隊もじっとしていて、ポリスの中にはデモ隊の人と談笑している。ああ、やっぱりエジプト人だなと思って、苦笑しながらモニターを見つめていた。


電話で話したカイロに長年暮らす友人も(固定電話は通じる)、同じような印象を述べていた。彼は、イラン・イラク戦争も湾岸戦争もイスラム過激派によるテロの時代もイラク戦争も、すべてカイロから見つめてきた人だが、その彼も衝突の中の、ある種の祝祭的な雰囲気を感じとっていた。放置された警察車両に乗っかっておしゃべりしている若者や、戦車と記念撮影している人たちがいて、その様子を見ながら彼もお茶を飲んでいたという。


前にも書いたけど今回の民主化運動はツイッターやフェイスブックが重要な役割を果たしたというが、実際にはツイッターやメールと縁のない人たちの割合の方がずっと高い。その意味ではエジプトに勃興してきた中産階級中心の運動のようにも見えた。新聞では「エジプト全土デモ」という見出しが躍っていたが、人づてに聞いたエジプト南部のルクソールで働く友人は、ほとんど何も変わらない、作業もいつもどおりで、観光バスも走っているといっていた。政治的に大きな意味があるのはたしかだけれど、国民全体を巻き込んだ大運動というわけではない。

それでもチュニジアの政変に後押しされた今回のデモは、途中までとてもいい感じで進んでいるように見えた。なにより画期的なのは、いままでのアラブ世界のデモにつきものの反米や反イスラエルといったスローガンがほとんど見られなかったことだ。


これまでは目の前にいるムバラクに面と向かってノーという勇気はなかなかなく、その背後にいるアメリカやイスラエルを非難して、自分たちを被害者として位置づけるというパータンに陥りがちだった。でも、今回はそうした被害者意識から解放されたのか、為政者をピンポイントで批判し、その退陣を迫るという、健全というか、まっとうなベクトルが感じられた。友人によると、タハリールには「われわれはデモクラシーをするのだから、アメリカはちょっかい出すなよ」という意味の落書きがあったという。それはアメリカのせいにするのではなく、自分たちでなんとかするという態度表明のように思えた。なかなか、いいかんじではないか。


ところが、そうかんたんにムバラクが受け入れるはずもない。退陣要求に対して、内閣は解散するけど、自分は残るよといった最初の声明を出す。そのあたりから風向きが変わりはじめた。各地で略奪が起きて、暴徒が店を荒らしたり、カイロ博物館に押し入ったりという事態が起きてくる。それは政府側がやらせたことだとか、ポリスだったなどの陰謀説が取り沙汰されたが、本当のところはわからない。むしろ、そうした政治的なこととは関係がなく、たんに騒ぎに乗じただけの不逞の輩たちという気もする。


30日(日曜日)にはヒラリー・クリントンが、事実上、ムバラクを見限るような声明を出す。さすがのムバラクもあきらめて退陣するかなと思ったが、そうかんたんにはいかない。それは彼が退陣後のエジプトの混乱のことを心配してなのか、それとも権力への執着なのかはわからない。そのあたりからツイッターではムバラクは最悪の独裁者、みたいな論調が出てきた。浅川くんに電話してその辺のことを話したら、「いや、あの最初の声明はムバラクにとって大譲歩だったんですよ」という。あ、そうか!


1981年にサダトが暗殺されたとき、副大統領だったムバラクはうまく立ち回って、大統領の座を得た。その経験から副大統領を置くと、自分の地位が危うくなるという恐怖があって、彼は30年間副大統領を置かなかった。また、自分の地位を危うくしそうな優秀な人間や、自分よりも人気のある者たちは遠ざけてきた。


ところが、今回彼は副大統領を置くのに合意し、自分より人気のあるシャフィクを首相にした。この譲歩は、ムバラクにとってはとんでもなく大きな英断だったのかもしれない。それなのに、国民はちっとも評価してくれない。なぜ、わかってくれないんだ? そんな戸惑いもあったかもしれない。


浅川くんは「ムバラクは自分からは絶対にやめないでしょう。エジプトで自分から辞めた人なんて、古代からだれもいないんじゃないですか」という。本当に古代からそうなのかはわからないが、彼のいうとおり、たしかにねばるねばる。これは作戦でもあったのだろう。だらだらとデモが長引けば、仕事にも支障が出るし、運動だってだんだん低調になってくる。二度目の声明では、もう次の選挙には出ませんよとという、さらなる大譲歩をする。反政府デモ隊の旗頭に立つような人たちは断固反対するだろうが、そこまでではない人たちの間には、「9月にはやめるっていっているし、もういいんじゃないの」みたいな気分も出ているようだ。


いまの報道だとエジプト全体が反ムバラクで染まっていて、親ムバラクを標榜しているものは政府に金をもらっている手先だという印象を受けるが、実際はそんなことはない。ムバラク大好きというわけではないが、ムバラクはそんなに悪くないよと感じている一般のエジプト人は、けっこう多い。


ルクソールで観光業をやっているイギリス人が2月3日にこんなことを書いていた。医者の待合室で、ムスリムやコプトなどいろんな人たちが雑談していて、その会話を聞いていると、「ルクソールの知事は悪いやつだが、ムバラクはよいところも悪いところもある」「おれたちにはムバラクが必要」「ムバラクのおかげで戦争がない」「ムバラクはいいけど、取り巻きが悪い」といったやりとりがなされていたという。


もともと、エジプト人には強い指導者への憧れがある。ムバラクがやってきた反政府勢力への弾圧や政治的腐敗や不正の横行という事実よりも、「ムバラクはオバマと対等に話していてさすがだ」といった低レベルでの納得も、庶民にとってはけっこう大きいのではないか。だから、昨年秋だったか、エジプトの国営紙は、ムバラクがオバマやネタニヤフといっしょに歩いている写真を、ムバラクが先頭を歩いている構図に改ざんするという冗談のようなことまでしてしまうのだ。


しかし、ネットを駆使できるような若い世代には、もはやそんなまやかしは通用しない。彼らは反米・反イスラエルというわかりやすい構図に走らず、現実を見据えて、民主的な変革を要求している。その若い世代の意向を、多くの一般のエジプト人が肯定したからこそ、今回のような広がりが可能になったのではないか。


それは、いわゆる世代のちがいでもあるのかなと思う。単純な見方だが、83歳のムバラクをはじめ老人たちに占められた現政権と、ツイッターやフェイスブックを駆使できる若い世代とでは、考え方の枠組みそのものがかなりちがっているはずだ。新しい世代にとっては、反米・反イスラエルというスローガンがもはや、運動をあおるための呪文にはなりえなくなりつつあるのではないか。


仮に政権が委譲したとしても、その受け皿の候補とされているムスリム同胞団もかなり年齢層が高い。彼らは初めは「国民の意思にしたがうよ」というようなことを述べて様子見していたのに、勢いを得たのか「イスラエルとの平和条約を破棄する」とか「イスラム法を導入する」といったことをいいはじめている。それでは結局、旧来の反米・反イスラエルといった枠組みの中に、今回の運動を退化させてしまうことにもなりかねない。


実際、反ムバラクと親ムバラクの衝突が起きるようになってから、それまでなかったアメリカやイスラエルの陰謀説とか、反米のスローガンが急に唱えられるようになってきた。そうなると、そこにアルカイダなどがつけいる隙ができてくるし、仮にムスリム同胞団が新たに政権の担い手となった場合、混乱は必至だし、なによりアメリカが黙ってはいないだろう。そうなると、イスラム武装勢力も出てきて、ぐちゃぐちゃになりそうだ。今回のデモに参加した人たちは、そんなことをのぞんでいるわけではないだろう。いずれにしても、たいへんなのはこのあとだ。

ーーー

* ツイッターに書いたことを一部抜粋 (下に行くほど古い)。


bozenkun 田中真知

カイロやアレキと上エジプトでは今回の件ではかなり温度差がある。ルクソールに住むJaneさんは、メディアは人口の0.004パーセントのプロテストを報じても、数百万の何もしない人たちについては何も言わないと書く。http://bit.ly/hai1Nb #egyjp
12時間前 お気に入り 返信 削除


bozenkun

ルクソールでムバラク支持派デモ。その後筆者が歯医者で聞いた地元民の井戸端会議。「悪いのはルクソール知事、ムバラクはそこそこ」「ムバラクは必要」「ムバラクのおかげで戦争がない」「外国にはいい顔、国内には悪い」「取り巻きが悪い」。http://bit.ly/dHYstB #egyjp
12時間前 お気に入り 返信 削除

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bozenkun

一般庶民がみな反ムバラクというわけではない。エジプト人と話していてよく感じたのは、彼 らには強い指導者への無条件な憧れが強いこと。「ムバラクは悪くない、悪いのは取り巻き」との見方は少なくない。そんな彼らと、政府の差し金で動いている 親ムバラク派とはちがうのだろう。#egyjp
13時間前 お気に入り 返信 削除


bozenkun

今回は反米・反イスラエルのスローガンが殆どないのが特徴。従来は自国の権力者よりもむし ろ背後の米国を非難するパターンで、そこにアルカイダ等がつけいる隙もあった。でも今回はそんな被害者意識から解放されたという意味で新しい動きだった。 でも国連等が介入するとそれが崩れそう。#egyjp
2月3日 お気に入り 返信 削除

bozenkun

オンラインで出回っている革命タイムテーブル。ホントか? イエメン2月3日、シリア2月5日、アルジェリア2月12日、バハレーン2月14日、リビア2月30日(30日って何だ?)、モロッコ3月13日 確実なのはイエメンくらいか。http://bit.ly/ikd0W1 #egyjp
2月2日 お気に入り 返信 削除

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bozenkun

大半のコプト教徒はムバラクの存続を望んでいるという記事。でもコプトは一枚岩ではない。大主教はイスラム化を懸念して親ムバラクだが、みながそうではない。立ち上がりたいけど立場が微妙でなかなか動きがたいといったところでは。http://on.wsj.com/fYL16u #egyjp
2月2日 お気に入り 返信 削除

bozenkun

現在イエメン取材中の友人からメール、日本人学生旅行者がちらほらいて、「どうして旅行し ているの?」と聞くと「就職の面接でたぶん有利だから」とのたまわった。冗談でなく素直にそう思っているんだろうな。「チュニジア型政変は日本では無理。 だって就職に不利だもの、デモやったら」#egyjp 
2月2日 お気に入り 返信 削除

bozenkun

エジプト時代の友人の言では、ムバラクの最初の声明は本人的には人生始まって以来の大譲歩 だった。30年間恐怖から置かなかった副大統領を置くのに合意し、自分より人気のあるシャフィクを首相にした。こんな大胆な譲歩をしたのに、なぜわかって くれない? 本人的にはそんなところか。#egyjp
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bozenkun

正直、アメリカに尻尾を切られた時点でムバラクは辞めるのではないかと思っていたが、ねばるねばる。個人的な経験だが、エジプト人は年をとっても枯れない。枯れないどころか、さらに野心家になる傾向がある。ムバラクもそのタイプの典型なのだろう。#egyjp
2月2日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

アルジャジーラの本社を訪れた友人によると、社屋扉を入ってすぐのロビーは殉職した記者たちのメモリアルホールになっていて彼らの遺品(カメラとかメモ帳とか)が展示されているそうだ。記者は毎日、その前を通ってオフィスに向かう。
2月2日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

80年代エジプトの風刺小話。カフェの壁に三枚の大統領の写真。客「この鼻のでかい男は 誰?」主「偉大な指導者ナセルに決まってるさ」客「この額にタコのある男は?」主「十月戦争の英雄サダトを知らんのか?」客「じゃ、これは?」主「さあ、 たぶん、この店の創業者かなんかだろ」#egyjp
2月1日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

#egyjp カイロ博物館で壊されたのはファラオのミイラと書いてある報道もあるが、これは嘘。ミイラ=ファラオと思っているのかな。ファラオは別室で簡単に入れない。ツタンカーメンの曾祖父母のユヤとツヤとの説もあるが、これも怪しい。http://on.msnbc.com/euBnsV
2月1日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

ムバラクはどうあっても居座り続ける気か。長期戦に持ち込んで日々の生活がいっそう支障を 来すようになれば団結力も弱まって心変わりすると踏んでいるのか。彼の地に暮らした8年、彼らの思いもかけない豹変ぶりになんども打ちのめされた身として は、その作戦も有効かもと思えてしまう。
2月1日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

エジプト#egyjpコプト総主教のシェノーダは昨日の演説で、「私はムバラクの側にいる。彼とともにエジプトに祝福あれ」といったそうだ。豚インフルのときもムバラクを弁護していたからな。本意というより、コプトの立場が弱いということなんだろうな。http://bit.ly/fmfbvi
1月31日 お気に入り 返信 削除

bozenkun

エジプト:カイロ博物館侵入者は館の警備員だったらしい。他にはメンフィス博物館も荒らされた。アスワン、ルクソールの博物館はいまのところ無事だが、警察が機能していないので、守る手段がないのが問題。 http://bit.ly/gFNWpp #egyjp
1月31日 お気に入り 返信 削除

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bozenkun

エジプト:カイロ博物館への侵入者は初め売店のお土産品を本物と勘違い(!)して荒らしたらしい。その後館内で陳列ケース13個を破壊し、ミイラの頭部など100点を荒らしたが、ザヒ・ハワスは「容易に修復可能」といってるとか。 http://bit.ly/e3KCd1 #egyjp
1月31日 お気に入り 返信 削除

bozenkun

涙なしには見られません。どうしてアレキのデモが激しいのかわかる気がしました。RT @satomitw エジプト革命に火をつけた、ある青年の死:Egyptian Uprising and Khaled Saeed http://goo.gl/fb/vn065
1月30日 お気に入り 返信 削除

bozenkun

カイロ(ザマレク)在住友人の話。29日は警察の姿が消え、軍の車両もタハリール周辺に集 中。焼かれたNDPビルは警備もなく人が自由に入っている。棒を持って警戒している住民あり。フール屋やパン屋、新聞スタンドはいつもどおり営業。ガゼッ トにはデモの記事あり。ミニバスも走っている。
1月30日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

無残。。。カイロ博物館のたぶん2階西側か。http://yfrog.com/gyl6arj  こんなことになるとは。http://yfrog.com/gyzsbytj  http://yfrog.com/h067787496j
1月30日 お気に入り 返信 削除

bozenkun

中国版ツイッターのSina Weiboが「EGYPT」という検索ワードをブロックしたという。テレビでは報道しているらしいのにな。http://bit.ly/dGM1Wg
1月29日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

大勢の泥棒がフェンスを乗り越えてカイロ博物館に侵入しようとして捕らえられたらしい。警備していた兵士がライフルの銃底で殴って取り押さえたとのこと。まずいじゃん。http://bit.ly/gBqJ4H ただ、べつのソースだと捕まったのはポリス・オフィサーだったともいう。う〜ん。
1月29日 お気に入り 返信 削除

bozenkun

イエメンの大統領が、カタールの首長に電話して、アルジャジーラの報道はセンセーショナルすぎて、シオニストやアルカイダを刺激するので控えてほしいと申し入れたらしい。イエメンも大統領退陣を求めるデモが起きているので怖いんだろうな。http://bit.ly/i3QvVJ
1月29日 お気に入り 返信 削除

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bozenkun

クウェートではイラクからの解放20年を記念して、国民一人につき毎月1000ディナール(3580米ドル相当)と主要食糧を、今後14ヵ月にわたって支給することを決定って、あなたがた、そんなに困ってないでしょうに? http://yhoo.it/f5Oai8
1月29日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

アル・ジャジーラによると、夕べ、タハリールに面したカイロ博物館の前で、収蔵品を騒ぎに乗じた略奪から守るために若者たちによる壁ができていたとか。。。http://bit.ly/hYwuNF
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bozenkun

ザマレク在住の友人の友人の話では、夕べがプロテスターにとっても山場になるだろうとこと だったが、ムバラクが居残ろうという腰砕けの大統領声明に市民はどう反応するのか。現地民の噂では、アムル・ムーサが出てくるのではという声が高かったと いうが。ある意味、期待だったのかもしれない。
1月29日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

AJのライブ。夜になってから銃声や爆発音が激しくなり、火の手もすごい。ネットが通じないので、カイロにいる友人らに電話しようと試みるが、固定電話も携帯もなんどやってもつながらない。かけ方が悪いのか。。。
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bozenkun

ポリスがアル・ジャジーラ・オフィスに上がってきて、撮影をやめろとかいったようなのに、なにごともなくライブ放映がつづいているのは、なぜ? バクシーシか?
1月29日 お気に入り 返信 削除


bozenkun

アル・ジャジーラのカイロ・オフィスにポリスが。。。
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bozenkun

カイロの10月6日橋の下に軍の車両が来て、デモ参加者たちがそれを歓迎しているという。軍が自分たちのために来てくれた、と歌っていたという。。。?? http://english.aljazeera.net/watch_now/
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bozenkun

アル・ジャジーラのライブストリームをずっと見ているけど、すごいな。タハリール広場の10月6日橋を見下ろす位置からの実況だが、橋の上と下で催涙弾が飛び交っている。ラムセス・ヒルトンの前で突然、集団礼拝が始まったりもする。http://bit.ly/AXx2
1月28日 お気に入り 返信 削除

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