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犠牲と無責任ーー福島第1原発のこと

日本でも話題になったハーバード大学のサンデル教授の政治哲学講義、NHKで放映したものを一部しか見ていないが、たしか最初の回は「犠牲」をどう考えるかがテーマだった。多くの人を助けるためであれば一人を犠牲にしてもかまわないか。それとも、一人を助けるために多くの人を犠牲にするのもありか。


そこには決まった答えはない。だいじなことは、頭ごなしに「こうすべきだ」と決めつけるのではなく、そのときそのときの状況に応じて、自分の行動に責任と誇りがもてるような決断を下すことが大切だということだと思う。日本の場合、犠牲的精神は賞賛されがちだ。しかし、できれば犠牲なんかないほうがいいに決まっている。


一週間くらい前の天声人語に、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」のことが載っていた。あの物語は、人びとを守るために、みずからを犠牲にする若者の話だったけれど、今回の原発事故ではそうした結末にはなってほしくないと書かれていた。本当にそのとおりだと思う。


あのハイパーレスキュー隊による被曝しながらの徹夜の放水作業が始まったときには、彼らを英雄視したり、その犠牲的精神を賞賛する声がやまなかった。だが、たとえ彼らの行為がみずからの意志にもとづいていたとしても、あの段階でのあの作戦がかなり異常なことであったことに気づいていた人は少なくなかったはずだ。とくにテレビで解説している「学者」の多くは、心の中でその有効性をどこまで信じていたのか。


単純な話、素人の自分でも、あれだけの爆発があったら、使用済み核燃料プールが損傷していて水が漏れているのではないかと思う。そこに、あの水圧で大量の水を入れたら、放射性物質を含んだ水の漏出に拍車がかかったり、プールの外にあふれ出したりしないのかと疑問だった。実際に、ロイター伝など海外の報道を見たら、プールが壊れていて水が漏っていると断言している研究者もいた。でも、日本のテレビでは、だれもそんなことは話していなかったように思う。


放水の結果、プールに水が満たされて温度が下がったことで、一時的に、これで難局は乗り越えた、もう大丈夫だみたいな空気がメディアにも流れていた。でも専門家ならば、じつはいちばんクリティカルな状態にあるのは、むしろ燃料が損傷した可能性の高い炉心のほうであることはわかっていたはずだ。


おおげさ、あるいは不謹慎といわれるかもしれないが、それは第二次大戦末期の特攻作戦を思い出させた。特攻隊の若者たちは、自分の行為に意味があると信じて、あるいは無理矢理にでも意味があると自分に信じ込ませて飛び立っていったのだと思う。国民はそんな彼らを英雄視していたが、軍の幹部は特攻によって本当に状況が変わると信じていたとは思えない。


今回、どういう経緯で放水作業が行われることになったのかは、くわしくは知らない。けれども、数百ミリシーベルトという強い放射線を浴びながらの作業をするにあたって、政府や東電や原子力安全保安院が本当に十分に作戦の意味や、作戦遂行のための情報や助言を与えたのかどうかは大いに疑問だ。報道では海水を取り込むためのスペースがなくて急遽、取水の場所を変更したというが、そんなことは東電など現場の人間だったらわかっていたはずだ。彼らに犠牲的行為をさせて、大量の被曝という重い代償を担わせてまで意味のある行為だったのか。


さらに24日には3号機タービン建屋地下で作業員3人が被曝したが、これだって被曝の可能性が高いとわかっていながら東電からの注意喚起がなかったという。なんなんだ、それはと思う。ニュースでは「情報共有の悪さ」という言葉が使われていたが、要するに部下の安全を第一に考えて、自分の身を賭しても部下を守ろうというリーダーがいないということだ。犠牲なんてないにこしたことはない。でも、どうしても必要だというのであれば、まわりが、その痛みを全身で受けとめ、生涯にわたって引き受けていくという覚悟をもつべきだ。でも、そんな覚悟が東電にあったとは思えない。電力会社の幹部5人を救うために、1人の作業員が犠牲になるのを選べるか。サンデル教授なら、どんな問いかけをするだろう。


 

話は変わるが、26日夜のUstreamで原子炉圧力容器の元設計者である田中三彦さんと、元東芝の技師の後藤政志さんのレクチャーが生中継された。それは今回の事故がどれほどクリティカルなものであるか、そしてその人災的な性質を明らかにしたものだった。


田中三彦さんによれば、今回の事故は「冷却剤喪失事故」である可能性がきわめて高いという。彼の説明からはっきりしたのは、東電が、地震直後に自己の重大性・緊急性を認識していた、あるいは認識するに足るだけの情報を手に入れながらも、ずっと楽観的な話ばかりをしつづけ、テレビに出てくる学者も楽観的な解説をつづけてきたことだった。それは隠蔽というより、むしろ無責任といったほうがあたっているかもしれない。


田中三彦さんが話したポイントをまとめておく。


●水素爆発を起こした1号機では地震の直後に、圧力容器とつながっている配管が壊れた可能性が高い。それを裏付けているのは、首相官邸のウェブサイトで昨日公開されたデータ。それによると、地震の翌日の夜中、通常70気圧ある圧力容器内の圧力が急激に8気圧にまで下がり、ほぼ同じ頃、格納容器の圧力が通常の1気圧から8気圧に上がっている。また圧力容器の水位も急激に低下している。つまり、圧力容器内の水蒸気やそこで発生した水素が配管のこわれた箇所から、一気に格納容器内に噴出したと考えられる。それが格納容器のトップヘッドのフランジから漏れて、建屋の上で水素爆発を起こしたと考えられる。


●こういうタイプの事故は「冷却剤喪失事故」といい、世界で初めてのケース。ふつうはこうならないようにECCS(非常用炉心冷却装置)が働いて燃料系を保護するが、電源が通じていなかったため作動しなかった。


●ECCSが作動しないというのは、きわめて深刻な緊急事態。その後水素爆発が起きることは一直線のストーリーであり、専門家なら容易に予想できることなのに、なぜか東電はたいしたことにならないと考えていたらしい。しかし、水素爆発が起きた場合、格納容器はそれに耐えられる設計にはなっていない。


●タービン建屋で被曝が起きた3号機について、国は原子炉に損傷があったことを認めた。ということは、3号でも冷却剤喪失事故が起きている可能性がある。


●冷却剤喪失事故が起きていたら水を入れてもどんどん漏れてしまう。それをどのように冷却するかが問題。放射線があるので、人が壊れた配管を直すことはできない。それを長期にわたって、どのように冷却するかという根本的な問題がある。


●冷却剤喪失事故は、原発でもっとも危険な事故。それは明らかに事故直後にわかっていたのに、作業員の被曝事故が起きるまで公表しなかった。どうして避難などの判断を下さなければならない責任ある立場の人が、いままで楽観的な話ばかりしつづけたかのか。


●圧力容器の配管が損傷しているのに水を入れ続けているのは、冷やすために漏れていても無限に循環させなくてはならないから。一方で、使用済み燃料プールも損傷の可能性がある(後藤さん)。


●東電は1号機がいちばん危ないと述べている。その危ないシナリオは一つ。圧力容器内の溶けた燃料と鉄の支持構造物が溶けて底が抜けること。この前、圧力容器の底の温度は400度を超えていた。これは容器の外側から計っている。設計温度では302度なので100度近く高い。しかし、それはたいした問題ではない。温度によって強度は少し落ちるが、現在は圧力容器の圧力が配管損傷のため、ほぼゼロになっていて圧力による破壊はない。溶けた燃料が、底に溜まっているかどうかはわからない。


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コメント

原発事故現場での危険な作業への従事を、今後どうしていくかということも含めて重い問題ですね、この事故処理は数十年、今と同じテンションで続くかもしれないだけに・・・。
田中三彦さんのコメント、また眠れなくなりますwww

この日記のアドレスと部分を私のmixiで紹介させてください。

投稿: チャーリー | 2011年3月27日 (日) 10時21分

>チャーリーさま

どうぞどうぞ。テレビでも学者のコメントではなくて三彦さんのような技術者の側からの意見をもっと紹介してほしいと思います。個人的にはマスコミ嫌いの三彦さんがこうして出てくるのを見られるのが、とてもうれしい。
それにしても彼の「原発はなぜ危険か」をなぜ岩波は復刊しないのだろう。いま読んでも、ちっとも古くないのに。

投稿: 田中真知 | 2011年3月27日 (日) 12時12分

チェルノブイリがあった頃友人に薦められて読んだ広瀬隆氏の「危険な話」。本当に危険な話で、自分はこんな危険な世の中をこれからも生きていかなくてはいけないのかと絶望したことがありました。翌日にはこれまでもこうやって何とか生きてきたのだからと、無責任な忘却をしてしまいました。おそらく大多数の日本人にも言えることでしょう。そのツケが国民全部に降りかかってきているように思います。つくづく地震と核に呪われた国だと思います。原発立国フランスのサルコジ大統領がサミット関連の話で来日するそうですが、その本意は何でしょうか?
氏が本書でマスコミの軟弱さを指摘しているように、某国営放送のニュース番組のキャスターが偉い先生の解説や東電の核心部分に毎回(毎晩)踏み込まずにいるのを見ているとイライラします。

あと、毎回ブログにカキコする方々がミョーに今回少ないように思います。

投稿: 無責任 | 2011年3月29日 (火) 11時55分

>無責任さま

コメント、ありがとうございます。「危険な話」私もチェルノブイリのあとに読みました。いま手元に本がないので確認できませんが、書き方がセンセーショナルだったこともあり、その内容をどう考えればいいのかわかりませんでした。
今回つくづく感じたのは原発がトラブルを起こした場合、そのつけが次世代、あるいはヘタをしたらさらにその次の世代まで及んでしまうことの怖さですね。これもまた無責任ということなのでしょうね。
原発先進国のフランスですが、サルコジだっていま原発推進政策がとれないことはわかっているでしょうから、技術支援にくわえて、日本政府の本音を探りたいのでは。
テレビの解説はなぜか学者が中心ですね。今回の事故は原理よりも、配管の強度など工学系の問題があると思うのですが。また経産省から原子力関係の予算がたくさんつけられている東大の学者が多いのもなんだかなあというかんじです。
カキコについては自由なので、いいのではないでしょうか(笑)。

投稿: 田中真知 | 2011年3月30日 (水) 07時39分

震災から2ヶ月が経ちましたが、残念ながら、ほとんどこのスレの内容通りになってしまいましたね。今朝の朝日新聞でも東電の原発事故直後から時系列で集められた詳細なデータを載せてました。今は賠償や復興の記事が主に一面になってしまってますが、命にかかわる重大事件なのだからもっとしっかり扱って欲しいですよね。官邸主導じゃないだろうな…。ああ、恐ろしい。水は大丈夫なんでしょうか?結末はろくな事にならないような気がします。

投稿: 無責任 | 2011年5月13日 (金) 14時26分

>無責任さま

そうですね。田中三彦さんも、京大原子炉研の小出裕章先生もいっていますが、東電の出すデータが意図的なのかそうでないのか、ころころ変わるため、なかなか状況が把握できないとのことでしたが、結果的には田中さんたちが予測していたとおりになりましたね。

小出先生によると、一号機では現在メルトした燃料が格納容器の底であんぱん状に溜まっているとのことです。ただ、これがいずれ格納容器の底を溶かして、下のコンクリートを溶かして、地下水脈へ入り込むという可能性はおそらくないのではとおっしゃっていました。

圧力容器が爆発して放射性物質が飛散するというリスクはほぼなくなりましたが、もし格納容器の底が溶解すればいずれにしても放射性物質の漏れはいまよりは大きくなるはずで、それが地下水の汚染につながる可能性もあります。

最悪ではないにしても、やはり、ろくなことにはならないでしょうね。

投稿: 田中真知 | 2011年5月13日 (金) 18時24分

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