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2012年4月

かっぱくんの おにいさん (かっぱくんとあひるさん 18)

さくらも さいて はるが きたのさ





ことしの はるは すこし みちに まよっていた みたいだね






こんどから はるにも ちずを もたせないとね





おや あれは かっぱくんだ





「やあ かっぱくん はるだねえ」

 

「・・・」




あ あれは・・・






「あひるさん!」

 

「あれ こっちにも かっぱくんが・・・?」





「どうして かっぱくんが ふたり いるのかな?」

 

「ぼくの おにいさん なんだ」

 

「かっぱくん おにいさんが いたの!?」

 

「うん」

 




「かっぱくんの おにいさん ちょっと くらいね」

 

「うん・・・」





「おにいさん おともだちの あひるさん だよ」

 

「・・・だまされる ものか・・・」





「おにいさん いつも あんな かんじなの?」

 

「うん・・・」

 

「ようするに ぜつぼう しているんだね」

 

「う〜ん・・・」

 

「それなら なぐさめて あげよう」

 





「やあ おにいさん はじめまして いい てんきだね」

 

「・・・しんじる ものか・・・」





「おにいさん いっしょに さんぽに いこう」

 

「・・・だまされる ものか・・・」



「ほら さくらも ぜつぼう しているよ」

 

「・・・」



「あのひとも うちのめされて たちあがれないのさ」

 

「・・・」



「ほら おんなのこが おとこに おもいえだを もたされているよ」

 

「・・・」



「みんな ぜつぼうして たちあがる げんきもないのさ」

 

「・・・」




「はるは むしの きせつでも あるのさ」

 

「・・・むしの きせつ・・・?」



「みんな ぼくたちを むし してるだろ」

 

「・・・むし・・・」

 

「みて みぬ ふりって やつさ」



「そんなときは むしのいい ねがいを するといいのさ」

 

「・・・」


「これは なかなかの やしんかの ようだね」

 

「・・・」



「おにいさん なんとなく あかるい きもちに なったかい?」

 

「・・・」

 

「あひるさん・・・」

 

 

〈おわり〉

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偶然のザイール河&トークイベントのお知らせ

先日、といってももうひと月以上前だが、アフリカを専門にしている旅行会社「道祖神」が発行している「Do Do World News」という雑誌に、ザイール河(現コンゴ河)の旅のことを「偶然のザイール河」と題して書いた。ザイール河はアフリカ中央部の密林地帯を流れる大河で、アマゾン河に次ぐ流域量を誇る。20年くらい前、この河を妻と二人で1ヵ月くらい丸木舟を漕いで旅したことがある。
 

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その旅のくわしいことは以前『アフリカ旅物語』という本の中でも書いたが、そのときには意識していなかったエピソードなども思い出して書いた。ここで紹介しようと思っていたら、例によってぐずぐずしているうちに、読んでくださった方が感想を書いてくださったブログがあることを教えられた。ありがとうございます。

 
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Do Do World Newsはフリーペーパーだが、毎回アフリカの文化をめぐるディープな話題が取り上げられている。以前は、アフリカの現代文化や音楽の研究者の白石顕二さんが亡くなるまで編集長を務めていらした。アフリカや南アジアをフィールドにされている写真家・作家の船尾修さんの連載も載っていて読み応えがある。本屋には置いていない(たぶん)のだが、「道祖神」に連絡すれば手に入るはずである。
 

ところで、写真を使うので久しぶりに河下りのときの写真をフイルムスキャナでスキャンした。スキャナーは買ったものの、スキャン作業はほとんどやっていなかったので今回初めてスキャンした写真も多かった。モニターで画像を拡大してみると、いままで気づかなかったものが映っているものもあって、急激になつかしさがこみ上げてきた。

 
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ザイール河を旅したのはモブツ政権の末期で、首都キンシャサの治安はきな臭く、インフレはきわみに達し、ザイール通貨の価値は毎日、下落していた。河の上にいたぼくたちは治安の問題を感じることはなかった。ただ、船の上で商売をする商人たちが、手に入れた現金をすぐさま別の物資に変え、手もとに残そうとしないことに驚かされた。現金はトランプのババのようなもので、引いてしまったら、すぐに手放さないと無価値になる。貨幣経済でありながら、実質的にはバーターのようなものだった。


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当時、モブツ大統領はほとんどキンシャサにはいなかったらしい。モブツといっても、いまとなっては知る人も少ないかもしれないが、世界最低の独裁者のひとりともいわれていて、その濫費ぶりは常軌を逸していた。40億ドルにのぼるといわれた国の対外債務の額がモブツが不正に貯めた個人資産の額とほぼ同額だったといわれ、1978年の推定ではイランのシャーにつぐ世界第2位の富豪だった。
 

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だが、政敵を容赦なく抹殺し、国に底知れない混沌をもたらしたモブツへの反発は1990年代になると激しくなり、モブツはザイール河を走る高速大統領船の上か、上流の生まれ故郷の町の郊外につくった広大な宮殿にこもるようになっていた。

 
 
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ザイール河を丸木舟で下っていたとき、偶然この大統領船とすれちがったことがある(下の写真)。昼下がり、のんびり舟を漕いでいたら、川岸にいた村人たちが、早くあがれ、といって手招きしている。理由もわからずに接岸して、岸に上がるとまもなく白波を蹴立てながら密林の大河にはいかにも不釣り合いな4階建ての豪華船が忽然と姿を現した。そのとき本当にモブツが乗っていたかどうかはわからないが、村人たちはぼくたちと入れ替わりにサルやらシカやらを積み込んだ丸木舟に飛び乗ると、船で売りさばくべく、いっせいに大統領船をめざした。

 
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船の上でなければ、モブツがこもっていたのは母の生まれ故郷だったバドリテという小村だった。そこは密林の中の、ほんの小さな村だったのだが、モブツはここにヴェルサイユ宮殿さながらの巨大な宮殿を建てた。イタリアから取り寄せた大理石で一族のための地下聖堂をつくり、数々の部屋はフランスの骨董品やヴェネチアガラスなどで飾られ、敷地には巨大な中国庭園やプールがつくられた。さらに村の郊外に国際空港なみの滑走路がつくられ、モブツはこの個人空港(!)からコンコルド(モブツはコンコルドが好きだった)に乗って外遊に出かけ、また各国の要人をここへ招いた。このバドリテのそばのカウェレの村にも同様の宮殿を建てている。


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そうした宮殿も、モブツが1997年にモロッコへ亡命して以来、放棄され、いまではすっかり廃墟と化している。ここなどで写真も見られるが、いったいどこなのか錯覚してしまいそうな、なんともいえないシュールな光景だ。もっとも、下の写真も、いま見るとシュールだな。。。

 
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ところで、2012年4月7日(土)~4月22日(日)まで、神楽坂の光鱗亭ギャラリーというところで、「旅行人文化祭―プラネットアパート別館」という展覧会+イベントが行われます。各週末にトークイベントが行われることになっていて、私も4月21日(土)17:00~にやることになりました。強制的にハピドラムの演奏&Do Do World News進呈付です。よろしければどうぞお越しください。


田中真知「ザイール河秘話」
  4月21日(土)17:00~
  チャージ1200円(1ドリンク付き)
  アフリカの旅トークと本人によるハピドラムの生演奏。
  

詳細はこちら↓

http://www.kagurazaka-kourintei.com/?p=1601

http://www.ryokojin.co.jp/3f/ryokojinbunkasai.pdf


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