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見ていたのに見えていなかったもの

黒澤明の晩年の作品である『夢』(1990)は、短いエピソードを集めたオムニバス形式の作品だが、その中に「赤富士」というエピソードが出てくる。ツイッターでも紹介したが、これである。

 


写真家の小松義夫さんに教えられてYouTubeで見たのだが、「6つの原子炉がつぎつぎに爆発を起こし」とか「危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はないと抜かした奴は許せない」といった科白など、いまの状況をまさにいいあてているようでショックだった。


しかし、それ以上にショックだったことがある。それは、ぼくが過去にこの映画を観ていた(それもおそらく2回)にもかかわらず、このエピソードをまったく覚えていなかったことである。


他のシーンはいくつか覚えている。狐の嫁入りのシーンや、段々畑でのひな祭りのようなシーン、トンネルから日本軍の兵士たちの亡霊が現れる場面などは、比較的はっきり思い出せる。でも、この赤富士のエピソードは、情けないことだが、まったく記憶に残っていなかった。


それは、どうやら自分だけではないようだった。ツイッターでも「こんなシーンがあったのを全然覚えていなかった」と書いている人がいた。そうなのだ。見ていたはずなのに覚えていないのだ。それは、どうしてなのだろう。


たしかにひな祭りのシーンのような清冽な映像美は、この赤富士のエピソードにはない。舞台の書き割りのような稚拙なセット。田舎芝居のような、大げさで、説明的な科白回し。率直にいって、黒澤の以前の作品の水準からすれば、この部分は凡庸だ。もともと評論家の間でも『夢』の評価はけっして高くないし、とくにこの部分はダメの烙印を押されそうだ。


なぜダメと感じるのか。それはいま言ったような、ひねりのない演出のせいもあるが、それ以上に、このエピソードにあまりにも現実感が感じられなかったせいだろう。原発が爆発? 放射性物質が飛散して、みんな死んでしまう? ゴジラみたいなエンタテインメントならわかるが、それをシリアスな話として描くなんてありえない。そのリアリティのなさのせいで、心のどこにも引っかからず、記憶にも残らなかったのかもしれない。


でも、いま思えば、まさに、その「記憶に残っていない」「すっかり忘れていた」という心のあり方こそが、原発問題の解決をはばみ、今回の事故につながっていたのではないか。


『夢』は実際に黒澤が見た夢をもとにしてつくられた作品だという。どうして彼がある意味、芸がないといわれても仕方のない、このような演出をしたのか、いまとなってはわからない。しかし、彼はこのエピソードを、加えずにはいられなかった。それも、これほど愚直でストレートな表現で。そういう形でしかこのテーマは表現できないと彼は考えた、ということだ。


3月26日の毎日新聞に、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)を書いた加藤陽子さんが「原発を許容していた私」という一文を寄せている。「原発を地球温暖化の切り札とする考え」や、それが「パッケージ型インフラの海外展開戦略の柱」であることや「オール電化は火事とは無縁の安全なものとして語られていた」事実を、加藤さんは「許容していた」と書く。


でも本当に「許容」なのか。むしろ、自分も含めて大多数の人にとっては「許容」どころか初めから「見えていなかった」のではないかという気がする。『夢』における赤富士のエピソードがまるで記憶に残っていなかったように、まな板の上にのせる前に、問答無用で削除してしまうようなプログラムが、われわれの頭の中にできあがっている。問題はそこにある(あるいは、あった)のではないか。


チェルノブイリのとき、ぼくはギリシアのアテネにいて連日センセーショナルな見出しの踊る新聞をキオスクで買って読んでいた。でも、その新聞を読みつつ「たいへんなことになったなあ」とかいいながら、大量に売れ残っていた牛乳を平気で飲み、市場で急に安く売られるようになったイチゴを「ラッキー」とか思いながら買って食べていた。バカである。所詮、人ごとだったのだ、といまになって思う。


前に自分の本の中で書いたことだが、インドネシアのバリ島とロンボク島との間に、動物だけがその存在を感知できるウォーレス線というものがある。この線を境として東西の動物の分布が変わるのだけれど、人間の感覚ではこの線があることすらわからない。原発というのも、ひょっとしたら多くの人にとっては、ウォーレス線のような存在であったのかもしれない。でも、いまそれがようやく目に入った。これまで見えなかったものが見えてきた。


だとすれば、少なくとも、これまでのように目に入れることもなく脳内の自動削除プログラムで、その存在をデリートしてしまうことは、もうしてはいけない。見えてきたものを、しっかりと脳裏に焼きつけたうえで、「許容する」か「許容しない」かの判断をすべきときが来たのだと思う。

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コメント

あらためてこの映像と現実に起こっている状況をかさねてみれば、黒澤明監督の「予知夢」だったとしか言いようがないですね。
この作品のあとの「八月の狂詩曲」でも、キノコ雲のシーンがありましたから(たしか...)晩年の監督にとっては、原子力・核への反発は遺言のようなものだったのかもしれません。

最後の監督作品「まあだだよ」までの3作品がわずか3〜4年のあいだにたてつづけにつくられた事実をみれば、これらが、残された時間を意識しているひとが最後に伝えたいことをただただストレートに言い残したかった仕事だったのだろうと、いまになって気づきます。それにしても寺尾聡ったら...。

原発については、たぶん世代によって受けとり方が異なるのではないかなという気がします。
‘50年生まれのぼくは、原子力の平和利用というフレーズには、歴代自民党政権の「非核三原則」宣言同様まやかしに満ちた印象しか抱かなかった。そもそもヒロシマ・ナガサキを経験した国民が、経済発展と引き換えにいともかんたんにこのフレーズのもとに方向転換していく姿に、あきらめしかもたなかったというのが実感です。
あきらめもまた許容と同義だといわれればそれまでですが。

当面の危機的状況を脱したあとには、本来ならば、というのは理性的に考えればという意味ですが、たんなるアンケート調査ではなく国民投票があってしかるべきだと思うのですが、はたして日本にはそういった法やシステムがあったのかどうか...。
いずれにしても、いまは、あきらめつづけるのではなく、少なくとも意思表示はしていくべきだろうと考えています。
デモを示威行為と訳したりする国柄ですから、ドイツのように各地で数万人規模のデモというのは無理かもしれませんが、仮に規模はちいさくても、あるいはひとりであったとしても原発に対して「ノー」という、持続的な意思表示を心がけていこうと思っています。

とりあえずバリにいるぼくは、シンプルに「反原発/Han-Genpatsu」と書いたTシャツつくろうと計画してます。
Tsunami が世界語になったように、「反原発」も世界語になったら...すごいでしょうね!
Han-Genpatsu が

投稿: banana | 2011年4月 6日 (水) 22時47分

あらら、最後の1行消してわすれてる... ^_^);

投稿: banana | 2011年4月 6日 (水) 23時00分

>bananaさま

先日の東京新聞のアンケートでは原発反対が12.5パーセントだったそうです。従来の消費型生活を回復したいという欲求はつよいと思うのですが、新しい生活のスタイルを作っていこうという意志的なものは薄い気がします。
ドイツでは25万人が原発反対のデモをしたといいますが、日本では事故の直後でも1200人くらいしか集まらなかった。文化風土の違いもあるのでしょうが。デモをする文化としない文化があるのかな。でも春闘とかだと徹底してやるんですけどね。

投稿: 田中真知@歯痛解消 | 2011年4月 7日 (木) 08時55分

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