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アルジェリア人質事件について思うこと、あるいはサン=テグジュペリと不帰順砂漠

アルジェリアのガス関連施設人質事件は、アルジェリア軍による強硬な武力制圧によって、多数の外国人が犠牲となるという悲劇的なかたちで収束した。報道された映像を見ると、事件の起きた施設はリビア国境に近い孤絶した砂漠にあり、駐在員たちは誘拐など治安上の危険もあって、仕事以外のときは、高い壁に囲まれた居住区にこもって暮らしていたようだ。


事件の全貌や背景についてはさまざまな分析や解説がなされているが、ここではそうした分析にはふれない。ぼくが思い出したのは、かつて郵便飛行士としてサハラ砂漠で活躍していたサン=テグジュペリが書いていたことだった。それは今回の事件と直接の関係はないし、なにしろ90年近くも昔のことだ。けれども、そこには今回のことと遠く呼応するものが感じられる気がする。


1920年代後半、サン=テグジュペリはモロッコ南部、その頃スペイン領だった西サハラの飛び地キャップ・ジュビーの小さな飛行場に赴任していた。当時、居住地をとりかこむ砂漠は、白人に対して激しい敵意を抱く遊牧モール人の世界だった。彼らは白人の暮らす砦を襲い、上空を飛ぶ飛行機を銃撃し、飛行機が不時着すればパイロットを殺し、ときには人質にして武器を買うための身代金を要求した。


「砦から20メートル以上離れると、銃のお見舞いを受けることになる。50メートルを越えるようなことがあると、ご先祖にお目にかかる結果になるか、奴隷として連れ去られる・・・」とサン=テグジュペリは手紙に書いている。


Cap02


当時を回想した作品『人間の土地』の中で、サン=テグジュペリは遊牧モール人を「不帰順族」( les tribus insoumises 堀口大學訳)と記している。文字どおり、それはヨーロッパの植民地主義に対して「帰順」しない、つまり反抗者たちという意味だ。そして「彼らが、捕虜の白人を虐殺する理由は、憎悪のためより、むしろ軽蔑のためだった」とサン=テグジュペリは書く。「哨所の境界でぼくらと行き会ったりすると、彼らはぼくを軽蔑さえもしなかった。彼らは横を向いて唾を吐いた」


サン=テグジュペリらは、彼らの自尊心を削ぐために交渉のあったモール人を飛行機に乗せたり、ときにはフランス見物に連れていったりした。こうした誘惑に乗って、信仰をぐらつかせ、帰順してしまうモール人も少なからずいたというが、中にはけっして屈服せず、いっそう激しく敵対しようとする者たちもいた。


だが、『人間の土地』でサン=テグジュペリが畏敬し、賞賛したのは、帰順することの利益をかなぐり捨てて、いっそう激しい憎悪と軽蔑、そして尊厳をもって、白人たちに銃口をつきつける者たちのほうだった。コーランを手に、なにもないサハラ砂漠を生きる意味に満ちた神秘の空間へと変えてしまうような彼らの生き方に、サン=テグジュペリは魅せられていた。


むろん、そこにはサン=テグジュペリ生来のロマンティックな性向にくわえて、圧倒的な力の差を前提としたオリエンタリズム、あるいはノスタルジーがあったのだと思う。なにより『人間の土地』が書かれた1938年には、すでにサハラのモール人の多くは帰順し、砂漠はかつてのような脅威の場所ではなくなっていたからだ。


サン=テグジュペリは書いている。「帰順砂漠とそれ以外のところとのあいだでは、なんという内容の相違だろう。・・・現在のまるで変貌してしまった帰順砂漠を前にするたびに、ぼくは思い出す、少年時代の自分のあの遊技を、ぼくらがさまざまの神が住んでいると信じていた、暗い、そしてまた金色のあの庭園を・・・それなのに、いまやすでに、不帰順砂漠はなくなってしまった。キャップ・ジュビー、シズネロス、プエルト・カンサド、サゲット・エル・マハラ、ドラ、スマラ、どこにももう神秘はなくなってしまっている・・・」


 
Cap01


しかし、それから1世紀ちかくたってはっきりしたことは、「不帰順砂漠」も「不帰順族」もなくなってなどいなかった、ということだ。植民地主義の時代から連綿とつづく支配と搾取、差別や格差や貧困を生み出す仕組みがあるかぎり、「不帰順族」も「不帰順砂漠」もけっしてなくなりはしない。ただ、圧倒的な力の差のせいで、存在感が薄れていただけのことだった。


冷戦が終結し、経済や情報のグローバル化が徐々に拡大した結果、局所に封じ込められていた「不帰順族」や「不帰順砂漠」がふたたび存在感をもてる時代になってきた。今回のアルジェリアの事件にしてもリビアの崩壊にともなって大量の武器と兵力が西アフリカへと流れ込んだことが一因になっている。それが「民主化」の副産物であるとしたら皮肉なことだ。


帰順とは力によって屈服させることである。欧米がパレスチナでしてきたこと、アフガニスタンでしてきたこと、イラン、イラク、リビアに対してしてきたこと、それは冷戦時代は国益のために二枚舌外交によって利権を確保することであり、冷戦後はグローバルな資本主義の中で、格差の拡大をもたらす経済の仕組みを世界にばらまき、結果的にそこに乗り遅れた人たちの尊厳を踏みにじり、絶望に追いやることではなかったか。


それは本来であれば社会改革などによって前向きに改善されるべきものだろう。でも、そうした機会や手段までもが奪われてしまっているからこそ破壊的な行為が起きる。もちろん「テロリスト」と呼ばれる人たちが、みなそうした欧米型資本主義の犠牲者だ、というほど事は単純ではないし、むしろ現代のテロ組織もまたグローバル資本主義の産物である点は否めない。けれども、そこに希望を託さなくては生きていけない人たちがこの世界には少なからずいるし、これからもあとからあとから出てくるであろうことはたしかだ。


そのような仕組みはそのままにして、その歪みに対する破壊的表現であるテロだけを押さえ込もうとしても、それが終わりのないモグラ叩きでしかないことは明らかだ。今回の人質事件の実行犯を擁護する気はないけれど、例のごとく、「テロとの戦い」「テロリストとは交渉しない」「暴力には屈しない」といった口当たりのいいうたい文句ですべてをくくることは、こうしたきれいごとがもたらす影の側面を隠ぺいすることにもなる。


 
Cap03


「テロに対して断固たる態度でのぞむ」とは、今回のようにテロの阻止のためなら人質の犠牲もやむをえない、ということである。テロとは無差別な殺戮によって社会や体制に揺さぶりをかけるのを目的としている。その影響を最小限に抑えるためには、人命などなんでもないという立場に立たざるをえない。人命が失われることが脅威でなくなれば、テロは意味をなさなくなる。さらに人質が死ぬことで「卑劣なテロリスト」というレッテルを相手に与えることもできる。そして、今回そうした人命軽視の下に行われたアルジェリア政府の作戦をフランスもイギリスも結果的には称賛した。


テロに対して有効なもうひとつの手段は「報道しない」ことだ。テロはなるべく大きく報道されてこそ、その影響力が高まる。だからこそ、アルジェリア政府は当初から事件の情報をあまり流さず、しかも早々に収束を発表した。いまではもう現地でも新聞の一面を飾ることもなくなったという。つまり、「テロに対して断固たる態度でのぞむ」とは人命の軽視と報道規制をおのずと前提とする。それはときには戦略上、テロでないものをもテロに仕立て上げるという危険性もはらんでいる。それが「テロとの戦い」の意味である。


今回の事件で、アフリカは危険、イスラムは野蛮、といったイメージがまた広がってしまうだろう。でも、どこもかしこも同じ仕組みがちりばめられてしまった現在、危険は局所に封じ込められたものではなくなった。どこでもこのような事件がおこりうるし、いまや世界中が危険になったのだ。グローバル化とはそういうことだ。だから、こうした問題の根っこはアフリカの政治やイスラムのドグマの中にあるのではなく、むしろわれわれの周囲にあるいじめや教育の問題、格差の問題、貧困や失業の問題、さらには基地や原発の問題などの延長線上にあるのだと思う。これをイスラムとキリスト教、テロリストと善良な市民といった単純な構図に落とし込むことは問題の矮小化にほかならない。
 


Cap04a

キャップ・ジュビーに赴任したサン=テグジュペリの任務は週にいちどやってくる郵便飛行機の送迎のほかに、地元の遊牧モール人との友好関係を維持することだった。彼はモール人の族長をお茶に招いたり、アラビア語を学んだり、飛行士が捕らえられたときはみずから交渉に出かけた。


それは単純な友情や信頼関係というより、少しでも油断したら、殺されてしまうような、しのぎをけずるやりとりだった。それでも砦に引きこもりっぱなしだったスペイン人植民者たちとちがって彼らを軽んじるようなところのなかったサン=テグジュペリに対してはモール人たちも一目置くようになった。そして彼もまた、フランス人の士官を殺して砂漠へ脱走したモール人たちが守ろうとした「尊厳」に対して理解を示す。『星の王子さま』と並行して、ベルベルの族長のひとり語りという形式で書かれた未完の大作『城砦』には、そんな失われゆく人びとの生き方に対する鎮魂歌のような意味合いも込められていた。


すでに書いたように、それは圧倒的な力の差のあった古い時代ならではの、甘やかでノスタルジックなエピソードでしかないのかもしれない。しかし、巨大化した砦の中にこもって、対話を拒否しつづけてきたことで失われてしまったものの大きさを思うとき、サン=テグジュペリのことが浮かぶ。難解で、読みにくい『城砦』をあらためてまた読んでみることにする。


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