« 2012年7月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年8月

続・名前のわからない神さま

前々回のエントリーで、「大英博物館 古代エジプト展」で展示されている「死者の書」に描かれている風変わりな神さまのことを書いた。おそくなってしまったが、今回はその続編。古代エジプトでは動物と人間が合体したような神さまが多い中、この神さまは異色である。子どもの落書きのようなシンプルなその姿は職人の手抜きなのか、それともそこには隠された意図があるのか。いずれにしても気になる。

Rimg0006

 


この神さまが気になる人は自分だけではないようで、フェイスブックでもエジプト学研究者の間で話題になっていた。ルクソール在住のイザベラ・ファロッパ・ソリマンさんは、同じく研究者のKento Zenihiroさんとのやりとりの中で、この神さまをDr. Tosi Marioの「Dizionario enciclopedico delle divinità dell'Antico Egitto」という本の中で見たことがある、と書いていた。


それによると、この神さまにはなんと名前があった! イザベラさんに許可をいただいたので、そのコメントを引用する。


「彼の名前はメジェドで、『死者の書』の17章に登場します。花瓶に目を描いたような姿のときもあれば、額にバンダナを巻いているときもあります。男根のような姿をしているときもあれば、オシリスの頭部を納める容器のような形をしていることもあります・・・」


そうか、メジェドというのか。うーん、なんとなく名前がないほうがかっこいい気もしたが。。。額にバンダナを巻いている? なんだ、それは? 「男根のような姿」というと、ユーモラスでかわいいイメージが、急に生々しくなってしまうなあ。


この本にはそのバンダナを巻いたメジェドの姿のイラストが載っているという。これである。。。
 

318832_3954624178221_132475780_n

 


まるで夏祭りで盆踊りでもしそうだ。さるかに合戦の「うすどん」みたいにも見える。古代エジプト人は、本気でこの神さまを信仰していたのか? いったい、どんな神さまなんだ。イザベラさんの言葉をつづける。


「テキストにはオシリスの館の目に見えない神さま、とあります。ライオンや牡牛の頭をつけていることもあります。ハヤブサの頭をしていて、光線を放ってオシリスの敵を打ち倒すこともあります。また、空を飛ぶこともでき、火を吐いて、洪水の到来を知らせたりもします。彼は新年のはじまりを告げる、ホルス・ソペドというナイルの使者とも考えられます・・・」


空を飛んだり、火を吐いたりもするのか。。。口もないのにどうやって火を吐くのだろう。そのときだけハヤブサの頭をつけたりするのだろうか。こんななりをしているけれど、けっこうワイルドな性格だったんだなあ。人は・・・いや、神さまは見かけによらないな。


「彼は炎の岸辺に暮らし、人間の心臓を食べ、死者のからだを言祝ぐ。おそらく、メジェドはいまだ地平線に現れないホルスの姿であり、オシリスの丘か、あるいは葬儀用の壺の中にいまだとどまっている存在である・・・両脚はすでに墓の外に出ていて、目はまだ見えない。それは光の下に現れ、再生する準備をしていることを示している」


う〜ん、心臓を食べてしまうとはワイルドというよりホラーではないか。でも、口もないのにどうやって食べるんだろう? あとは古代エジプトの神話の知識がないと理解しにくいが、ややこしくなるので省略。要するに、この神さまがいかにも神さまっぽい姿をしていないのは、まだ地上に生まれる(復活する)前の姿を表しているかららしい。ずんどうの胴体はまだ土の中というか、オシリスの丘の中に埋まっている状態を表し、そこから脚だけが飛び出している、ということなのかな。墓から脚が、というのもホラーっぽい。


Kento Zenihiroさんによると、大英博物館のウェブサイトに、「このヘンなものはなんですか?」という質問に対してキュレーターのジョン・テイラー氏が答えているページがあるという。テイラー氏も、この神の名が「メジェド」であると答えている。『死者の書』には「この神の名は “打ち倒す者” といい、オシリスの館に暮らし、目で敵を倒す、だがその姿は見えない」と書かれているという。ということは、つまり、この神さまのずんどうの適当なからだつきは、目に見えないことを表しているということなのかな。いわば逆子のような状態で脚だけが飛び出している、ということなのか。。。


ということで、フェイスブックではすでに公開済ですが、バンダナ(はちまき?)を巻いているバージョンもつくってみました。


Rimg0036


| | コメント (8)
|

写真家の横谷さんはいまなにをしているのか?

岡山で、写真家の横谷宣さんの家を訪ねた。横谷さんのことはこのブログを読んでくれている方は覚えているかと思う。ときどき取りあげるアサカワ君とならんで、彼もまぎれもない怪人である。


3年前の2009年の冬、お茶の水のギャラリー・バウハウスで行われた横谷さんの写真展はギャラリー始まって以来の人気を博し、作品もたくさん売れ、新聞にも取りあげられた。まったく無名だった写真家の作品がこれほどまでに注目され、しかも作品がこれほど売れることは写真評論家の飯沢耕太郎さんをして「まずありえない」といわしめたほどだった。

 
1058748161_155
©Sen Yokotani


それはデジタル全盛のこの時代に、カメラやレンズを手作りし、現像液もみずから調合し、一枚のプリントを完成するのに半年かかるという時代に逆行したユニークなアナログぶりのせいばかりではない。なんといっても横谷さんの写真は美しい。しかもその美しさが時代や流行の移り変わりに左右されない。見た目はきれいでもすぐに飽きてしまうものも多い中、内に光を濃縮したそのオリジナルプリントは沈香のようにいつまでも玄妙な芳香を放ちつづける。そんな希有な美しさなのだ。


2010年の記事で、彼が印画紙を手作りしていることを書いた。それまで使っていた印画紙が製造中止になってしまったためである。既製品の印画紙ではイメージした仕上がりにならないので、印画紙そのものを自分でつくることにしたのである。

 

あれからさらに2年、その手作り印画紙はどうなったのか。。。

 
 
 
Rimg0358


 
・・・じつは、いまだに作りつづけているのであった。。。


 
この3年、彼は膨大な量の紙をヨーロッパやアメリカから取り寄せ、その紙質にあった現像液を調合したり、塗り方を変えたりということをくり返してきた。上の写真の部屋はもとは和室だったのだが、印画紙の製造やプリント作業を行うために、壁に穴を開けてパイプを引いたり、天井にダクトをはりめぐらしたり、乾燥機をとりつけたり、床下をあけて水道管を引っぱってきたりして、こうなった。
 

Rimg0362

右の黒い箱は手製乾燥ボックス。ダクトがつながっていて空気が循環するようになっている。右の棚の上には化学薬品の類。ほかにも化学の実験道具みたいなものがいっぱい並んでいる。マンション側には内緒だったが、あるとき下の階に水漏れがしたことから管理会社や水道屋がやってきて、天井いっぱいにぶら下がった排気ダクトやら電線やら大きなプラ舟の流し台やらが見つかってしまった。彼らは絶句していたそうだが、どうにかごまかしたらしい(どうやって?)。


 

 
Rimg0378

肝心の写真だが、試験プリントされたものを見るかぎり、ほとんど完璧といってもよい出来に見えた。しかし横谷さんにいわせるとまだあと少しなのだという。どこがあと少しなのか素人目にはわからないほどなのだが、彼の中にイメージがあり、それに近づけるやり方もわかっている以上、それをやらずにはいられない、ということのようだ。


 
じつはこの初夏には、これで完成というノーハウが確立したのだが、いよいよプリントということで紙を取り寄せたところ、紙のサイジング(薬品処理法)が変わったらしく、同じロットの紙でも現像液を塗布したときの化学反応が異なるようになってしまったそうだ。EUにおける化学物質の規制が年々厳しくなっていることから、各製紙会社が紙の製造工程を変えたせいではないかと彼はいう。画用紙として絵画に用いる分には問題ないが、印画紙にするため薬品を塗ると思いもよらぬ化学反応が出てくるというのである。もっとも、製紙会社としても、まさか画用紙を印画紙として使う顧客がいるとは思ってもいないだろう。このサイジングのちがう紙への対処のために少し予定が狂ったが、現段階では新しいサイジングの紙に適応したトーニング(化学処理)の方法もほぼ目途がついている。


 
Rimg0363

 

Rimg0375

この部屋にあるものは家具から道具類からほとんどが手製。これもなんだかよくかわらないがアクリル板を組み合わせて作った装置。

 

彼はカメラやレンズや印画紙だけでなく、なんでも自分で作ってしまう。居間にあったこのテーブルも自分でつくったもの。足の部分が蛇腹になっていることからわかるように伸縮自在になっている。ストッパーには自転車の車輪の着脱に用いる金具を利用している。写真が暗いのでわかりにくいが、ものすごくかっこいいし、安定もいい。

 
 
Rimg0339

ふだんは高さ70センチのダイニングテーブルにも使えて、床に座るときには脚を縮めて、ちゃぶ台としても使えるテーブルがあるといいな、と思って3年くらいずっと考えつづけていて、やっとデザインやイメージが固まってから製作を開始したという。

 

Rimg0357

折りたたむのもかんたん。

 

 
Rimg0355

ほらこのとおり。ここまでぺったんこになるので収納も楽々。


 

 
 

ほかに、こんなものもあった。なんだと思います?


Rimg0344


じつは、東京に暮らしていた頃、家にお風呂がなかったという女友だちのためにつくってあげたという浴槽(!)だという。写真だと色がわかりにくいが、漆のような濃い赤と緑の組み合わせがノーブルで、江戸時代の南蛮渡来の骨董品といっても信じてしまいそうである。

 
 
Rimg0343

ちゃんと排水口もある。木製で、板や部材はすべてほぞを切って組み合わせてあり、釘は一本も使っていない。なんとかという大工の伝統的技法だそうだ。友だちの女性はこれを台所において水を張って使っていたという。水漏れはまったくなかったそうだ。

 

Rimg0347

写真作品もそうなのだが、横谷さんのつくるものは何にも似ていない。なにかオリジナルがあって、それを模倣したり改変したりするのではなく、純粋につくりたいものをイメージし、ゼロからデザインを決めていく。この浴槽もそうやって構想したという。製作作業は、当時アルバイトしていたレンタカー屋の駐車場で行った。通りすがりの人に、なにをつくっているんですかと聞かれることもあったそうだ。その女の子が風呂のある住まいに引っ越したので、返却してもらったという。いまは浴槽としてではなく部屋に置いて衣装箱になっている。


 

あともう一つ、これは台所のガスコンロの上に載せられた横谷製オーブン。

Rimg0386

これのどこがオーブンなのかと思うのだが、横谷さんにいわせると「私はこれ以外のオーブンはオーブンと認めません」という。材料はダイソーで買った金だらいや焼き網や、あと写真には写っていないが金だらいの中にある鉄板などの組み合わせでできている。これをガスコンロの上に載せて使用するのだが、金だらいの中の網の調整次第でパンでもピザでも何でも焼けてしまうという。このオーブンもそうだが、横谷さんのつくるものはどれもお金がほとんどかかっていない。先の折りたたみ式テーブルも木製浴槽も一見するとすごく高級そうに見えるのに、製作原価はおそろしく安い。


これはとてもだいじなところだと思う。いかに金をかけないで満足のいく生き方ができるか。それはいわゆる節約とかケチるということではない。「節約」は本当はお金があったらこんなこともできるのに、金がないからそれをがまんするという受動的な適応だ。だが、彼の場合、金がなければなにかが得られないという、世界の暗黙の前提そのものが問題にされていない。時は金なり、も問題にされていない。やむなくそうしているのではなく、自ら望んでそうしている。最近話題になっている坂口恭平さんの最初の本「TOKYO0円ハウス0円生活」の中にホームレスの達人・鈴木さんの生活の仕方が紹介されているが、横谷さんを見ているとホームレスではないけれど、それにきわめて近い生き方をしているように見える。ただ、そこに突っ込み出すと、長くなるのでこのくらいで。
 

 
Rimg0389


横谷製オーブンで焼いてくれた手製のピザはたいへんおいしゅうございました。パリにいた頃は洋菓子づくりに凝って、いろんなレシピを考案したという。いずれ「横谷宣 家具の世界展」とか「横谷宣 料理の世界展」などもやりたいものだが、まずは3年がかりの印画紙の完成を祈りたい。


本人は、ここには書けないが私生活上のあれこれ(女性問題ではないです)もあって、なかなかたいへんそうなのだが、「今はもうすぐそこに見えている頂上までの階段を着実に登っている」とのことなので、その言葉を信じて、注文された方々も、もう少し待っていただきたい。注文から3年間待ちつづけているという、みなさまのなみはずれた寛容さに本人も深い敬意を表しています。ただ、彼がつくりあげるものは、まちがいなく他のだれにもつくることのできないものであることは、たしかです。そのことに免じて、もうすこし待ってくださればと思う。

 

以前書いた横谷さん関係の記事へのリンクをまとめておきます↓

横谷宣写真展 「黙想録」 のお知らせ

Sさんの日記より

横谷宣×飯沢耕太郎ギャラリートークより

横谷 宣と語る会 報告

横谷宣展満了御礼+オンム・セティ「ふしぎ発見」登場!

横谷さんの手作り印画紙



| | コメント (7)
|

« 2012年7月 | トップページ | 2012年10月 »