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「魔女と呼ばれた少女」はとてもよかった

17年前にコンゴを旅した尾崎さんが教えてくれた映画「魔女と呼ばれた少女」(2012年カナダ)を見てきた。すごくよかった。コンゴ紛争を背景として、反政府勢力に拉致された12歳の少女の経験を描いた、けっして明るくはない、というか相当に悲惨で残酷な話なんだけれど、それが「ほら、だから戦争はいけないんですよ」といった安易なメッセージ性をあまり感じさせないのがいい。


それどころか描かれている生々しいエピソードにもかかわらず、どこか淡い幻想性が全編にただよっている。その幻想性、あるいは麻痺したような無感覚こそが、じつは戦争のリアルなのだと思うが、それはさておき、最近コンゴに行っていただけに、随所に「あ~この感じ・・・」と思う場面が多く、懐かしいというか、せつなくなるシーンやエピソードが目白押しだった。


この映画についての解説や情報をまったく読んでいないので確信はないが、これは実在の一人の少女の経験に基づいているというわけではなく、オリジナル・ストーリーだろう。けれども、実在の人物の経験を描いた、というふれこみの作品より、はるかにリアリティが感じられたのは、実在の人物をとりあげたときにいやおうなく生じるヒューマニズム礼賛や告発性みたいなバイアスから解放されているからだと思う。


それにしても、よくこんな作品が撮影できたものだ。驚いたのは、おそらくかなりの部分がコンゴ民主共和国で撮影されているらしいことだ。映画が撮影できるくらい平和になったということなのか。制作は2012年だから、撮影はその1、2年前か。劇中に携帯電話のアペル(プリペイドカード)を売るスタンドが映っていたから、おそらくこの数年以内の撮影であったことはまちがいない。


コンゴ紛争は2003年に一応の終結を見たとされているが、いまだに東部では反政府勢力の動きが活発で、東部の村では暴力やレイプ、略奪、焼き討ちといった被害が起こっていて、解決の糸口はいまだ見出せていない。その中で撮影が行われたことがまず驚きだった。


エンドロールを見ていたら、協力にDGMという名前が挙がっていた。コンゴのDGM(Direction Générale de Migration 出入国管理局)といえば、カビラ政権になってからもうけられた悪名高い官僚組織であり、その腐敗っぷりには、われわれもさんざん苦労させられた。その協力を受けてということは、そこにどれほどタフな交渉が行われたのか想像にあまりある。


だが、さらに驚かされたのは、現政府の許可を受けてコンゴ国内で制作されていながら、この映画に現政権のイデオロギー的なものがいっさい反映されていないことである。たしかに反政府勢力の横暴ぶりは描かれてはいるものの、彼らの残虐性を喧伝したり、政府軍の正義をアピールしたりすることが目的になってはいない。現実の描写が目的ではなく、誘拐された少女がする体験を、幻想的・芸術的に淡々と表現することに徹している。そうした、ある意味では立場が曖昧な作品を、いまだに政治的不安定を抱えるこの国で撮影できたことが驚きだった。


中でもいちばんびっくりしたのは、映画の中で、反政府勢力の拠点として出てきた場所が、バドリテのモブツ元大統領の宮殿跡だったことだ。1997年まで30年以上この国を支配しつづけていた独裁者モブツは、北部のバドリテ郊外のジャングルの中に壮麗な宮殿をつくりあげ、晩年はほとんどそこで過ごした。それはコンコルドが発着できる滑走路や、中国庭園や、古代ローマ風の建物などからなるグロテスクな宮殿だった。こんないわくつきの場所でよくロケの許可が下りたものだ。映画の中ではそうした説明はいっさいなく、ただの舞台装置のひとつとして登場しているだけなのだが、その天壇に似た中国風の奇怪な廃虚は不気味な効果を上げていた。


製作背景の話になってしまったが、肝心の映画そのものもいい。なにより日常がとてもリアルに描かれている。紛争中というと国全土が非常事態の中にあるような印象を受けがちだが、実際にはほとんどの村では淡々とした日常が営まれている。反政府勢力の部隊から脱走した少女と少年がたどりついた村でも、そんな変わらぬ日常の様子がていねいに描かれている。庭には洗濯物がぶらさがり、ニワトリがかけまわり、町角には暇な男たちがたむろし、ときおり白人の乗ったランクルが通り過ぎる。


ギトギトした真っ赤な椰子油を搾ったり、バナナの葉でつつまれたキャッサバをンバンブーラというコンロで蒸かしたり、つぎはぎのあたった丸木舟を漕いだりする。反政府勢力の者たちも、発動機で起こした電気でバイオレンスもののビデオを見たり、カラテでふざけあったりしあう。コンゴの田舎のあたりまえの日常と、とほうもない非日常が隣り合っている。


この作品は、これまでアフリカを取り上げるときに無意識に使われてきた文法的枠組みから比較的自由だ。コンラッドの「闇の奥」を翻案してつくられたコッポラの「地獄の黙示録」のように、密林の奥地を西洋的な自我の対蹠点として、人間の無意識の中心のように見ようという視点もここにはない。得体の知れないものをアフリカに投影しようともしていなければ、最初に述べたように、直接的な反戦への告発があるわけでもなく、なぜこのような紛争が起きたかということの説明もない。あくまで少女の心象風景としての紛争の現実が、しずかに淡々と描かれているばかりである。


ネタバレになるが、この映画の全編をひたひたと満たす淡い幻想性は、みずからの手で両親を射殺させられた少女が、それ以後の経験にほとんどリアリティを感じられなくなったことを示しているせいのように思われた。部隊の中では自分の意志の働く場はなく、起こることに対してひたすら受動的にふるまうほかない。それは死んでいるも同然であり、だからこそ彼女には亡霊が見える。彼女は部隊にいる間中、死の側からこの世界に起きることを見つめている。


その彼女が生きるためには、村に帰って両親を埋葬し、生まれてくる子どもに、本当の父親ではない唯一心を通わせたアルビノの少年の名をつけなくてはならなかった。そうすることによって、やっと少女はふたたび、この世界を生きることができるようになる。不条理に満ちた現実の中に、そうした、せつない死と再生の物語がつつましやかに織り込まれている。その意味ではこれは「ホテル・ルワンダ」とか「キリング・フィールド」といったカテゴリーの作品ではなく、むしろホドロフスキーの「エル・トポ」のような作品に近いのかもしれない。重そうに見えて軽い、軽そうに見えて重い、それでいてリアリティに満ちている希有な作品だった。

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コメント

私もこの映画、真知さんの講演会の翌日に観てきました!丸木舟が何度も出てきて、前日の講演会で写真をたくさん拝見していたせいか懐かしく感じられました。

この映画が一体コンゴのどこで撮影されたのか、パンフレットを見てもよくわからなかったのですが、本物のモブツ大統領の宮殿跡がロケ地のひとつだったのですか。すごい・・・。

投稿: mari_neko | 2013年4月 7日 (日) 20時06分

>mari_nekoさん

ごらんになったのですか。とてもふしぎな映画でした。コルタンを掘る場面とかも出てきていましたね。
モブツ宮殿跡が出てきたのには本当にびっくりしました。

投稿: 田中真知 | 2013年4月 8日 (月) 20時40分

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