« 舞踏家・長岡ゆりさんのソロ公演 | トップページ | 「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」 »

トライアスロンには向いていないかも。。。

友人の物書きの謝孝浩さんがトライアスロンの専門雑誌を立ち上げた。その謝さんから連絡を受け、雑誌の中で、マーク・アレンという伝説的なトライアスリートの格言めいた言葉を訳すという連載を引き受けた。3年ほど前のことだ。


そのときトライアスロンのことはまったく知らなかった。スポーツだということは予想ついた。ただその中身については「スロン」という語感から、ボブスレーみたいに雪の上をすべるウインタースポーツの一種だろうと漠然と想像していたのだけれど、調べてみたらぜんぜんちがった。トライアスロンとは、スイム(水泳)とバイク(自転車)とラン(長距離走)を連続して行う三種混合競技なのだった。


聞いただけでも疲れてきそうなスポーツだが、クリアしなければならない距離もすごい。短いものから長いものまでさまざまだが、オリンピックで行われるスタンダードなものは、スイム1.5km、バイク40km、ラン10km。これでも十分長く感じられるが、もっととんでもないのもある。その最高峰がハワイ島アイアンマン・レースというやつだ。


ハワイ島アイアンマン・レースはスイム3.8km、バイク180km、最後のランはフルマラソンと同じ42.195km。総距離にして225.995km!! 箱根駅伝の往路復路合わせた総距離が217.9kmだというから、それより長い距離を泳いだり、自転車漕いだり、走ったりして休みなく進みつづける。しかも、一人である。過酷というより、はっきりいってクレイジーだ。ちなみに優勝タイムは8時間台だそうだ。


雑誌を立ち上げた謝さん自身もトライアスリートだという。謝孝浩さんは自然を愛するアウトドア派の作家で、インド・ヒマラヤのスピティという谷に四季折々4年にわたって通ってつくった「スピティの谷へ」(新潮社)という詩情あふれる美しい本も出しておられる。登山が好きで、内省的で、繊細な文章を書かれる方なのだが、そんなクレイジーなスポーツをされていたとは。


というより、これがスポーツといえるのか。そもそもスポーツとは何かという問題はさておき、水中でどれだけ長く息を止めていられるかとか、歯で噛んだロープでトラックを引っ張るといったものがスポーツとはいいがたいように、トライアスロンもスポーツの顔をしてはいるが、じつはかぎりなくスポーツから遠いものなのではないか、など思っていた。


「なにが楽しいんですか?」と謝さんに聞いたら、「マゾヒスティックな快感があるんです、自分を痛めつけるのが気持ちいいみたいな」と謝さんはいった。う〜ん、なんとなくわかる気もする。きのうサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路を歩いた方が、「肉体の苦しみが限界に達すると、精神の苦しみを超えてしまって、かえって楽になる」というようなことをおっしゃるのを聞いたが、そういうことかもしれない。その意味ではトライアスロンも修行に近いのかもしれない。


ハワイ・アイアンマン・レースのスタート場面の写真を見ると、1800人もの選手がいっせいに海岸から沖に向かってしぶきを上げながら泳ぎ出すところが写っている。網に絡めとられたエビの群れが懸命にばたついているみたいにも見える。それだけの人たちが、みずからの肉体を痛めつけたくて、もがいているのかと思うと、人間とはなんと業の深い存在なのかと、思わず合掌したくなる。


話がそれたが、その言葉を訳すことになった伝説的なトライアスリートのマーク・アレンという方は、そのアイアンマン・ハワイで通算6回優勝しているのだという。それがどのくらいたいへんなことか、さすがに素人でもわかる。それだけの方だけに短い言葉にも重みがある。たとえば、Boundary(限界)という言葉について。


A Boundary is looking at the impossible. But the impossible is simply a solution that has yet to present itself.

限界とは、そこに不可能を見ることである。だが、不可能とは、まだ形に表れていない解決の別名にほかならない。

Rimg0160


スポーツでも何でもそうだが、ある突出した業績をなしえてしまう人は、どこか神がかってくる。マーク・アレンも、ただの筋肉マンとはほど遠く、ヨーガや禅をトレーニングに取り入れ、自分の肉体をコントロールする並外れた精神力を鍛えてきた人だそうで、ハワイでは禅マスターとも呼ばれているという。


そんなすごい方の言葉を、たまに公営プールで泳ぎ、ママチャリで買い物に行き、電車に乗り遅れそうなときだけちょっと走るくらいの自分が訳すのはいささか荷が重い。でも、それをきっかけに定期的に送られてくるトライアスロンの雑誌に目を通すうちに、やったこともないのに、にわかトライアスロン通になってしまった。


謝さんとその仲間が立ち上げたのは「Triathlon Trip」(トライアスロントリップ)という50ページほどの雑誌で、トライアスロン関係の雑誌が1つもないので、自宅を事務所にしてトライアスリートたちの情報提供や情報交換の場としてつくられた、いい意味でプライベートな雰囲気があった。「あった」というのは、その雑誌は10号までつづいたものの、事情があってやむなく休刊となり、その後、べつの会社から、「LUMINA」(ルミナ)という新しい雑誌として創刊されることになった。マーク・アレンの格言はそのまま引き継がれた。
 

Rimg0153


新創刊された雑誌は広告もたくさん入り、スタイリッシュというのかな、いまどきありがちなファッショナブルな雰囲気になってしまい、謝さんがやっていた頃の手作り風の雰囲気とはちがってしまった。それはまあ仕方ないが、創刊0号冒頭の広告に唖然とした。これである↓

 
 
Rimg0162

 
 

ヘルメットの広告なのだが、見てのとおり、トライアスロンにうつつを抜かしている間に妻(彼女?)が間男されていたことをうかがわせるもので、よくこんなアイディアが通ったなと感心した。トライアスリートならではの自分を痛めつけたいというマゾヒスティックな潜在願望がみごとに形象化されているのかもしれない。肉体だけでなく精神も痛めつけて、それを快感に変えてしまうということなのか。


 
Rimg0158

 


ところで雑誌の中のほか広告を見ていて感じるのは、トライアスロンは金がかかるということだ。どんなスポーツでもそれなりに金がかかるが、トライアスロンはまず道具が高い。自転車も専用のものだと安くても20万、高いものだと50万以上する。靴やヘルメットだって2万から3万するし、その他にもいろんな道具が必要である。また大会は海外も含めて海のある場所で行われるので、参加するには遠征費もかかる。その際、自分の自転車も運ばなくてはならない。経済的ゆとりのある人でないと、おいそれとは手が出せない。
 

Rimg0166


 

トレーニングもたいへんである。走るだけでなく、自転車を漕いだり、泳いだりするので、それぞれの種目の練習時間を確保するための計画が必要になる。そうなるとトライアスロンを趣味として、しかも上達している人たちというのは、いわゆるエグゼクティブなのではないかと思えてくる。


自己管理能力が高いからこそ仕事でも成功し、経済的ゆとりもあるから、いい道具も買える。余暇の時間もきちんと管理できて、効率的な練習を行うことができる。さらに禁欲的で、肉体を痛めつけられることを快感へと変えることができる打たれ強さがある。トライアスロンでいい成績を上げている人たちは、必然的にそうした能力に長けているエグゼクティブ・タイプになるのではないか(統計をとったわけではなく、あくまで印象です)。


そんな話を謝さんにしたら、「そういう傾向はあるかもしれません」という。「でも」と謝さんはつづける。「ぼくの場合、トレーニングばかりやっていると何も考えなくなるんですよ」。よけいなことを考えないのはいいじゃないですか、というと、彼は「いや、だめです、本当に何も考えなくなってしまうんです、脳まで筋肉になってしまい悩まなくなってしまうんです、このままじゃまずいなあと思って・・・人間、考えなくちゃだめになります・・・」という。


うーん、自分の考えにとらわれてがんじがらめになって悩んでいる人もいれば、考えなくなってしまうことに危機感をおぼえて悩んでいる人もいるのだなあ。とはいえ、自己管理能力が低く、行き当たりばったりで、打たれ弱く、すぐに絶望してしまうようなタイプはトライアスロンには向かないだろうな。


ちなみに謝さんは、先の「LUMINA」という雑誌に「ヌーが見た空」というトライアスロンをモチーフにした小説を連載しておられる。謝さんらしい、精妙な息づかいを感じさせる細やかな文章でつづられた、ゆるやかな時間のなかにしなやかなつよさを感じる小説である。謝さん、だいじょうぶです。脳まで筋肉になってしまった人が、こんな文章を書けるはずありませんから。
 
Rimg0157_3


|
|

« 舞踏家・長岡ゆりさんのソロ公演 | トップページ | 「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」 »

「雑記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 舞踏家・長岡ゆりさんのソロ公演 | トップページ | 「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」 »