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達人あらわる! (コミュニケーション力をめぐる その3)

明日か明後日には更新なんていっておきながら面目ありません。有言実行と思ったのですが、有言無実行では話になりませんね。かといって無言無実行ではもっとだめだし、有と無以外の選択肢がないものだろうか。今回のテーマは、そんなことにも通じるかもしれない。

 
 
そういえば昨夜は月蝕でした。手持ちなので、これが限界ですが写真を。

Img_1871


 
さて、前回に引き続いて、迷惑電話への対応をめぐる話。結果的には撃退したのだけど後味があまりよくない。電話線を抜いてしまうというのは潔さに欠ける気がしたからだ。迷惑電話相手に潔さもへったくれもないけれど、それでも、どこか納得いかない。

 
 

では、どうすればよかったのか。前に書いたが、迷惑電話や勧誘電話への基本対応は「相手にしないで、すぐに切ること」とされている。そのとおりではあるのだけど、話し始めてしまった以上、急に切るのもしゃくである。かといって、相手を言い負かしてやろうと議論をふっかけるのも、こちらの正当性を証明してやろうという姑息な意図が見え隠れしていて潔くない。
 

 
このとき感じたのが、いまよくいわれているコミュニケーション力といわれているものの胡散臭さだった。コミュニケーション力とか共感力というと、聞こえはいいけれど、実際は、相手にすりよるとか、相手から何か得になるものを引きだそうとか、相手をコントロールしようという衝動に由来しているものが、ほとんどなのではないか。

 
 

自分に利益をもたらす相手に対しては、コミュニケーション力や共感力は有効かもしれない。しかし、そうでない相手、たとえば先の迷惑電話の相手などに対しては、ほとんど機能しない。もし、迷惑電話の相手に共感したり、コミュニケーションをとろうとしたりしたら、向こうの思うつぼである。


 
だから、そういう場合は「話を聞かずにすぐ切れ」といわれる。電話ならそれも可能だが、世の中はむしろコミュニケーションをとりたい、共感したいという相手よりも、その逆の相手の方がはるかに多くはないか。そういう相手と渡り合うのが、本当のコミュニケーション力だと思うのだが、そっちのほうは電話を切るように切り捨ててしまうというのは、いかがなものか。


 
日本の社会は、迷惑をもたらす相手、あるいは利益をもたらさない相手に対して、とても冷たい。でも、必要なのは、ゲイティッドされた仲間内の領域でのみ有効な「コミュニケーション力」ではなくて、むしろ突然の異形の他者の侵入にたいして対処できるようなコミュニケーション力、いやむしろ反コミュニケーション力ともいうべきものなのではないか。

 

そんなことを思いつつ、電話のあと、ネットをうろうろしていたら、YouTubeでこのようなものを見つけた。どうやら留守番電話に入っていた架空請求の請求元に電話をかけて、業者とのやりとりを録音したもののようだ。


 

音声のみ


 
アップ主は冗談として上げたのかもしれないけれど、このやりとりを聞いて目の前がぱあーっと開ける思いがした。なるほど、そうか! 


 
これを聞いて浮かんできたのは格闘技の場面だった。しかし、それはスポーツ化された試合ではない。時代劇などにある殴り込みのような、道場やリング以外の場所でいきなり起きた闘いのようなイメージだ。

 

 
話が前後するが、迷惑電話とは不意打ち、もしくは辻斬りに遭うようなものだと思う。道場で行われる剣道の試合のように、互いに防具を身につけて、礼をして、「はじめ」の合図で、ルールに則って行う闘いではない。心の準備もできていないまま、無防備な状態で、闇の中からいきなり斬りかかられるのだ。だから、どうしてもそのままだと「受け」にまわってしまう。前回の自分の対応がそうだった。

 
 

相手の太刀筋を読み、それを受け、また別の角度からの切り込みを受ける。しかし、そのくりかえしだと結局、相手のペースから逃れられない。相手は辻斬りなのでルールもなく、禁じ手も次々にくり出してくる。「受け」にまわっているかぎり、こちらからつけ込む隙はなかなかない。


 
しかし、この動画のツワモノは、けっして受けに回らない。コミュニケーション力や共感力というワザを使うなら、相手の言葉を受けて、その言葉の矛盾をついて相手を反撃するのが定石だが、そういうことはせず、相手の質問の矛先をずらして、逆にこちらから関係のない質問を矢継ぎ早に投げかけて相手をからめとっていく。理で押すのではなく、非−理でたたみかける。孔子に「理非無きときは鼓を鳴らし攻めて可なり」という言葉があるが、まさにそれである。

 
 

しかも、途中からの、思いもよらぬ展開に息をのむ。なにより感心したのは、それでも向こうが腹を立てて、電話を切ってしまわないことである。相手と距離をつめつつも、けっして相手を精神的に追いつめていくわけではない。大声を出して相手の戦闘能力を低下させたり、相手のプライドを傷つけて追いつめるわけでもない。そんなことをすれば、相手は激高するか、いきなり電話を切りかねない。いや、もちろん向こうが怒って切ってくれるにこしたことはないのだが、そういう展開にはならない。なんとなく相手の戦闘意欲をそいで、最後はなんとなく困ったような、脱力した感じで電話が切られる。

 
 

一見すると、架空請求業者をおちょくっているかのようにも思えるし、実際本人はそういう気持ちもあるのかもしれない。だが、この人の同じくほかの架空請求などへの対応の動画の中には、怒っていた相手が最後にはほのぼと苦笑しつつ電話を切るというものもあった。つまり、結果的に勝ち負けを超えてしまうのである。

 
 

前回、自分の迷惑電話への対応に満足がいかなかったわけが、これを聞いてわかった。自分は迷惑電話への対応をどこか勝ち負けで見ていた。相手の論理の矛盾を突いて勝ってやろうとか、あるいは逃げることで勝負を放棄しようとか、そうした枠組みから逃れられなかった。業者側にしても、こちらを屈服させて、カネを払わせれば勝ちである。逆に、その論理に乗らず、相手の矛盾をついて業者を引き下がらせれば、こちらの勝ちである。


 
 
しかし、この方の場合、相手を屈服させることを目的とせず、むしろ、結果的に、そうした枠組みの外へと相手を連れ出してしまっている。合気道の達人の塩田剛三は「合気道で一番強い技はなにか」と聞かれ、「それは自分を殺しに来た相手と友だちになることだ」と答えたという。大げさだが、そんな言葉を思い出してしまった。


 

この話にはまだつづきがある。この数日後、同じ業者から休日の朝に電話がかかってきた。もし、こんどまた迷惑電話がかかってきたら、このツワモノにならってみようかと思っていたのだが、こちらは起きぬけで、ぼおーっとしている。やはり迷惑電話は闇討ちであり、辻斬りである。


 
 
「もしもし、私、ゴニョゴニョゴニョなんですが、ご主人様でいらっしゃいますか」


 
「はい・・・」


 
「いまお住まいになっている賃貸住宅や持ち家の今後について、どのようにお考えでしょうか」


 
前回とほとんど同じ対応である。だが、こちらはまだ頭が回らない。つい習慣で「受け」に回りそうになる。いけない。このままだと、また相手のペースにのせられそうだ。そこで、こんなこともあろうかと前回の電話のあと、パソコンに保存しておいた迷惑電話撃退用のテレホンメッセージを流してしまった。


 

音声のみ


 
相手は、しばらく無言だったが、途中でガチャッと電話を切った。リダイヤルもされなかった。それはよかったのだが、せっかくツワモノの対応を知ったのに、結局、飛び道具(テレホンメッセージ)にたよってしまったのは卑怯だったのではと、また反省。


 
それからまた数日後、大東流合気柔術の使い手であるKくんと電話で話したときにこの話題が出た。飛び道具を使ってしまったことが、ちょっと自分で情けなかったといったところ、「それで、いいんですよ」といわれた。


 
「そう?」

 
 
「そうですよ。どういう手段であっても、それで身を守れればいいんです。自分の技をためしてやろうとか、そういうことは武道家はしません。使えるものを使う。それが武道です。試合ではないのだから、ピストルがあったら、ピストルを使う。録音メッセージが使えそうなら、それを使えばいい。だいじなのは、確実に自分の身を守ることです」

 


そのあと、迷惑電話というのは闇打ちや辻斬りに似て、「はじめ」という合図もなく、いきなり始まってしまうという話をすると、Kくんがいった。

 


「それが本来の武道です。実戦では試合のように『ハイ、そこまで!』という終わりの合図があるわけでもない。だから、どうやって終わらせるかが問題になるんです。相手を殺して終わらせるか、あるいは徹底的に痛めつけて、まいったといわせて終わらせるか。でも、もし中途半端に痛めつけたら、恨みを買って、いつか仕返しされるかもしれない。そういうことも含めて、武道家は終わらせ方を考えなくてはならない・・・」


 

なるほど。さすがかつて無礼な某国タクシー運転手を戦闘不能におちいれたことのあるKくんのいうことだけある。あの動画のツワモノの対応は、やはり武道家につうじるものがあったのだ。


 

 
まとめ、というほどではないが、結局のところ、いま世にいわれているコミュニケーション力とは、あらかじめよけいな要素を排除した安全圏の中で行われる「試合」に勝つためのコツのようなものではないか。それはあらかじめ、つながり合うことが前提とされたゲイティッドされた領域での処世術ともいえる。


 

けれども、現実の社会では、そうした「試合」よりも、圧倒的に不意打ちや辻斬りの方が多い。それに対処するには、たんなる共感やコミュニケーションではなく、反感やディスコミュニケーション力を駆使しつつ、勝負という枠組みを超えていくことも必要になるのだ。そんなことを教えてくれるのだから迷惑電話も、けっして迷惑なばかりではないのかもしれない。でも、あまり、かかってきてほしくはないな。

 


長くなってしまいました。。。年内中にまた辻斬りのように更新します。

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コメント

昔、会社の帰りに家の前で、羽毛布団の訪問販売の人に捕まってしまったことを思い出しました。その時は面白半分に相手をしていろいろ聞いていましたが、飽きた頃「でもいりません」ときっぱり断ると、「買いそうな素振りをして今まで時間を使わせて・・・」と怒られてしまいました。
難しいです、達人にはなかなかなれません。電話でも訪問販売でも、最近はすぐ断るようにしています。

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