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パッションフルーツは情熱の果物ではなかった。。。

パッションフルーツ(Passion Fruit)のパッションって「情熱」という意味ではなかったんだ。南国の果物だから、なんとなくそれでパッションというのだろうと思っていたのだけれど、このPassionは「情熱」ではなくて「受難」の意味だったんですね。16世紀、南米に出かけたスペインの宣教師が、そこで初めて目にしたパッションフルーツ(トケイソウ)の花をキリストの冠に、3本のめしべをキリストの手足の聖痕に見立てるなどして「受難の果実」と呼ばれるようになったそうだ。

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もう1つ以前から疑問だったのは passionという単語に、どうして「受難」という意味があるのかということ。たとえば、John's Passionといえば「ジョンの情熱」ではなくて「ヨハネ受難曲」だし、Passion Playといえば、べつにSMのような妖しげなものではなくて「受難劇」のこと。でも、どうして受難と訳されるようになったのか。


調べてみたら、passion の語源はギリシア語のパトスで、もともとロゴス(理性・言葉)と対照的な受動的な心の状態(つまり感情)をあらわすのだとか。ギリシア悲劇で、神々が下す不条理な運命にたいして、たとえばアキレウスのような英雄が怒ったりする、という感情がパトスだったらしい。ただし、パトスは受動的(passive)な反応であって外から降ってきた災難みたいなもので、あまりいい意味ではとらえられていなかった。アリストテレスは「ニコマコス倫理学」の中で「パトスのままに生きると・・・知識は無益に終わる」と書いている。


のちにキリストの生涯を表現するときに、このギリシア語のパトス(苦しめられた)という概念にもとづいて、ラテン語のpassioという言葉が用いられ、それが英語のpassionの語源となったということらしい。ところが、それがおそらくルネサンスの人文主義や、近代の啓蒙主義や個人主義の広がりにしたがって、それまで受動的に翻弄されることを表していたパッションという言葉が、異性や夢といったものを対象とした、「オレの熱いパッションを受けとめてくれい」みたいな、むしろ積極的な意味へと変わっていった、ということのようだ。謎がすこしとけた、なんとなく。

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Passion Playで有名な南ドイツのオーバーアマガウ

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「雑記」カテゴリの記事

コメント

自分にも受難(災難?)が降りかかっている。仕事面のことだが、色々な行き違いにより生じた誤解がこんがらがって退職になりそう。今まで大変な仕事を自分なりにやってきたつもりだったのに、ボタンの掛け違えなのか?それとも自分の性分だったら、救いはないように思える。これは受難なのか、自分の性分なのか?
真知さんの高尚な文章に私事で申し訳ありません。
このまま素直に長旅に出ようか。昨年買った「歩き方」、仕事で行けなかったし。今日は眠れない。

投稿: 現代版passion | 2013年3月 7日 (木) 13時35分

>現代版passionさま

たいへんですね。でも、なにが難になるかどうかなんてわかりません。起きたことを「難」と受け取るかどうかも自分の性分しだいという面もあります。難だと思えば難になるし、難ではなくきっかけだと思えば、そうなることもあります。気休めしかいえませんが、どうか眠れますように。

投稿: 田中真知 | 2013年3月 9日 (土) 08時50分

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