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わたしに声をかけないで (コミュニケーション力 その1)+講演会のお知らせ

また間が空いてしまった。。。と、なんど書いたことかわからないが、いつものように、少々のうしろめたさと情けなさのまじった、灰色にしてややつめたく、透明なるところの気分であります。


さて、むかし学生だったころ、街中でよく声をかけられた。といっても女の子にというわけではなく、「あなたの幸せを祈らせてください」とか「人生の目的はなんだと思いますか」とか、いわゆるそういうタイプの人たちだった。


いまはどうかわからないが、当時はそういう勧誘がとても多かった。それでも、人によって声をかけられにくいタイプとかけられやすいタイプがいた。自分は明らかに後者だった。


たとえば、人混みの中を歩いていても、そういう人たちは他の人には目もくれず、にこやかな微笑みをうかべて、まっすぐこちらにむかってくる。こちらが足を速めると、むこうも足を速める。曲がろうとすると、さりげなく前にまわって進路をふさぐ。


観念して立ち止まると、「ちょっとお時間いいですか」とか、にこやかにいわれ、そのあとは祈ってもらったり、へんな事務所に連れていかれたり、「本当のこと」が書いてあるという冊子をもらったり、お金を貸してほしいといわれたり、住所を書かされたり、ということがけっこうあった。


そのことであとでとくにトラブルになったことはないが、自分はよほど不幸そうに見えるのか、あるいは御しやすそうに見えるのかなと思うと、少々情けなかった。関心がないのなら、はじめから無視するか、相手にしなければいいのだが、そういう毅然とした態度もなかなかとれない。おそらく、そういうこちらの気の弱さを、あちらも敏感に察知するのだろう。


それならば声をかけづらい雰囲気をつくろうと濃いサングラスをかけて、少々つっぱった態度で歩いてみたりしたこともある。だが、そんなときにかぎって、こんどは不良に「おい、なめんなよ」とからまれたりする。そのころ武術を習おうと思ったのは、そんな人との距離のとりかたに困っていたせいもあるかもしれない。


さすがに最近は、街中で声をかけられるようなことはなくなったが、つい先日、夜遅く帰るとき、駅前のコンビニのそばで初老のおじさんに声をかけられた。iPodのイヤホンを外して、なんですかとたずねると、商店街はどっちのほうですか、というので、あの信号を渡って右へ曲がればすぐですよと教えてあげた。


御礼をいうおじさんに会釈して、そのまま行こうとすると、あのう・・・もう一つうかがってよろしいでしょうか、といわれる。なんでしょうか、と聞くと、よろしければ、いまどんな音楽を聞いているのか教えていただけませんか、という。


「はっ?」


酔っているようには見えなかった。見れば、片手には新聞紙や雑誌のつまった大きなショッピングバッグをぶらさげ、パンパンにふくれたショルダーバッグを、黒いよれよれのジャンパーの上にたすきがけにしている。一見ホームレスを思わせるうらぶれた風体ではあるが、物腰は穏やかで、言葉遣いもていねいだ。


「どうして、そんなことを聞くんですか?」


「いや、どういう音楽を聞かれているのかなと思って・・・」


う~ん、答えになっていない。でも、まあ、たしかに電車などでヘッドホンをしている人を見ると、なに聞いているのかなと思うことはある。だからといって、いきなりなに聞いているか教えてくださいとはいえない。エジプトで知らない人に、突然「なに聞いてんの?」と聞かれたことがあるが、それは人間同士の距離感がちがうからだろう。


世間ではコミュニケーション力がだいじとか、共感力がだいじとかいわれているけれど、実際のところ、それは望む相手との場合にかぎられる。街中で出会う見知らぬ他人というのは物や風景と同じで、心を通わせる対象とは見なされていない。いきなり声をかけられたりしたら、それはまずは脅威と見なされる。電車でヘッドホンをつけて他者の侵入を拒みながら、「コミュニケーション力を身につけよう」というようなハウツー本を読んだりしていても矛盾はしていないのだ。でも、そういうのが、ときどき息苦しくなる。だから、おじさんの気持ちはわからなくもない。


そのとき聞いていたのはジャズみたいな、現代音楽みたいな、ジャンル分けのしにくい音楽だった。説明がしづらいので、おじさんには「ジャズです」と答えた。


「ジャズですか・・・ありがとうございました」とおじさんは頭を下げた。会釈をして行こうとすると、おじさんが、申し訳ありません、もう一つだけ伺っていいですか、という。


「なんでしょうか?」


「ジャズで、トランペットで、静かで、穏やかな感じのものというと、どういうのがありますか?」


「はっ?」


「こう静かで、ゆったりとした感じのジャズというと、どういうのがおすすめでしょう? トランペットで」と彼はくりかえす。


コンビニの前で突然声をかけられた人に聞かれる質問としては、かなりシュールだ。家路を急ぐ人たちが、われわれの横を次々にすりぬけていく。突然そんなこといわれてもわかりません、といっても失礼には当たらないだろうが、仮に声をかけてきたのが、かわいい女の子だったりしたら真剣に考えたりするのだろうなと思うと、げんきんだなとも思う。


キリスト教の寓話でもそんな話があった。ひどい皮膚病に冒された老人が、通りを行く人たちに、私を抱いてくださいという。もちろんだれも相手にしないが、一人が気の毒に思って彼を抱きかかえると、その人の体から光が放たれ、老人は忽然とイエス・キリストの姿になった、というような話だ。


そんなことを思ったわけではないが、なんとなくしばし考えた末、「マイルス・デイビスかな」と答える。あまりマイナーなのだとぴんとこないかもしれないし、「カインド・オブ・ブルー」みたいな、静かで、ゆったりした作品がないわけではない。


「えっ、なんですって?」


「マイルス・デイビスです」


「えっ、ま・い・る・す?」


「マイルス・デイビス、です」


「それは、人ですか?」


「はい、人の名前です」


「そのマイルス・デイビスさんは、シンガーソングライターなんですか?」


「シンガーソングライター・・・う〜ん、歌はうたわないのですが、自分で曲を作って、トランペットで吹きます・・・ええ、しずかな、ゆったりした曲もあります・・・もうずいぶん前に亡くなりましたが」


コンビニの前の舗道で、いったい自分はなにをいっているんだと思いながら、「マイルス・デイビスさん」について話をする。


「わかりました、ありがとうございました、マイルス・デイビスさんですね。ぜひ、聞かせていただきます。その人はCDも出しているのですか」


「出してますよ」


「ありがとうございました、お時間をとらせて申し訳ありませんでした。どうか、音楽をまたお聞きになってください」


「はい」


おじさんは踵を返すと、そのままコンビニに入っていった。ひょっとして、コンビニでマイルス・デイビスはありませんか、と聞くつもりかもしれない。思わず、コンビニにはないと思いますよ、と声をかけようと思ったが、もっとややこしくなりそうだったので、それはやめた。


帰り道を歩いている途中で、やっぱりマイルス・デイビスはちょっとちがったかな、と思った。水曜ロードショーかなんかのテーマを吹いていたニニ・ロッソとでもいったほうがよかったかな。


夜、あのコンビニの前を通るたびに、あのおじさんはマイルス・デイビスを聞いただろうかと思う。でも、もし聞いたのが「ビッチェズ・ブルー」だったりしたら、「ちっ、だまされた」と思うかもしれないな。でも、それはまあ、しかたのないことだ。。。

(このテーマ、もう一回つづく、明日か明後日くらいに更新予定。ほんと)


ーーー

ところで、話変わって講演会のお知らせです。ブログを更新したついでに告知しようと思っていたら、結局ぎりぎりになってしまった。。。エジプトにかぎらず、拙著『美しいをさがす旅にでよう』でも述べたような、物の見方についての話をしたり、意見交換などをしつつ、面白く、たのしい時間をつくれればと思っています。場所等、くわしくは下記サイトで。


2011-11-26  西荻カルチャーカフェ 「発想を転換するためのエジプト講座」

11月26日(土) 11:30~14:00

エジプトでは赤ちゃんをほめてはならない。足を踏まれると、踏んだ相手が「気にするな」という。日本の常識からすると、なかなか信じられない習慣のなかに、じつは5000年の文化と知恵が隠されている。
ピラミッドとツタンカーメンだけがエジプトではない。われわれの常識や物の見方を変えるための、ちょっとディープなエジプトの歩き方 

講師:田中真知(作家・翻訳家)

8年にわたりエジプトに暮らし、中東・アフリカを幅広く取材。著書に『アフリカ旅物語』(凱風社)、『ある夜、ピラミッドで』(旅行人)、『美しいをさがす旅にでよう』(白水社)、訳書にグラハム・ハンコック『神の刻印』(凱風社)、ジョナサン・コット『転生--古代エジプトから甦った女考古学者』(新潮社)などがある。

※チャージ1,000円+ワンドリンクオーダー


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コメント

若いころ父親から、「おまえはカモがネギしょって歩いているようにしか見えないのだから外に出たら毅然としていなくてはいけないのだ」と忠告されたくらいですから、真知さんと同じような経験を重ねてきていますが、このコンビニおじさんとのやりとりに類似したものは「めまいのする会話」に分類することにしています。
きょうも、昼下がりのウブッドで見知らぬ若者に声をかけられたのですが、いきなり「日本の女のコと恋人になりたい」と告白され、「白い肌の子孫をつくりたいのだ」と妙な計画まで打ち明けられてしまいましたよ。

投稿: banana | 2011年11月25日 (金) 20時48分

>bananaさま

お仲間でしたか(笑)。
学生の頃、駅の券売機で切符を買っていたら、知らないおばさんに「あなたのその服似合ってるわね、ところで、いま切符を買ったお釣りをくれないかしら」といわれたことがあります。これも「めまいのする会話」に分類できそうですね。
ちなみはお釣りはあげませんでした。毅然!

投稿: 田中真知 | 2011年11月26日 (土) 21時56分

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