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京大カンニング事件と暴走する正義

ネットカンニング事件をめぐる一連の報道を見ていて違和感を禁じえない。いや違和感というより気持ち悪い。なんで、こんなニュースが夜9時のNHKニュースのトップになり、さらに10時の報道ステーションでもトップになり、11時あたりからのニュースなんだかスポーツなんだかわからない、いろんな報道番組のトップに取り上げられて、しかも連日、全国紙の一面に大きく取りあげられるのか。


たかが19歳の受験生のカンニングではないか。たかが、というと「されどカンニングだ」といわれるかもしれないが、やはりたかがカンニングだ。これが仮に、古典的なカンニングペーパーを使ってのしわざだったならば、こんな大々的にとりあげられることはありえなかっただろう。


では、なぜ報道されたのか。携帯とインターネットが使われたからか。携帯やインターネットだと、事態はそんなに重大なのか。たまたま尖閣ビデオ問題があったり、中東の政変にネットがかかわっていたからなのか。この手口をまねされてしまうと、受験システムが崩壊してしまうからなのか。


そんなことで本当に受験システムが崩壊してしまうのかどうかはわからない。個人的には、いまのようなくだらない受験システムは崩壊したってちっともかまわないと思うのだが、それはさておいて、どうしてここまで19歳の予備校生を、大学といい、すべてのメディアが寄ってたかって吊し上げなくてはならないのか。


彼のしたことは、けっしていいことではない。でも、彼の行為は、これほどの全国的な吊し上げに匹敵するほどの大罪なのか。未成年なので実名は出ないとはいえ、社会的抹殺同然ではないか。今回のことで彼は反省したかもしれない。でも、それ以上に社会というものに恐怖をおぼえたのではないか。社会はその枠からはみ出たものを制裁する。人を殺めたわけでも、大金をだまし取ったわけでもないのに、ここまでの制裁が加えられるところなのだ、という教訓を彼は学んだのではないだろうか。


たしかに法律というのは共同体の利益を守るためのものだ。しかし、ああ、いやだなと思ったのは、今回の罪状が偽計業務妨害の疑いであるという点だ。これは要するに、大学の経営に対する営業妨害ということだ。つまり、大学の商売のじゃまをした、ということである。倫理観や道徳観が問題にされているわけではなく、商売上の問題ということだ。


大学の経営がいまたいへんなのはわかる。でも、ここまで事を大きくして、しかも犯人を訴えるとまでいうのは教育機関のすることなのだろうか。それでも、あえて事を大きくしたのは大学の利益を守るために彼をスケープゴートに仕立てたかったからだとしか思えない。つまり、見せしめだ。さらにマスコミにとっては、携帯とネットという、いままさに旬のツールをカンニングに用いるという新手の事件である。しかも舞台となったのは京大や同志社だ。どこにあるかもわからないリビアやバーレーンなどより、はるかに大衆の好奇心をかきたてるネタにちがいなかった。こうして彼は大学とマスコミの格好のスケープゴートにされた。


テレビでは、一般の受験生たちがインタビューに対して「まじめに勉強した人たちが損を見るので、よくないと思います」と口を合わせたように答えている。そんなのはインタビューしなくたってわかる。そういう発言を引き出したくてインタビューしているのだから。たしかに、ほかの受験生たちからすれば、それは正直な気持ちかもしれない。でも、ちょっと話はそれるけれど、それならば大学、あるいは社会というものは、こつこつまじめにやったものが、きちんと報われるような仕組みになっているといえるのか。


受験を産業にして、学生から金を吸い上げるシステムをつくり、その上に大学がのっかって就職の予備校として機能しているような仕組みのどこに、まじめに人間を育てようという意志が感じられるというのだろう。もちろん教育者の中には意志を持っている人はたくさんいる。けれども、もし教育機関が、本気で人を育てようという意志があるならば、受験生である学生をスケープゴートに仕立て上げるような真似はしないはずだ。


いま社会が求めているのは、いわれたことしかできないマニュアル人間ではなくて、自分で困難を乗り越える応用力のある人材だとか、あきらめない不屈さのある人材だとか、ひとと協調しあえる人材だとかいうようなことを聞く。その意味でいえば、この予備校生は、学力が及ばない分を、携帯とネットというツールを応用して困難を乗り越える方法を編み出したのではないか。しかも、あきらめることなく、人と協力し合い、しかも、挨拶もろくすぽできない若者も多い中、回答してくれた人にはお礼も忘れないという礼儀正しさだってあったではないか。ひねくれた見方をすれば、受験システムを疑うことなく肯定し、そのレールに乗ってきたほかの受験生より、はるかに発想が柔軟とさえいえるではないか。


予備校生のやったことを賞賛しているわけではない。ただ、大学や社会が建前として求めていることと、実際にやっていることが矛盾しているのに、それを棚に上げて、すべてを彼ひとりの行為のせいにしていることが気持ち悪いのである。いい大学に入れなかったら人生は失敗だといった強迫観念をさんざんすりこみ、社会に出れば年寄りどもが自分の安泰を守るために若者に場を与えようとしない。そんな無意味なストレスをさんざん押しつけておきながら「近頃の若者は覇気がない」とか「夢がない」とか、まあ、ぼくみたいな世代のやつらが勝手なことをいうのだ。ぼくも反省だ。


この国ではしばしば善や正義が暴走する。今回のように、だれが見ても、ほめられない行為にたいしては正義が待ってましたとばかりに牙をむく。悪を行うときには、そこには少しばかりのためらいがあるが、正義を行う場合には歯止めがかからない。何年か前、イラクで日本人が人質になったときに声高に唱えられた自己責任論もそうである。悪いことをした人間にたいしては、なにをしてもかまわない、というその空気が暴走を招く。歴史を見ても、正義の名のもとに、どれほどの殺戮が行われてきたことだろう。正義をかさに、自分たちのしていることは棚上げにして、ひとりの青年にすべての罪をきせてたたきつぶす。恥ずかしいことだ。

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「雑記」カテゴリの記事

コメント

ぼくもひとこと。
日本を離れバリ島に住むようになりすでに16年がたちました。時折、帰国してじかに日本の雰囲気にふれるとき、残念ながら「あ、ここにはもう住めないかもしれないナ」と感じます。
ひとつには「管理志向」が、あらゆる場面に浸透していて息苦しくなるからです。
余裕がないのです。
カンニング発覚事件(事件か?!)にしても、もしこういうことがバリで起きたら、ひとはどんな反応をするだろうかと想像してみました。
「え〜っ、そんなことしちゃったの ?!」とか「やるじゃん」とか「すごい!」とかとかいずれにしても、みんな笑いを含みながらそういうことを言うでしょう。
ま、インタビューして回答を集めたわけじゃないから不正確だけど、16年の滞在経験からほぼこんなところだろうなという気がします。
「笑い話」ですむ一件なのです、あれは、ここでは。

投稿: banana | 2011年3月 4日 (金) 10時21分

>bananaさま

「もしこういうことがバリで起きたら、ひとはどんな反応をするだろうかと想像してみました。
「え〜っ、そんなことしちゃったの ?!」とか「やるじゃん」とか「すごい!」とかとかいずれにしても、みんな笑いを含みながらそういうことを言うでしょう・・」

↑エジプトもそうかもしれないですね。

日本は基本的に性悪説がますますつよくなっているように思います。
それにたいしてエジプトなんかは性弱説というか、性愚説というか、宗教の影響もあるとはおもうのですが、「人間なんて、愚かで弱いもんだよ」みたいなところがあるので、体制を揺るがすようなことでもないかぎり、マーレーシュ(気にするな)でうやむやになって終わりそうです。


投稿: 田中真知 | 2011年3月 4日 (金) 17時00分

ホントですね、たかがカンニング。世間の反応は確かにキXXXじみてましたね。冷静になって反省、ゆれ戻しが来るとは思いますが。
ただちょっとマスコミの肩を持つようですが余りに鮮やかなカンニングだったので巧妙な組織の存在までも想像してしまったのが大騒ぎになった一因とも思います。

投稿: ダフ | 2011年3月 4日 (金) 19時58分

全く100%同感です。ネットのニュースでは見ていましたが、テレビでもそんなに取り上げている事をおととい知りました。3月2日のNHKの7時のニュースではリビアの混乱による原油価格の高騰についてアナウンサーが喋っている時にテロップが流れたそうです。「東北地方の学生を聴取へ」みたいな内容。他局より早く報じようとしたのに違いないとの事です。日本のマスコミは何時もあきれますね。ワイドショーは連日、同じ話題を繰り返しを流す。これはイギリスには無い事です。そして、真知さんがおっしゃるように、受験システムにも問題がありますね。受験の為の勉強をして入学してから遊ぶ。イギリスは日本で言う中学・高校に行ってる間に校内で大きな試験が2回あります。その成績が大学への入学になります。大学は、当然の事ですが卒業する為に入学してからハードな勉強をします。12歳の娘は昨年、こちらのグラマースクールを受験しましたが、知能テストのような物です。知能のいい子を育てる目的だそうです。娘の友達が日本の中学受験で意味の無い程、難しい問題を解いて、塾から10時に帰宅するのを見ていて、何だか、異様な世界です。大好きな日本ですが、住みにくくはなっていますね。

投稿: 袴田祐子 | 2011年3月 5日 (土) 03時37分

タマキングのツイッターから流れて来ました。
全く同感です。

正義は許されるというような、これが世の中全体の意見だというような全体主義的な報道は、オウム事件から始まったような気がします。うんざりを通り越して恐怖を感じます。
マスコミも日本もみんなヒステリーですよね。

ヤフーの回答で得られる大学の入試問題そのものに問題があると思います。クイズじゃあるまいし。暗記したものが合格できるシステムがおかしいと思うんです。

投稿: タイに行きタイ | 2011年3月 5日 (土) 08時40分

はじめまして。

ミクシィのチャーリーさんの日記で、このブログの記事が取り上げられていて、読ませていただきました。

共感したので、ミクシィのボイスでこのブログを紹介させていただきました(事後承諾でごめんなさい)

大学の自主・自治はどうなっているのでしょうね。警察が介入して、ネットの個人情報をあきらかにさせ、犯罪に仕立て上げるようなやり方でいいのでしょうか。

>正義をかさに、自分たちのしていることは棚上げにして、ひとりの青年にすべての罪をきせてたたきつぶす。恥ずかしいことだ。

同感です。

投稿: 非戦 | 2011年3月 5日 (土) 13時29分

>ダフさま

ありがとうございます。さすがに新聞の社説の論調などもすこし反省気味の気が感じられてきました。


>袴田祐子さま

入学試験はかんたんにして卒業を難しくするという欧米型のシステムを日本にも取り入れては、ということは以前からいわれていますが、いまだに実現しないのは、それだと従来の学歴社会とそれを支える受験産業や就職システムがことごとく崩れてしまうからでしょうね。でも、面倒でもそれをこわしていかないと、学生も社会も困ることになると思います。


>タイに行きタイさま

オウムもそうでしたね。正義は許されるというのはこわいです。戦争は互いに相手が悪いという前提に立った正義対正義の戦いです。


>非戦さま

どうぞ紹介してください。
大学が被害者となって予備校生を「逮捕」というかたちではなく、せめて大学や警察が彼をマスコミから「保護」するというかたちにしてくれていれば、と思いました。

投稿: 田中真知 | 2011年3月 5日 (土) 14時34分

まず、業務妨害罪は財産犯ではないので、「商売上の問題」ではない。次に、道徳、倫理上の問題は原則として刑事処罰に値しない。そのような国家は暗黒である。刑事法の勉強をしてから発言した方がよい。
以上は細かい話。本題は以下の通り。よく、「今の大学入試は学力偏重でよくない。人格重視にすべき」といわれる。本ブログ筆者および同調者の主張もそんなところだろう。では、今回の犯人についてみると①そもそも最低限の学力すら不足している②加えて、カンニングという不正行為を実行しており、順法意識がない。順法意識のあることは人格の最低要件なので、人格的にもどうしようもない。よって、いかなる入試制度を前提にしても彼は排除・非難されるべき。そうすると、入試制度批判を今回のカンニング事件批判、あるいは犯人擁護の根拠にすることは破たんしている。根拠に据えることのできる唯一の可能性は少年の可塑性に配慮した少年法の精神。コンプライアンスを公然と無視する人間は、大学でも、企業でも、社会でも有害な存在だという大原則を日本社会は噛みしめよ。不正への寛容は美徳ではない。

投稿: まちがい | 2011年3月 5日 (土) 22時19分

学力不足をカンニングという手段で補ったことを「柔軟な発想」と評価するのは全く不当。その論理によれば、運転資金に窮したので、顧客の金を横領することは「柔軟な発想」ということになる。
カンニングは検索能力の発揮であり、既存知識の検索能力に重点を置くべき次世代の入試において、むしろ評価すべきものという論調にも一言。
大学は既存の知識をたんにためておく場ではない。むしろ未知の「知」を新たに創り出す場。入学者に求められるのはそのような「再生産」をできる能力。その有無を測るのが入試の趣旨。ネット検索・集合知至上主義者は、そもそも「知」自体が有限で、不断に創造されねばすぐに陳腐化・枯渇することを看過している。その意味でじつは比喩的には化石燃料依存型の前世期的主張である。カンニング事件にかこつけて自らを時代の革新者などと喧伝するな。新たな「知」の正統な創り手を排出できない国に未来はない。
ただし、入学金目当ての知の再生産には無縁なディプロマミルには、そのような入試も適合的かもしれない。だが、少なくとも京大はその対極にある。

投稿: まちがい2 | 2011年3月 5日 (土) 22時54分

訂正「排出」⇒「輩出」

投稿: まちがい3 | 2011年3月 5日 (土) 22時56分

>まちがいさま


コメント、ありがとうございます。法律の立場からのご意見、参考になります。学力不足も、カンニングという不正行為を実行しており順法意識がないというのもそのとおりだと思います。ただし、それが人格的にどうしようもないかどうかは、私にはわかりません。

ただ、「コンプライアンスを公然と無視する人間は、大学でも、企業でも、社会でも有害な存在」というのは、その法が共同体の構成員を支えている場合において成立するものではないかと思います。たとえばエジプトやチュニジアの場合、市民たちはコンプライアンスを無視して今回のような事態を引き起こしました。もちろん、それとこの事件は別ですが、一般論として世の中はつねに法が優先されるというケースばかりではないのではないかと思います。

「入試制度批判を今回のカンニング事件批判、あるいは犯人擁護の根拠にすることは破たんしている」というのもわかっているつもりです。「ちょっと話はそれるが」と書いたように別のカテゴリーの話であることを断ったうえで書いたことで、予備校生を擁護する根拠として書いたのではありません。ただ、おっしゃっている「根拠に据えることのできる唯一の可能性は少年の可塑性に配慮した少年法の精神」というのはそのとおりかもしれません。

学力不足をカンニングという手段で補ったことを「柔軟な発想」と評価するのは全く不当、というのもそのとおりだと思います。ひねくれた見方と書いたように、皮肉な言い方としてあのような表現をしたのであって、予備校生の行為を擁護しているわけではありません。その意図が伝わらなかったのは、書き方がまずかったかもしれません。くりかえしになりますが、私は予備校生の行為を肯定したり擁護したりしたつもりはなく、周囲とくにマスコミの反応と、けっして無関係ではない受験システムの問題をとりあげたかったのです。

「大学は既存の知識をたんにためておく場ではない。むしろ未知の「知」を新たに創り出す場。入学者に求められるのはそのような「再生産」をできる能力・・・以下の文章は私も全面的に同意します。「「知」自体が有限で、不断に創造されねばすぐに陳腐化・枯渇することを看過している・・・」というのもそのとおりだと思います。だからこそ、暗記や知識力、思考を伴わない検索能力だけが求められがちな現行の受験システムに疑問を感じているのです。

投稿: 田中真知 | 2011年3月 6日 (日) 09時58分

「まちがい」さんのまちがい
前世期的→前世紀的
重箱の隅つっついちゃった。∧∧

投稿: banana | 2011年3月 6日 (日) 14時03分

こんばんは。

犯罪加害者の吊るし上げはいけません。熊本の女児殺害の犯人も、同様。

熊本の女児殺害の犯人はとても褒められませんが、このカンニングの予備校生も、報道を見る限り褒められないんじゃないんでしょうか?

どんな手段をもってしても京大に入りたかっただけ、なみたいです。

難しく考えず、ズルイ奴、頭の悪い奴、おろかな奴、ということで宜しいのでは?

いずれにしても、マスコミが大々的に吊るし上げるほどのことはないですが、そんなにヒドイ報道なんでしょうか? 新手のカンニングですから、大手新聞の1面に載るのはやむを得ないと思います。顔写真を載せてる新聞はないですよね?

結果的に他人のブログへのコメントで吊るし上げちゃった気もするので、彼には、ちゃんと立ち直ってね、と最後に一言 付け加えておきます。

投稿: おせっかいな人 | 2011年3月 7日 (月) 22時14分

>おせっかいな人さま

コメント、ありがとうございます。
カンニングの予備校生、もちろんほめられません。名前や顔が出ないのは未成年だからです。ずるくて愚かというのはそのとおりですね。ただあのとき新聞の一面で報じるべきもっと重要な問題は他にもあったことを考えれば、マスコミの対応は行き過ぎだったとやはり思います。予備校生には立ち直ってほしいですね。

投稿: 田中真知 | 2011年3月 8日 (火) 11時41分

集合知が単体の頭脳よりも使えるということになれば、受験制度は改革せざるを得ない。

提案として、1次試験は強烈に難しい筆記試験。
2次試験は面接というのが望ましい。

地頭が悪くても努力で何とかなるという時代はもういらない。残念だけど、もう努力に任せられない。

投稿: うるへちそー | 2011年3月26日 (土) 23時31分

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