« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2013年5月

八ヶ岳山麓のアフリカンアートミューゼアムはすごい

山梨の山中で、道路わきにアフリカの仮面をあしらった看板があるのが偶然目に入った。そういえば以前、どこかの山の中にアフリカンアートを集めた個人美術館がある、と聞いたことがある。これがそうかもしれない。それなら寄ってみようと思い、その足で訪ねた。


建物は思いのほか、というより、おどろくほど立派だった。しかも八ヶ岳山麓という抜群のロケーション。開館前だったが、前庭で掃除をしていた男のひとに聞いたら、入れてもらえた。アフリカンアートミューゼアムというところだ。

 
Img_2585

中もとてもきれい。ちょうど「コートジボワールの美術」という特別展をやっていたのだが、一瞥して展示されている品の質の高さに驚いた。地方の個人美術館というと、中には正直なところがっくりしてしまうようなところもあるが、ここはその真逆。クオリティーの高さに息をのんだ。

 

Img_2569


 
展示に見入っていると、表で掃除をしていた男の人が来て、特別にギャラリートークをしてくれるという。この方が館長さんだった。館長さんは、最初に「アフリカンアートってどういうものだと思います?」と質問してきた。う〜んと口ごもっていると、館長さんは「多くのひとたちがアフリカンアートといっているのは、じつはエアポートアートなんです」という。


エアポートアート? 館長さんがいうには、それは文字どおり、空港の土産物屋で売っているようなお土産用として作られたアフリカの彫刻や仮面だそうだ。そういうものが一般にアフリカンアートだと思われているが、じつはそれはまちがいなのだという。


この博物館に集められているのは、そうした「エアポートアート」ではなくて、実際に儀式で用いられたり、生活の中で使われたりした彫像や仮面、工芸品だ。いずれも最近作られた物ではなく、第二次大戦以前、アフリカがまだ植民地だった時代に、白人や宣教師らが集めてヨーロッパに持ち込んだものを、ヨーロッパのオークションやコレクターから買い集めてきたものだという。


アフリカの美術品の場合、オリジナルだから価値があって複製だから価値がない、とはいちがいにはいえない。いまもそうだが、高温多湿の環境のせいもあって彫像や仮面は定期的につくり直される。また、もともと白人宣教師らにとってアフリカの仮面や彫像はいかがわしい偶像でしかなかった。ところがピカソやマチスといったひとたちがアフリカの彫刻に影響を受けたことなどがきっかけとなって、こうした造形や工芸がヨーロッパのアートの文脈の中に位置づけられていった。


ただ、当時と今とで明らかにちがっている点がある。それはこれらの仮面をつけた人物は、かつては神そのものと信じられていたことだ。


Img_2560


「アフリカの儀式は日本のお神楽とはちがいます。お神楽は芸能であって、神さまに踊りを奉納するのが目的。仮面をつけてはいても演じているのは人です。一方、アフリカでは仮面をつけた人は神そのもの。まわりの人たちも、神がそこにいると信じていた。でも、いまはもうちがう。みんな、中に人が入っていることを知っている」と館長さんはいう。


たとえ、中に人が入っていることを知っていたとしても、バリの仮面儀礼のように、その仮面をかぶって舞うことによってカミが降りてきて、まわりの人までいっしょにトランス状態に入ってしまう、という感覚はいまなおあるのではないか、とも思う。ただ、たしかに、複数のリアリティの中を同時に生きなくてはならない現代では、かつてのように、そこに神がいることを、すっかり信じ込んで、その世界に没入してしまうという感覚は薄められてしまっただろう。


それはさておき、館長さんの解説はとてもおもしろかった。たとえば下の椅子はコートジボワールのダンという人たちがつくったものなのだそうだが、一見すると、ひしゃげたかんじがする。

 
Img_2518


背もたれの棒の長さも左右でちがうし、短い脚も歪んでとりつけられているし、しかも長さが微妙にちがう。歪んだなりに、味わいはあるのだが、館長さんによると、かつて白人たちは、こんなふうに脚が傾いていたり、左右の背もたれの長さがちがうのは、アフリカ人がきちんとした正確な仕事ができないからだと見なしていたという。下の椅子もそうだ。
 


Img_2527

装飾は立派だけど、どこかしら歪んでいて、すわったらひしゃげてしまいそうにも見える。あと、会場にマリのドゴンの建物につけられた階段の写真が展示されていたのだが、その階段の一段一段の高さが一定ではなく、段ごとに微妙に高さが異なっている。そのとなりにドゴンの家の扉の写真があったのだが、その扉を閉めた状態の写真を見ると、上や下に隙間ができている。こうしたことなども、アフリカ人の仕事のずさんさだと見なされていたという。


でも、館長さんは、そうではないという。「ダン族の椅子なんて、たまたま同じ長さの棒がなかったから、ありあわせで適当に組み合わせたらこうなった、と思われがちなんですが、そうではない。パーツをよく見てみると、わざわざ左右の長さを変えて作ったということがわかります。ずさんなのではなく、あえて、こういう形にしている。階段の段を同じ高さにしないのもそうです。対称性や均一性を意図的に崩す。それが彼らの美意識なんです」


うーむ、じつにおもしろい。では、その崩し方にはなにか特徴はあるのだろうか。それについてはちょっと思いあたることもあるのだが長くなるのでそれは次回にまわすことにして、展示されていたものをいくつか紹介する。ここからは、あひるさんとかっぱくんにバトンタッチ(注・「あ」はあひるさん、「か」はかっぱくん)。


 
 

Img_2521

か「へんな かお だねえ」


あ「こーとじぼわーるには こういういきものが すんでいるのさ」


 
 
 


 
 Img_2563

あ「こーとじぼわーるには こんな いきものも すんでいるのさ」
 

か「ぼく こーとじぼわーる いかなくていい・・・」


 

 
 
 Img_2525

あ「これは あたまが ふたつある こーとじぼわーるの いきものさ」


か「こーとじぼわーるは なんだか こわいなあ」


あ「そんなことないさ こわくない やつもいるよ」

 


Img_2534


あ「これなら かっぱくんでも こわくないさ」


か「すぷーんに あしが ついてる・・・」


あ「こーとじぼわーるの すぷーんは よるに なると あるきだすんだよ」


か「やっぱり ちょっと こわいよ・・・」

 
 

 
 

Img_2660


あ「ちなみに これは うらのひとが きんしゃさの ろんどんで てにいれた すぷーんの かっぷるさ」


か「きんしゃさの すぷーんも よる あるくの?」


あ「そうさ そうやって ぱーとなーを みつけたのさ」


か「それで まるくなったんだね」


あ「いまは そうでも しょうらいは だれにも わからないのさ」


 

 
 
 

Img_2544


 

あ「これは こーとじぼわーるの ぞうさ」


か「え〜・・・」


あ「どこから みても ぞう そのものだね」

 
か「そーかなあ・・・」


あ「とくに みみが まさに ぞう という かんじさ」

 
 
 

Img_2567

か「これは いったい。。。」


あ「どこからみても うま そのものだね」


か「え〜〜うまなの?」


あ「かおを みれば いちもく りょうぜんさ」


か「え〜〜」

 
 


Img_2573


あ「これは ぱんく だね」


か「ばんく?」


あ「ぱんくは あふりかから ろんどんに きたというわけさ」


か「へー・・・」

 
 
 

Img_2661


あ「おみやげも かったのさ」


か「あ おめんだ・・・」

 


Img_2672

あ「いまでは こどもたちの あいだで ひっぱりだこさ」


か「へー・・・」


 
 


アフリカンアートミューゼアム

〒408-0036 山梨県北杜市長坂町中丸1712-7
TEL:0551-45-8111
開館時間:9:30 -17:00
休館日:祭日を除く火曜・水曜


| | コメント (6)
|

横谷宣写真展4年ぶりに開催決定!

今回はほんとうに、とてもうれしいお知らせだ。横谷宣さんの写真展が4年ぶりに開催されることが決まった。場所は4年前と同じく神田明神の近くのギャラリー・バウハウスで6月5日から8月10日まで。
↓くわしくはギャラリーのウェブサイトを見てほしい。

横谷宣写真展「森話」

130605_yokotani
©Sen Yokotani


横谷さんとその写真のことは自分の本の中や、このブログでもたびたび書いてきた。かれの作品は、デジタル全盛のいまの写真とは真逆といっていい手法でつくられている。


レンズは手作りで、現像や焼き付けはカルバミドという特殊な調色法を用い、一枚の写真が完成するのに半年ほどもかかる。しかも、それまで使っていた印画紙が製造中止になってしまったため、ついに印画紙まで自分でつくるようになり、それが4年かかって今年の初めにやっと完成した。


そうやって、できあがった写真は、すみからすみまで、どこをとっても、だれにも真似のできない、横谷さんの写真になっている。そうなのだ。かれの写真は真似のしようがないのだ。


たとえ、プロの撮影した作品であっても構図や色合いを似せて、「それっぽく」撮ることなら、ちょっと器用な人ならできるかもしれない。いまのカメラは性能がいいし、すくなくとも、そんな誘惑にかられるかもしれない。でも、横谷さんの写真はそういう甘やかな幻想をはなから打ち砕く。どんなにいい機材を使おうが、かれが撮影したのと同じ場所へ行こうが、かれのような写真は絶対に撮れない。この世界の延長線上にはない次元のちがう美しさが印画紙の中に封じ込められている。


4年前の最初の写真展「黙想録」は、まったく無名の写真家の初めての写真展でありながら、口コミでたいへんな評判を呼んで、雑誌や新聞にまで取り上げられた。そしてふだん写真などとくに関心のない人たちが、かれの写真に魅せられてたくさんやってきて、作品を購入していった。毎日のようにギャラリーに通って、同じ写真の前でじっとたたずむ人もいたという。

Sankei_2

そうなのだ。かれの写真はけっして難解ではない。現代アートにありがちな思想が先行したコンセプチュアルなものでも、感覚や偶然性にたよったものでもない。むしろ一見すると、とてもわかりやすいとさえいえる。でも、そのわかりやすさが通俗性やなまぬるさにつながらず、おそろしいほど研ぎ澄まされた美しさへと昇華されている。それを可能にしているのは、感性や直観をごまかさずにかたちにするための精緻な技術なのだと思う。


「森話」と名づけられた今回の写真展は、新たに撮り下ろしたものではなく、かれがアジアの遺跡で撮影した作品のバリエーションが中心になっている。ほかに前回の「黙想録」で発表された作品も一部展示される予定である。前回来た方も、前回見逃した方もぜひ見に来てほしい。オリジナル・プリントの凄みは、ネットで画像を見るのとはぜんぜんちがう。


会期は6月5日から8月10日までと長く、6月21日(金)には横谷さんと写真評論家の飯沢耕太郎さんとの対談、6月22日(土)にはかれのこの4年間の印画紙づくりのエピソードをぼくが聞き手になってうかがう、というトークイベントも予定されている。また7月にも日にちは未定だが、旅をテーマとしたトークなども予定している。

ーーー
横谷さんについて書いた最近のエントリー↓
写真家の横谷さんはいまなにをしているのか? 2012/8/9
横谷さんの手作り印画紙 2010/1/13


横谷宣写真展「森話」(ギャラリー・バウハウス @神田)

会 期 / 2013年6月5日(水)~8月10日(土)
時 間 / 11:00~19:00
休 廊 / 日・月・祝
入場料 / 無料

ギャラリー・トーク

【第一回】横谷宣×飯沢耕太郎(写真評論家)
「森話」展に合わせて、飯沢耕太郎氏と対談を行います。
日 時 / 2013年6月21日(金) 19:00~(当日は18:00閉廊)
参加費 / 2,000円


【第二回】横谷宣×田中真知(作家・翻訳家)
自作印画紙とプリント制作について語ります。
聞き手 / 田中真知(作家・翻訳家)
日 時 / 2013年6月22日(土) 19:00~(当日は18:00閉廊)
参加費 / 2,000円

| | コメント (2)
|

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »