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思い出救護班

地震から10日以上たった。テレビで報道される被災地の惨状にはあいかわらず声も出ないが、それでも現地から送られてくる映像を見ていると徐々にではあるが復興へのベクトルが感じられる。がれきの山で、どこが道かどうかもわからなかったところに、いつのまにか車両の通れる道ができている。


地震からたしか3、4日後だったと思うが、地震直後の破断されてがれきの散乱した道と、そのあと同じ場所が人が通れるほどに修繕された写真がビフォア・アンド・アフターのように2枚並べられているのをインターネットで見た。これも数日前だったが、津波で自分の工場をすっかり破壊された人が、報道関係者のインタビューに答えて、(現場には)「いつ行けるかわからない」といっていたのに、その後、取材班の車に同乗したところ、バラバラの材木が道の脇に寄せられていて、わりとすんなりと現場までたどりつけていた。


この数日は大型のクレーン車ががれきの山の中で、こわれた家の部材やつぶれた車などを除ける作業をしているところが放映されている。自分は阪神淡路大震災のときには日本にいなかったこともあり、どのくらいのペースでこうした町が元に戻るのか見当もつかなかったが、テレビで見ているかぎりにおいては、破壊された町が片付けられていくスピードの速さに思いのほか驚いている。


けれども、この復興にむけての土木作業の速さに、当然のことだが、人びとの心が同じペースでついていけるわけではないだろう。地震のたしか翌々日くらいだったか、民放のレポーターが、場所は失念したが、東北の津波の被災地を歩いていて、がれきの中から水びたしになったアルバムを見つけるところが放映された。「ああ、アルバムですね」とコメントしていたが、あのあとレポーターはあのアルバムをどうしたのだろう。


津波や余震の危険がある程度去った後、テレビを見ていると、避難していた被災者が、津波でめちゃくちゃになった自宅に戻ってきて、写真など思い出の品を探しているところが、ときどき映る。現場には派遣されてきた救護隊の姿もあるが、彼らの仕事はまずは人命救助であり、その次は遺体の発見のはずである。見ていると、救護隊もファイルや色あせた写真帳などを見つけて、それを取材班に示しているシーンが映るが、そうしたものをいちいち集めておくようには指示されてはいないだろう。


でも、がれきの一つひとつは、被害にあった人たちの思い出からできている。ただの廃材のように見えても、それは孫の身長を刻んだ柱だったかもしれないし、その下には家族のアルバムや額に入れた写真などが埋もれているかもしれない。クレーンやパワーショベルががれきの山をすっかり片付けてしまう前に、それらを少しでも救い出す方法はないのだろうか。


テレビで見ているかぎりだからわからないが、そうした思い出の救出は家族の個人的な営為に任されているように見える。怪我をしていたり、動けなかったりと、なんらかの事情で現場へ行けない人たちには、なすすべがない。できることなら、思い出救護班みたいなものを組織して、なるべく多くのアルバムや思い出の品々を救い出してあげられればいいのに、と思う。この津波はおびただしい人命とともに、無数の思い出をも流し去ってしまったのだから。

 
 

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「雑記」カテゴリの記事

コメント

私も、もう片付けてしまうの....?と思っておりました。ゆっくり整理したいだろうなぁと。岩手県野田村では学生が写真を集めてるとの事です。http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110321k0000e040017000c.html

投稿: 袴田祐子 | 2011年3月21日 (月) 19時05分

>袴田祐子さま

あ、もう実行されているところもあるのですね。なかなか、ゆとりはないとは思いますが、他の被災地でもこういう取り組みが出てくるといいですね。

投稿: 田中真知 | 2011年3月21日 (月) 20時37分

片付けが進む瓦礫の中で、必死に「思い出」に残るものを探し続けている方々もいらっしゃるようです。被災なさった方や、肉親などを亡くした方々の心の傷が、片付けられる速度と同じではないわけで、そういった方々の心情を思うといたたまれません。そういうことをノンフィクション作家の石井光太さんが現場からレポートしています。3月18日のブログがそれです。
http://kotaism.livedoor.biz/

投稿: 旅行誌編集長 | 2011年3月21日 (月) 22時40分

>旅行誌編集長さま

石井さん、現場に入っているのですね。
「震災と津波は、家や人間を飲み込んで、瓦礫の山だけを築き上げた。だが、その直後にやってきた「復興の津波」は、その瓦礫すら被災者から奪っていこうとしている。」
復興はもちろんしなくてはならないことだけれど、それもまた津波のように過去を強引に断ち切るものだとしたら、被災者は二重の悲しみを背負うことになる。むずかしいですね。中には思い出を探そうにも、家そのものが流されてしまって見つからないという人もいるようです。まったくすさまじいことです。

投稿: 田中真知 | 2011年3月21日 (月) 23時33分

内容が重複してしまうのですが、わりと早い段階で、大学生のボランティアグループが思い出の品を集める活動を始めていたと思います。
あまりメディアではとりあげられてはいない印象でしたが、何百人、何千人の方々の、生きてきた証を探して拾ってその方にお渡しする。それがまた、後世へ受け継がれていく、未来へのバトンを渡していくような、意味に満ち溢れた活動ですね。

大災害の復旧、復興が目覚ましいことは嬉しいことには違いありませんが、被災者の皆さんの中には、いまだに何が起こっているのか理解しがたいような心境におられる方もいらっしゃるのではと思います。
復興へ向けて、とにかく進もうというキャンペーン、西日本にいても、感じられます。けれども、励ます言葉を送るだけではなく、途方に暮れている方に寄り添う役割を持った支援も必要だろうなと思います。うまく表現できないのですが、一人一人の話を傾聴することの必要性があるのでは、感情を表現できていない方に向き合うというか。
もちろんPTSDに対応するチームが結成されたり、現に動いているかもしれないですが。
復旧、復興と同じスピードで、心のケアを進めていってほしいなと思います。
もちろん、専門家ではなくても、傷ついている方にできることはきっとあると信じてます。手を握ること、視線を合わせること、話を聞くこと、受け止めること。
物理的にも、心理的にも、安心できる空間が多くの被災者の方に早く行きわたりますよう。

(長文になってしまい、すみません。)

投稿: Yuki | 2011年3月23日 (水) 23時16分

>Yukiさま

長いコメント、ありがとうございます。
今日の新聞にも載っていましたが、お金のような客観的な価値の扱いは社会的にある程度決められていても、写真や位牌のような主観的価値については公的機関はなかなか介入しにくいですね。まさに大学生のボランティアグループのような人たちだからこそできる活動だと思います。

「励ます言葉を送るだけではなく、途方に暮れている方に寄り添う役割を持った支援も必要だろうなと思います・・・手を握ること、視線を合わせること、話を聞くこと、受け止めること・・・」

そのとおりですね。

投稿: 田中真知@歯痛 | 2011年3月24日 (木) 00時20分

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