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澄みわたった絶望−−いわきで松田松雄展を見る

前々回のエントリーで書いた「父の遺品の絵」のつづき。前にも書いたが、父の遺品の中から最近発見した松田松雄という画家の「民ーむれ」と題された絵が、どうにも気になっていたところに、偶然6月にこの画家の没後11年展が開かれることを知り(6/9-6/24 現在は終了)、福島県のいわきまで行ってきた。


あらためて見直してみても、手もとにある「民ーむれ」は暗い絵だ。暗いのだけれど、どこか気持ちが落ち着くのは、この絵にごまかしや、わざとらしさがないからかもしれない。白く塗られた顔に表情はあるものの、それは一人一人の個性というより、「民」という人間の集合体が抱えた揺らぎや振幅のように見える。この画家はほかにどんな絵を描いていたのだろう。

 
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作品は2ヵ所のギャラリーに分けて展示されていた。最初に行ったギャラリーには、ストロークと題された晩年の抽象画のほか、絵本の挿絵を思わせる初期の幻想的な画風のものなど、異なる時代の作品が展示されていた。その作風は多様で一人の画家が描いたとは思えないほどだが、やはり吸いよせられたのは、父がもっていた「民ーむれ」」と似た系列の作品だった。

 
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黒い布を頭からかぶり、疲れきったようにベンチにたたずむ家族。地べたにすわりこみ、首をうなだれたり、横たわったりしている人たち。いずれもモノトーンの画面から緊張をはらんだ重い沈黙が伝わってくる。表情や仕草、背景や色といった要素を極限まで切りつめたがゆえに、かえって人間のおかれている荒涼とした悲劇性が生々しく浮かび上がってくる。描かれたのが1970年代後半であるにもかかわらず、ここに描かれている世界は、3.11を経験したいまのわれわれの心象風景におどろくほど重なる気がする。

 
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ギャラリーに松田氏の奥様がおられたので、少しお話しさせていただいた。奥様の話によると、作品の多くは生まれ故郷の岩手県陸前高田で過ごした幼少期から若い時代の経験がベースになっているのではないかということだった。「貧しい暮らしだったと思いますよ。将来は大工か漁師になるくらいしかない。冬は寒いから、頭から布を頭からすっぽりかぶる。絵でマントをかぶっている人たちは行商人なんです」


松田松雄は1937年(昭和12年)に陸前高田に生まれ、20代半ばころに、福島のいわき市に移り、そこで亡くなった。マントの人びとの姿は、どことなく修道士のようにも、あるいは砂漠に暮らすアラブの女性を思わせたが、あれは行商人だったのか。のちに雑誌の表紙にもなった初期の作品には「風景(行商人)」とある。

 
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初期の作品に白黒のものが多いのは、貧しくて絵の具が買えなかったからだという。逆に、そうやって切りつめられた暮らしの中で、人間という存在もまた、ぎりぎりまで切りつめられた「風景」として、画家の目には映っていたのかもしれない。奥様の話では、今回ほどの規模ではないにしても陸前高田にいたときに画家は津波を経験し、浜に打ち上げられた遺体を見たこともあったはずだという。

 
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生きることは厳しく、不条理に満ち、救いがたい絶望にとりまかれている。その原風景を理想化することも、憧れることもなく、ただ淡々と、よけいなものを省いて描きあげたのが、「風景」と題されたこれらの作品なのかもしれない。その後の作品では、これらの風景がなおいっそう抽象化され、解体されていくことになる。


ギャラリーを出るとき、「ご主人は外国へ行かれたことはありますか」と聞いた。奥様は「いいえ」といった。パスポートはとったのだけど、なにかこだわりがあったみたいで結局行かなかったそうだ。陸前高田からいわきへ引っ越したものの、画家は生涯を東北で送った。それを聞いて、なんとなく納得がいく気がした。

 
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昭和初期、地方の芸術家や文学者には、おしなべて東京や外国への憧れがあった。しかし、実際に故郷を出た者は、故郷を捨てたことへの後ろめたさにとらわれてしまう傾向があったように思う。「夕焼け小焼け」や「ふるさと」のような日本の童謡にしても、都会に出た作家が故郷をなつかしんで書いた詩だし、東北出身という意味でいえば、寺山修司にしても、最近だったら辺見庸にしても、故郷を捨てたことへの罪悪感を抱えつづけてきたように見える。捨てたはずのものが、自分にとってのねじれたアイデンティティになる、という宿命から人は逃れがたい。


けれども、松田松雄という画家にはそれが感じられない。故郷を描いていても、故郷に対する後ろめたさはない。わざとらしさやねじれたコンプレックスも感じられない。故郷を美化や理想化することもなければ、その悲惨を強調するわけでもない。この画家の描く世界が暗く、救いがたい、絶望に満ちたものに見えても、どこか心安らぐのは、そうした後ろめたさのようなものから解放され、実存を虚心で見すえるまなざしがあるせいかもしれない。

 
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ギャラリーをあとにして、もうひとつの展示会場に向かう。古民家を改築した土壁のギャラリーには、晩年の小さな作品を中心に展示されていた。こちらには画家の娘の松田文さんがおられ、やはり少し話をさせていただいたが、話題はもっぱら原発事故のことだった。


いわきは福島第1原発から40キロほどの場所にある。彼女と話をしていると、関東といわきとでは、原発に対するリアリティがこれほどちがうのか、とおどろいた。もちろん人にもよるが、原発についての情報がたんなる情報として風化しそうな感もある関東とは対照的に、ここではいぜんとして事故も、放射性物資による汚染への恐怖も生々しい。事故後、避難者や事故処理作業員が大量に流入してきたこともあって、いわき市の人口は2万から3万人も増え、町の雰囲気も変わったという。


いま、昭和初期とはまたちがった意味で、ここにとどまりつづけるか、それとも出ていくかという選択の中に、ひとは置かれている。もちろん出ていくゆとりのある人や、子供のいるひとなどは出ていくにこしたことはない。けれども、そうしたら、きっと、故郷を離れた文学者や芸術家たちの多くがそうであったように、どこかに後ろめたさを感じつつ、その気持ちと折り合いをつけながら、生きていくことになるのかもしれない。


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いわきから戻ってしばらくして、文さんから、松田松雄の図録と一冊の本が送られてきた。本は「被災詩人」の和合亮一さんが福島に暮らす25人の人たちに行った『ふるさとをあきらめない フクシマ、25人の証言』(新潮社)というインタビュー集で、文さんもインタビューを受けるひとりとして登場している。


市内の仮設住宅をサポートする仕事にたずさわっている彼女は、インタビューの中で「個人的には私は福島、郡山はもう人が住むべき場所ではないと思ってる」と述べている。その一方、事故直後東京に避難していたときには「被災者の〈被〉という立場でただなにもせずにいる状況はどうなのか・・・自分の中で擦り切れてくる部分があって。人として失っていく何かが、尊厳っていうか・・・」とも語っている。


こうしたジレンマの中で、結果的に、彼女はふるさとに生きつづけることを選択した。それを勇気などという言葉で表現するのはあまりに安直だけれども、それは、彼女の父上が「なにかこだわりがあって」外に出ようとしなかったことに通じるような、「被」にならないための、あるいは罪悪感を抱えて生きないための、主体的な選択であるようにも思えた。


話がそれてしまったが、松田松雄の絵はほんとうによかった。いま、このような時代だからこそ、この絵が深く琴線に触れる人は多いのではないだろうか。フェルメールやシャガールも悪いとはいわないが、いま見るべき絵は、そっちじゃないだろといいたい。未発表の作品もまだたくさんあるとのことなので、ぜひ東京でも展覧会をやってほしいのだけど、どうすればいいのだろう。



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コメント

先日私も松田さんの展示を観てきました。こんなすごい作家が自分の出身地に居たということを全く知らず不勉強なことです。そして、違う方面で知り合いであった文さんがご息女だったこと驚きでした。私は今、横浜に住み作品制作をする彫刻家です。実家はいわき市勿来町。父が一人(兄弟親戚一同も)生活をしています。原発の事、影響ないと言われてはいますが、何気に心配をしています。あの事故以来一日もいわきのことが頭から離れることはないのです。たぶん同じようないわき出身者は多数おられると思います。そして、皆いわきに向けて何かをしたいと思っているのではないかと思います。ただ現実的には難しく(金銭、時間、仕事・・・)行動を起こせないのだと思います。私自身も同様です。
松田さんの絵を観て私はモノの存在を感じ、命を感じました。素晴らしい表現だと思いました。もし東京近郊で展覧会など企画が持ち上がりましたら、お知らせください。私、無名な作家ではありますが、銀座、京橋界隈には多少知り合いの画廊もございます。
お役にたてることがあればご相談ください。

投稿: 渡辺尋志 | 2012年6月27日 (水) 13時49分

度々すいません。コメントを書きながら、頭の中に何か浮かびそうな映像があったのですが、何だったのか?先ほど浮かび上がってきました。ヘンリームアのドローイングです。防空壕の中を描いた数多くのデッサン。あの印象が重なっていたのです。命を無くす行為の中の命の尊さ、戦争という不自由な時代の人間の存在。ご存じだとは思いますが、ご存じなければ調べてみてください。失礼いたします。

投稿: 渡辺尋志 | 2012年6月27日 (水) 15時12分

>渡辺尋志さま

コメントありがとうございます。展覧会、できるといいですね。ヘンリー・ムーア、なるほど。たしかに人間の抽象化のしかたは似ている気がします。ムーアの防空壕のドゥローイングは知りませんでした。London's War: The Shelter Drawings of Henry Moore という本も出ているのですね。画像も拝見しました。表現としては直接的ですが、松田さんの作品につうじるものが感じられますね。

投稿: 田中真知 | 2012年6月27日 (水) 23時32分

真知さん、コメントが遅くなってすみません。
絵画でも、歌でも、「今こうしてみると、まるで今の状況を見越していたかのようだ」と感じる作品はありますね。
それが普遍性なのでしょう。
東京で作品展ができるといいな。

投稿: 三谷眞紀 | 2012年7月 2日 (月) 21時24分

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