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2012年5月

父の遺品の絵

長い間、預けっぱなしにしてあった父親の遺品の一部をすこし前にひきとってきた。大半は本と生前の自分の書いた記事のスクラップや取材ノート(父は新聞記者だった)の類だったが、その中に大きめの茶封筒があった。中を開けると、ほぼA4サイズ大の一枚の絵が入っていた。これである。。。


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なんといっていいものか、しばらく言葉が出なかった。それは初めて目にするものだった。父には絵を買ったり、コレクションしたりする趣味はなかったので、取材の折にでもいただいたものなのかもしれない。だとすれば少なくとも30年以上前だ。絵の貼られた台紙の黄ばみも、そのくらいの年月がたっていることをうかがわせた。


「暗い絵ね」と妻がいった。たしかに気分爽快になるような絵ではない。「この絵、どうするの?」と彼女がいった。どうしよう。暗い絵ではあるが、父が遺した唯一の絵だ。しまっておくのもなんだし、飾っておこうか、そんなに悪い絵ではないよといった。えー、ますます運気が落ちそう、とのたまう妻をシカトして、パネルに入れて本棚の上に飾った。


マントをはおった白い顔をした人びとは故郷を追われたのだろうか、暗い眼窩には嘆きや絶望の陰がきざまれている。背後には夜の荒野らしき大地が広がり、夜空には星が光っている。たしかに暗いのだけれど、毎日眺めているうちに、そこに永劫にくりかえされる人びとの非業の原型が見えるかのように感じられてきて、なぜか心安らぐ気持ちにさえなってきたから不思議だ。背後に広がる砂漠や夜空も美しい。


絵は色鉛筆かパステルで描かれている。台紙には画家の名前なのだろう、松田松雄と署名があり、「民--むれ」というタイトルがついていた。何日かしてから、その名前を検索してみたところ、陸前高田出身の画家で、生涯にわたって福島のいわき市を拠点に制作をおこない、2001年に亡くなっていたことがわかった。


父はどういう経緯でこの絵を手に入れることになったのだろう。画家を訪ねたのだろうか。もし取材なら記事があるはずだが、スクラップをざっと見たかぎりでは見あたらなかった。生きることに絶望し、他人を軽蔑し、早く死にたいといつも口にし、酒を飲んで望遠鏡で星を眺めているときだけ絶望から解放されていた父が、この絵にどこか心ひかれるものを感じていたのだとすれば、それはなんとなくわかる気もする。


トマス・ドゥ・ハルトマンの弾くグルジェフの賛歌など聞きながらこの絵を眺めていると、とてもしずかな気持ちになる。この世界には業(因果)によらない出来事がたくさん起きる。人間は業にしばられながらも、ときどき非業にひっぱられて、思いもよらない運命をたどる。それは嘆きであったり、絶望であったりするのかもしれないけれど、人間存在とはそういうものなのだと知ると、すこし楽になる気もする。


ネットの情報によると、この6月にいわき市で画家・松田松雄氏の没後11年展が開かれるという。「何かに怯え行き場をなくした難民や、浜に打ち上げられた夥しい数の死体、悲嘆に暮れる家族の群像」(娘の松田文氏による)などを描いていた陸前高田出身の画家のほかの作品も見てみたい。


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「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」

2012年5月15日、沖縄が本土に復帰して40年になった。沖縄の基地問題については新聞やテレビで目にすることくらいしか知らなかったし、正確にいえば、積極的に知ろうともしなかったという後ろめたさもあるのだが、昨年出たこの本(『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知ってること―沖縄・米軍基地観光ガイド』矢部宏治・文/須田慎太郎・写真)を読んで少なからぬショックを受けた。紹介しようと思っていたが、例によってだらだらしているうちに、一年近くたってしまった。。。

本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド


ここに書かれていることが、タイトルどおり、本当に「本土の人間」がみな「知らない」ことなのかはわからないが、たしかに自分にとっては知らないことばかりだった。著者の矢部宏治さんも沖縄の人ではないし、かぎりなく平均的な「本土」人として、素朴な疑問だけをたくさん抱いて沖縄を訪ね、取材を通して見たり聞いたり考えたりしたことを、あらためて資料を吟味してまとめたもので、そのいい意味での低い目線がこの本の魅力である。沖縄の基地問題の政治的な是非を問うのではなく、ペリー来航以来の日本とアメリカの関係を問い直し、そこで生じてきた歪みに気づかせてくれるようなつくりになっている。


直接基地問題とは関係なさそうに見えるが、たとえば、あのペリーがどういうルートで日本にやってきたかって知ってました? 自分もそうだが、なんとなく黒船で太平洋を横断してきたのだろうと思っていないだろうか? 実際、司馬遼太郎でさえ、そう思いこんでいたふしがある、という。


だが、そうではないのだという。じつはペリーは大西洋をとおって喜望峰、そしてインド洋のマラッカ海峡をとおって西回りで日本にやってきた。しかも最初に上陸したのが那覇だったという。それだけだとただの歴史トリビアだが、その目的は「沖縄に海軍基地を獲得すれば、中国へ向かう太平洋航路を確立して、イギリスの世界覇権に対抗できると考えた」ためらしい。そしてこのときペリーがつくった地図や海図が「92年後の沖縄上陸戦で使われた」のだという。


また、米軍はイラクからは7年で撤退したのに、沖縄には67年たってもいつづけられるのはなぜなのか? 


さまざまな理由が挙げられるだろうが、その駐留を正当化しているおおもとの根拠は、どうやら天皇にあるという。引用されている進藤栄一氏の論文によると、「1947年、昭和天皇がマッカーサー司令部に対し、沖縄の半永久的な占領を求めるメッセージを側近を通じて伝えていた」。つまり「天皇は、沖縄に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借−−20年ないし50年、あるいはそれ以上−−の擬制(フィクション)にもとづくべきであると考えている」という。


これは「天皇メッセージ」と呼ばれ、5月15日付の朝日新聞でもふれられていたが、無知な自分はまったく知らなかった。要するに、戦争放棄の理念にもとづき、天皇を米軍が守り、それゆえに日本の右翼が親米になるという「戦後日本の複雑なねじれ現象」がここから生まれたのである。「戦力放棄、平和憲法という理想を掲げながら、世界一の攻撃力を持つ米軍を駐留させつづけた戦後日本の矛盾は、すべて沖縄が軍事植民地となることで成立していた」(132p)というのだ。


もうひとつだけ取り上げると、普天間基地というのはアメリカの航空法からも、日本の国内法からも除外された対象になっているというのは、知ってました?


アメリカの航空法では、滑走路の両端から900メートル以内の区域はクリアゾーンといって、いっさい建物があってはならないことになっているのだが、普天間では、その本来クリアゾーンの中に、学校も公民館も保育園も住宅もある。こんなことがあっていいのか、と日本の法を見てみると、なんと日本の国内航空法からも、普天間は適用除外になっているのだという。これでは占領状態のときとなにも変わりない。


そんなわけで本土の人間だからというせいにするわけではないが、無知な自分にとっては「へー」「ほー」という話の連続だった。より正確にいうなら、報道などでなんとなく知っていた断片的な知識が、この本を読むとそれぞれつながってくるという感じなのだ。中途半端にまとめると誤解も生じかねないので、興味のある方はぜひ読んでみてください。版元のホームページから半分だけ無料でダウンロードもできるという太っ腹ぶりである。副タイトルに「沖縄・米軍基地観光ガイド」とあるように地図や交通案内など実用的な情報もたくさん入っている。そう、なんといっても、これはガイドブックなのだから。


写真もいい。すべてオールカラーだ。といっても基地の許可を得て撮られたお仕着せの写真でもなければ、潜入ルポ!とかいうような非合法な方法で撮ったものでもなく、フェンスの外側の、だれにも見とがめられない地点、いいかえれば観光客でも身を危険にさらさずに撮れるような位置からすべての写真が撮られている。そのせいか、どの写真にもどこか白々とした空しいような静けさがただよっていて、それがかえって沖縄の人たちが感じている基地への距離感や違和感や諦念に重なるような気もする。


文章は論文なみの濃さだが、基本はガイドブックだ。読みやすくするための努力や工夫があれこれ施されていて手作り感もたっぷりある。ちなみに著者の矢部宏治さんはぼくの高校・大学時代の同級生で、本人は忘れているかもしれないが、そのころちょっとだけ太極拳を教えたこともある。かつて大きな書店のカウンターにはかならずといっていいほど置かれていた「東京BOOK MAP」という画期的書店ガイドをつくった方でもある。

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トライアスロンには向いていないかも。。。

友人の物書きの謝孝浩さんがトライアスロンの専門雑誌を立ち上げた。その謝さんから連絡を受け、雑誌の中で、マーク・アレンという伝説的なトライアスリートの格言めいた言葉を訳すという連載を引き受けた。3年ほど前のことだ。


そのときトライアスロンのことはまったく知らなかった。スポーツだということは予想ついた。ただその中身については「スロン」という語感から、ボブスレーみたいに雪の上をすべるウインタースポーツの一種だろうと漠然と想像していたのだけれど、調べてみたらぜんぜんちがった。トライアスロンとは、スイム(水泳)とバイク(自転車)とラン(長距離走)を連続して行う三種混合競技なのだった。


聞いただけでも疲れてきそうなスポーツだが、クリアしなければならない距離もすごい。短いものから長いものまでさまざまだが、オリンピックで行われるスタンダードなものは、スイム1.5km、バイク40km、ラン10km。これでも十分長く感じられるが、もっととんでもないのもある。その最高峰がハワイ島アイアンマン・レースというやつだ。


ハワイ島アイアンマン・レースはスイム3.8km、バイク180km、最後のランはフルマラソンと同じ42.195km。総距離にして225.995km!! 箱根駅伝の往路復路合わせた総距離が217.9kmだというから、それより長い距離を泳いだり、自転車漕いだり、走ったりして休みなく進みつづける。しかも、一人である。過酷というより、はっきりいってクレイジーだ。ちなみに優勝タイムは8時間台だそうだ。


雑誌を立ち上げた謝さん自身もトライアスリートだという。謝孝浩さんは自然を愛するアウトドア派の作家で、インド・ヒマラヤのスピティという谷に四季折々4年にわたって通ってつくった「スピティの谷へ」(新潮社)という詩情あふれる美しい本も出しておられる。登山が好きで、内省的で、繊細な文章を書かれる方なのだが、そんなクレイジーなスポーツをされていたとは。


というより、これがスポーツといえるのか。そもそもスポーツとは何かという問題はさておき、水中でどれだけ長く息を止めていられるかとか、歯で噛んだロープでトラックを引っ張るといったものがスポーツとはいいがたいように、トライアスロンもスポーツの顔をしてはいるが、じつはかぎりなくスポーツから遠いものなのではないか、など思っていた。


「なにが楽しいんですか?」と謝さんに聞いたら、「マゾヒスティックな快感があるんです、自分を痛めつけるのが気持ちいいみたいな」と謝さんはいった。う〜ん、なんとなくわかる気もする。きのうサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路を歩いた方が、「肉体の苦しみが限界に達すると、精神の苦しみを超えてしまって、かえって楽になる」というようなことをおっしゃるのを聞いたが、そういうことかもしれない。その意味ではトライアスロンも修行に近いのかもしれない。


ハワイ・アイアンマン・レースのスタート場面の写真を見ると、1800人もの選手がいっせいに海岸から沖に向かってしぶきを上げながら泳ぎ出すところが写っている。網に絡めとられたエビの群れが懸命にばたついているみたいにも見える。それだけの人たちが、みずからの肉体を痛めつけたくて、もがいているのかと思うと、人間とはなんと業の深い存在なのかと、思わず合掌したくなる。


話がそれたが、その言葉を訳すことになった伝説的なトライアスリートのマーク・アレンという方は、そのアイアンマン・ハワイで通算6回優勝しているのだという。それがどのくらいたいへんなことか、さすがに素人でもわかる。それだけの方だけに短い言葉にも重みがある。たとえば、Boundary(限界)という言葉について。


A Boundary is looking at the impossible. But the impossible is simply a solution that has yet to present itself.

限界とは、そこに不可能を見ることである。だが、不可能とは、まだ形に表れていない解決の別名にほかならない。

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スポーツでも何でもそうだが、ある突出した業績をなしえてしまう人は、どこか神がかってくる。マーク・アレンも、ただの筋肉マンとはほど遠く、ヨーガや禅をトレーニングに取り入れ、自分の肉体をコントロールする並外れた精神力を鍛えてきた人だそうで、ハワイでは禅マスターとも呼ばれているという。


そんなすごい方の言葉を、たまに公営プールで泳ぎ、ママチャリで買い物に行き、電車に乗り遅れそうなときだけちょっと走るくらいの自分が訳すのはいささか荷が重い。でも、それをきっかけに定期的に送られてくるトライアスロンの雑誌に目を通すうちに、やったこともないのに、にわかトライアスロン通になってしまった。


謝さんとその仲間が立ち上げたのは「Triathlon Trip」(トライアスロントリップ)という50ページほどの雑誌で、トライアスロン関係の雑誌が1つもないので、自宅を事務所にしてトライアスリートたちの情報提供や情報交換の場としてつくられた、いい意味でプライベートな雰囲気があった。「あった」というのは、その雑誌は10号までつづいたものの、事情があってやむなく休刊となり、その後、べつの会社から、「LUMINA」(ルミナ)という新しい雑誌として創刊されることになった。マーク・アレンの格言はそのまま引き継がれた。
 

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新創刊された雑誌は広告もたくさん入り、スタイリッシュというのかな、いまどきありがちなファッショナブルな雰囲気になってしまい、謝さんがやっていた頃の手作り風の雰囲気とはちがってしまった。それはまあ仕方ないが、創刊0号冒頭の広告に唖然とした。これである↓

 
 
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ヘルメットの広告なのだが、見てのとおり、トライアスロンにうつつを抜かしている間に妻(彼女?)が間男されていたことをうかがわせるもので、よくこんなアイディアが通ったなと感心した。トライアスリートならではの自分を痛めつけたいというマゾヒスティックな潜在願望がみごとに形象化されているのかもしれない。肉体だけでなく精神も痛めつけて、それを快感に変えてしまうということなのか。


 
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ところで雑誌の中のほか広告を見ていて感じるのは、トライアスロンは金がかかるということだ。どんなスポーツでもそれなりに金がかかるが、トライアスロンはまず道具が高い。自転車も専用のものだと安くても20万、高いものだと50万以上する。靴やヘルメットだって2万から3万するし、その他にもいろんな道具が必要である。また大会は海外も含めて海のある場所で行われるので、参加するには遠征費もかかる。その際、自分の自転車も運ばなくてはならない。経済的ゆとりのある人でないと、おいそれとは手が出せない。
 

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トレーニングもたいへんである。走るだけでなく、自転車を漕いだり、泳いだりするので、それぞれの種目の練習時間を確保するための計画が必要になる。そうなるとトライアスロンを趣味として、しかも上達している人たちというのは、いわゆるエグゼクティブなのではないかと思えてくる。


自己管理能力が高いからこそ仕事でも成功し、経済的ゆとりもあるから、いい道具も買える。余暇の時間もきちんと管理できて、効率的な練習を行うことができる。さらに禁欲的で、肉体を痛めつけられることを快感へと変えることができる打たれ強さがある。トライアスロンでいい成績を上げている人たちは、必然的にそうした能力に長けているエグゼクティブ・タイプになるのではないか(統計をとったわけではなく、あくまで印象です)。


そんな話を謝さんにしたら、「そういう傾向はあるかもしれません」という。「でも」と謝さんはつづける。「ぼくの場合、トレーニングばかりやっていると何も考えなくなるんですよ」。よけいなことを考えないのはいいじゃないですか、というと、彼は「いや、だめです、本当に何も考えなくなってしまうんです、脳まで筋肉になってしまい悩まなくなってしまうんです、このままじゃまずいなあと思って・・・人間、考えなくちゃだめになります・・・」という。


うーん、自分の考えにとらわれてがんじがらめになって悩んでいる人もいれば、考えなくなってしまうことに危機感をおぼえて悩んでいる人もいるのだなあ。とはいえ、自己管理能力が低く、行き当たりばったりで、打たれ弱く、すぐに絶望してしまうようなタイプはトライアスロンには向かないだろうな。


ちなみに謝さんは、先の「LUMINA」という雑誌に「ヌーが見た空」というトライアスロンをモチーフにした小説を連載しておられる。謝さんらしい、精妙な息づかいを感じさせる細やかな文章でつづられた、ゆるやかな時間のなかにしなやかなつよさを感じる小説である。謝さん、だいじょうぶです。脳まで筋肉になってしまった人が、こんな文章を書けるはずありませんから。
 
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舞踏家・長岡ゆりさんのソロ公演

古い友人で舞踏家の長岡ゆりさんのソロ公演「臥待月」を見た。とてもよかった。とはいえ、自分は舞踏のことはまるで知らないし、正直なところ、こういう、いわゆる前衛的な舞踏を見て、なんといえばいいのかいつも悩む。光と闇が、生と死が云々・・といった、いかにも評論めいた言い方も嘘くさいし、「考えるのではなく感じればよい」的なお決まりの言い回しもいやらしい。


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ゆりさんのパフォーマンスを見ながら、子どものとき、これを見たらとても怖かっただろうな、と思った。というか、いまでも怖い。でも、どうして怖いのだろうと考えていて思いあたったのは、それが母を思い出させるからかもしれない、ということだった。


多くの人にとってそうであるように、母親は最初に接する女性である。もちろん、世の中にはいろんな母親がいるだろうが、母と接しながら、母という枠組みから逸脱した女性としての怖さみたいなものを、たぶん物心ついた頃から彼女が亡くなるまで折にふれて感じつづけてきた。


田舎のおばあちゃんも怖かった。きびしいとか、そういう怖さではなく、存在そのものが浮世離れしているというか、そこに異形性を感じていたからだと思う。やにわに口の中に手を入れて入れ歯を取り出したり、瞑目して爬虫類のように長時間じっと動かずに座っていたりするのを見るにつけ、こうしてふつうにしているけれど、なにか底知れないものをこのひとは隠し持っているのではないかと思っていた。


女性は思いもよらない変化をとげる。口の中からいきなり入れ歯を取り出すように、さっきまでそこになかったものを、突然自らの中から取り出し、そこにぶちまける。つぎになにが出てくるのか予想もつかない。ふだんはそうした異形性は抑えられているものの、なにかのきっかけでそれが膨れあがり、噴出しはじめると、べつの生き物のように変容をとげ、もう元には戻らない。そんなことを、おそらく最初に母をとおして感じて以来、いまだに自分はその前で息を凝らし怖じ気づいているような気がする。ゆりさんの舞踏を見ながら、そんなことを感じていた。


同じ舞踏でも、男性の舞踏を見て、そんなことを感じたことはない。学生の頃、なんどか田中泯さんの舞踏を見る機会があった。ほとんど全裸で、目を瞑って痙攣しながら、目の前の床に転がっている田中泯さんを見て、ぼくはどうしたらいいものかと困った。田中泯さんには申し訳ないが、それはうちで酔いつぶれて、床に転がって、半裸で手足をばたつかせている父親をとっさに思い出させた。不気味ではあっても、そこに感じたのは異形性というより、生きていく業のようなものだった。


舞踏の神様といわれる大野一雄さんの舞踏もいちどだけ見たことがある。みんなとても感動しているのだけれど、ぼくには、やはりそれがやはり酔っ払った父親に見えたりして、どうもやれやれという気分だった。傲慢な言い方ではあるが、自分が男性でもあるので、どこかわかる気がしたり、予想がついたりする部分もあったからではないかと思う。実際にはそんなことはないのだろうが。


でも、女性の場合はそう思えない。彼女の踊りを見ていても、油断がならないというか、天井からつり下がった電灯をゆっくり揺らしているときでも、次の瞬間には、いきなり電灯をひきちぎって、床にたたきつけてしまうことだってあるかもしれないと感じてしまう。身体の中から引き出される数々の異形性、それが、母を通し、そしていまも女性に対して無意識に感じてしまう本能的な恐怖感だ。ただし、そうした異形性を女性が取り出さなくてはならなくなったおおもとの原因は男性にあったりするので、よけいに萎縮してしまう。


舞踏の感想とはほど遠いが、自分の女性に対する本能的な恐怖感の由来を垣間見るような気がした時間だった。それまですっかり憑依されていたかのように踊っていた彼女が、パフォーマンスが終わると、すぐに「ありがとうございました」とお辞儀して、なにごともなかったかのように、こちらの世界にすっと戻ってきてしまうのもちょっと怖かった。



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