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被災していないけれど疲れた人たちのために

信じられないような映像が連日テレビや動画で流れてくる。濁流と化した道路を車や船、家屋がまるで箱庭のおもちゃのように流れていく。そうしたとんでもない映像に日々さらされているうちに、自分の精神のバランスがだんだん崩れていきそうで危機感をおぼえている。


うちでは本や棚に載せていたものが多少落ちたくらいで被害といえるほどのものはない。それなのに衝撃的な映像や、ネットの情報を見つづけているうちに、熔けた鉛のような暗く重たいものが胸の奥にどんよりと溜まり、呼吸が浅くなり、いつも息苦しいような状態がつづいている。食欲もなく、ときおり吐き気さえして、仕事も手につかず、机の前にすわると無意識にまたネットを見て、ぼおーっとしてしまう。


たぶんいま、被災者でもないのに似たような精神状態にある人は、けっこういるのではないか。たしかに未曾有の出来事であり、しかもこの先どうなるかもわからない。被災地の人たちの苦境は想像するだけで戦慄する。いまだに消息のわからない知人もいる。なにかしなくては。でも自分になにができるだろう。そんな焦燥と無力感にさいなまれ、平穏無事でいる自分に対して罪悪感さえおぼえる。それは大なり小なり、被災していない人たちの多くが感じていることだと思う。

でも、くり返し流される衝撃的な映像や悲惨なニュースにさらされていると、その思考パターンがどんどん強化されて、いつのまにか無力感と罪悪感の無限スパイラルに入り込んでしまいそうになる。自分が原因で起きたことではないのに、責任を感じてしまう。「自分は無事でよかった」と思うことに無意識にブレーキをかけ、意識するしないにかかわらず、食べることや、楽しむこと、笑うこと、ふざけることなどにまで後ろめたさを感じてしまう。そうした思考パターンが、ますます罪悪感を強めて、いっそう胸苦しくなっていく。


でも、そういう考えは、きっとどこかがまちがっている。まちがっているというより歪んでいる。そのことはおそらく本人もわかっている。だけど、こういうときは、こんがらがった思考の毛糸玉をほぐそうとしたってだめだ。


それより、まずテレビのスイッチを切って、ネットのニュースも見るのをやめる。見なくてはいけない、知っておかなくてはいけないなんてことは、じつはない。いちばん、だいじなのは自分の中に生きようとする力が灯っているかどうかだ。テレビやネットを見て、生きようという力が失せていくとしたら、それは他人がどんなに重要だからといったって、本人にとっては不要である。自分が生きるのに必要な情報は本当はたいして多くない。そう、ひらきなおったって、ちっともかまわない。


生きるとは、たとえばおなかが空いたと感じることだ。どんなに悲しくても、ずっと食べていなければ、おなかは空く。なんどか経験があるが、空腹は恩寵のようなものだと思う。「ああ、おなかが空いた」という感覚が、自分を「生きる」という、まっとうなレールに引き戻してくれるからだ。だから、おいしいものを食べに行くのはいいことだ。そのときは、思いきり、おなかを空かせて行くことだ。


生きるとは笑うことだ。マルクス兄弟かキートンがおすすめだが、そんなに古くなくてもいいから笑えるものを見る。たとえば、こんなのとか。。。


大人気エジプトのパンダチーズ
 

真似してはいけない


トゥボルグ・ビールCM


淑女の夢


ダンス


中国のウォシュレットCM


やや個人的好み、かわいい系

 

それでも無力感にさいなまれたり、自分にはなにもできることがないと感じるかもしれない。でも、たいていの人はそんなものだ。チャリティーや募金をする人もいるかもしれないが、できないからといって自分を責めなくたっていい。ぼくだってしていない。いばることではないけれど、卑屈になることもない。直接的に手を下せる能力のある人は、そんなに多くない。でも、自分が生きていれば、あるいは生きる力をもっていれば、それがなにか、よくわからないけれど、回り回って、相手を救うことだってある。


以前ある人に聞いたのだが、死んでやろうと思って道路に飛び込もうとしたとき、目の前をひとりの中年のオバちゃんが「あ〜あ、やんなっちゃう」とかいいながらすーっと通り過ぎたそうだ。生活感がにじみ出ていて、見るからに「人生やんなっちゃう」という雰囲気だったそうだ。ところが、彼女が通り過ぎた後、彼はなんとなく死ぬ気が失せてしまったのだという。どうしてかは本人にもわからないという。ともあれ、そのオバちゃんは自分の知らない間に、ひとりの人間の命を救っていたのだ。そういうことだって世の中にはある。というか、そういうほうが圧倒的に多いのだと思う。


教訓話はあまり好きではないが、アナトール・フランスの『聖母の軽業師』という短い話はわりと好きだ。こんな話だーー。


乞食のような暮らしをしている貧しい旅の軽業師が、ある町の教会で聖母像を目にする。その前では修道士たちが、聖母に捧げる書物を書いていたり、聖母の絵を描いたり、立派な礼拝堂を設計したりして、聖母をたたえている。聖母像の前で聖書をそらんじる者もいる。

軽業師は、自分もなにか聖母のためにしてあげられることはないかと思うが、無学で、聖書の一節も知らない彼は、ほかの修道士たちにばかにされながら、いつもうしろのほうから聖母像を見つめている。それでも小間使いのような役目をしながら、修道士の末席にくわえてもらうことになる。

ある日のこと、ひとりの老修道士が、だれもいないとき礼拝堂にうれしそうに入っていく軽業師のすがたを目にした。なにをしているのかと思って、とびらのすきまからのぞくと、聖母像の前で彼が逆立ちをしたり、玉をもちいた軽業を演じていたのだった。

この先は、個人的にはいらないと思うのだが、一応話はまだつづく。その様子を見た老修道士は、「なんという冒涜」と軽業師を怒鳴りつける。ところが、そのとき、聖母が祭壇の階段を下りてきて、軽業師の額の汗を袖でぬぐったという。そういう話だ。


 

聖母は下りてこなくたっていい。現実の世の中では聖母が下りてくることなんかないからだ。でも、それでもいっこうにかまわないのだ。そういうことだ。


 

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「雑記」カテゴリの記事

コメント

ありがとうございます。まさにご指摘の通りの状態であった私ですが、気持ちが軽くなりました。今回はペンの無力さを感じていたのですが、真知さんの文章を読んで、ペンの底力を感じました。
パンダチーズの微妙にかわいくないパンダ、好きです。

投稿: あり | 2011年3月14日 (月) 22時54分

おもしろい偶然! 鴨居羊子さんの『シッポのはえた天使たち』をさっき読んでいたのですが、ちょうどアナトール・フランスのこの短編にふれているくだりだったのです。鴨居さんの拾った子猫が夜ふとんのなかでふたりっきりになると、まるでピエロのように曲芸をしてみせ彼女に感謝の気持ちをあらわそうとする姿から、作者はこの話を思い出すのだけど、どうもストーリーの記憶があやふやでまどろこしいとご自分でも書いている。とうぜん、誰の作かもわからないままだけど、話のなかのピエロにも似たけなげな子猫のしぐさから「シッポのはえた天使」というイメージがわいてきて、タイトルにもなっているのですね。
この本、友人から頂戴したものだけど、ほかに『のら犬のボケ』『のら猫トラトラ』と一緒に『のら犬・のら猫』というタイトルでまとめられ「鴨居羊子コレクション 2」として国書刊行会からでている掘り出しものです。

あ、ぼくは「知能ウォッシュレット」に救われたかも。

投稿: banana | 2011年3月14日 (月) 23時11分

追伸
さらに先を読んでいたら、鴨居さん紆余曲折のすえしっかり原作にたどりついていました。

失礼いたしました。

投稿: banana | 2011年3月14日 (月) 23時47分

私も同じ状態になって、半日テレビを消した所でした。今、あったかいお茶を飲みながら、読み終えた所です。久々の私の好きな真知さんの文章です。(最近こういうのが無かったので。。。)募金活動を始めましたが、やっぱり、心は落ち着きません。お腹はすくのに、何も美味しくありません。パンダチーズ、見直そうかな。

投稿: 袴田祐子 | 2011年3月15日 (火) 07時44分

>ありさま
パンダチーズ、ほかのシリーズもあります。全部まとめたのもあるみたいなので、あとで貼りつけ直しておきます。

>bananaさま
「聖母像の軽業師」単行本はあるのかな。むかし紀田さんと荒俣さんの編集した「怪奇幻想の文学」シリーズに収められています。

>袴田祐子さま
パンダチーズ、私もまだ食べたことがないです。むかしはなかった。

投稿: 田中真知 | 2011年3月15日 (火) 19時07分

旅を愛するイラストエッセイスト、森優子です。こんにちは。
遅ればせながらこの文章を拝読しました。
私の公式ブログにリンクをはらせていただいてもいいでしょうか?
ブログ記事はエジプトのパンダ・チーズCMに寄った内容ではありますが、読者にぜひこの真知さんの3月14日付けの文章に触れてほしいと思ったのです。

投稿: 森優子 | 2011年5月10日 (火) 18時30分

>森優子さま

おお、森優子さん、お久しぶりです。お元気そうでなによりです。ご家族のみなさまもお元気ですか。
リンクご自由にどうぞ。パンダチーズCMいいですね、食べたことないので、こんど行ったときに買ってきます。

投稿: 田中真知 | 2011年5月10日 (火) 23時05分

真知さん、快諾感謝!
数日中にブログにアップして「アップしたで~」とお知らせしますので、ぜひご覧になって下さい。
おかげさまで家族みな元気です。
パンダチーズのCMは、この記事を読んでからくせになり、毎日見てます。
もはやパンダへの恐怖をこえて、しっかりパンダチーズ食べたい病になってしまいました。宣伝広告としてあっぱれですね。

生きることは笑うこと、という言葉がぐぐぐと入りました。
また、ただ一人で笑うだけじゃ案外面白くなくて、笑いを共有する快感みたいな要素で効果倍増ってところもあるなーと思いました。

「エジプト人ってこんなCM作るんか。笑いのツボわかってるやん。ならば、もしかするとヤツらとはわかりあえるかも」ってな希望を抱かせてしまうという意味でも、パンダチーズCMはすごいです。

投稿: 森優子 | 2011年5月11日 (水) 03時39分

>森優子さま

森さんの心をわしづかみにしてしまうとは、パンダチーズ恐るべし。
エジプト人は笑いの人たちですよ。喧嘩しながら、いかに冗談を交えるかが勝つための鍵だったりします。

投稿: 田中真知 | 2011年5月11日 (水) 08時14分

真知さん

5月16日付のブログでリンクはらせてもらいました!
これでパンダへの畏敬と笑い、エジプトへの理解が日本国内にさらに広まるかと思うと、感慨深いです。
笑いを。もっと笑いを!
エジプト人に負けるな日本人!
今後も真知さんの執筆文を楽しみにしています。
多謝!!!

投稿: 森優子 | 2011年5月16日 (月) 19時48分

20年以上前鴨居さんの本で私も聖母の軽業師の話を読んで、泣きました。
以来この話を書いた絵本も何冊か買ったり、アナトールフランスのも読みました。心が洗われます。

投稿: MANKICHI | 2012年1月28日 (土) 02時17分

>MANKICHIさま

絵本になっているのですか。
こうしたお話しがお好きなら、ラーゲルレーヴのキリスト伝説集もいいですよ。

投稿: 田中真知 | 2012年1月30日 (月) 09時15分

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