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2013年2月

トークイベントのお知らせ「コンゴ・アゲインーー20年ぶりのコンゴ河丸木舟旅」(3月30日・31日神楽坂)

いまから20年以上前の1991年、アフリカ中央部を流れるザイール河(現コンゴ河)を妻と2人で丸木舟を漕いで1ヵ月あまりかけて下った。それはその過酷さ、強烈さという点で自分にとって、もっとも印象深い旅のひとつだった。

去年の春、ものすごく久しぶりにその旅についてトークイベントをしたのだが、その後、いまコンゴ河はどうなっているのか、と気になりはじめた。そんな折、仕事でアフリカへ行くことになった。行き先はマダガスカルとケニアだったが、どうせケニアまで行くなら、コンゴにも行けないかな思って、いろいろ調べるうちに、ほんとうにコンゴへ行きたくなってきた。

とはいえ、現在のコンゴはアフリカでも指折りの治安の悪い国で、報道や情報からするととても旅行できるような状況には思えなかった。それでも首都のキンシャサを再訪して、かつての記憶をよすがに、いまとの比較をしたりするのはおもしろそうだ、と思った。

去年の9月に日本を出て、マダガスカルとケニアの仕事を終えたあと、コンゴに飛んだ。ところが、いろいろ偶然が重なって、キンシャサからコンゴ河の上流のキサンガニまで飛ぶことになった。そこからまた偶然が重なり、思いがけず前回と同じように丸木舟を漕ぎ、さらに大きな船や小さな船を乗り継いで、結果的に1ヵ月半くらいかけてコンゴ河を下る大がかりな旅になってしまった。

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率直にいって、ものすごくキツかった。前の旅もたいへんだったけれど、それから20年分歳もとったし、体力も、こらえ性もなくなった身にとって、それは肉体的にも精神的にも、ただごとではないキツさだった。マラリアにはならなかったものの、昼はとんでもなく暑いし、風呂には一ヵ月以上入れず、一日一食ないし一食半の食事で、矛盾と不条理の波状攻撃に耐えながらの旅は掛け値なしにハードだった。

ただ、今回の旅にはパートナーがいた。コンゴに一年以上滞在していて、慶応SFCのプロジェクトでキンシャサの教員大学でコンゴ人学生に日本語を教えている20代後半のシンゴ君。彼はリンガラ語がしゃべれて、コミュニケーション能力も異様に高い。彼のおかげで警察や役人と戦う上で、ずいぶん助けられた。そうやってキサンガニからキンシャサまで1700キロをぶじ下ることができた。そこで見えたのは、おそらく報道などで触れるのとはかなりちがったコンゴだったと思う。

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で、その今回のコンゴ河の旅について、またトークイベントをします。フェイスブックで数日前に告知をしたところ、すでにかなり予約が入り、あまり席にゆとりがありません(すみません)。ご希望の方はお早めの予約をお願いします。下記が案内です↓

http://www.ryokojin.co.jp/3f/index.html

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「コンゴ・アゲインーー20年ぶりのコンゴ河丸木舟旅」

1991年の丸木舟ザイール河下りから約20年。2度とすることはあるまいと思っていた丸木舟による河下りを昨年秋思いがけずふたたびしてしまった。

グローバル化のすすんだこの20年、アフリカ中央部のジャングルの中でなにが変わり、なにか変わらなかったのか。前回は食べられなかったサルやイモムシを食べつつ、とほうなくナンセンスにして過酷な日々のなかで見たものはなんだったのか。

空の底が抜けたかのような雨、霧に浮かぶ中洲の村、役人たちとの終わりなき戦い、サルの料理、「ふれあい街歩き?」コンゴ編など写真や動画を交えつつ、コンゴ河の旅から世界や日本のなにが見えてきたかなどもふくめ、硬軟とりまぜつつお話したいと思います。

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トークは5時開始の予定ですが、会場は午後1時から開いていてコンゴの仮面の半日無料展覧会をやります。ハピドラム演奏、アフリカのちょっとした物即売会(協賛・あひる商会)もあります。

出演・田中真知
場所・アユミギャラリー高橋ビルB2(東京メトロ東西線神楽坂駅より徒歩1分)
http://www.ayumi-g.com/image/accessmap.jpg
日時・3月30日(土)

    3月31日(日)

トークは両日とも午後4時半開場 午後5時開始だいたい2時間くらい。会場は午後2時から4時半まで無料開放で仮面の展示あり(31日は午後1時から)。
トークイベントチャージ・1500円(学生1000円)ワンドリンク付き

(※ 31日は満席になりました。30日(土曜日)のトークは予約受け付けております。よろしくお願いします。 3/13記)

ご予約メールはこちら↓
bozenkun@hotmail.com (hotmailに不具合があったときは gmail のほうにお願いします。 bozenkun@gmail.com)

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追悼・岩田慶治先生

文化人類学者で国立民族学博物館名誉教授だった岩田慶治先生が亡くなった。ハタチくらいの頃だったか、魂とかカミというものをどのように理解すればいいのか迷っていた時期に、「鳥のたましいは空、空のからだは鳥・・・」という、たしか『カミの人類学』にあった一節を読んで、目の前がぱぁーっと開けるような思いがした。


その後、ファンレターのようなものを出したらていねいな返事をいただき、それから浄土寺の家にお邪魔させていただいたり、旅先から手紙を出させていただいたりした。先生は、目が大きく、眉が濃く、長年の修行を経た禅者のような泰然自若とした風格をたたえていた。ふぉっふぉっふぉっという鷹揚な笑い声を聞くと、とても安心した。


岩田先生は、人間だけでなく草木虫魚がともに自由になれる空間ーーそれを彼はコスモスと呼んでいたーーを一貫して志向していた。それはエコロジーのような人間中心の思想ではなく、どこにも中心のない、生と死という境界すらもなくなってしまうような、そんな世界だったように思う。そこには戦時中、爆撃機に乗っていて仲間たちがみな死んでいく中で、ひとりだけ生き残ったという経験も関係しているのかもしれない。そのころ彼がいつも口ずさんでいたのが道元の『正法眼蔵』だったという。


岩田先生は東南アジアの研究者だったけれど、彼にとってフィールドワークとはたんなる観察ではなく、文化の糸にがんじがらめになっている自分という存在から自由になることだった。魚はしゃべらない、生きている者は死ぬ、死者は甦らない、絵に描かれた餅は食べられない、時間は流れ元に戻らない、神さまは見えない・・そういった思い込みからも自由になれるふしぎの地平を、彼は道元をよすがにさがしていた。なんて面白いものの見方だろう、自分もそんな風に旅をしたい、と思った。だから岩田慶治先生は、ぼくにとって旅の先生だった。


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日本に戻ってからはずっとご無沙汰していて連絡もとらずにいた自分がとても恥ずかしい。昔、先生がフィールドで折にふれて綴った歌をまとめたという『牆壁瓦礫集』という私家版の歌集をいただいたことがある。それを本棚の奥から出してめくっていたら、こんな歌が目にとまった。
 

生死は いづこと知らね ひたすらに わが尋ぬるは 何の幻


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