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陸前高田被災地訪問の記 1(なにを持っていったか、なにが必要とされるのか)

3/11の地震後、陸前高田に住む古い知りあいKさんの消息がわからなくなった。長年エジプトで通訳ガイドをしているKさんは地震の一週間ほど前にエジプトから帰国したばかりだった。エジプト革命の一部始終を見たあと、帰国してすぐ今回の惨事に巻き込まれたのだった。


Kさんが津波の難を逃れてある避難所にいることがわかったのは地震から5日後だった。しかし、無事はわかったものの、その後連絡はとれず、いまどういう状態なのか、親族はぶじなのか、どのような状況で被災したのかなどはわからなかった。津波後に撮影された航空写真でKさんの住所を見ると、そのあたり一帯はなにもなかった。


4月に入ると、道路事情やガソリン事情が徐々に改善し始めた。そこで4/12から14にかけて、同じくKさんと共通の友人でエジプト考古学者のかわえくんとともに陸前高田を訪れることにした。Kさんと関係の深いエジプト関係者・考古学研究者の方々に協力を得て資金を集め、Kさんの状況確認、それにささやかながら車に乗るだけの支援物資を用意して、陸前高田の避難所へ運ぶことにした。


問題は何を持っていくかだった。インターネットを見ると、被災地で何が必要とされているかは日々刻々と変わっていた。また、場所によっても求められている品目はさまざまだった。先に取材や支援で入っていたカメラマンや、同じくすでに支援活動を始めていたイギリス人らの知人と連絡をとったところ、3月いっぱいで緊急支援状態は脱していて、米などの食料や冬物衣類などはすでに十分あるという話だった。また必要とされるものが数日単位で変わることもわかった。携帯が通じやすくなって、必要なものがこれだとわかると、その数日後には大量の物資が届くという状況になっていた。


とりあえず、4/9にインターネット情報や知人の話などを参考に、まず以下の品々を用意した。


長靴男用 6
長靴女用 4
帽子男用 6
軍手 山盛り
ビニール袋 45リットル 1箱(1000枚入り)
ビニール袋 90リットル 1箱(500枚入り)
サランラップ 2本
水2リットルボトル 数本
花見セット(900mlの日本酒・焼酎数箱・つまみ数種類)
菓子の詰め合わせ 大2袋
男性下着・靴下 10組
女性下着・靴下 10組
ホウ酸 2箱
精製水 6本
コットン 1袋(陸前高田は撤去作業が進み地面が露出して砂埃がひどいそうで目を洗うため)
リップクリーム 数本
ハンドクリーム 数本
入れ歯洗い   1箱
紙コップ    大2パック
濡れティッシュ 2箱+詰め替え6コ
ボディーシャンプー 2ボトル
マスク  2箱
葉書 100枚(被災地域でも配達が徐々に始まっていると聞き、家族に消息を知らせるのに使えるのではないかとのことで購入)


また、児童書出版社の偕成社より、絵本や児童書の詰め合わせパック、一箱分を寄贈していただいた。

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さらに翌4/10、Kさん本人と直接電話で話ができた。その際、彼のいる避難所が中高年が中心で現在80名(男女半々)ほどであること、被災者に直接アンケートをとったところ女性用のケア用品などアメニティ系の品々がほしいという声が多かったことなどがわかった。それに基づいて以下の品々を追加購入した。


ボディタオル 10
ヘアブラシ 10
フェイス用カミソリ 2×10
メガネ拭き 5
ヘアバンド各種 10
髪用リングゴム 10
つめきり 10
毛抜き 10
スタンド付き化粧用小型ミラー 13
マグネット将棋 2
洗顔フォーム 5
ローション 5
リップクリーム 9
乳液 1

日本酒1.8リットル紙パック 1
焼酎1.8リットル紙パック 4


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こうした品をダンボール箱10箱ほどにパッキングし、車の荷台に詰め込んで、4/12朝8時、陸前高田へむけて出発。東北自動車道は混雑もなく、ガソリン事情も問題なし。ヤフオクで買ったガソリン携行缶の出る幕もなし。一関ICで高速を下り国道で気仙沼方面へ。一関のコンビニでは牛乳、ヨーグルト、お酒類がなかった。地震でひびの入った建物や、足場の組まれたビルがあるものの、目に映る風景そのものにとくに変化はない。


ところが、気仙沼へつづく3つのトンネル(松川トンネル、安波ト ンネル、鹿折トンネル)を抜けたとたん、一気に非日常的な世界に投げ込まれる。高架道路の右手に大火災で焼けただれた気仙沼の町がえんえんと広がっている。

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気仙沼から山をぬけて北上して陸前高田へ。午後4時頃、待ち合わせ場所の長部小学校(ここも大きな避難所になっている)でKさんと再会。校庭では自衛隊の緊急派遣チームが物資の仕分けを行っていた。Kさんと、その友人であり同じく被災者である女性Nさんとともに、まずは被災したKさんの実家のあるエリアへ。


Kさんご自身の家はすっかり流されていたが、入院中のおばさんの持ち家であった実家はコンクリート製のため、かろうじて倒壊せずに残っていた。先年亡くなったというKさんの父君の家(木造)は、二階部分が1キロ先の海側で見つかり、その瓦屋根が遠くに見えていた。「前はここからは川も海も見えなかったのに、すっかり見晴らしがよくなってしまいました、はは」とKさん。


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気仙沼は壊れた建物ががれきとなってうずたかく積み重なっていたが、陸前高田の被災地はまるで整地したあとのように殺風景である。Kさんによると、気仙沼は入り江の入り口にある大島のせいで、津波の勢いがそがれたのではないかという。それに比べて陸前高田の地形には遮蔽物もないためフラットな平地を津波が一気に押し寄せてきて、いっさいがっさい押し流してしまったのだという。一見すると気仙沼の方が壮絶な印象を受けるが、津波の押し寄せたときの猛威は、おそらく陸前高田のほうが凄まじかったのかもしれない。町のなかの道路のがれきはきれいに取り除かれており、通行に支障はない。


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その後、町なかを見て歩いた後、車で20分ほどの隣の大船渡市へ。ここも津波による被害の激しかった地域だが、少し標高の高い場所に来ると、なにごともなかったかのように電気もついているし、小売店やスーパーマーケットも営業している。中でも最大なのがこの地域で最大の「スーパーマイア」という巨大スーパー。ここは震災後に物資を集中的に取りそろえるための拠点となっているとのことで、中に入るとなんでもあるのに驚いた。お酒も米も牛乳も野菜も魚も肉も雑誌も、日用品も雑貨もなんでもある。われわれが持参してきたようなものがほとんどあるのではないかと思われるほどで、少々拍子抜け。ただし、ここまで買い物に来られる被災者は限られているし、物資があるからといって、それが被災者の元へとどいているわけではない。


 
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その後、彼らが避難している陸前高田の某避難所へ行き、敷地の一角にテントを張ることを許可していただいた。自分たち用の水と食料はすべて持参していったが、この避難所の食糧事情はよく、水も毎朝、自衛隊が運んできてくれるという。被災者の滞在している大広間に通じる玄関には援助物資の入ったダンボール箱が積み重ねられていた。ただし、避難所によってはいまだに一日二食のところもあるという。さまざまなNGOや組織が関わっているので、避難所によって食料の供給方法がちがうらしい。

 
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翌朝(4/13)は明け方に震度4の地震で目覚める。避難所は8時過ぎに消灯で、しかも高齢者が多いので被災者の朝は早い。暗いうちから中庭のブルーシートで作った天幕の中で、薪を割って火を起こす音がする。うぐいすの鳴き声がまだ明け初めぬ杉林の中に響く。


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朝食後、持ち込んだ物資を避難所内の広間に持ち込み、そこで開封して、座卓に並べる。KさんとNさんから被災者の方々に声をかけてもらって、ほしいものを一人ずつ順番に1つ選んでとっていってもらうという方法をとる。一巡した後、もう一巡、さらにもう一巡と何度かくり返す。このやり方が最善とは思えないが、この避難所は規模が小さく、ほとんどが知り合い同士なので、とくにトラブルもなく配布が進んだ。Kさんには個人的にプリペイド携帯やラジオをお渡しした。

 
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あらかじめリクエストを聞いていたため、数量にかぎりがあったとはいえ、かなりピンポイントで必要なものを持参することができたのはよかった。とくに女性用長靴や爪切り、女性用カミソリ、スタンド付き鏡といった小物類は、援助物資にはなかなか入っていないので歓迎された。また、入れ歯洗浄剤(パーシャルデント)も高齢者が多いこともあって人気だった。砂埃が激しく、がれきの撤去作業で目を痛めている人が多いので、ホウ酸と精製水のセットも歓迎された。避難所では携帯電話を持つ人も増えているが、高齢者が多いと中には筆まめな人もいるので、葉書も歓迎された。避難所の入り口には簡易ポストも置かれていた。90リットル、45リットルの大型ポリ袋も、これから引っ越しのときに必要となるのでほしいという人が多かった。


一方で、裁縫セットや耳かきがあったらよかったという要望もあった。また、男性陣の中には、避難所からがれき撤去の仕事に出かける人も多いため、粉塵用のマスクやゴーグルなどもあったほうがよかったかもしれない。お酒は個人的にKさんに一部お渡ししたが、避難所として受け取るのはちょっと・・・と遠慮された(陸前高田全体の支援物資の受け付けを行っている本部では受け取ってもらった)。


また今回気づいたことだが、被災者の多くは私物を置いておく場所というのがない。家は失われてしまったし、避難所にはロッカーがあるわけではない。なので、支給された物資などの私物は部屋の隅やたたんだ布団の横に置いておくしかない。そうした私物を入れるための箱や袋、紙入れなどをほしいという人もいた。被災者の中には、いまでは家族や親類の協力で携帯電話をもったり、軽自動車などを購入している人も少なくない。この避難所の駐車場にも、被災者の方の自動車が夜になると10台ほど停められていた。車のある人は、そこに私物を置くことができるが、そうでない人は持ち物の管理がむずかしいという問題もある。


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結果的に持参した品のほとんどは、この避難所の被災者の方に受け取っていただけた。その後、偕成社から寄付していただいた児童書を長部小学校の物資の担当者の方へ直接お渡しする。ここには主に子供のいる家族が避難していて、教室ごとに主に同じ地区の住む5~7家族が滞在している。教室間同士で人が行き来することはインフルエンザの怖れがあるので禁止されていた。許可を得て、ある教室に入って、そこのお母さんに話を聞く。「風呂に入れなくてもなんともないのですが、歯磨きができないのが三日目くらいからつらかった」といわれた。「せっかく学校に合格したのに、両親が亡くなってしまった子もいたり、今回の津波で人生が狂ってしまった人たちがたくさんいます。その子は学校はやめるといっていたのですが、学校が援助するから来なさいと行ってくれて、行くことに決めたそうです・・・」

 
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この小学校の体育館が援助物資の倉庫になっていて、そこも見学させてもらう。曜日と時間を決めて、被災者の人に公開して、必要なものを持っていってもらうようにしているという。食料から衣類、薬品、書籍など、大量の援助物資が、きちんと分類されて並べられていた。係の方は、「食料はかなりありますが、それでもこれからなにが起きるかわかりませんから、なるべくたくさんストックは持っておきたいと思います」といわれた。

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衣類は初めはただ床に並べられていただけだったが、NGOやボランティアがサイズ別、男女別に分類したり、ハンガーを持ってきて掛けたりしたことによって、持っていってもらえる率が上がったという。「震災直後はなにもなかったですから、古着でもなんでもよかったのですが、いまでは新しくないと持っていってもらえません。冬物はもうダンボール箱に入れて二階にストックしています。ランドセルも十分足りています。初めのうちは、お母さん方が衣類や薬などを取りに来るというのがメインだったのですが、最近は子どもたちが開館の日の朝から並んでいて、本やおもちゃを持っていくようになっています。ちょっと本来の役割ではなくなってきているような気もするんですが・・・」

 
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その後、支援物資を一括して扱っている給食センターへ。そこで「支援物資としてお酒は受け取っていただけますか」と聞くと、「来るもの拒まずです、ありがとうございます」といわれ、ダンボール一箱分のお酒を渡す。係の人が「消防団にいいかな・・・」と呟いた。お酒については、ずいぶん迷ったのだが、被災から一ヵ月たって基本的な物資にくわえて、生活の潤い系のものへの需要が高まっていると聞いていたので持ってきた。ただ、避難所それぞれのポリシーもあるだろうし、おおっぴらにはなかなか難しい点もあるようだ。ただ、男性陣の中には、ほしいと思っている人がかなりいることはまちがいない。


すでに書いたように、被災地での需要の種類は数日単位で変化している。ここに記した内容も刻々に変化している。ただ、一方でなにを支援物資とするかという点にかんして、むずかしさを感じたのも事実である。これはおそらく戦場の難民キャンプなどでもいえることだと思うが、個別のリクエストを満たすという形にした場合、それがはたして本当に必要なものなのかという問題につきあたる。


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Kさんに携帯を渡せたことで、彼らとの連絡が密にできるようになり、われわれの帰京後、避難所からの追加リクエストも届けられた。その中には、コロコロ(粘着テープの付いているお掃除用のあれです)女性の人数分とか、固形石けん人数分、携帯ラジオをかなりの数といったものも挙げられていた。中心となっているのは女性のリクエストで、今回持っていたアメニティ系の品々をさらに細分化したという印象だった。


物資が十分でないのはたしかだ。しかし、はたしてコロコロが人数分、避難所で緊急に必要だろうか。またすでに液晶テレビまで支給されている避難所で、一人一台ずつの携帯ラジオが必要なのだろうか。自衛隊の用意したお風呂に、最近では3日おきに(少し前までは週一回)連れていってもらえて、そこには石けんやカミソリ、下着なども用意されているという。


基本的な衣食が満たされたあとは、個人的な嗜好品や生活の潤い系の品々が来るのはわかる。だからこそアメニティ系の品々やお酒を持っていったわけなのだが、えんえんと個別の細かい要望を聞き続けていくとなったら際限がない。以前、アフリカで働く援助関係者から、まさに似たような話を聞いたことがある。もちろんスケールはちがいすぎるが、ささやかとはいえ、ひとから集めたお金をどのように使うかについては気をつかう。


ツイッター上では被災地に化粧品をという運動も起きている。実際にこれから日ざしが強くなる中、肌のケアは男女ともにだいじだし、日常を回復するためにも身だしなみを整えるのはたいせつなことだ。しかし、化粧というのが、どの範囲までなのかというのはわからない。被災者の中にはすべてを失ったひともいる一方、中にはすでに携帯や中古車を手に入れて、となり町のスーパーへ買い物に行ける人もいる。一人ひとりの抱えている状況や問題があまりにちがいすぎて、いちがいにはいえないだけに、限られた資金をどう役立てられるのかには悩む。小学校の体育館で支援物資の管理をしていた市の担当者の方が、子どもたちがおもちゃを取りに来るのを「ちょっと本来の役割ではなくなってきているような」といっていたのも、そんな葛藤があるのかもしれない。


今後、陸前高田の被災地では暖かくなるとともに衛生状態が悪化し、感染症などの心配も出てくるだろう。被災者の男性の中には、被災地でのガレキの撤去の仕事を始めている人たちもいる。思うに、衣食の問題が一段落したいま、被災者の衛生環境や健康の維持のほうが、コロコロなどより切実な課題ではないか。そのための防塵マスクやゴーグルは用意されているのか。そのあたりは調べないとわからない。

 
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個々の要望を聞くことは基本だが、その要望が長い目で見て、どこへつながっているのか、あるいはつながっていないのかを見ていくことが、それ以上にたいせつなのだと思う、自戒も込めて。


(つづく、なるべく早く)


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「雑記」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
いつも読ませて頂いてます。

宮城で被災しました。
市街地ですので、津波被害もなく、建物(マンション)もしっかりはしていましたが・・・。

マンションの中が逆さに振ったみたいにメチャメチャになり、当然ライフラインが途絶。
住人は全て車で1週間以上暮らしてました。

私らも一軒家の方々も、ライフラインが無ければ、避難所で水や食料をいただく以外無く。

震災当初は本当に「水!暖かい場所!」っていうのが、被災地の「欲しいもの」だったんですけど。

女性はちょっと違うんですよね。
「そして」が付く。
私の場合は髪ゴムでしたw

身だしなみ・・・というんじゃないんです。
肩くらいの長さですが、とにかくウザい。動くのに邪魔。
ブラシとか、髪が短い男性にはわからない「必需品」でした。

だんだん落ち着いてきて、「メイク用品」というのはよく解ります。
何故か漁業関係、魚屋さん?系、八百屋さん系の奥方達は、一様に化粧が濃かったりします。(ホントになんでだろう?)

でも、お化粧ってするだけじゃなく、落とす時にもクレンジングとか、また手間とグッズが要る。

ブラシが揃えば、鏡も要る。
テントが来れば、中で眠れる毛布が要る。
カレーが食べられるようになれば、スプーンが要る。

全部セットで御願いできるならいいのですが・・・そういう問題では無いし。

支援物資が、新たな「必要な支援物資」を呼ぶ・・・。
そんな印象があります。

今は「仕事!」が、何もかも失った方々の一番欲しいものでしょうが。

仕事が「支給?」されるならば、当然ながら「セット」で必要なものが出てくるはず。

現地にいる私は、出来るだけそういったことを細く長くお手伝いができれば・・・と、少ない脳みそを絞っておりました。

投稿: まめ | 2011年4月28日 (木) 09時54分

>まめさま

被災されたのですね。つつしんでお見舞い申し上げます。

たしかに髪ゴムの需要は高かったです。女性は男性みたいに髪を切ればれいいというわけにもいきませんからね。
「支援物資が、新たな必要な支援物資を呼ぶ」というのは今回よくわかりました。暮らす、生活するというのは、そういうことなのでしょうね。

「何故か漁業関係、魚屋さん?系、八百屋さん系の奥方達は、一様に化粧が濃かったりします」

そうなんですか!? 気づきませんでした。客商売なので身だしなみに気をつかうからというだけではないのかな。こんど観察してみます。

まめさんの仕事が一日も早く見つかる(支給される?)といいですね。

投稿: 田中真知 | 2011年4月28日 (木) 11時48分

丁寧なお返事とお気遣いをありがとうございます。
優しい言葉がしみいります。
すごく言葉がふんわりと来ます。お人柄の賜でしょうね。

>第一次産業の奥方
う~ん、実際に港にいる方で高齢の奥方様達はあまりお化粧してないんですけど・・・少なくとも私が知っている限りの奥方はw
たぶん、仰る通りお客様に接する方はそうしているんでしょう。
一種の気合いでしょうか(笑)

韓国の市場のアジュンマ。
あんな感じが多いな~と。(グレさんも描いてましたっけ)
派手さと賑やかさ、威勢の良い声。
よく笑う。

中にはエラー音のするお化粧の方もいたりするんですけど、またそれがイイんですよね。

深く考察すると、漁業関係の方はダンナ様がえーと、そのなんだ。

お外でお遊びが過ぎる方が多いのでw
お化粧してキレイにしてないと・・・という深層心理があるのかもしれませんね。

あくまでも私の暴走妄想ですが・・・。

とりあえず、今後の仕事とか人生とか考えています。
居住地の移転も含めて・・・。

どんな天災でもそうですが、必ず高齢者がとてもひどいことになります。

自分が年を取った時、また地震が来たら?
築いたものが壊れたら?
何も悪いことしてないのに?一生懸命生きてきたつもりなのに?

そういうことを考えてしまいます。

投稿: まめ | 2011年4月28日 (木) 17時29分

>まめさま

なるほど。とすれば、八百屋さんと魚屋さん、および漁業関係の奥様は化粧のタイプがちがうかもしれませんね。
八百屋は農耕、漁業は狩猟系。民族学的にみても、狩猟民はシャーマニックで派手な身体装飾をほどこしている例が多いですからね、と私も妄想暴走です。

それはさておき、今後のことを考えるといろんな葛藤や悩みはつきないと思います。
「築いたものが壊れたら? 何も悪いことしてないのに? 一生懸命生きてきたつもりなのに? そういうことを考えてしまいます」というのもわかる気がします。
被災もしていない私がいうのもなんですが、それでも、いつか、そうした問いかけがぽろりと剥がれ落ちるように、まめさまの心に浮かばなくなる日がくるよう願っています。

投稿: 田中真知 | 2011年4月29日 (金) 02時22分

初めてコメントさせて頂きます
私個人の感想なので
「こういう考えの人のいるんだな」
程度でお読みくださいね。
疑問に思ったのですが、コロコロや携帯ラジオは「嗜好品や生活の潤い系」なのでしょうか?
化粧水は「肌のケアや身だしなみ」だと思いますか?
私の場合肌が異常に弱く、化粧水を付けずに数日過ごすと頬が赤く腫れ、かゆくて眠れなくなります(こうなると薬を使用するしか改善出来ません)化粧水は歯磨きと同じく、健康管理の為に日々必要な物と思っています。
避難所にテレビがあっても、日中家の片付けや何か探しに出かけている時、個人的に持って行ける携帯ラジオがあると、常に情報が聞けて安心出来ます。
簡単に洗濯も出来ない時固形石鹸があれば、洗濯から洗顔まで何かと役に立ちます。
コロコロは共同だと使う分量にもかなり気を使う為、各自あると粉塵の付いた衣服の汚れ取りなど本当に助かると思います。
「何が必要か」は被災者の皆さんが1番知っている事であり、詳しい内情を言わないと理解されないようであれば、支援しない方がいいと思います。
1番ムダな事は、支援する側が「これがあったらいいだろう」と決めつけ持って行き、使われずゴミとなる事です。
実際、被害の少ない地域では「援助物資」が山積みとなり、仕方なく被害の全くない市民にまで余った物資を配っている所もあります。
みんなそれぞれ、思いがあり悩みがあり葛藤があります。
「要求がエスカレート」とは思わないで欲しいです。

投稿: くぅ | 2011年5月10日 (火) 05時44分

>くぅさま

コメント、ありがとうございます。
くぅさまのおっしゃること、なるほどと思いながら読ませていただきました。その後の報告をしていなかったのですが、結局、コロコロや携帯ラジオ、固形石けんなどは全員分ではありませんが、それなりの数はもっていきました。
ただ、われわれが訪れたときもそうだったのですが、男性側のリクエストがなかなかくみとれず、そちらの要望をも入れたいと思った面はあります。リクエストがないわけではなく、それを口にしない人が多く、でも、がれきの除去などにあたっている方も多いので、防塵マスクやメガネなどがあると、これは助かるという感想もあり、そうした方にもかぎられた予算を割きたいと思ったのです。
くぅさまが、コロコロや携帯ラジオは「嗜好品や生活の潤い系」であったり、化粧水は「肌のケアや身だしなみ」でしょうかと疑問を持たれるのはよくわかります。
「何が必要か」は被災者の皆さんが1番知っている事であり、詳しい内情を言わないと理解されないようであれば、支援しない方がいいと思います、というのもそのとおりですね。
私が思ったのは、バスかなにか足を用意して、みなさんにお金を渡して、大きなスーパーに買い出しに行って各自必要なものを買ってもらうというのが、いちばん効率的なのでは、ということでした。
「みんなそれぞれ、思いがあり悩みがあり葛藤があります」ーーそうですね。私の書き方に、ひっかかる点があったとしたら申し訳ありません。

投稿: 田中真知 | 2011年5月10日 (火) 09時12分

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