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陸前高田被災地訪問の記 2(被災者Kさんの3月11日)

前回のエントリーで書いた陸前高田で被災したKさんは、津波からの避難のさなか、その様子をデジカメで撮影していた。Kさんにお借りした写真をまじえつつ、うかがった話をもとに、当日の彼の体験をたどってみる(写真・動画はすべてKさん撮影)。


地震がやってきたとき、Kさんは川のそばのおじさんの家にいた。地震の衝撃はかなり大きく、しかも長くつづいた。本来なら、すぐに流れるはずの防災無線も、地震とほぼ同時に停電したために機能しなかった。これほど大きな地震ならかならず津波が来る。そう思ったKさんは、おじさんを車椅子に乗せて避難所へと運ぶ。


そのあと、Kさんはふたたび町へ戻り、別のおじさんの様子を見に行く。はたして、おじさんは高台の施設にいるとわかったので、こんどは自宅へ。Kさんの自宅は広田湾の河口から1・5キロほど遡った場所にあり、川の堤防からも200メートル近く離れていた。津波の高さは6メートルとラジオで聞いたが、このあたりに住む人たちは、Kさんもふくめて、それでも、まさかここまでは来ないだろうと思っていた。


Kさんの自宅の裏手には神社のある山があった。津波のときにはここに逃げると決めていた場所だった。今回もそこに避難するつもりではあったものの、6メートルの津波であっても、さすがにここまでは来ないだろうと、たかをくくっていたところはあった。そこで財布や水のボトルなど最低限のものだけを持ち、パソコンは一瞬目をやったものの結局置いていくことにした。


水が押し寄せてきたときに備えて、自分の車を山裾へ移動したあと、神社のある山の南側のなだらかな坂道を登った。津波が来るにはまだ多少時間があると思い、いったん来た道を戻って様子を見ていると、海が堤防を越えて溢れてきているのが目に入った。これはまずい。さらに、毛布を背負ったおばさんが津波に追い立てられるように、のろのろと歩いている。おばさんにかけよって急かして、神社の参道の階段を急いで登る。津波はじわじわと背後に迫っていた。すでに山上に避難していた人たちから「来たぞ、来たぞ」と声が上がっていた。


階段を途中まで登ったときには水が山裾に押し寄せ、ここなら大丈夫と思って駐車した自分の車を呑み込んでいた。津波はぐんぐん水位を上げ、とても6メートルどころではない。社のある頂上にたどりついて下を見ると、瓦屋根の家並みはすっかり水没し、逆巻く海のようになっている。引く波にのって木造の家々が流されていく。家の屋根に乗ったまま沖へ流されていく人もいた。その人に向かって、上からみなで「がんばれよー」と声をかけた。


 
津波はなんどか行ったり来たりして、そのたびに家々を破壊し、ガレキを押し流していく。1時間たらずのうちに、町はすっかり水没し、湖のようになってしまった。


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夕方になると徐々に水が引いていったが、あたりはすっかり洗い流され、そこにあったはずの建物が見あたらない。自宅の前後にあった2つの蔵も長屋もきれいになくなっていて、いままでに見たことのない風景が広がっていた。参道の階段の下の方は泥水に沈み、手すりがぐにゃりと曲がっていた。


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山の右手の中学校の方角から、連続して爆発音が聞こえていた。そのうち火の手が上がった。駐車していた車のガソリンに引火して、停めてあった車が次々と炎上し始めていたのだった。


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夜明かしに備えて、夕方、避難していた数人の若者といっしょに水を汲みに山の裏手の泉まで下る。津波は山の斜面を駆け上り、そこにあった家を破壊し、畑もどろどろになっていた。半壊した家の屋根の上で、男の人が「助けに行こう」といっているのが聞こえた。なにごとかと近づくと、家の中に足の不自由なお母さんとお嫁さんがいるという。屋根の上から中に入る。他の人たちといっしょに、中からうつぶせになった二人の女性を引っ張り出したが、すでに息はなかった。
 

夜になっても中学校のほうから聞こえる爆発音はなおもつづいていた。おびただしい車を燃やした炎は体育館へと燃えうつっていた。炎上する体育館に踊る火がぬかるみに沈んだ夜の廃墟をぎらぎらと彼方まで照らし出していた。見上げると、おそろしいほどきれいな星空だった。やがて雪がぱらぱらと降ってきた。

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暖をとるために、間伐材を集めたり、古い賽銭箱をたたきわって、それを境内で一晩中燃やした。神社に避難していたのは80名ほど。お年寄りもいれば、赤ん坊をつれたお母さんもいた。みんなで火を囲んで、長く、凍える一夜を過ごす。体調の悪い人たちは社の中で体を休めた。眼下では燃え上がる体育館の炎が、どろどろになった町を不気味に照らし出していた。

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長い夜が過ぎて、東の空が明るくなりはじめた。一晩中燃え続けた体育館の火もおさまり、これまで見たこともなかった風景が徐々に目の前に広がってきた。

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朝8時頃、避難していた人たちみんなでいっせいに山の裏手を通って山伝いに移動して、それぞれに避難所へとたどりついた。


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(つづく)

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コメント

想像を絶する画像と映像に、言葉もありません。
Kさんがご無事でなによりでした。

ほかのYTもみせていただきました。
15年ぶりにきく「BAHI travel」という言葉に感動(笑)

貴重なルポをありがとうございます!
この2つの記事、私のmixi日記と「リンク」させていただいてよろしいでしょうか?
(例の「全文引用」ではなく、アドレス表示)

>ゆうさま
ありがとうございます。想像を絶する、そのとおりですね。ご本人も目の前で起きていることなのに現実感が感じられなかったといっていました。

>チャーリーさま
どうぞ、リンクなさってください。

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